
「考えすぎ」は、本当にダメなの?
前の記事では、仕事でミスをしたあと、必要な対応はかなり終わっているのに、考えることをやめられない人物を扱いました。
ミスそのものは修正しました。
必要な謝罪もしました。
なぜ間違えたのかも、かなり分かっています。
次からどう防ぐかも見えていました。
それでも残ったのが、
「あの人に、どう思われただろう。」
という問いでした。
仕事ができないと思われたかもしれない。
信頼を落としたかもしれない。
今後の仕事に影響するかもしれない。
関係そのものまで変わるかもしれない。
考えても、
相手の本当の評価は分かりません。
未来がどうなるかも分かりません。
それでも、思考は続きました。
そして前の記事では、その思考が途中から少しずつ変わっていきます。
相手はどう思っているのだろう。
そこから、
なぜ私は、こんなにそれを怖がっているのだろう。
さらに、
こんなこともできない自分。
ちゃんとしていない自分。
と、自分自身への評価が見えてきます。
そして、
できなかったことを認めることと、できなかった自分そのものを拒絶することは、同じなのだろうか。
という問いへ進みました。
最後には、
私は、誰かに認められたかっただけではないのかもしれない。
できなかった自分まで、私自身に認めてもらいたかったのかもしれない。
というところまでたどり着きます。
絶対に正しい答えが出たわけではありません。
ただ、
「今夜の自分には、これがいちばん近い」
と思えるところまで来た。
そして、その夜は終わりました。
でも、ここには少し不思議なところがあります。
相手の評価は、
最後まで分からないままです。
新しい外部事実も増えていません。
未来も確定していません。
それなのに、
なぜ、あの夜は終われたのでしょう。
今回は、
あの「考え続けていた時間」の中で、
実際に何が起きていたのかをもう少し細かく見てみます。
なぜ、まだ起きていない未来まで考える?
使うのは、「現実価値の物差し」です。
これは、科学的に妥当性や信頼性が検証された心理尺度ではありません。
数字も客観的な正解ではなく、
同じ条件の中で、
何を変えると、どんな結果が変わるのか
を見るための暫定値です。
基本スコアでは、
その結果はどれくらい重要か(重要性)
起きたらどれくらい現実へ影響するか(影響度)
その行動からどれくらい起こりそうか(実現見込み)
を使います。
式は、
(重要性÷5)×(影響度÷5)×実現見込み×100
です。
そのほか、
時間や注意をどれくらい使うか。
繰り返したときにも成り立つか。
価値や負担がどれくらい続くか。
といった点も補助的に見ます。
一つの行動全体へ総合点をつけるわけではありません。
正の結果と負の結果も、足し引きして一つの点数にはしません。
負の結果の数字が大きい場合は、その望ましくない結果の重要性・影響度・実現見込みが大きい、という意味です。
なお、今回扱う人物も、複数の特徴を組み合わせて考察のために置いたモデルです。
「こういう人はみんな同じように考える」という話ではありません。
では、最初の状態から見てみます。
人物が考えていたのは、
「相手にどう思われたか」
だけではありません。
信頼を失ったかもしれない。
次の仕事を任せてもらえなくなるかもしれない。
関係まで変わるかもしれない。
まだ起きていない嫌な未来まで、
先へ先へと考えています。
でも、
そもそも、
なぜ、まだ起きてもいない嫌な未来を、わざわざ先に考えるのでしょう。
この人物は、
相手の表情や声色、反応の変化を細かく拾いやすく、
人からどう評価されているかも強く意識しやすい人物です。
対人上の否定や評価の低下、
関係の変化が起きたときには、
心理的にも比較的大きく揺れます。
突然、
悪い反応や評価を突きつけられることへの負荷も大きい。
だとすると、
そんな現実が突然やってきて、
完全な不意打ちになる前に、
一度、
「そうなるかもしれない」
と頭の中で触れておこうとしている。
そんな働きも含まれているのかもしれません。
未来を正確に当てたいというより、
完全な不意打ちにしないための、心の準備。
もし、そんな機能があるのだとしたら、
次に気になることがあります。
未来を先に想像することは、本当に心の準備になるのでしょうか。
一度考えておけば、少しは準備になる?
まず、
悪い未来を一度だけ想像する場合を見てみます。
次の仕事を任せてもらえなくなるかもしれない。
関係が少し変わるかもしれない。
そんな可能性を、
一度「あり得ること」として考えておく。
この場合、
実際にその出来事が起きたときの、
最初の心理的ショックを小さくする結果は 9.6。
一方で、
必要な受け答えを保ちやすくする結果は 31.2。
その後、回復へ移り始めやすくする結果は 23.4 でした。
ここを見ると、
一度「あり得る」と触れておくことには、
一定の準備価値がありそうです。
ただ、
ショックそのものを小さくする結果は 9.6。
今回の比較では、この結果のスコアは低めでした。
つまり、
痛くならないための準備、というほどではありませんでした。
では、
一度では足りないのでしょうか。
何度も考えておけば、
もっと本番に強くなれるのでしょうか。
なら、何度も考えればもっと準備できる?
今度は、
悪い未来を何度も頭の中で繰り返します。
次の仕事を任せてもらえなかったら。
評価が下がっていたら。
関係が変わっていたら。
「もし本当にそうなったら」と、その場面を何度も頭の中で先に経験するような場合です。
こちらでは、
最初の心理的ショックを小さくする結果は 10.8。
一度だけ想像した場合の 9.6 から、
大きく伸びたわけではありません。
必要な受け答えを保つ結果も 26.4 でした。
一方で、
まだ起きていない痛みを先に味わい続ける結果は 38.4。
注意を拘束する結果は 40.8。
さらに、
「きっと本当にそうなる」と確信を強める結果は 19.8 でした。
何度も悪い未来を見れば、
そのぶん本番への強さも増えていく。
そうはなりませんでした。
ショックを小さくする結果の基本スコアは、9.6から10.8。
大きくは変わりませんでした。
その一方で、
起きていない痛みを先に引き受ける負担や、
そこへ注意を使い続ける負担は大きくなっています。
ここでは、
未来を考える意味が途中で変わって見えます。
一度「あり得る」と触れておくことは、
心の準備として働くことがある。
でも、
何度も繰り返せば繰り返すほど、
準備が増えるわけではない。
心の準備として働くことのある思考も、繰り返すうちに、痛みの先払いへ変わることがある。

では、
本当に準備として大きく働いたのは、
何だったのでしょう。
本当に準備になったのは、未来を何度見たかではなかった
もう一つ、
少し違う場合を見てみます。
悪い未来を想像するところまでは同じです。
でも、
そこで終わりません。
もし本当にそうなったら、
つらいと思う。
でも、
その一件だけで、
自分全部が決まるわけではない。
その場では、
まず相手の話を聞こう。
あとで落ち込むなら、
それはそれでいい。
そんなふうに、
その未来が来たとき、自分をどう扱うかまで考える
場合です。
この場合、
最初の心理的ショックを小さくする結果は 10.8。
ここは、
何度も未来を想像した場合と大きく変わりません。
でも、
ほかの結果は変わりました。
必要な受け答えを保つ結果は 36.0。
一件の出来事を、自分全体への否定まで広げにくくする結果は 33.6。
その後、回復へ移り始める結果は 25.2 でした。
大きく変わったのは、
未来を何回想像したかではありませんでした。
その未来が来たとき、自分をどう扱うかまで考えたかどうか。
今回の比較では、
そこに違いが出ています。
だとすると、
「心の準備」という言葉の見え方も少し変わります。
心の準備とは、痛くならないための準備ではなく、痛いときにも自分を失わないための準備なのかもしれない。

少なくとも今回の比較では、
ショックそのものを消すことより、
その場で必要なことを続けたり、
一件の出来事を自分全部への否定に広げなかったりするところに、
より大きな違いが出ました。
悪い未来を何度も見ることが、
そのまま心の準備になるわけではない。
一方、
自分の側まで考えた場合には、
より大きな違いが出ました。
では、
なぜ、そこで考えることをやめられなかったのでしょう。
ここでも、
もう一つ違う働きがありました。
答えを出していない時間にも、何か起きていた?
あの夜、
必要な対応はかなり終わっていました。
それでも、
相手の評価は分からないままです。
新しい事実も増えていません。
それなのに、
不安はまだ強い。
そんな状態で、
もしすぐに結論を出そうとしたらどうでしょう。
やっぱり評価を下げられたんだ。
もう信頼されていない。
何か言わなければ。
もう一度謝ったほうがいい。
そんなふうに、
不安が強いまま結論や行動を固定する場合です。
このケースでは、
誤った結論を早い段階で固定してしまう結果は 36.0 でした。
では、
結論をすぐには決めず、
短く考えながら少し時間を置いたらどうでしょう。
ここでいう「短く考える」は、相手の本心をさらに推測することではありません。
「新しい事実はある?」「今すぐ追加で何かする必要はある?」と最低限だけ確認して、結論を急がずに置いておくような状態です。
こちらでは、
その時点で結論を固定するのを避ける結果が 33.6。
必要性の低い行動をすぐ起こさずに済む結果が 31.2 でした。
つまり、
答えがまだ出ていない時間にも、
一つの働きがありました。
すぐに答えを決めない。
不安が強い時点で、
「きっとこうだ」
と確定しない。
そのまま何かを送り直したり、
何度も謝ったり、
すぐ次の行動へ出たりしない。
考えている時間の一部は、
そんな待機として機能している場合があります。
では、
そのあいだに考えることで、
感情そのものも落ち着いていたのでしょうか。
ここは、少し予想と違いました。
落ち着いたのは、「考えたから」とは限らなかった
短く考えながら時間を置いた場合、
感情が下がる結果は 10.8。
一方、
特に分析を増やさず、
ただ時間を置いた場合は 12.0 でした。
少なくとも今回の置き方では、大きな差は出ませんでした。
つまり、
この結果だけから、
感情が少し下がったことを、
「考えたから落ち着いた」とだけ見ることはできません。
これは少し意外です。
考え続けた末に落ち着いたのなら、
つい、
「考え抜いたから落ち着いた」
と見たくなります。
でも、
待つだけでも同程度に感情が下がるなら、
そこは分けたほうがよさそうです。
では、考えることで何が変わった?
同じ「短く考えて待つ」を、
感情が下がったかどうかではなく、
その後の判断から見てみます。
すると、
次の判断が安定する結果は 31.2。
さらに、
考えている問いそのものが変わる結果は 26.4 でした。
ここで、
少し別の見方が出てきます。
考えることの役割は、
必ずしも、
不安を消すことではなかった。
すぐに結論を固定せず、
少し時間を置きながら、
何を問題として扱うのかを整理する。
その中で、
次にする判断や、
考えている問い自体が変わることがある。
さきほどの比較では、
未来を何度も見ることより、
自分の側まで扱ったときに違いが出ていました。
実際のあの夜でも、
問いは少しずつ、
相手や未来の側から、
自分の側へ移っていました。
あの夜、同じ問いを考え続けていたわけではなかった
最初にあったのは、
「あの人に、どう思われただろう。」
でした。
相手の評価を知りたい。
仕事ができないと思われたのか。
信頼を失ったのか。
その答えを探しています。
でも、
相手の本当の評価は分かりません。
そこで終わらず、
途中から問いが変わりました。
なぜ私は、それをこんなに怖がっているのだろう。
すると、
相手がどう思ったかだけではなく、
自分が何を恐れているのかを見ることになります。
さらに、
一件の失敗から、
こんなこともできない自分。
ちゃんとしていない自分。
と、自分全体へ評価を広げていたことが見えてきました。
すると、
また問いが変わります。
できなかったことを認めることと、できなかった自分そのものを拒絶することは、同じなのだろうか。
ここではもう、
相手の本心を当てようとしているわけではありません。
自分が、
失敗した自分自身をどう見ているのか。
そこへ問いが移っています。
さらに、
私は、誰かに認められたかっただけではないのかもしれない。
できなかった自分まで、私自身に認めてもらいたかったのかもしれない。
というところまで進みました。
そして最後は、
できなかった自分を、私はどう扱いたいのだろう。
という問いに近づいていきます。
ここで起きていたのは、
先ほどの比較のように、
「悪い未来が来たときの自分をどう扱うか」
を先回りして考えたことではありません。
すでに失敗してしまった今の自分を、
自分自身がどう見ているのか。
そして、
その自分をこれからどう扱いたいのか。
そこへ問いが移っていました。
ただ、
共通しているところはあります。
外にある相手の評価や未来だけを追い続けるところから、
自分の側で扱える問いへ移っていったことです。
こうして並べてみると、
ずっと同じことを、
ただ深く考えていたわけではありません。
相手はどう思っている?
から、
なぜ私は、こんなに怖い?
へ。
そこから、
私は失敗した自分をどう見ている?
へ。
さらに、
できなかった自分を、私はどう扱いたい?
へ。
答えようとしている問いそのものが変わっていました。

では、
問いが変わることで、
現実には何が変わるのでしょう。
外の答えは増えていなくても、自分で扱えるものは増えていた
相手がどう思っているのか。
これは、
本人の頭の中だけでは確定できません。
だから、
最初の問いを何度繰り返しても、
新しい外部事実が増えなければ、
答えには限界があります。
ところが、
問いが、
「私は何を恐れている?」
「私は失敗した自分をどう見ている?」
「これから自分をどう扱いたい?」
へ移ると、
扱えるものが変わります。
この問いの変化では、
自分について区別できる情報が増える結果は 31.2。
自分で暫定的に答えられる範囲が増える結果は 36.0。
次の行動が見えやすくなる結果は 33.6。
そして、
その時点で思考を終えやすくなる結果も 33.6 でした。
相手の答えは、
最後まで増えていません。
未来も確定していません。
でも、
自分の中で扱えるものは増えていました。
何を怖がっているのか。
何と何を一緒にしていたのか。
何については自分で考えられるのか。
これから自分をどう扱いたいのか。
だから、
あの夜に起きていたことは、
「答えの出ない問いを、答えが出るまで考え抜いた」
とは少し違います。
「答えが出ない時間」=「何も進んでいない時間」ではありませんでした。
そして、
最初の疑問へ戻ると、
一番大きな違いが見えてきます。
相手の本当の評価は、
最後まで分からなかった。
それでも、
その夜は終われた。
答えが出たから終われたのではない。
答えようとしている問いが、途中で変わっていた。
外の答えを得られないままでも、
自分が扱える問いへ移っていった。
そこで、
「今夜の自分には、これがいちばん近い」
という暫定的な答えを持つことができた。
だから、
すべてが解決していなくても、
いったんその夜を終えられた。
そんなふうに見ることができそうです。
では、長く考えれば考えるほどいいの?
ここは、
はっきり分けておきたいところです。
今回見えてきたのは、
「考え続ければ、いつか必ず良い問いへたどり着く」
という話ではありません。
同じ問い。
同じ材料。
同じ結論。
そこから離れられないまま、
長く反芻する場合もあります。
そのケースでは、
注意を拘束する結果は 40.8。
感情を維持・増幅する結果は 21.6。
自分への評価を悪化させる結果は 26.4。
睡眠や休息を失う結果は 33.6 でした。
しかも、
短く待つことで得られていた、
「すぐ結論を固定しない」
という価値が、
考える時間を長くしたぶんだけ増え続けるわけでもありません。
最初は、
結論を急がないための時間として働くことがある。
でも、
同じところを回り続ければ、
だんだん、
そこから離れられなくする時間へ変わることもある。
待つための思考が、離れられなくする思考へ機能を変えることがある。
心の準備についても同じでした。
悪い未来に一度触れることと、
その未来を何度も繰り返し味わうことは、
同じではありません。
だから、
「ぐるぐるしているなら、そのまま考え続ければいい」
とは言えません。
「考えすぎ」は、本当にダメなの?
最初に見えていたのは、
一人で長く考え続けている時間でした。
相手の答えは増えない。
未来も分からない。
それなら、
全部無駄な「考えすぎ」にも見えます。
でも、
中身を分けて見てみると、
同じ「考えている時間」に見えても、
ずっと同じことが起きていたわけではありませんでした。
まだ起きていない悪い未来に、
一度触れていた時間。
不安が強いまま、
すぐに結論や行動を決めないために待っていた時間。
自分が何を怖がっているのかを、
少しずつ分けていた時間。
外の答えだけを追うところから、
自分で扱える問いへ移っていた時間。
そして、
同じ問いと同じ材料を、
何度も回し続けていた時間。
それぞれ、
働きが違います。
だから、
考えすぎていた時間の価値は、最後に答えが出たかどうかだけでは測れません。
答えが出なかったから、
全部が無駄だったとも限らない。
長く考えたから、
全部に価値があったとも限らない。
何度も悪い未来を見たから、
そのぶん心の準備ができたとも限らない。
見るなら、
その時間の中で、
何が起きていたのか。
何が変わったのか。
なのだと思います。
あの夜も、
外の答えそのものは、
最後まで増えませんでした。
それでも、
考える問いは変わった。
自分で扱えるものは増えた。
そして最後には、
いったん思考を終えることができた。
だから、
ぐるぐるしている時間を、
最初から全部、
「また無駄に考えている」
と切り捨てなくてもいいのかもしれません。
また同じことを考え続けていると気づいたとき。
すぐに、
「こんな時間は無駄だ」
と決める前に。
その時間の中で、何が変わっているだろう。
少しだけ、
そこを見てみてもいいのだと思います。