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私のファム・ファタール(運命の女)--ダークで魅惑的な彼女たち/ Netflix感想文

    Femme fatale /ファム・ファタールという言葉を私が最初に聞いたのは、知人が推しの話をしてくれたときだった。

    彼女はとある女性アイドルが好きだったのだが、その破滅的なほどの美しさを「ファム・ファタール」と表現していて、
    その言葉の魅惑的な響きは私の頭の中にずっと残っていた。


    やがてその意味を、色々なメディアに触れるうちになんとなく知るようになる。
    直訳は「運命の女」。フランス語である。
    意味は、「相手を破滅に導いてしまうほどの魅力をもった女性」というニュアンスらしい。


    最近読んだ西洋美術の本でもこの単語が出てきた。

    この絵は19世紀イギリスの画家ロセッティが描いた「レディ・リリス」という絵画である。
    中に描かれているのが「ファム・ファタール」と形容される女性像をモデルとした女性。
    当時キリスト教世界ではこういったロングヘアの女性はそれ自体罪深さの象徴であったらしい。

    (『西洋美術史入門』より)


    今回はそんな、私にとっての「ファム・ファタール」、その魅力でもって破滅的なほどに私を虜にした女性たちを、Netflix上の作品の中から紹介してみたいと思う。

    ダークでミステリアス、だけどどこか目が離せなくて美しい。
    そんな女性たちを紹介していきたい。




    サラ・キム - 『サラ・キムという女』

    果たして「ファム・ファタール」という呼称にこれほど相応しい女性がいただろうか。

    架空の「プドゥア」というブランドを一代にして築き上げた女性の嘘と真実の物語。
    富と名声、威信とその裏にある虚構を暴き出す。
    彼女は果たして詐欺師なのか、それともーー。

    …というような作品である。
    これは本当にネタバレ厳禁の作品なので、ぜひ本編を見て欲しい。


    私はまず第一話で彼女の虜になった。
    なんというのか、あまりに全てが「粋」すぎるのだ。全ての行動に趣きがあって、他の誰にも真似できない唯一無二さを生み出している。



    (これはネタバレにはならないので言うと)たとえば以下のようなシーンがあった。
    彼女の友人が、彼女と初めて出会った日に言っていた「真夏に雪が降ればいいのに」と呟いていた。
    サラ・キムはのちに、二人で滞在していたホテルの中庭で上階から白いスプレーを降らせることで友人の望みを実現したのである。

    この演出には流石にうっとりしてしまった。
    人工の雪の向こうで笑う屈託のない彼女の笑顔。
    「誰かの望みを確かに覚えていて、けれどさりげないやり方で叶えてあげる」という粋さ。

    これは私がその友人でもどうしようもなく虜になってしまうだろう。


    こんな感じで、彼女は「誰かの欠乏を叶える」のがとにかく上手い。
    つい、映画『渇き。』で小松菜奈さんが演じていた「可奈子」を思い出してしまうのは私だけだろうか。


    このドラマは作品としても素晴らしくて、しかも一話四十分で八話で見終わると言う、長めの映画二本分くらいの長さなのでぜひ見て欲しい。

    終わった後に感嘆の拍手をせずにはいられない、そんな作品である。


    ウン - 「コレクター」 『ペルソナ -仮面の下の素顔-』

    (本作品の予告は〜1:03まで)

    私にとって「ファム・ファタール」という呼称を語る上で外すことが出来ないのがこの女性、「コレクター」の主人公のウンである。

    本作は、歌手としても有名なIU(私は本当に彼女のことが大好きでいつも呼び捨てでは呼べないのだがここでは心を鬼にして呼び捨てする)が、
    俳優として四役で主演しているNetflixオリジナル作品四部作『ペルソナ -仮面の下の素顔-』のうちの一作だ。


    この女性は…もう…、現代社会の価値観から言えば間違いなく「悪」だ。
    「それはダメでしょ…」と言いたくなることがこの短い作品の中でもポンポン起こる。起こりまくる。

    だけど、彼女は彼女の生き方に従って生きているだけなのだ。
    ただ彼女はあまりに魅惑的で、何者にも捉われないから美しい。惑わされているはずのこちらの方が「あれ、もしかしたら私が間違ってる…?」という気持ちに何回もなる。

    彼女が本当に求めていたものとはなんだったのか。私はこの作品を見終わって数年経つ今でもまだ考え続けている。


    この作品は一作品確か十五分程度の非常に短いもので、小説でいうところの短編集のようなものだ。

    一つ一つが「珠玉」という言葉に相応しく、監督の感性がありありと感じられて素晴らしいものなので、もし興味があればぜひ見て欲しい。



    番外編: ナ・ヒド- 『二十五、二十一』

    彼女は所謂「ファム・ファタール」という言葉から想像される「魅惑的で罪深い女性」という意味からは遠いーーというか最早対極に位置するような女性である。 

    とにかく明るい。明るくて素直。で、真っ直ぐなのである。
    この『二十五、二十一』というドラマはフェンシング競技とその周囲で繰り広げられる青春とロマンスとヒューマンドラマを描いたものなのだけれど、
    そのフェンシングへの愛と真っ直ぐさがすごい。

    そんな彼女だけれど、私にとっては彼女はまさに「ファム・ファタール」と呼ぶに相応しいほどの凄まじい魅力に満ちた女性だった。

    彼女を演じる女優キム・テリはなんと齢およそ三十歳にして高校生の役を演じた。なのに、なのに全くの違和感を感じさせないのだ。「若く見える」とかの次元ではない。
    高校生がその歳にしか抱くことの出来ない純朴な真っ直ぐさ、溢れんばかりの情熱の輝き、感情のぶつかり合いの眩しいほどの火花の光、そういったものをまざまざと表現し尽くしているのだ。

    私は第一話でもう、彼女から目が離せなかった。「こんな人間が存在するのか」と思ったし、その荒削りで、だからこそ眩しい原石の輝きから目が離せなくなった。



    ちなみにドラマ自体も、流れ出すような九十年代風のシティポップに乗せて眩しいくらいの青春が繰り広げられるほんとーーに素敵なドラマなので是非見て欲しい。

    軽やかさと勢いと、それから「生きることと青春」というテーマのしっかりとした重さを兼ね備えた最高のストーリーである。



    さいごに

    さて、今回は私が虜になった、Netflix上の作品に登場する「ファム・ファタール」を紹介してきた。

    性格も美しさもみな三者三様な彼女たちだけれど、三人を並べてみると不思議な共通点があることに気づいた。

    それは「自らの道を迷いなく突き進んでいる」ということ。
    とにかく彼女たちは自分の生きたい道を生きるように生きている。

    きっとそれは、彼女たちが私の心を掴んで離さない理由の一つだったのだろうなと思う。


    それが人から見た善か悪かということも、
    未来にあるのが成功か破滅かということも、きっと彼女たちにとっては実はあまり重要ではないのではないか。

    ただ自分が自分を生きているということ。

    そのことの不思議なほどの色鮮やかな輝きを、彼女たちは様々に私に見せてくれているように思う。


    …といった感じで、noteではアート/文化/言葉/生活/たまに仕事などの様々なトピックを、
    feeling/感性とlogic/知、両方の「おもしろさ」を大切にしながら、
    自由気ままに書いていこうと思っている。

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    それでは、今日が良き日となりますように。

    春は。/ Haru-ha.

     
     
    アート/感性、人文/知、暮らしの交差点について。 都内ギャラリー勤務の20代です。 お気軽にフォローしてください🌿 ・ 社会学学士/学部で文化経営ゼミ所属/アート団体インターン経験/都内ギャラリーにて勤務 ・ 展示レポ/読書記録、プチ人文エッセイ、 … and more.

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