
【ALPI4000】美しいものは容赦しない
ボルミオから1309キロを巡る
ボルミオ。アッダ川の最上流に位置する、人口4000人ほどの小さな町。ローマ時代から知られる温泉地であり、つい数ヶ月前、2026年の冬季オリンピックでは山岳スキーの会場にもなった。中世の石畳と塔が残る旧市街の北には、ステルヴィオへの登り口が控えていて、街はモーターバイクのツーリストと、MTBやロードバイクのサイクリスト、スキーの合宿などアクティビティの来訪者で溢れている。

Day1, 20 giugno
午前7時。空気はまだ冷たく、夏装備にウィンドブレーカーを羽織るのみでスタートを待つ。今日はいきなりベルニナ峠まで、4つの峠を越える。まずはフォスカーニョ峠へと徐々に標高を上げていく。天候にも恵まれ、朝の光は、これから始まる1300キロという数字を現実のものとして感じないほどにただ美しかった。

標高2290メートル付近でフォスカーニョ峠の頂点を迎え、そこから短く下ってエイラ峠を越える。リヴィーニョの谷を抜け、フォルコラ・ディ・リヴィーニョへ。標高2300メートルを超えるこの峠は、イタリア側の税関がそのまま峠の上に置かれているという、地理的にも制度的にも捻れた場所だ。PC1はこの直前、国境を越える最後の数百メートルに置かれていた。スイカとオレンジを齧り、いくつかのパンとピザの切れ端をコーラで流し込み、息を整えてから、国境を越えた。
ここから先は、しばらくスイス領を走ることになる。ベルニナ峠を越え、モンテベッロの大きなヘアピンを曲がると、視界の先に真っ白な氷壁が現れた。ムント・パースだろうか。氷河がそのまま稜線から滑り落ちてくるような白さで、つい足を止めたくなる。
ポントレジーナを抜け、サンモリッツの駅でトイレとコーラの小休憩。そこからエンガディンの谷を、湖と松林を眺めながら下る。空気は乾いていて涼しく、気温も30度前後で安定していた。映画のロケ地で有名なマローヤ峠からブレガリア谷へ。石造りの集落が斜面に張り付くように並ぶ景色を抜けながら、標高はみるみる落ちていく。スイス領にいる間は、終始快調だった。

キアヴェンナからイタリアに戻り、ゴルドーナに差し掛かったあたりで、路面は舗装から砂利へと変わった。ここまでのところ快調に飛ばしていたこともあって油断していたが、ゴルドーナからノヴァーテ・メッツォラまでの約15キロは、今回のルートで初めて出会う、それでいて存外に長いグラベル区間だった。後ろから追いついてきたじーそさんと合流し、二人で走り続ける。砂利と轍を選びながら進む時間が続いた。じーそさんと行動を共にしたのは、ここからコモ湖に出るまでの間だ。
ノヴァーテ・メッツォラを抜け、メッツォラ湖畔に出た頃には、正午をとうに過ぎていた。気持ちよく走れていた反動で、昼食を摂りそびれていた。湖を見渡すカフェに二人で腰を下ろし、ようやく食事らしい食事をとった。
問題は、そこから先だった。コモ湖の最北端から東岸へ入る頃には、暑さはまだ居座ったままだった。標高は200メートル前後まで落ち、太陽の熱はそのまま谷底に溜め込まれる。スイスの気持ちよさが嘘のような豹変ぶりだった。
ベッラーノからデルヴィオにかけての東岸を抜け、湖を見下ろす斜面へ取り付くと、標高は200メートルから700メートル近くまで、短い距離の中で詰め込まれていた。湖側の斜面が急であることは知っていた。だが、知っていることと、耐えられることは別だ。獲得標高たかだか500メートル。朝の峠で、本日のメインディッシュは終わったつもりでいた。身体の理解が、まだそれに追いついていない。PC2の手前、この坂で完全に悶絶した。ペダルを回す以外にできることが何もない時間というのは、思考すら単純化させる。日陰を見つけるたびに何人もの参加者が休んでいて、皆が口を揃えて言う。「暑すぎる!」
PC2ヴェンドローニョまであと数キロというところで、小さな集落の住人たちが「acqua! acqua!」と路地を指をさし、水場の場所を教えてくれた。あの水にありつけていなければ、あと何度この暑さで足を止めていたかわからない。たどり着いたヴェンドローニョの教会は、やり遂げた者たちの安堵で溢れていた。鉄板で焼いてくれた小さなホットドッグが、じんわりと体に染みた。
ヴェンドローニョを過ぎてからは、湖畔の町々を縫うように夜へ向かって走った。ここから先は今度こそ何もない。気温も緩やかに下がり、30度を切った頃には、ようやく自分の体が自分のものに戻ってきたような感覚があった。日が落ちてからも進路はミラノへひた走る。
PC3レスカルディーナに到着したのは23時30分。コモ湖にいた時点では巻いていた予定が、30分のビハインドになっていた。この時点で1分でも予定をオーバーしていたら無理せず休むと決めていた。今回の最大のポイントは距離ではなく、登ること。睡眠時間の確保を最優先としていた。初日から予定通りに進めなかったことへの焦りも、正直あった。けれど、決めていたルールに従う。日の出は5時半だから、空が白み始める頃には出発するつもりだ。
そして、その判断が正しかったことを知るのは、翌朝になってからだった。
レスカルディーナの食事は恒例のパスタ、トマトペンネ——そしてじゃがいもと煮た豚肉。これが大変美味しかった。熱の通った肉は良いものだ。
アルプスの山々の美しい記憶は、谷底の酷暑と湖畔の急坂ですっかり上書きされていた。

Day2, 21 giugno
午前3時25分、3時間半ほどの仮眠から目を覚ました。日の出は5時半。あと1時間ほどは暗いままだけど、じき明るくなるだろう。なにより、大都市が営みを始める前にミラノを通過したい。
運河の左岸と右岸を乗り継ぐようにサイクリングロードを走り進めていく。舗装路はすぐ途切れ、グラベル区間に突入した。倒木が一本、道幅いっぱいに横たわっていた。自転車を傾け、身を屈めてくぐり抜ける。少し進むと、今度は通行止めのテープが貼られた橋が現れた。ただしそのテープは用を成しておらず、何人もがそこを通過した形跡がある。ここを通れってことか——テープをくぐり抜けて先に進むと、橋桁の一部が完全に抜け落ちていて、とても自転車で走行できる状態ではなかった。自転車を押しながら、崩れた桁を避けて先に進む。
平坦な土地のはずなのに、まったく気の抜けない区間だった。もし昨日の夜、暗闇の中をそのまま押し進んでいたら——街灯の灯りもないなか、倒木と崩れた橋とその他諸々を、ライトの光だけを頼りにひとつずつ片付けていたら——とても予定通りには済まなかっただろう。PC3で止まると決めたあの判断は、結果的に正しかったことになった。
そうこうしているうちに、空が白み始めて、周囲の景色はいつの間にか都市の輪郭に変わっていた。ミラノの西の郊外を抜けていく。朝の大都会は、まだ眠っているようでいて、すでに動き出している空気があった。午前6時過ぎ、ドゥオモが朝の光を浴びて白く輝いているのを横目に通り過ぎる。観光客もまだいない、清掃車の音だけが響く広場は、我々の知っているドゥオモとはまったく違う顔をしていた。路面電車のレールを横切り、早朝のバールが灯りを点け始める通りを抜けて、東へ進路を取る。ミラノの石畳は相当に粗く、オルトリーブのサドルバッグが衝撃で一度外れて落ちたりもしたが、幸い大きな影響はなかった。

ミラノを抜けた先、ゴルゴンゾーラがPC4だった。ここではタルトとピザを頬張り先へ急ぐ。チーズの産地として名前だけは知っていた町を、まさか自分の足で通過する日が来るとは思っていなかった。
そこから先は、拍子抜けするほど平坦な道が続いた。カラヴァッジョでは、サンタ・マリア・デル・フォンテ大聖堂の大きなドームが、何もない平地の向こうに唐突に現れた。次のPCまでそこまで距離も無いが、立ち止まって写真を撮り、小休憩を取ることにした。巡礼地として知られるこの聖堂は、周囲に何もない平地にあるからこそ、その存在感が際立つ。アルバーノ・サンタレッサンドロ、ベルガモ郊外の標高にして200メートルそこそこの土地まで、ただ淡々と距離を稼いでいく。午前10時40分、PC5。
今日はリスタートからイゼーオ湖までは、平坦と呼んでいい区間だった。ただし、気温だけは平坦ではなかった。湖畔に着く頃には、気温はまた40度近くまで上がった。前日の酷暑が記憶に新しいだけに、もう驚きすら湧かなかった。ただ淡々と、水を飲み、足を回す。どうせ明日も暑いし、どうにもならない。

イゼーオ湖を過ぎたあたりリーヴァ・ディ・ソルトから、道は再び山へ向かい始める。湖畔の登坂が険しいことはもはや解りきっている。前日の二の舞にならないよう、登坂の直前で少しルートを外れてバールに寄り、水と食料を補給した。ヴァル・ディ・スカルヴェへと続く谷を、標高を積み増しながら登っていく。気温計の数字は、登るごとに面白いように下がっていった。標高が1000メートルを超える頃には、20度台前半まで落ちていた。湖畔の酷暑が嘘のようだった。
標高が上がるにつれて、空の色も変わっていった。午後遅く、谷の奥に雲が低く垂れ込め始め、やがて雨が降り出した。気温はさらに下がり、20度を切った。濡れた路面の上り坂を、PC6スキルパーリオに向かって進む。
スキルパーリオに着いたのは、20時10分だった。日没まではまだ1時間ほど余裕があったが、雨はもう少し降り続けそうだし、ウェアはすっかりずぶ濡れだ。今のうちに切り上げておく方が結果的に正しい判断になる——そう信じて、今日も早めに回復に努めることにした。
当初の計画では30時間強の余裕を持たせていたから、まだ時間そのものに焦りはない。それにしても、スタートから二日連続、前倒しで休憩していてよいものだろうか。
この先には、いよいよ、いくつものビッグクライムが待っている。

Day3, 22 giugno
前日の早寝が効いていた。午前2時30分、それでも5時間近い睡眠を取れた。雨ももう上がっている。スキルパーリオの夜の冷え込みは思いのほか厳しく、食事のスタッフに暖かいエスプレッソをドッピオで淹れてもらって、まだ暗いうちに動き出す。
リスタート時の頭の中では、今日のうちにPC8—スポルマッジョーレまで進むつもりでいた。もっとも、その予定はあってないようなものだとも、わかっていた。今日という日には、それだけの理由がある二つの峠が待っている。まず前座として、ヴィヴィオーネ峠があった。スキルパーリオを出てすぐ、まだ暗いうちから標高1800メートル超えまで登らされる——これはまだ序章だ。前日の雨の名残で路面はところどころ濡れていたが、気温は低く、むしろ体には心地よかった。まだ日の登らぬ峠の山頂でカメラのシャッターだけ押して、下りでヴァル・ディ・スカルヴェからヴァル・カモニカへと谷を渡り、ようやく今日の本題に取り掛かる準備が整う。

谷を下りきり、エドロの集落を抜けたあたりから、道は西へ向きを変え、再び頭をもたげ始める。モルティローロ峠。ジロ・ディタリアの歴史の中で幾度となく名前が挙がる、悪名高い登りのひとつだ。サン・ピエトロからの取り付きは、平均勾配の数字以上に容赦がなかった。黙々とペダルを回し、サドルの上で体重を移動させる以外にやることがなくなる。

ようやくサイクルコンピューターのクライム表示が落ちついた頃、標高1700メートルを過ぎたあたりで、サン・ガエターノという小綺麗な教会にたどり着いた。日々の祈りを捧げるために、この坂を毎週登る人がいるのだろうか——そんなことを考えながら、教会の前にある水場で全身を冷やしているそばから、一人のお爺さんがe-MTBで軽快に教会に乗り付けてきた。これでひと山終わったという安堵があった。頭から水をかぶると、ようやく体温が落ち着いてくる。
しかし、まだ終わりではなかった。教会を過ぎてもなお、モルティローロまでは山の稜線に沿うように登ったり下ったりしながら10キロ近く走らされた。この辺りはe-MTB率が高く、電動アシストの軽快な走りで次々と追い越していく彼らを羨ましく見送りながら、今度こそモルティローロの山頂にたどり着いた。路面には選手を応援する落書きが残っていた。

ボルミオ方面へ向かう下りはスピードが乗りやすいがヘアピンカーブも多い、カーブの一つ一つが小さな難関であり、登って来る車も多いため、注意とテクニックが求められる。午前中の山をひとつ片付けたという実感とともにゆっくり安全に急ぐ。アルタ・ヴァルテッリーナの谷底に降りてからボルミオへ向かう道は、現地入りするときに車で通った道だ。その日はそれほど登っている感じはしなかったが、それでも20キロで500メートルほど登り返している。日差しを遮るものが何もなくとにかく暑い、地味だが確実に体力を削ってくる登りだった。
ボルミオに着いたのは14時20分。スタートとゴール、そしてPC7を兼ね備えたこの街にはドロップバッグを預けてある。荷物を受け取り、Di2を含めて充電をセットしてから、シャワーを浴びる。汗と砂と疲労を洗い流しながら、ウェアを着替え、食事を摂る。ようやく旅の前半戦が終わった。2時間弱、ボルミオで過ごした。長いと言えば長いが、この先を思えば必要な時間だった。16時15分、ボルミオを出た。ちょうど出発の準備をしていると到着したばかりのカンパニョロ男さんと再会。「今日どこまでいくつもりですか?」という我々の定番の会話は、行き先を尋ねているわけではなく「お互い疲れましたね」とか「早くそこまで行って休みたいですね」という程度の意味だと思っている。
ボルミオを出てから、もうひとつの本命に取り掛かる。ガヴィア峠。標高2618メートル、ステルヴィオやモルティローロと並んで語られることの多い、もうひとつの伝説の登りだ。少し出発は遅いが日没までには十分登りきれるだろう。サンタ・カテリーナを過ぎいよいよ本格的にガヴィアへ登り始めたあたりで、見覚えのある顔が下ってきた。先にDNSして観光でガヴィアに来ていたKuroさんだ。予期せぬ再会に、元気と、それと虫除けスプレーをもらった。
標高が上がるにつれて気温は急速に下がっていき、15度くらいまで落ちたがジャージのファスナーは全開だ。一日目、二日目と酷暑に苦しめられてきた身からすると、この寒さはむしろ歓迎したいくらいだった。頂上手前の山小屋で水とコーラの補給をしていると、今度はじーそさんが後ろから軽快に登ってきた。目を怪我したと聞いていたけど無事でよかった。軽快に登っていく彼の後ろ姿を羨ましく思いながら、あと少し、マイペースで山頂を目指す。頂上付近は岩肌がむき出しで、午前中のモルティローロの緑深い景色とはまったく違う、荒涼とした世界が広がっていた。何もない。風だけがある。こういう場所が、人に祈りを思わせるのだろうと思った。

日没前にガヴィアを登りきり、山頂の姿を見れたことを嬉しく思いながら、ガードレールもろくに無い曲がりくねった道を慎重に下る。こちら側からの登りは幾度となく名勝負が繰り広げられた舞台だ。ゆっくり足を止めて見て回りたいところだが、まだ明るさが残るうちに下りきってしまいたかった。谷底に近づくにつれて、集落の灯りが見え始める。路面は濡れていて、つい先ほどまで雨が降っていたようだ。ポンテ・ディ・レーニョに着いたのは、日没とほぼ同時だった。珍しく湿度が高く、下りで身体も冷え切っていた。もうひと雨来そうだったのでこの辺りでスマホを取り出し宿を確保することにした。
この日のうちにスポルマッジョーレまで届かなかったことに、不思議と焦りはなかった。モルティローロとガヴィア、二つの名峰を一日で巡り、ボルミオで旅の後半の支度を整えた——そういう一日だったということに、ある程度の達成感を覚えてすらいた。総走行距離はこの時点でおよそ645キロ。前半の3日で距離にしてほぼちょうど半分。獲得標高は間に合っていないが距離の辻褄は合わせた。
あと3日で220キロずつ、着実に刻んでいけばいい。
Day4, 23 giugno
ポンテ・ディ・レーニョを出たのは、午前3時40分。今日もよく眠れた部類に入る。体も動くし、雨は止んでいる。それで十分だった。今日の目的地はPC9フェルトレ、約250キロ。
約1ヶ月前、同じ方向に向かうプロトンがあった。ジロ・デ・イタリア第18ステージ——ファイ・デッラ・パガネッラからピエーヴェ・ディ・ソリーゴへ向かう171キロ。トレントを抜け、ヴァルスガーナを下り、フェルトレを通過する。翌日の第19ステージはそのフェルトレを出発し、ドロミテの峠を幾つも越えてアレッゲへ向かった——コルティナ、ファルツァレゴ。これから2日間で走るルートと、ほぼ重なっている。プロトンが駆け抜けた後に残る花火の匂いのように散った興奮と、元に戻った日常。その舗装の記憶を感じながら、この2日間を走りたい。
この日最初の峠はトナーレ峠だ。ガヴィア峠の荒涼とした岩稜とは対照的に、トナーレはスキーリゾートとして開発されたどちらかといえば親しみやすい顔をした峠だ。とはいえ標高1884メートル、それなりの重さはあるが、毎朝こうして峠を越えていれば、体もそれを解っている。7時過ぎ、峠を越えた。空気はまだ涼しく、ヴェルミッリオの谷へ向けて気持ちよく下り始めたい。
しかし、下りに差し掛かって、思うように飛ばせなかった。吐き気があった。原因に心当たりが二つある。ガヴィアを登る前に買って持ち歩いていたバナナか、ホテルの部屋で給水した水道水か。どちらか、あるいは両方だ。確かめる術もないが、吐き気は本物だった。何度か路肩に自転車を止めて、胃の中の毒素を出そうとしたが、何も出なかった。当然だ。朝からバナナ一本しか食べていない。胃薬は携行しているが、水に当たっている可能性を考えると、ボトルの水で飲みたくなかった。バールを探しながら、下り続けた。
朝の谷はまだ静かで、いくつかの集落を通り過ぎても開いている店はなかった。開いているバールの有無は、街の大きさより運の問題のほうが大きい。ヴァル・ディ・ノンに入り、クレスの手前の小さな集落でようやく灯りがついている店を見つけた。ミネラルウォーターを頼んで、携行していた胃薬を飲んだ。ブリオッシュを一つ食べてみた。それだけで、体の感覚が変わった。補給不足。以降は遅れた分を意識的に取り戻すことにした——幸い、まだしばらく下りが続く。幾つかの食料を買い込んで、脚を使わずに距離を稼げるうちに、体にカロリーを戻していく。
PC8スポルマッジョーレへの手前には、パンチの効いた坂があった。ここまで来ればもう近い、という気の緩みに対して、道が一言刺してくる感じだ。あたりはメレト——リンゴ畑だらけだった。ヴァル・ディ・ノンのリンゴはDOP指定を受けた銘柄産地で、急傾斜に張り付くように整然と並んだ樹列が、遮るものなく日差しをそのまま通す。朝9時にもかかわらず、気温はすでに30度に届こうとしていた。例によって、例の暑さだ。
たどり着いたスポルマッジョーレのPCは、教会広場に設けられていた。ヴァル・ディ・ノン最大という堂々たる「マリアの降誕教会」と、13世紀に遡るサン・ヴィジリオ教会の古い鐘楼が並び立つ、小さいながら落ち着いた空間だった。黄土色の漆喰を纏った教会のファサードが、午前の日差しを柔らかく受けていた。その壁の前に、自転車と疲れた体を置いて、食事を摂る。メニューにインサラータ・ディ・リーゾがあった。米のサラダ、夏場のイタリアの家庭料理。イタリアのブルベで口にするものの中で、個人的にはこれが最高だと思っている。さっぱりしていて、それでいてカロリーになる。疲れた体に、何かが染み渡る感覚があるのは、自分が米の国の人間であることを実感する。

その後、トレントへ向かう。市街地は灼熱だった。気温計が示す数字よりも、市街地特有の照り返しが体に来る。さらに辟易したのは、市街地にありがちな激坂と交通量の多さだった。バスの後ろに詰まり、路面電車の軌道を横切り、狭い路地の急登を押しながら越える。峠より市街地の方が精神的には消耗する、というのは毎回感じることだ。
ヴァルスガーナへ向けて走り始めた頃から、空の色が変わっていた。厚い雲が山側から張り出してくる。スコールの予感がして、一度止まって雨具を出そうとした。間に合わなかった。雨は唐突に、まるで誰かがバケツをひっくり返したように降り始めた。雨具は十分なものを持ってきていたが、着替える前に体はすでに十分に濡れていた。まあいい、どうせ走れば乾く。そう思いながら、ヴァルスガーナの谷を東へ進んだ。幸いにも雨はすぐ止んだ。
フェルトレに着いたのは、時計の針がてっぺんを回った頃だった。食事はトマトパスタ。パニーノも選べたが、摂れるカロリーを考えれば結局パスタになる——どのPCでも、毎回同じ結論だ。体調のアクシデント、市街地の消耗、スコール。それでも今日の予定を走りきった。
Day5, 24 giugno
3時。リスタートしてすぐ、暗がりから声をかけられた。「コーヒーは好きか?」——突然すぎて、一瞬何を言われたかわからなかった。好きだと答えると、中に入れと言う。案内されて入ると、そこは仕込み中のパン屋だった。粉の匂いと、オーブンの熱気の中で、一杯のエスプレッソをごちそうになった。
コルティナのほうまで行くと告げると、何も言わずにストゥルーデルを一切れ包んでくれた。薄い生地にリンゴを巻き込んで焼く——アップルパイに似ているが、もっと素朴なこの地域に根づいた焼き菓子だ。丁寧にお礼を伝えて、ストゥルーデルをジャージのバックポケットに押し込んだ。

ベッルーノを抜け、コルティナ・ダンペッツォへ向かう道は、標高を稼ぐにつれて景色が変わっていく。これまでに比べて程よい斜度のつづら折りを越えると、そこがピエーヴェ・ディ・カドーレ。PC10だ。人口3700人ほどの小さな街だが、ルネサンスの巨匠ティツィアーノの生地として知られていて、中心の広場には今も彼の銅像が立っていると聞く。時間があれば、広場を少しゆっくり歩いてみたかった。
そこから先のドロミテの登りは、言葉を選ぶ必要がなかった。完全に音を上げた。つづら折りが連なる峠とは違う。傾斜が緩むことなく、ただ長く続く。逃げ場がない、という感覚だ。白い岩が熱を蓄え、気温は上がり続けて、日陰はない。美しいものは、容赦しない。
這々の体でミスリナ湖に着いたのは、16時半頃。標高1754メートル、「ドロミテの真珠」と呼ばれるこの湖の前で、しばらく自転車を止め小休憩。カフェで、ここまで何度も道のりを共にしていた参加者の爺さんとチョコを齧った。

ここからモンテ・クリスタッロを反時計回りにぐるっと回り込みながらコルティナ・ダンペッツォへ下っていく。途中、雨宿りも経て、実際にコルティナ・ダンペッツォの街を通過したのは、18時頃。1956年冬季オリンピックの舞台であり、2026年も再びオリンピックの雪上競技を迎えたこの街は、観光客らしき人々で賑わっていたが、立ち止まる余裕はなかった。
コルティナ・ダンペッツォを出て、ファルツァレゴ峠へ向かう。ジロ・デ・イタリア第19ステージの応援の落書きを眺めながら登る、標高2105メートル。気温もほどほどに下がり、むしろ気持ちよかった。21時、峠の山頂に着いた。第一次世界大戦でオーストリア軍とイタリア軍が対峙した峠だ。今は山小屋とロープウェーの発着駅とバス停を備え、多くのサイクリストと登山客を迎え入れている。

ポルドイ峠側の下りに入り、ロッカ・ピエートレのPC11へ向かって谷を下った。標高1200メートルほど。素直に下って休ませてくれたらいいのに——そんなことをぼやきながら、最後の登り返しが今の身体には地味にきつい。午前0時19分頃に着いた。予定通り、ここで眠ることにする。
ゴールのリミットは明後日の10時だけど、できれば明日のうちにゴールしたい。ホテルの予約もしてあるし、明日こそはベッドで眠りたい。明日は何時に出ようか——そんな話を、PCで追いついてきたカンパニョロ男さん、I上さんたちと話しながら、仮眠所の天幕へ入った。
Day6, 25 giugno
仮眠所の天幕が轟音で揺れ、目が覚めた。この大会を通じて、夕暮れになるとどこからともなく雷が鳴り、不安定な天候が続いたが、それでも今夜の雨が最も強かった。走行中でなかったことだけが救いだ。標高1200メートル、気温は10度を切ろうかというなかで、大きな天幕の下にエアマットとエマージェンシーシートに挟まっての仮眠——そこへスコールまで加わった。それが、最終日の幕開けだった。起き上がった頃には雨も止んでいて、4時頃にリスタートした。
ロッカ・ピエートレを出てすぐ、フェダイア峠への登りが始まる。大会を通じて、ほぼ毎朝どこかの峠で朝日を迎えてきた。恒例の暗闇の中の登坂も、今日で最後だ。夜明け前の空気はまだ涼しく、マルガ・チャペラを過ぎ、例の長い直線区間に入ると、マルモラーダ山群の稜線が左手に近く迫ってきた。その山塊のシルエットを眺めながら、最後の夜明けを走っていた。

フェダイア峠の頂上に着いたのは、午前5時。まだ光は弱く、マルモラーダの氷河だけが青白く浮かび上がっていた。標高2057メートル。ドロミテの、最後の峠だった。売店が開いている時間でもなく、水も補給できそうになかった。なんとなく記念のメダルを買ってみた。
食料と水を求めて、カナゼイへ向けて下る。フェダイア湖の湖面は静かで、この時間にここにいる人間は、何人かのサイクリスト——ALPI4000の参加者——を除いて、いなかった。谷が広がり、標高が落ち、気温がまた上がっていく。フェダイアの冷気が体から抜けていくのが手に取るようにわかった。
前夜の雨のせいか空気は湿気を帯び、心地が良い。快調に距離を稼いでいたが、標高が落ちスーパーストラーダの脇のサイクリングロードを渡り歩くようになってからは、思うように進めなくなった。幹線道路を走らせてくれたなら、と思わずにはいられない。
アディジェ川沿いに差し掛かると、容赦のない太陽が戻ってきた。この先しばらく、川に沿って進み続ける——その間ずっと、この日最高の、そしてこの旅全体で最も高い気温の中を走ることになった。水面の輻射熱、アスファルトの照り返し、木陰ひとつない直線路——たまに見つかるバールに駆け込んでは身体を冷やし、最後のPC、ラーチェスを目指した。
ラーチェス。アルタ・ヴァル・ヴェノスタの谷間の町、最終PC。施設は行き届いていて、長い旅を終えようとしている者たちの安堵が、そこかしこに漂っていた。酒盛りが始まっているテーブルすらあった。このままステルヴィオを目指す者、夕方までゆっくり過ごすつもりの者、それぞれが思い思いの最終日を過ごしていた。食べられるだけ食べて、出発することにした。
ここから先にあるのは、ステルヴィオだけだ。
19時頃、ステルヴィオへの登りが始まった。スイッチバックが48本、標高差1800メートル。
ステルヴィオは、慎ましやかな山だと思う。ボルミオからもプラート・アッロ・ステルヴィオからも、その姿を見ることはできない。ボルミオ側からは渓谷の中をしばらく進み、稜線をひとつ越えてようやく山頂の建造物が視界に入る。プラート側からも、有名な蛇行の道が眼前に広がるのは、いくつかの山肌のつづら折りを乗り継いでからのことだ。どちらからも、なかなかその姿を見せず、自らを誇示しない。だからこそ、ステルヴィオは美しい。今日はあの蛇行の道を下から見上げながら登りたかった。
だが、それは叶わなかった。ヴァイサー・クノット——ロッカ・ビアンカという名の宿の自動販売機で水と糖分を補給し、最後のつづら折りへ向けて小休憩を取った。その先で日は完全に落ち、霧が立ちこめてきた。蛇行の道はライトの届く範囲にしか存在しない。蛇行のつづら折りも山頂もこの目で見ぬまま登り続け、ーー日が変わる直前、東アルプスで最も高い舗装峠道の山頂にたどり着いた。
これまで全ての峠を日の光があるうちに通過してきたが、この旅の最後、ステルヴィオだけはついにそれが叶わなかった。

ステルヴィオから下り、ボルミオへ戻る。ボルミオに着いた日、試走で走った道だ。十分に注意を払いながら、下った。最後の最後でふいにするわけにはいかない。もう急ぐ必要はない。それだけは確かだった。
深夜0時30分、ボルミオ。
6日前の朝、ここを出た。初めて来た街のはずなのに、何もかもが懐かしい。たった6日間で、ボルミオはすっかり帰るべき場所になっていた。
ゴールの食事はメニューも多少豊富で、チキンのカレーとビールで一人、祝杯をあげた。深夜のせいか会場に残っている人も戻ってくるライダーもまばらだったが、それでも会場には穏やかな空気が漂っていて、誰かが戻ってくるたびに、祝いの言葉が飛ぶ。

1309キロ。獲得標高22000メートル。5日間と17時間30分。
ランドヌールは、誰かに勝つために走らない。数字そのものに意味はないかもしれない。ただ、その数字の間にあったすべては、自分だけの宝物になる。
フランス、イタリア、スペイン。自転車文化は、グランツールを擁するこの3国を中心に育まれてきた。ベルギーやオランダもクラシックレースの伝統で並び立つ。ロードレースの歴史的な厚みという点ではこれらの国々が並び立つが、サイクルツーリズムという観点ではどうだろうか。
実際、道中で出会った多くの人たちが、口を揃えてこう言った。
「どうだ、イタリアは。美しいだろう?」
イタリアの人々は自国のサイクルツーリズムに誇りを持っている。
これで1001 Miglia、999 Tuscany Grand Randoに続く、イタリアのRM認定3本目。
今回初めて、その宝物を文章に残すことができて、嬉しく思っている。
きっとまた、イタリアを走る日が来る。

文中、何度か"予定"について言及していますが、当初の走行計画については、出走前の記事にて記載しています。よろしければこちらもご覧ください。
──YouTubeチャンネル「Chromatic via」でロングライドの映像を公開中。
[チャンネルへ →] (リンク)