
私の音に色がついた日
今まで書いたエッセイは私の中では
いつもBGMがありました
そして、その音には色がありました
もしかしたらどこかで音の色を感じていた人っていませんか?
前回の深海ピアノでは
米津玄師さんの『海の幽霊』
この曲から深い青、深海を感じていました
イントロからサビまで深海をずっと彷徨ってる
深海を舟で突き進んで右往左往している
でも一瞬だけ透き通るような青になって海の上に顔出す瞬間がある
でもまた深海に潜って終わる
私の感覚と似ているなと思ってとても共鳴した
この素晴らしい曲を作った人が見ている景色を私も見てみたい
そう思ってピアノを聴くと
色んな色が見えて来た
例えばベートーヴェンの
『ピアノソナタ(悲愴)第二楽章』は
赤の曲です
深い赤からだんだんと真っ赤な赤になるんだけど最後は少しくすんだ赤で終わってる
悲しい青というより悲しい赤だった
ちょっと何を言っているんだろう自分
変かな?という違和感とともに
悲愴第一楽章のラストの12小節の和音見て、
赤が引きちぎられるような音の絶望感みたいなのに震えました
となりのととろの『さんぽ』は
黄色で最後少しさざ波のようなオレンジが混ざっている
久石譲さんの『summer』は夏休みを思い出すとか青色かと思うけど、
私は春の終わりの4月の今、summerの季節が来たと感じる
サナギが蝶になるまでの緑
春の終わりから夏までの移り変わりの流れ曲で、途中梅雨が入り、田んぼが見えて
夏の時間は後半でとても短い
最後向日葵が咲いてすぐ散って曲が終わる
緑のグラデーションがとても綺麗な曲
フジコヘミングさんはそのものが紫
赤と青が混ざってできた紫ではなくって
お若い時はキラキラしたピンク
だったんじゃないかな
深い生き様で
くすんだ深い紫と鮮やかな紫
どちらも出せる人になったのではないか
何だかそんなことが次から次へと頭に浮かんできて、私って耳が悪いだけでなくて
頭までおかしくなっちゃったのかな?
そう思い悩みました
私は現実主義的であり、論理的でしか物事見ない人間だったから
その性分のせいで
ママ友付き合いも拗らせているくらい現実的
ピアノも昔から譜読みや指遣いも
正確にしたい性分
なのに
今曲に向き合うと色や情景ばかり
浮かんできては消える
この現象に違和感を感じて
でも
その違和感のおかげで美しい曲は以前より
より美しく聴くことができた
例えると
音楽の主役の映画を見ているよう
聴こえづらくなった分
目で音楽を楽しめるようになった
それでも違和感が拭えない日が続いたけど
ある日
京都の漢字ミュージアムで色名の展示を見た日
(こんなインテリな施設にはご縁がなく、
通りすがりに見つけて息子と目的もなくふらりと入りました💦)
そこには、何千もの言葉と色が静かに並んでいた展示を眺めていた私の足が
ある場所で凍りつく
あの時感じた
ベートーヴェンのくすんだ赤色を見つけた

思考に火花が散った
あ、この色は私の頭の中だけにしかない
異常なものじゃなくて
外の世界にちゃんと実在するものなんだ
それまでずっと胸にたまっていた霧が
一気に晴れたような気がした
晴れた霧をまた曇らせたくなくて
感じるままをすぐAIに伝えた
『それは色聴(共感覚)ですね』
初めて聞いた言葉だった
23人に1人いるらしい
えっ、結構多い!!
クラスに一人いるってこと?
なのに存在すらこの歳まで知らなかった
(皆さん知ってました?!)
生まれつきの人が多いみたいだし
後天的な私は珍しいみたい
それより名前がついて何だかホッとした
異常なのではと疑い続けていたけど
世の中に存在する現象だった
だけど
リアリストの私本人が
この現象についていけていない
何より
23人に1人もいるのに何故
音の色を語る人がいないのか??
憶測だけど
さっきの曲を作っている人達は
色を見えてるんじゃないかなと見えた色から感じていた
憶測だけど
感じている人はそれを言葉にすると
クリエイターの立場から自身の感性に影響してしまうのを恐れているのではないか?
感性と論理のバランスを取るのは難しいのかな
私はクリエイターでもないので影響する感性は
なさそう✌️
なので
この感覚を論理的に言葉にしていきたい
音に色がついた世界はとても深いところへ連れて行ってくれる
その美しさを少しでも伝えられたら
※記事内の見出し画像は、エッセイのイメージに合わせてAI(DALL-E 3)で生成したものを使用しています。