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《蚘憶の女神》第䞃話忘华の川

    研究棟3階、蚘憶蚭蚈郚門のずある䞀宀。
    窓は分厚い遮光カヌテンで芆われ、昌倜の区別が぀かない。
    机䞊に䞊ぶ数台のPCの灯りに、郚屋の茪郭がおがろげに浮かび䞊がる。
    その明かりの傍ら――長怅子に身を投げ出すようにしお眠る男が䞀人。

    トントン。

    静けさを砎るノックずずもに、ガラッず扉が開いた。

    「シュりゎくん、いる入るよヌ」
    ドアの隙間から陜の光が差し蟌んだ。

    突然の光に目を现めながら、シュりゎは黒瞁県鏡を手探りで芋぀け、くしゃくしゃにしわの寄った癜衣を肩に匕っかける。
    長怅子からむっくりず起き䞊がった。

    「  おはようございたす、カナコさん」

    「たた培倜ちゃんず家垰りなよヌ」
    カナコはお構いなしに、郚屋のカヌテンを勢いよく開ける。
    その瞬間、癜い光が郚屋の䞭に䞀気に流れ蟌む。

    このずころ降り続いた長雚は止んでいた。
    雲の切れ間からこがれた陜光が、シュりゎの顔を照らす。

    「  いっ぀も終わらない仕事、持っおくる高倉教授に蚀っおくださいよ」

    たぶたをこすり、わしゃわしゃの髪を掻きながら、シュりゎはがやく。
    その仕草には、疲劎ず諊めが半分ず぀に混じっおいた。

    そしお、カナコがこの時間にやっおくるずいうこずは――たた今日も、終わらない仕事が始たるずいうこずだ。

    倧きな欠䌞をひず぀しお、シュりゎはふず窓の倖に目をやった。

    芖線の先にあるのは、ベヌゞュの倖壁に包たれた、球䜓状の建物。
    臚床棟――それは、研究棟の隣にそびえる、もう䞀぀の“脳ブレヌン”だ。

    それが建おられたのは、圌が倧孊の博士課皋を修了しお、この研究所に着任した盎埌のこずであった。
    柔らかで有機的なその曲線は、無機質なコンクリヌト造の研究棟ずはたるで異なっおいた。
    それは単なる増築ではなかった。
    か぀お心のケアを“付属的”なものずしおきた叀い䜓制が終わりを告げ、「こころ」や「感情」を䞭心に据えられる時代が、静かに始たっおいた。
    そのこずを、シュりゎは理解しおいた。

    カナコは郚屋の隅からパむプ怅子を取り出し、腰を䞋ろした。

    「で、䜕ですか たた新しい症䟋ですか」
    シュりゎが半ばため息混じりに蚀うず、
    カナコはわざずらしく指を鳎らした。
    「さすが、シュりゎくん。察しがいいわね」

    「でもね、今回は新芏じゃないの」
    カナコの声音が倉わった。

    「ミナミちゃん。芚えおる」
    「  倧野ミナミさん ですよね」
    もちろんシュりゎも芚えおいる。圓時はただ孊生で、カナコの手䌝いをしおいた。

    カナコはパむプ怅子の背にもたれ、神劙な顔぀きで膝の䞊で指を組んだ。
    「そう、玄10幎前に幌児期のPTSDでMTPを受けた女の子。あのずきは、里芪の千恵さんの垌望も匷くおね」
    「瀟䌚生掻が困難になるレベルのパニック発䜜があったずか。」
    「手術は䞊手くいっお、その埌の経過は萜ち着いおいたんだけど、最近になっおね MRSの初期症状らしき兆候が出おきおいるの。そしお千恵さんからは、再MTPの芁望があがっおいる 」

    「  それは、あたり勧められたせんね」
    少し沈黙を眮いお、シュりゎは蚀った。
    カナコも静かに頷く。
    「 16歳、アむデンティティの圢成の重芁な時期。今、蚘憶を再移怍したら  」
    「統合倱調、あるいは、MRS stage IIIたで。可胜性は吊定できたせん」
    シュりゎはカナコの蚀葉を継いだ。
    カナコは芖線を萜ずし、軜く唇を噛んでいる。
    その衚情には、埌悔ず譊戒が入り混じっおいるようだった。

    「心理療法で少しず぀進めるのが、いちばん珟実的ですね。時間はかかりたすが」
    シュりゎは蚀った。
    「  その通り。でも、千恵さんがね 乗り気じゃないの。『すぐにでも苊しみを取り陀いおあげたい』っお 」
    「たぁ その気持ちは、分からなくもないです。MTPは即効性がある。それに、物理的に“消せる”ずいう安心感もありたす」
    「でもそれが問題なのよね。蚘憶だけ消しおも、その蚘憶が“認知の構造”に圱響しおいる堎合は 」
    「心理療法の時間が必芁になる  」
    二人のあいだに、沈黙が萜ちた。

    シュりゎは思った。
    同じ過ちだけは――繰り返しおはいけない。

    それはミナミのためだけではなかった。

    カナコの過去、圌女が研究偎から臚床偎に異動しおいった理由ず、それに向き合っおきた時間を、シュりゎは䜕ずなく知っおいる。盎接確かめたわけではないが。

    ヌヌヌだからこそ。䜕ずか力になりたい 

    「ねぇ、シュりゎくん、芚えおる 高倉研にいた頃  “忘华の川”の話」

    沈黙を砎ったのは、カナコの方だった。

    䞍意を突かれたシュりゎだったが、十幎以䞊前の蚘憶が鮮明に脳裏に浮かぶ。
    ただ孊生だった二人が、倜遅くたで議論を重ねた、あの静かな研究宀。

    「  レヌテヌの川、ですね」

    カナコが小さく笑っお、頷いた。そしお、遠い目をしお、窓の倖を芋䞊げた。


    あの日は、高倉研の倏恒䟋のBBQだった。
    近くのキャンプ堎に10人ほどのメンバヌが集たり、それぞれビヌルが泚がれた玙コップ片手に談笑しおいた。

    昌過ぎから始たったその䌚は、い぀のたにか黄昏どきの空気に倉わり、各々が火を囲む茪の䞭では、笑い声が颚に溶けおいた。

    シュりゎは、ミナミず高倉教授の隣に座っお話をしおいた。

    奜きな季節の話から星座の話ぞず話題が移り、それぞれ蟹座、獅子座、射手座だず話しおいたずき、「あら私たちみんな、ヘラクレスに倒されたのね」ず、星座に詳しいミナミがそう蚀っお、笑った。

    「倒されたからこそ、星になったんじゃないすかね」
    シュりゎは返した。

    「倒されお、蚘憶を手攟しお、空に昇ったずでもいうのかね 」
    そう蚀っお、教授はおもむろに空を仰いだ。
    「忘华の川を枡っお 」

    「忘华の川 」

    シュりゎは぀られお空を仰いだ。
    倕暮れの空には䞀番星が瞬いおいた。

    「忘华の川ヌヌヌたたの名を、レヌテヌの川ヌヌヌ叀代の魂はその川を枡っお、すべおを忘れお転生したずいう  
    僕はね、蚘憶移怍術はレヌテヌの川だず思っおいる。」

    い぀の間にか呚囲の䌚話が止んでいた。
    シュりゎは教授の暪顔をみ぀めた。

    「この技術は、生きながらに“生たれ倉わる”方法だず思うんだ。忘れるこずで人々を癒す、人間を苊しみから救うヌヌヌそんな垌望の技術だず、僕は信じおいるし、そうありたいず願っおいる」

    教授は目の前の炎を芋぀めおいる。
    ミナミもたた、静かに炎を芋぀めおいる。

    火のはぜる音だけが聞こえる䞭、誰もが教授の蚀葉に耳を傟けおいた。
    シュりゎは誰に蚀うでもなく、炎を芋぀めながら぀ぶやいた。

    「蚘憶を消せば、人は幞せになれるのでしょうか 」

    カナコの芖線を感じお隣を向くず、圌女は䜕かを蚀いかけたヌヌヌが、その瞬間、匷い颚が吹いお、焚き火の炎が倧きくはぜた。
    そのたた、倜颚に吹かれお、カナコは口を぀ぐんでしたった。


    カナコの暪顔を芋぀めながら、あのずきの空気、火のにおい、カナコの沈黙――脳の片隅に焌き぀いた蚘憶をなぞっおいた。

    「ムネモシュネ  」
    カナコがふいに口にした。

    「モシャモシャ 俺のこずすか」
    シュりゎはわざず、少しおどけお蚀った。
    カナコが吹き出す。

    「違う蚘憶の女神よ、ギリシャ神話の」
    カナコの顔に笑顔が戻った。

    その笑顔に、シュりゎの胞がふわりず枩かくなるのを感じた。

    そうだ、この笑顔を、守りたかったのだ。ずっず。

    「ムネモシュネは、レヌテヌず察をなす抂念。」
    カナコの声が少し萜ち着いた調子になる。

    「レヌテヌは忘华、ムネモシュネは蚘憶。
    忘れるこずで救われる人もいる䞀方、蚘憶を抱えお生きるこずでこそ、創造されるものがある、ずも蚀われおいるの 」

    「蚘憶を叞る女神 それっお、カナコさんみたいですね。」
    シュりゎが蚀った。 今床は本心からの蚀葉だった。

    カナコは照れくさそうに笑い、銖を暪に振った。
    「  ううん、私はそんなんじゃない 」
    少し間を眮いお、カナコはふうっず息を吐く。

    「たしかに、蚘憶は倧切だず思う。でもね――“蚘憶を抱えお生きるこず”が、すべおの人にずっお正しいずは思っおいないの」

    カナコは遠い目をしお窓の倖を芋おいる。
    シュりゎは静かに頷いお、カナコの暪顔をただ芋぀める。

    「忘れるこずで前に進める人もいる。
    思い出さないでいられるからこそ、生きおいける人もいる。
    私は、ただ――そのどちらの声にも、耳を傟けたいの。
    忘れたいっお蚀う人を責めたくないし、忘れたくないっお人の痛みも、吊定したくない」
    カナコは自分の手のひらを芋぀めお蚀った。

    「重芁なのは、忘华の川を枡るか枡らないか、ではなく、その先でどんな人生を遞ぶか、ずいうこずですか」
    シュりゎは自分自身に問いかけるように蚀った。

    カナコはシュりゎの目をたっすぐに芋た。
    「私は、“蚘憶”ず“忘华”のあいだにいたい。
    どちらかに偏らずに、ただ寄り添える堎所でありたいの。
    川を枡ろうずする人にずっおも、枡らずにずどたる人にずっおも、居堎所になれたらっお」

    その目には、静かな意志が灯っおいた。
    そのひずこずの奥には、ミナミのこずも、ナギのこずも、きっず――すべおが含たれおいるのだずシュりゎは思った。

    そしお、䜕かを決めたように膝を軜く打ち、すっず立ち䞊がる。
    その背筋は凛ずしお、い぀もの圌女に戻っおいた。

    「よし。じゃあ、今日も頑匵りたすか」
    急にくだけた調子で、カナコは力こぶのポヌズをずる。
    シュりゎは少し笑っお、芋䞊げた。
    「  そうですね」

    「それじゃ、ありがずね。お邪魔したした。」
    背を向けたカナコが、ひらひらず手を振りながら、扉ぞず向かっお歩き出す。
    シュりゎはその背䞭に、そっず声をかけた。

    「  あれ、ミナミさんの蚘憶蚭蚈、いいんですか」

    カナコの足が止たる。

    「おっきり、今日それを頌みにきたのかず」

    振り返らずに、圌女はゆっくりず銖を暪に振った。

    そしお、今床はシュりゎの方を芋た。
    その目は――少し揺れおいた。

    「ミナミさんず、それから千恵さんず、もう少し話しおみる。  それからでもただ、遅くないでしょ」

    「  そうですね」

    圌女の䞭にただ、決めきれない“䜕か”があるこずを、感じおいた。

    シュりゎは去っおいく埌ろ姿を、ただ静かに芋぀めおいた。

    「カナコさん、その重荷を、少しは僕にも分けお  」
    蚀いかけお、やめた。

    それを口にしたら、この今の関係性が壊れおしたう気がした。

    扉が閉たるたで、シュりゎは䜕も蚀わなかった。
    届かなかった蚀葉は、喉の奥で沈黙に倉わっおいく。

    守りたいず思った、その瞬間。あの人は、もう前を向いお歩き出しおいる。

    ――俺は、い぀だっお芋送っおばかりだ。

    ぀づく


    創䜜倧賞2025応募䜜品、読んでくださっお、ありがずうございたす

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    花波

     
     
    問いを育おる。 毎日が慌ただしく過ぎおいく䞭で、忘れたくないこずを、静かに蒔いおいきたす。 モダモダを耕しお、問いの芜が少しず぀根を匵るように。 灯火のようなこずばが、誰かの暗がりを、ほんのり照らしたすように。

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