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Photo byuenomanga

note220日目——変化に注目してみた

    220日。

    キリのいい日に必ず何かを書いていたというわけではないのですが、90日目、100日目、120日目、200日目と書いてきましたし、今回、つまり今週の火曜日は、「何を書くか決めていない」日です。この日までに、特に強烈に書きたいことが出てきたわけではないので、きょうは220日目ということを少し考えたいと思います。

    とはいえ、1年は365日、その2/3は244日なので、「1年の2/3、毎日noteを書きました」と言うにはあと24日早いわけです。きょうから24日後、つまりnoteを毎日書くようになって244日目は12月19日の金曜日、この日は、気持ちが変わっていなければ『マネ×ゴト』を書く日です。その直前・直後の火曜日は12月16日と12月23日で、それぞれ241日目・248日目にあたります。

    ……やはり、せっかくの220日なので、なんとかふりかえっておきたいと思います。

    いままでの「節目」では何を書いてきたのか?

    連続投稿90日の感想

    まずは90日目。

    残りを角度で見ると残り4分の1未満なのに、投稿数で見るといままでの3倍以上なので、思わず笑ってしまいました。

    『連続投稿90日の感想』

    というだけの話でした。なお、書きはじめてからこの日までより、この日からきょうまでの方が40日長い計算になります。

    note100日目の自己紹介——なぜ私は書きつづけられたのか

    このときの自己紹介は大事ですね。ひとことでいえば「華々しい成果や派手さを追わず、学びを言語化し、共通理解を紡ぎながら淡々と歩む姿勢」を明らかにした日でした。

    気づいたら120日——区切りを大きく祝わない継続のかたち

    このときは、特別な達成感などはないことをそのまま書きました。

    あと1日でnote200日

    このときは200日云々というよりは、50台になっても変わり続けていたいということでした。

    淡々と学び、歩み、変化を楽しむ

    さて、ここまでをまとめてみると、

    「華々しい成果や派手さを追わず、学びを言語化し、共通理解を紡ぎながら淡々と歩み、変化を楽しむ姿勢」

    と言えそうです。

    さて、100日目で書いたことを、私はこうまとめました。
    「華々しい成果や派手さを追わず、学びを言語化し、共通理解を紡ぎながら淡々と歩む姿勢」
    変わっていないと思います。

    『あと1日でnote200日』

    揺れて、変わる姿——潔さとともにそれを見せることは、本人にとっては脆弱性のようで、一緒にいる人から見たときにはある種の強みなのかもしれません。

    『あと1日でnote200日』

    ここ1ヶ月の変化——スーツを着るようになった

    そういえば、ここ1ヶ月の変化として、その結果がいちばん大きかったものをひとつ、書いておきたいと思いました。

    それは、スーツを着るようになったことです。

    もちろん、いままでスーツを着たことがなかったわけではありません。

    しかし、コロナ禍もあってスーツを着る機会が激減して以降、長いこと着ていなかったことと体型などが変化したこととが原因で、ほぼすべて捨ててしまっていたスーツを、昨年、3着も一挙に買いました。その後も1年ほどはカジュアルな服装をすることが多かったのですが、今年の秋ごろ、急に寒くなったあたりから、「スーツをせっかく3着も買ったのに、着ないのはもったいない」というふうに、考えのスイッチが切り替わったのです。

    スーツ、楽なんですよ。日本だと夏は高温多湿でとても着られたものではないものの、それ以外であれば、スーツは身体の動きをそれほど制限するものでもなく、シャツを変えれば見た目のアレンジも可能。

    また、裏地にプリントが入っている関係で洗濯機にかけることはできないもののウォッシャブルなので、クリーニングのことを考える必要がないというのも大きいでしょう。

    そして、履きやすい靴も買いました。

    ビジネススニーカーが欲しかったのですが、以前別のメーカーのスニーカーで失敗をしました。失敗の原因はサイズが小さかったうえ人工皮革製だったために靴が足の大きさに耐えきれなかったことなのですが、今度は天然皮革製でサイズがぴったりのものを選びました。そういえば、以前もREGALの靴を何足か買っていたのですが、やはりがREGALの靴は私の足にちょうどよいようです。

    以前だったらもうちょっと、スーツを堅苦しく考えていた気がします。昔に読んだスーツの教本の影響が残っていたのかもしれません。

    しかし、いまは「スーツにリュックでもいいのでは? 服に負担なことは確かだが自分の責任だし」「紺無地スリーピースにしておけば冠婚葬祭どこにでも着回せる」(ただしそのことを最初に実感したのが義母の葬儀だったのは、喜べるものではありません)「シャツは別にハイネックでもよいのでは。スーツの襟や袖口が直接皮膚に当たらなければよい」「チーフを胸元に挿す・挿さないは気分で決めてよい」「靴下は、脛が見えるレベルでの短さでなければ周囲を不快にさせることはないだろう」と、スーツを着るということに対する自分の意識が、若いころに比べて、低いのです。よく考えたら、スーツをちゃんと着こなさなければならない世界には結局縁遠く、また、本当の意味での正装が必要な世界に行くことは、たぶんなさそうですし、もし仮に今後あったとしても、せいぜい一生に一度でしょう。この予想が外れたとしたら、そのときはお金もあるでしょうから、そのとき考えればよい。だから、もうスーツは普段着扱いでいいだろう、それに、スーツというのはもともと「ラウンジ・スーツ」であり、楽な服装だったはず(このへんは、検索するといろいろ出てきます)なのでは?

    などなどを考えていくうちに、こうなりました。

    「スーツ対ギーク」とよく言われますが、スーツを着ているからITエンジニアではないとかギーク(技術オタク)ではないというわけでもありません。よく考えると、私の知っている範囲の優れたエンジニアで、スーツを着ている人も多いのです。

    やはりスーツでいいじゃないか。

    小さな変化、大きな影響

    実を言うとこの「スーツを着るようになった」のは、自分にとってそう大きな変化ではなく、「小さな変化」のつもりでした。

    ところが、この小さな変化が、実際には自分に大きな影響を与えるようになりました。靴もそうですし、そのほか、家に帰ってからの行動も変わりました——スーツの埃をちゃんとブラシで落としたり、靴や名刺入れや財布を必要に応じて磨いたり、それから、出かける場所で覚える気持ちもちょっと変わったり。

    よほどスーツが合わない場所、たとえばひどく汚れることが予想される場所とかであれば別ですが、そうでなければ旅行に行くのもスーツでよいはずなのです。

    ちょっとスーツにフォーカスし過ぎてしまいましたが、大事なのは、小さな変化が、実際には自分に大きな影響を与えるようになるという気づきと、その変化を受け入れて次を考えるということの繰り返しです。

    この気づきこそは、きょう、この記事で、書いておくといいだろうと思いました。

    このような変化が、これからも楽しみです。


    note質問箱をはじめました。この記事を読んで浮かんだ問いがあれば、ぜひお寄せください。

     
     

    h12o

     
     
    1975年東京生まれ、武蔵野在住。セキュリティエンジニア。剣道三段。プロテスタントのクリスチャン。Mastodon.Tokyo管理人。本や仕事、AI、信仰について、考えたことを言葉にしています。流行よりも、自分が納得できる文章を書きたいと思っています。投稿はすべて個人の見解です。

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