
「お気に入りだけ」で生きていけたら、とずっと思っていた
一軍だけのワードローブ。
運命的な出会いを果たした一点ものの家具。
価格じゃなく味や素材にこだわった調味料が並ぶキッチン。
「これじゃないとだめ」と言い切れる、かえのきかないアイテムだけが詰まったバッグ。
そういう生活に、ずっと憧れている。
ただ憧れているだけじゃなくて、実際に動いてもきた。ネットで調べて、店舗に足を運んで、手に取って、比べて、悩んで。
それでやっと「これだ」と思えるものに出会えたとき、ちょっと誇らしい気持ちになる。
でも、いつもそのあとが問題だ。
「運命の一品」は、また現れる
苦労してやっと見つけたお気に入りのマグカップ。毎朝使っていた。好きだった。なのにある日、別の器屋でもっと手になじむ形のカップを見てしまう。
あんなに「これしかない」と思っていたのに…
洋服もそうだ。
「一軍しか持たない」と決めてクローゼットを整理したその週に、セールでどうしようもなく好みのワンピースを見つけてしまう。
買う。迎え入れる。また一軍が増える。
世界は次々と新しいものを生産し続けていて、「お気に入り」の候補は無限に更新されていく。
その流れに乗って「今の最推し」を追い続けることが、本当にこだわりのある生活なのか、それともただの消費なのか、よくわからなくなってくる。
「あってもなくても変わらなかった」という残酷な気づき
もうひとつ、こだわりを持つ人間を打ちのめす体験がある。
あんなに吟味して選んだのに、結局「あってもなくても生活変わらなかった」と気づいてしまう瞬間だ。
高くて悩んで買ったアロマディフューザー、いつの間にか使わなくなっていた。こだわって選んだ文房具、バッグの中に放り入れてから姿を消していたことに気付かなかった。素材にこだわった調味料、正直いつもの料理に味の違いを感じていない日もある。
これは、こだわりが無駄だったということなのか。それとも、そもそも私のこだわりがあいまいだったということなのか。
こだわらないことは、悪いことじゃない。
考えてみれば、こだわりがないことには別の豊かさがある。
執着しないから、断捨離もしやすい。
ものに縛られないから、引越しも転職もしやすい。
「これじゃないとだめ」がなければ、今あるもので十分幸せになれる。
それは確かに、ひとつの自由だと思う。
でも、だからといって全部をプチプラや代替品で埋めていくのは……なんかちがう。
「ときめき」って、生活の中でかなり大事だと思っていて。
毎朝好きなカップでコーヒーを飲むときの小さな満足感。お気に入りのジャケットを羽織るときの、ちょっと気持ちが整う感じ。そういう瞬間が積み重なって、生活の質みたいなものができている気がする。
全部に執着しなくていいけど、全部をどうでもいいにもしたくない。
「全部こだわる」より「ここだけは」の方が、長続きする
最近、少しだけ答えらしきものが見えてきた気がしている。
「全部のものにこだわろうとするから、こだわりが薄まる」んじゃないかと。
靴だけは妥協しない、と決めている人がいる。
コーヒーだけは豆から挽く、という人がいる。
部屋着だけは肌触りのいいものしか着ない、という人もいる。
そういう人たちの「こだわり」は、ちゃんと輪郭があって、ぶれない。
逆に全方位にこだわろうとすると、労力も予算も分散して、結果どこも「本当にお気に入り」にならない。
だから今わたしがたどり着いたのは、「このカテゴリだけはとことんこだわる。他は今の快適さで選ぶ」というバランスだ。
全部一軍じゃなくていい。
でも自分が一番ときめくジャンルは、手を抜かない。
それが、わたしにとっての「お気に入りで生きていく」の現実的なかたちなのかもしれない。
「一生もの」を探す旅は、続く
「お気に入りだけに囲まれた生活」という理想は、おそらく完成することがない。世界はもの作りを止めないし、わたしの感性も少しずつ変わっていく。
でもそれって、別に悲しいことじゃないとも思う。お気に入りと出会い続けること自体が、生活をちょっと楽しくしてくれる。
全部にこだわれなくていい。
全部を手放さなくてもいい。
「ここだけは」という領域を大切に持ちながら、他は柔軟に。そのくらいのバランスが、長く気持ちよく生きていくコツな気がしている。
あなたの「ここだけは譲れない」は、どんなものですか?🌈