𖧷028𖧷モヤがかかっているだけ。
いつもnoteを読んでくださりありがとうございます𓂃 𓈒𓏸
人生ってすでに決まっているのか、それとも100%自分の選択次第なのか、分からなくなる時ってありませんか?私の大切にしている言葉で、”人事を尽くして天命を待つ”と言う言葉があります。
最善を尽くしたら、あとは流れに任せる。
この言葉に救われたのは、自分の選択に子供の人生が乗っかっていた時でした。選べない。でも選ばないとぴえんぴえんしているだけの自分も嫌だ。この言葉を胸に、その時できる最善を積み重ねてあとは流れに任せてみた。
今も、まだその流れに乗っている途中です。
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どの生き方が「正解」なのか、教えてくれたらいいのにね〜〜。
具体的なことが分からなくても、せめて、合ってるかどうかくらいは大晦日とかに教えてほしい(笑)
「今年のあなたは、そのままで正解です!」とか…そんなサービスがあったら私は毎年申し込むw
強制的に流れが止まる
「正解を教えてもらう」以外にも立ち止まる方法がある。私は、自分なりの「ストップのサイン」を決めています。
例えば、体調不良ン。ワンシーズンに2回も風邪をひくとか、なかなか治らないとか、腰痛、蕁麻疹…大きな病気なら、もう強制的なストップのサイン。
「ちょっと今、むりしてない?」と立ち止まるきっかけに。
良い方に進む時ってワクワクして選びやすいし。でも意外と始めてしまったことを「やめる」方が難しい。だから、強制的に流れが止まったのをきっかけに、立ち止まり、もう一度振り返ってみる。
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昔働いていた職場ではこのままでは嫌だと思う一方で、他の選択肢もない状態。だから人を羨むことしかできなくて。親ガチャに外れたと思ってみたり、「私だって違う環境だったら」と思ってみたり。
自分を大切にできていない時期が長く続いていました。
「やりたいことがある人」
が羨ましいと思ってた。
「ずっとこのままなのかな〜。何かしないとな〜」そうは思っているのに何がやりたいのかも分からない。
でも思い返してみると子供の頃は、外で思いっきり遊んで、習い事も一生懸命やって、いろんなことに興味を持っていた。毎日がそれなりに忙しくて充実していた。
なのに、中学・高校と進むにつれて、ワクワクした記憶がどんどん少なくなっていった。
あんなにやりたいことに溢れていて、いろんなことに興味があったのに、いつの間にか「ただ流れに乗っているだけの人」になっていた。
そして最近気付いたのが、やりたかったことがなかったんじゃない。見えなくなっていただけ。
私の視界にモヤをかけたのは
「誰かの言葉」
「うちは無理や」
「そんなお金どこにある」
「なんのために」
何度も聞いているうちに、何を言ったとて返事が想像できるから、言うことすらやめてしまう。
そのうち自分が自分に言うようになる「私には無理」「失敗したらダサい」「めんどくさい」やりたいことがないんじゃなくて、やりたいと思う前に、自分で消していた。
そうやって、何も見えなくなっていた。
まずはモヤを晴らしたい。
「どうせ無理」じゃなくて
→「やってみてから考えよう」
「今さら」じゃなくて
→「今が1番若い」
そんな言葉を選ぶようにしたら、いつの間にか正解を探さなくなったし、その環境の中でできる限りのことをやろうとする。
モヤがかかりまくりの時って、行き先が見えなくて何もできないんですよね。まだ親に手を引いてもらっている子供のような気持ちで。
「誰か、正解を教えてよ」って思ってる。
でもモヤが晴れるまでは、その環境で自分のできる限りのことをやる。そんな生き方ができれば、きっとどの選択をしても「これで良かった」と思える日が来るんじゃないかな。
そして、そんな風に生きていたら、突然、「どっちだ?!」というような分かれ道も現れる。どっちを選ぶのか。
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「そもそも目指すものを見失った時どうする?」
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