
時間の重さに触れた日
このところ、ときどき思う。
私はずっとここにはいない気がする。
このマンションで暮らし始めて、15年になる。
今の暮らしを支えてくれている、大切な場所だ。
だから現実には、引っ越しなんて考えていない。
それなのに、自分の人生の続きを想像すると、
この場所が最終ページではないような気がする。
そんなことを考えていたら、不意に涙がこぼれた。
自分でも驚いた。
出ていく予定なんてないのだから。
ぼんやりと、気づいた。
私にとって、この家は住まいではなかったことに。
ここで母と暮らし
ここで介護をした。
そして、ここで最期を見送った。
母がいなくなってからも、私はここで生きてきた。
だから一人で住んでいるはずなのに、どこか実家のようだった。
もし将来、
私がこの家を離れる日が来たら。
その想像だけで、涙がこぼれた。
母は今も一緒にいる。
どこにいても、一緒にいる。
そう感じている。
それでも、涙が出た。
ひとつの舞台の幕が下りるような気がした。
「ここまでだったんだな」と知るような。
涙は、その予感に触れたからかなと思った。
家というのは不思議で、
住んでいるあいだは、そこにあるのが当たり前になる。
でも、長い年月が過ぎると、
壁や窓の向こうに、そこで過ごした時間が積もっている。
笑った日も。
迷った日も。
前が見えなくなった日も。
また歩き出した日も。
全部そこに残っている。
私はこの家を失うことが悲しかったのではなく、
ここで過ごした時間の重さに触れたのだと思う。
今日の涙は、それを教えてくれた。
思っていた以上に、私はこの場所を愛していた。
そして思っていた以上に、
私はこの人生を愛していた。
人にはそれぞれ、長い時間を過ごした場所がある。
もしある日、その場所を離れる想像をして胸が揺れたなら
それは失うことへの涙ではなく、
ここまで生きてきたことに触れた涙だったのだと思う。
この家で過ごした母との時間については、以前こんな文章を書いています。