
ロスジェネに風が吹く 第8話
いつものようにニュースと朝のドラマをインスタントコーヒーを飲みながら観た。今日は、風の庵を手伝いに行くけど、それまでは、特にすることがない。
芸術の森は、冬季休業を終えて営業を再開しているが、私は、ギブスが外れてから働くことになっている。
あの年寄りの巣窟で働く日々が戻ってくると思うと嫌気がさす。
でも、おとといのお花見は本当に良かった。昨日は一日中、結人君のことを思い過ごした。お花見の帰りに、バスの中で私は結人君に5千円札を握らせた。
「お母さんに言わなくていいから」
華音ちゃんと仲良く使うという名目で渡したのだ。
自宅に帰ってきて、これは援助交際になるのかと疑問に思った。花音ちゃんも一緒だったとはいえ、若者と一緒に遊んで、お金を渡す行為が、パパ活みたいになっていないだろか。いや、ママ活とでも呼ぶのだろうか。
しかし、結人君は貧困生活をしいている。だから、私はそれを助けているだけだ。けれども、パパ活をしてお金を貰う女の子たちの中には、貧困の子をいるだろう。
これは、援助交際なのか、イエスかノーがで問われると限りなくイエスに近い気がした。
骨折して、働いていないのに出費がかさんでしまった。ファミレスでお昼ご飯をご馳走して、高遠城址公園の入場料を払い、帰りに5千円を渡したのだから。
でも、仕方ない。これも東京大作戦のためなのだ。結人君と都心を歩くところを想像しただけで、胸がキュンとなってしまう。
風の音が気になり、窓に目をやる。今日は、外の様が変だ。音を立てて風が吹いている。
おととい、高遠城址に吹いた爽やかな通り風ではなく、山おろしのような風だ。時折、窓ガラスからぱちぱちと音がする。舞い上がった砂ぼこりのせいだろう。
おそらく、結人君と見た桜の木々は、この風で枝はしなり、花びらは吹き飛ばさせているだろう。
伊那市に移住してから、こんなことは初めてだ。何か不吉なことが起こるのではないかと思ってしまう。
ノートパソコンを開き、動画サイトを見ようとしたら、スマホのLINEが着信した。風の庵のグループLINEで、代表の保科さんが、本日の営業は中止にするとコメントしていた。
なんということだろう。今日は、結人君に会えないのか。風の庵を手伝う日は、夕食をまかない飯で済ませていたのに、それすらない。
この風が運んできた不吉は、これだと思った。私は了解しましたと、すました顔の絵文字を選び返信する。
ひとまず、動画サイトを見ることにした。YOUTUBEにアクセスして、グルメや旅行の動画をいくつか観た。
見はじめて、一時間ほどしたことろで、インターフォンが鳴った。
私のアパートに来るのは、伯父か伯母か、宅配便だ。座椅子から、立ち上がり玄関のドアの魚眼レンズを覗いてみる。するとスーツ姿の男性が二人立っていた。
見当もつかないが、市役所の人たちだろうか。とりあえず、チェーンをかけたまま、少しだけドアを開けてみる。
二人のうち、片方は体育会系っぽい若者、もう一人は頑固そうな年輩のおじさんだった。
「長野県警伊那署の者ですが、唐沢陽子さんですね」
若者の方が言と、目に刑事手帳が飛び込んできた。
◇
伊那谷を吹く風が、私の部屋の窓ガラスを叩き、隣家の庭木の揺れる音が耳に届く。
私は、コタツにもあたらず、カーペットの上で女の子座りをしている。
どうして、ここに座ったのか覚えていない。
頭の中では、先程の刑事とのやり取りが繰り返えされていた。
そうしていると、着信音が鳴り、我に返った。
私は、コタツの上に手を伸ばし、スマホをとる。
萌ちゃんからのLINE電話だった。
「陽子さん、あたし悔しいよ」
電話口で萌ちゃんは泣声だった。
「ずっと、お父さんと頑張ってきたのに。あんな奴のせいで。あいつのオーラも見抜いてたのに。全部、あいつが」
萌ちゃんは、言葉に詰まり声を上げて泣き出す。
私は、そうだね。うん、うんと、寄り添うように声をかけることしか出来ないかった。
さっき、伊那署の刑事二人が来て、私を事情聴取していった。
恵子が逮捕されたという。先日の老後の資産形成の件だ。金融取引法違反で、昨日逮捕されたそうだ。
刑事たちは、私に事情を聴くばかりで、私からの問いには答えてくれない。
なので、帰ったあと、スマホで県内ニュースを調べてみたら、県内活動中のラジオDJ逮捕との見出しがあった。
その見出しをタップして、記事を開くと、映美さんが、証券取引法違反と金融取引法違反で逮捕されたとあった。
共犯者として、数名の女性を逮捕されたとある。その中の一人が恵子に違いない。
映美さんの旦那の秀二さんは、参考人として事情聴取されているという。
萌ちゃんは、私が恵子に30万円を渡したことは知らない。
私は、自分のことを話す余裕もなかった。萌ちゃんをひたすら慰めて、少し落ち着いたことろで電話をきった。
風の庵は、映美さんをアンバサダーとして招いていた。ボランティアとはいえ、今回の事態を重く受け止め、しばらく営業を自粛するという。
お腹を空かせた子供たちは、どうなるのだろうと思ったが、他人の心配をしている余裕はなかった。
あの30万円は、消えてしまったことになる。恵子が嘘をついていたとしても、結人君の将来のために使われるならば、それでも良いと思っていた。
いや、少しだけそう思っていた。
しかし、それすらないようだ。
消えた30万円は、惜しいけれど、結人君はどうしているのだろう。
私は、座椅子に座り、開きっぱなしだったパソコンで、逮捕者の子どもがどうなるのか調べてみる。
友人が逮捕されるなど初めてだ。いや、知人ですらいない。
恵子のように片親の場合に子供はどうなるのか。
しばらくして、児童相談所いる可能性が高いことまでは分かった。世間では、児相と略されるらしい。
しかし、昨日の何時頃に、恵子が逮捕され、結人君はどこで確保されたのかは分からない。
つまり、すでに結人君が児相に居るのか否かということだ。まだ警察が預かって署内いる。あるいは、自宅に居る。新学期が始まっているから、いつもどおり、登校している。いや、それはないか。
では、それを誰ならば知っているのか。
結人君の通う学校ならば、知っているだろう。
じゃあ、電話してみたらよいではないか。
しかし、普通に話してもダメだろう。どうすれば良いか、しばらく考えてみる。
アパレル店で働いていた頃は、セールストークを考えるなどはよくあった。
結人君の遠い親戚者ですと言おうか、でもそれはありがちな嘘だ。
じっくり考えていると、その時間が惜しいので、思いついたままに言うことにしようと決めた。
スマホを手にして、グーグルで結人君の通う中学校の名前を検索し、画面に表示された電話のアイコンをタップした。
数回コール音が鳴ったあとに、若い女性が電話に出た。
「あの、すいません。唐沢というものですが、三年生の西内結人君のことでお伺いしたいのですが」
「どのような関係の方でしょうか」
「近所に住んでいる者でして、主人も私も西内さんとは昔からのお付き合いあって、結人君は幼い頃から知っているので、今回の件が心配で」
いざ話してみると、見知らぬ人に対し、いきなり嘘をついて騙すという経験があまり無いことに気づく。セールストークとも違う気がした。
思いついたばかりのことなので、自身を持って言えなかった。
「お待ちください」
若い女性は、そう答えたあと、電話の向こうで、もう一人の女性と話をはじめた。
どうやら、保留ボタンを押し忘れたようだ。
おそらく、新米とベテランの教師なのだろうと思った。
「西内結人の件で、電話がかかってきたけど。近所の人が、聞きたいことがあるそうです」
「だって、答えちゃいけないって言われたでしょ」
「児相から連絡来てましたよね」
「そういうこと答えちゃ駄目なの。あと、学校に来てる、来てないも駄目だから。プライバシーだからね」
ガサガサという音がする、受話器を持ち上げたのだろう、すぐに若い女性の声がした。
「申し訳ございませんが、生徒のプライバシー保護の観点から、お答え出来ません」
「電話切っちゃいな」
もう一人の女性が言っている。
「失礼します」
若い女性は、一方的に電話を切った。
私がお花見のことを思い出して胸を焦がしているうちに中学校では大変なことになっていたようだ。
先生方も対応におわれているのだろう。
とにかく、これで結人君が児相にいると確信した。
私は結人君に会いたい。私に出来ることなんて、ちっぽけだけれど、力になりたい。
差し入れが必要ならば持っていこう。さみしいならば、何度でも面会に行こう。
私が支えるから安心してと言いたい。
立ち上がり、部屋着を脱いで、いつものようにデニムを穿き、トレーナーを着て、フリースを羽織る。三角巾を首に吊るし、肩にバッグをかけた。
窓の外に目をやる。風はまだ音を立てて吹いていた。
◇
左手を骨折すると、右手が疲弊する。服を着替えるときも、お風呂で体や髪を洗うときも、掃除機をかけるときも、日常生活を右手だけでおこなうので、一日が終わるころには右手関節が疲弊していることに気づく。
でも、今は右の手のひらが痛い。さっきカウンターを強く叩いたせいだ。
スマホのマップアプリで、児相の場所を調べて、自宅を出て、路線バスに乗った。
強風の中を私を乗せたバスが行く。
路肩の女性は、進まない自転車を降りてひいている。羽織った上着の襟元を手で押さえて歩く男性を見かけた。
この向かい風が、これからの事を予見しているようだった。
バスに乗って三十分ほどで、到着した。
かつてこの地域は、諏訪市の児相が管轄していたが、伊那市にも新設され、養護施設も併設されているそうだ。
児相の建物に入ると、窓口に中年の男性が座っていた。
さっきは、電話で近所に住んでいるとか、幼い頃から結人君を知っているとか嘘をついた。
でも、先々児相に出入りする機会が増えたときにバレてしまうとまずいので、本当のことだけを言うことにした。
私は、まず名前を言い、恵子と同級生であることと、結人君と面識があることを伝える。
すると、中年の男性は半笑いで言う。
「あのね、面会は一切お断りしてるんですよ。親戚でもないんでしょ」
出鼻をくじかれた気がした。
「それでは、差し入れを受け取ってもらえませんか、本人が望む物を買ってきます」
「いや、そういうのもやってません。買ってくるとか言われても」
一方的に拒絶されると癪に障るものだ。
「私は、結人君や華音ちゃんを心配して言ってるんですよ」
私は苛立って言い返した。そこから、その男と押し問答が続いた。冷淡な口調で馬鹿にした態度が気に入らなかった。
なんだお前は、そんなことも知らんのかと言わんばかりだ。世の中には未だにそういう男が散見されるがコイツはその典型だ。いい歳をして客観的に自分を見ていないから、失礼な態度に気づけないのだ。ついでに、このボソボソした話し方も気に入らなかった。
「だから、こっちも責任があるの。そもそも、あんたに面会だの、差し入れだのって、そんな権利ないの」
男性が吐き捨てるように言ったので、私がキレて、カウンターを力いっぱい叩いて声を上げた。
「偉そうに言うんじゃねぇよ。こっちは心配して来てんだよ」
男性職員は黙った。
押し問答に気づいたのか、裏からもう一人、女性の職員が出てくる。
「ごめんなさいね。こちらも子供たちを保護しなければならないので、お受け出来ないことが多々ありまして」
「だったら、はじめからそう言えバーカ」
私は悪態をついて、児相を出て行った。
右手を振りながら、バス停まで歩く。強い衝撃を加えたせいて、手のひら熱かった。
風は、まだ止まず、背中に当たる風が早く帰れと言っているようだ。
私のように接客業に従事する者にとって、クレーマーは腹の立つ存在だ。東京の実家で両親が営んでいた店にも、そういう客は来ていた。
「あんな大人の真似しちゃ駄目よ」
母は、そういう客が帰ったあと、よく私に言っていた。社会人になってからは、私もたびたび関った。
あんな厚顔無恥を武器にするような人間たちは、軽蔑していたのに。私は、同じようなことをやってしまった。
結人君に会うことを拒絶されて、頭にきたからだ。
児相の言い分は正しい。私は被害者で、結人君は加害者の子供だから、引き合わせてはいけない。
女性職員の言う、子供たちを保護するということは、結人君を守るということだ。
そうである以上は、窓口の男性職員のように、きっぱり断らなければならないこともあるだろう。
最寄のバス停まで歩き、路線バスに乗り込んだものの、真っ直ぐ自宅へ帰る気にはない。興奮から冷めきっていなかった。
シートに座り、窓の外を眺める。スマホで音楽を聴いたり、ニュース記事を読む気にもなれなかった。
歩道にいる母親と小さな女の子が、恵子と華音ちゃんのように見える。中学生ぐらいの男の子を見かけると結人君に見えて、そうすると胸が苦しくて耐えきれないので、目を閉じてバスに揺られることにした。
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