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青の街サマルカンド③悪い人の見分け方を未だ知らない

 風切るトラムは坂を上り、中心部に降り立った我々は、タクシーを見つけては手を上げ、そして通り過ぎられていた。
 
 「死ぬて」

 日差しをタオルで遮りながらぼやいていると、突然、後ろから日本語の声がかけられた。

 「悪い人じゃないよ」

 振り返ると、髪を短く刈り込んだ一人の男性が立っていた。墨をぼかしたような眉はタレ気味で、目尻の端に笑い皺ができている。

 「タクシー、むこうにあるよ。悪い人じゃないよ」

 「悪い人が言うやつじゃん!」

 もっともな回答をする私に、友人からの叱責が飛んだ。
 「返事しちゃダメだってば!」

 腕を掴まれその場を離れ、再び手を挙げる動きを繰り返す。なんだか汗が出なくなってきた。皮膚の内側身体の中に、どんどん熱が溜まっていく。

 少し離れた後ろから、角の取れた男性の声が聞こえてきた。
 
 「タクシー見つかった?ほんとに、悪い人じゃないよ」


 乗り込んだ車内には、これでもかとクーラーがつけられていた。表皮がみるみる冷やされて、煮え固まっていた脳も元の形に戻ったみたいだ。

 「どこ行きたいの?」

 目を細める我々に、ざっくばらんな声がかかる。
 
 「ランチ食べたい!なんかオススメのお店ない?てか、なんでそんなに日本語上手いの?」

 素早い回復を遂げたマルコの言葉に、男性はこちらを振り向いた。

 「京都に留学してたんだよ。五条通りあたりに住んでたんだけど、分かる?」

 「全然分かんない!てか、芸人の澤部に似てない?」

 「やめてよー、そっちの方が似てるよ!」

 眉を顰めた澤部は前を向き、しばらく車を走らせると、赤煉瓦の建物の前でブレーキを踏んだ。

 「結構遅い時間だから、急いで。なくなっちゃうかも」

 車を降り、足早に進む澤部の後を追う。大きく開かれた扉を抜けると、脂とスパイスの匂いが充満する中にひときわ巨大な鉄鍋があった。

 窯の上にある鉄鍋は子供用プールほどの大きさだ。中には何百人前だかのピラフと焼かれた肉の塊が入っていて、シャベルで混ぜられるたびに鍋底の肉汁がさざ波のように揺れていた。

 大鍋の前には男性達がひっきりなしにやってきては大声で何かを言い、掬われたピラフを受け取っていく。
 あまりの威勢に壁に身を寄せていると、人波の間を縫って澤部の声が聞こえてきた。

 「ほら、こっち座って。注文したから」

 席に着くとしばらくもしないうちに男性がやってきた。かかえるように持った大皿をテーブルの上にごとりと置く。
 皿の中にはテカテカ光る薄い醤油色の米と、その上にどっさり盛られた細切りのじゃがいもとにんじんの炒め物、さらに、焼き目のついた大きなブロック肉がのっていた。

 「これはウズベキスタンの伝統的な料理で、プロフだよ。結婚式とかでも食べるし、普段もよく食べるね」

 言いながら、澤部はナイフで肉を一口大に切り分けていく。

 小皿によそってもらった料理をひと匙掬うと、スプーンにさらりとした油が滴った。
 細長くパラパラしたお米には、驚くほど濃く肉の出汁が染み込んでいて、少し甘味を感じるほどだ。肉は繊維状に崩れていき、薄切りのニンジンにはほくほくとした歯触りが残っている。

 「美味しい!ウズベキスタンの料理でマジで一番美味しい!」

 夢中でプロフを口に入れ、時おりコーラで流し込む。満腹近くなった我々のテーブルでは、なぜか澤部の恋バナが語られていた。「心の美しい人が好きだね」。疑念を持ってしまう澤部の恋愛観。

 「留学して結婚してなかったから、親から呼び戻されて、お見合いしたんだよ」

 金持ちか?身をのけ反らせる私たちに、澤部は「ウズベキスタンではお見合いが普通だよ」と言葉を足した。

 今度は「恋愛結婚じゃないんだ!恋愛結婚はしないの?」を繰り返す私たちを澤部は何も言わずにしばらく見ていた。そして「お見合いが多いねー」と軽い相槌を打つと、ポケットからスマホを取り出した。

 「僕の奥さんだよ」

 スマホの画面には、煌びやかな民族衣装の女性が写っていた。20歳くらいのあどけない顔立ちだが、目元にだけ孔雀の羽のような風情がある。

 「凄い美人!」

 賞賛する我々の前で、澤部の口元に小憎たらしい笑みが宿った。

 「心の美しい人だからね」


 食事を終えてタクシーに戻り、「午後、貸切で乗せるよ」との申し出を受けた我々はありがたくそれに便乗した。
 「いくらかかるの?」という3度の問いかけに、澤部は「高くないよ」と3度返した。

 サマルカンドの巨大な建築群は、月が地球に横付けしてきているような、ある種異様な圧迫感がある。

 首を痛めながら門を見上げて、さすがにこう思わざるを得ない。
 世界中を旅するならば、サマルカンドは最後の地にするべきだろう。
 
 「今日は色んなところに行ったからね。最後にここに行っておくといいよ」

 樹々が豊かな郊外まで車を走らせると、澤部は車を降りて歩き出した。

 お。今まで、「じゃ、1時間後にまた集合ね」と言ってはドッグランに犬を放つがごとく我々をモスクに解き放っていたあの澤部が、同行している。

 高まる期待と共についていくと、そこには整えられた芝生が広がっていた。石畳の先にある飴色の柱の建物は、どこかアカデミックな佇まいだ。   
 そのまま足を進めると、中庭には、5〜6メートル程の高さの直方体が一つ立っていた。
 白く大理石のような質感で、紫がかった青で星のような花のような、不思議な模様が描かれている。


 「ここは、神聖な、素晴らしい言葉を集めて、本にした人のお墓なんだよ」

 澤部はふっと壁の一箇所を示すと、静かに言葉を付け加えた。

 「あの印の方角にメッカがあるんだよ。どんなモスクにもメッカの場所を教えてくれる印がある。お祈りの方向が分かるようにね」

 へええ。みんなこの建物じゃなく、あの壁の印に向かって祈るのか。世界中の全ての場所で、メッカに向かって祈ってるのか。それは確かに何かが集まりそうだ。同時に少し、ぞわぞわしてしまう。
 異教徒剥き出しの思想を隠し、私は粛々と手を合わせた。

 参道に並んだ出店を冷やかしながら、帰る頃には日差しもだいぶ和らいでいた。
 並べられている品々は日本の100均と大差ない。ペットボトルだけを買っていると、隣の出店で澤部が何やらやっていた。

 水を片手に近寄ると、澤部は髪ゴムを選んでいた。色鮮やかな糸が何本も編み込まれている。
 隣の私に気付いた澤部が、ちらりとこちらを見て言った。

 「ここに来るのは本当に良いことなんだよ。奥さんにお土産を買っていかないと」

 女性客の中でひとり、澤部は太い指先で髪ゴムを掻き分けると、ようやく一本を購入した。一番美しい色合いをしている。

 「じゃあ、これが料金ね」

 最終目的地であるレギスタン広場に車を停めた澤部が告げてきた料金は、相場より僅かに安かった。

 身を寄せてきたマルコ達が、聞き取れない程の小声で囁く。

 「さすがにヤバくない?普通に良くしてもらったし」
 「ツアーだったら10倍くらいの値段だよね」

 やりとりを終えた我々から差し出された、お礼の言葉と搾り出された誠意のチップ。

 澤部はそれを極めて滑らかな動きで受け取ると、軽やかな言葉を一つ添えた。
 「ありがとね。」