
短編小説「チックタック」
妻は目が見えなかった。
結婚する前は目が見えていたが、後天性の病気で失明してしまった。
しばらく塞ぎ込んでしまうかと思っていた。だが実際には逆だった。
妻は以前よりも活動的になり、落ち込んでいる私が励まされる事もあった。
失明した年の誕生日、
どんなプレゼントが欲しいか尋ねた。
「私はそうね、あなたがしている時計と同じ物が欲しい」

意外だった。時計を着けても見えるはずがないのに時計が欲しいだなんて。
「時計?見えないのに!?」
思わず言ってしまい、すぐにしまったと後悔したが、妻は笑いながら
「見えないけどね」
そう言い、私の時計の風防をカチカチっと爪で叩いた。その音はプラスチックの安そうな音を奏でていた。

「あなたの時計の秒針、すごくうるさいの。チッチッチって!」
この時計は確かにうるさい。
昔から愛用しているswatchのアナログ時計なのだが、大学時代には
「おい、〇〇の時計うるせぇよ!テスト中気になって仕方ない!」
そう言われた事があった。
安い作りのせいか、確かに秒針の音がすごく大きい。それでもこれが好きでずっと愛用している。
「時間は音声でも分かるんだけどね…」
妻はそう言いながら耳を澄ました。
「時間が過ぎていく音を聞いていたいの。だからその時計が良いな」

私は迷わず、同じ形の時計をプレゼントした。
そんな妻の教えで、一つだけ頭に残っているものがある。
「目を閉じた時に、自分にとって必要な物を大事にすると良いかもね」
「なんだそれ?例えば?」
「私だったら目が見えないでしょ。大切なものは、手触りだったり匂いだったり、プレゼントでもらった時計の音だったり、言葉や気持ち、
視覚がない私にはこれらを大切にしたいの。」
妻が亡くなってから何年も経つが、私は目を閉じて、改めてこの言葉を思い出す。
「目を閉じた時、自分にとって大切なもの」
何か欲しい物があっても、目を閉じてそれが自分にとってどう作用するのか。
そう考えると、人間にとって必要な物は限られてくる。
肌触り、
匂い、
音楽、
言葉、
気持ち、
食べ物。
そして、私にとってはこのswatchのチックタック音も大切なもの。
今も私の腕元でうるさい音を奏でている。
「チックタック、チックタック」
私が一番好きな音。
まるで今も妻と一緒にいるようだ。
短編小説「チックタック」終わり