
50代にもなって管理職の僕が未だに「マネジメント」で悩んでいる
中間管理職。
よく使われる言葉だ。
でも最近、
この言葉は少し広すぎるのではないかと思っている。
中間管理職といっても、
30代の人もいれば、50代の人もいる
30代で初めて部下を持った人。
40代でプレイングマネージャーとして、
現場と管理の両方を抱えている人。
50代になり、定年までの時間も少しずつ
意識しながら、それでも組織の真ん中にいる人。
ひとことで中間管理職と言っても、
そこには20年くらいの幅がある。
20年というのは、かなり長い。
経験も違う。
体力も違う。
役職への慣れも違う。
家庭の状況も違う。
会社から期待される役割も違う。
それなのに、悩みは似ている。
部下に任せきれない。
権限移譲がうまくできない。
プレイングマネージャーから
抜け出せない。
自分でやった方が早いと思ってしまう。
上からの期待と、
下からの相談の間に挟まれる。
30代の管理職が悩んでいることと、
50代の管理職が悩んでいることが、
同じだったりする。
(私がそうなのだ)
正直に言うと、これは少し恥ずかしい。
50代にもなって、30代の管理職の方が
すでに経験している悩みと、
同じようなことでまだ悩んでいる。
中間管理職としては、
自分の方が先輩のはずなのに
年齢も重ねている。
経験も積んでいる。
いろいろな場面も見てきた。
それなのに、
まだ同じところで引っかかっている。
30代の管理職の方に対して、
少し申し訳ないような、
恥ずかしいような気持ちになる。
「まだそこなんですか」と
言われても仕方がないような気もする。
そして、自分に対しても思ってしまう。
もしかして、
自分には管理職としての能力が
ないのではないか。
年齢だけ重ねて、
できるようになっていないのではないか。
経験を積んできたつもりで、
実は同じ場所をぐるぐる回っている
だけなのではないか。
そんな気持ちになる。
でも、50代になっても
同じことで悩んでいることを、
恥ずかしいだけで終わらせたくはない。
もちろん、できていない自分はいる。
任せきれない自分もいる。
管理職として、まだまだ
未熟だと思う場面もある。
ただ、ここまで管理職という
役割に向き合ってきたからこそ、
見えることもあるのではないかと思う。
30代のころなら、
自分の努力不足だと思っていたかもしれない。
もっと頑張ればいい。
もっと勉強すればいい。
もっと器用に立ち回ればいい。
そう考えていたかもしれない。
でも、50代になってもなお、
同じような悩みを抱えている自分がいる。
そして、周りを見ても、
同じように悩んでいる管理職がいる。
そう考えると、
これは単に個人の能力不足だけではない
のかもしれない。
管理職という役割そのものに、
全国共通の型が足りていない。
任せるとは何か。
確認するとは何か。
責任を持つとは何か。
権限を渡すとは何か。
部下を育てるとは何か。
こうした基本的な判断基準を、
私たちは意外と共有しないまま、
それぞれの経験と勘で走ってきたのではないか。
50代までやってきたから偉い、
とは思わない。
むしろ、まだ悩んでいる自分に
情けなさもある。
でも、長く悩んできたからこそ、
この悩みが一人だけのものでは
ないことにも気づける。
それは、50代の管理職だからこそ
見える景色なのかもしれない。
では、なぜそれでも
中間管理職をやっていられるのか。
そんなことも自問自答してしまう。
自分で手を動かすことは嫌いではない。
むしろ好きだ。
自分で考えて、資料を作って、
企画を組み立てて、相手に説明する。
自分の手で形にしていく感覚は、
今でも好きだ。
誰かに任せて、途中で確認して、
修正して、また説明するくらいなら、
自分でやった方が早い。
そう思ってしまう場面もある。
プレイヤーでいた方が、
成果も見えやすい。
自分の努力も分かりやすい。
できた、できなかったの責任も
自分で引き受けられる。
ある意味では、その方が楽なのかもしれない。
だったら、プレイヤーで良いのではないか。
そう思ってしまう。
そもそも、自分は管理することが
性分的に好きではない。
人を管理することが好きではない。
自分自身も管理されることが
あまり好きではない。
誰かの行動を細かく見張る。
進捗を詰める。
できているか、できていないかを確認する。
ルール通りに動いているかを見る。
そういうことに、
あまり前向きな気持ちになれない。
では、管理職とは何をする人なのか。
実は、そこもよく分かっていないのかもしれない。
組織を運営することだと言われれば、
会社には役員がいる。
方針を決める人もいる。
大きな意思決定をする人もいる。
それなら、自分がやっている
管理職とは何なのだろうか。
人を管理することなのか。
仕事を管理することなのか。
数字を管理することなのか。
部下の行動を管理することなのか。
上からの方針を下に伝えることなのか。
下からの声を上に伝えることなのか。
どれも間違いではないのだろう。
でも、どれもしっくりこない。
たぶん、自分は「管理」という
言葉に引っかかっている。
管理する側と、管理される側。
見る側と、見られる側。
指示する側と、従う側。
そういう構図が、自分の中でどうにも好きになれない。
だから、管理職という役割にいるのに、
管理職という言葉になじめない。
でも、そう言っているだけでは何も変わらない。
自分は管理が好きではない。
プレイヤーの方が性に合っている。
管理職としての能力がないのかもしれない。
そう感じる自分はいる。
ただ、そこで終わらせたくないとも思っている。
なぜなら、自分が悩んでいるこのことを、
すでに30代の管理職の方たちも悩んでいる
中間管理職としての先輩であるはずの自分が、
同じ悩みを抱えたまま「大変だよね」と
言っているだけでは、何も渡せない。
それはちょっと悔しい。
自分がうまくできていないからこそ、
せめてこの悩みを言葉にしたい。
できれば個人の能力不足だけで片づけたくない。
もちろん、自分に足りないところはある。
任せ方が下手なのかもしれない。
判断を渡すことに臆病なのかもしれない。
自分でやった方が早いという成功体験に、
まだしがみついているのかもしれない。
そこから目をそらすつもりはない。
ただ、30代でも50代でも同じように
悩む人がいるのだとしたら、これは
「年齢を重ねれば自然に解決する問題」ではないのだと思う。
経験年数が増えれば、
勝手に権限移譲ができるように
なるわけではない。
役職が長くなれば、
自然にプレイングマネージャーを
卒業できるわけでもない。
部下が増えれば、自動的に任せ上手に
なるわけでもない。
「任せる」ということは、
思っている以上に技術なのだと思う。
そして、その技術をきちんと学んだり、
分解したり、言葉にしたりする機会が、
実はあまりなかったのかもしれない。
ひょっとすると、
管理職にも全国共通のルールが
あればいいのではないか。
横断歩道を渡るときは、
右を見て、左を見て、もう一度右を見る。
車が来ていないことを確認してから渡る。
子どものころから、
当たり前のように教えられてきた。
だから、横断歩道の渡り方には、
ある程度の共通認識がある。
ところが、管理職になるとどうだろう。
部下を持った瞬間に、
急に「マネジメントしてください」
と言われる。
権限移譲してください。
部下を育ててください。
チームで成果を出してください。
プレイングマネージャーから脱却してください。
上司の方針を現場に落としてください。
現場の声も吸い上げてください。
でも、自分の数字もちゃんと見てください。
言われていることは分かる。
でも、では具体的に何をすればいいのか。
そこに、横断歩道の「右、左、右」くらい
分かりやすい共通ルールがあるだろうか。
少なくとも、自分はきちんと
教わってきた感覚があまりない。
管理職になったら、何を最初に見るのか。
部下に仕事を渡すとき、何を一緒に渡すのか。
どこまで任せて、どこから相談してもらうのか。
進捗確認は、何を見ることなのか。
評価とは、何をどう伝えることなのか。
トラブルが起きたとき、管理職は何を引き受けるのか。
こういう基本動作が、意外と人によって違う。
だから、みんな苦労するのかもしれない。
管理職のルールが全国共通であればいい。
ただ、もう少し正確に言うと、
共通にしたいのはルールそのものではなく、
判断基準なのかもしれない。
以前、どなたかのX投稿で読んで、
なるほどと思ったことがある。
長時間労働を減らしたい。
そう考えると、
普通は「ノー残業デー」をつくる発想になる。
水曜日は残業しない日にしましょう。
今日は早く帰りましょう。
定時で帰る意識を持ちましょう。
よくある施策だと思う。
でも、その方の発想は逆だった。
「ノー残業デー」ではなく、「残業デー」をつくる。
最初に読んだとき、少し驚いた。
残業を減らしたいのに、残業デーをつくるのか、と。
でも理由を読んで、たしかにそうだと思った。
ノー残業デーをつくると、
ノー残業デー以外の日は残業してよい、
という空気が生まれる。
水曜日は帰る。
でも月曜日、火曜日、木曜日、金曜日は残業してもよい。
そういう認識になってしまう可能性がある。
一方で、残業デーを決めると、
原則は残業しないことになる。
残業してよい日は、
あらかじめ決められた日だけ。
それ以外の日は、基本的には帰る。
同じ「長時間労働を減らす」という目的でも、
施策の置き方によって、組織に流れる前提が変わる。
ここに、管理職に必要な判断基準がある気がした。
大事なのは、ノー残業デーが正しいか、
残業デーが正しいか、という話ではない。
施策を打ったときに、どんな副作用が生まれるのか。
そのルールが、現場にどんな解釈を生むのか。
目的と逆の行動を、知らないうちに
許してしまっていないか。
そこまで考えること。
もし、この判断基準が共通になっていたら、
管理職はもう少し悩まずに済むのかもしれない。
「残業を減らすなら、ノー残業デー」
「部下を育てるなら、まず任せる」
「進捗が遅いなら、細かく確認する」
「ミスが多いなら、チェックを増やす」
どれも一見正しそうに見える。
でも、本当にそうなのか。
ノー残業デーをつくることで、
他の日の残業を正当化していないか。
任せると言いながら、ただ丸投げしていないか。
細かく確認することで、相手が自分で
判断する機会を奪っていないか。
チェックを増やすことで、考えずに
通過する仕事を増やしていないか。
管理職に必要なのは、
正解の施策をたくさん知っていることではない
のかもしれない。
その施策を選んだときに、
現場にどんな前提が生まれるのかを見ること。
これが判断基準なのだと思う。
この判断基準は、会社ごとにつくるものなのだろうか。
もちろん、会社ごとに文化は違う。
事業も違う。
組織の規模も違う。
求められる成果も違う。
だから、管理職のやり方が
会社ごとに違うのは自然なことだと思う。
でも、もう少し手前にある考え方は、
全国共通でもいいのではないか。
小学校のときに習った道徳のように。
人に親切にしましょう。
相手の気持ちを考えましょう。
約束を守りましょう。
困っている人がいたら助けましょう。
自分だけよければいい、
ではなく周りのことも考えましょう。
細かい行動は人によって違っても、
土台にある考え方は共有されている。
管理職にも、そういう共通の思想が
あってもいいのではないかと思う。
部下を管理する前に、
相手が判断できる材料を渡す。
任せるなら、責任だけでなく権限も渡す。
進捗を確認するなら、
監視ではなく支援のために行う。
失敗が起きたときは、
個人を責める前に仕組みを見る。
成果を求めるなら、
何をもって成果とするのかをそろえる。
忙しい人を評価するのではなく、
仕事が前に進む状態を評価する。
上から来た言葉をそのまま下ろすのではなく、
現場が動ける言葉に翻訳する。
こういうことは、本来、会社ごとの違い以前に、
管理職としての基本思想なのかもしれない。
もし、この思想がもっと共通化されていたら。
管理職になる前から全員が「そういうものである」と
認識していたら、全国にいる「中間管理職」の負荷は、
かなり減るのではないか。
今、多くの中間管理職は、それぞれの会社、それぞれの上司、それぞれの経験の中で、手探りで管理職をやっているのでは?
前の上司のやり方を真似する。
自分がされて嫌だったことを避けようとする。
プレイヤー時代の成功体験で乗り切ろうとする。
ただ気合いと責任感で抱え込む。
でも、共通の判断基準がないから、迷う。
どこまで任せればいいのか。
どこから口を出せばいいのか。
どこまで自分が責任を持てばいいのか。
どこまで部下に考えてもらえばいいのか。
何を確認することが支援で、
何を確認すると監視になるのか。
この境目が分からないまま、みんな悩んでいる。
だから、管理職が罰ゲームのように
なってしまうのかもしれない。
昇格したのに、楽しくない。
責任だけが増える。
人の問題を抱える。
自分の仕事も減らない。
上にも下にも気をつかう。
それなのに、何をすれば正解なのかは
よく分からない。
これでは、管理職になりたい人が
減るのも無理はない。
でも、もし管理職になる前から、
あるいは管理職になったときに、
全国共通の「管理職の道徳」の
ようなものがあったらどうだろう。
人を支配するのではなく、判断できる状態をつくる。
部下を詰めるのではなく、仕事の詰まりを見つける。
上司の言葉を伝達するのではなく、目的を翻訳する。
自分が抱えるのではなく、チームで進める条件を整える。
失敗を隠すのではなく、次の判断材料に変える。
こういう考え方が、もっと当たり前になっていたら。
30代の管理職も、50代の管理職も、
同じところでここまで苦しまなくて済むのではないか。
管理職に必要なのは、カリスマ性でも、
強いリーダーシップでも、圧倒的な人間力でもないのかもしれない。
まずは、共通の判断基準。
どの会社でもどんな業種でも
管理職であっても無くても、
皆が共通理解している基準。
横断歩道を渡る前に、右、左、右を見るように。
人を動かす前に、
目的、権限、責任、解釈、副作用を見る。
そのくらいの基本動作が共有されているだけで、
中間管理職の負荷は大きく変わる気がする。
管理職を罰ゲームにしないために必要なのは、
会社ごとの研修だけではない。
もっと手前にある、
管理職の共通思想なのだと思う。
そして、これは自分自身への問いでもある。
自分は、50代にもなって、
まだ任せることで悩んでいる。
管理職として何をするのかも、
正直まだ分かっていないところがある。
管理すること自体も、性分として好きではない。
でも、だからこそ、管理職の悩みを
「向いている、向いていない」だけで
終わらせたくない。
自分ができていないことを認めたうえで、
なぜできていないのかを考えたい。
そして、30代の管理職の方たちが、
自分と同じ悩みをこの先20年も
抱え続けなくて済むようにしたい。
中間管理職としての先輩である自分が、
まだ悩んでいる。
それは恥ずかしい。
でも、その恥ずかしさを隠すより、
言葉にした方がいいのかもしれない。
恥ずかしさを隠して、
分かったふりをすることもできる。
でも、それでは30代の管理職の方たちに
何も渡せない。
自分がまだ悩んでいるからこそ、
悩みをそのまま言葉にしたい。
そして、同じ場所で立ち止まる人が
少しでも減るように、
管理職の判断基準を一緒に考えてみたい。
管理職とは、人を管理する人ではなく、
判断基準を整える人なのかもしれない。
そう考えるところから、
もう一度、管理職を学び直してみたい。
最後までお読みいただきありがとうございます。
30代の方からすれば、20年も先輩なのに
まだ同じ悩みをもっているのかよッ
と思われると思います。
逆の立場ならそう思います。
自分のマネジメントスキルの無さを棚に上げて、
論点をすり替えただけにすぎないかもしれない。
今日の記事では、50代になってもマネジメントで
悩んでいる自分について書きました。
その中でも、特に自分に刺さっているのが
「権限移譲」です。
以前、360度評価をきっかけに、
部下に任せる前に自分で解決してしまう癖
について書きました。
権限移譲は、仕事を渡すことではなく、
考える余地を渡すことなのかもしれない。
そんなことを考えた記事です。
関連記事:
「部下に任せる前に、自分で解決してしまう上司の話」