
AIは自動運転の二の舞か?〜能力の外部化への憧れと現実
最近の生成AIを中心とするAIブームは凄まじい。
AIを主導するビッグテック企業4社の2026年の設備投資の合計額は、日本円換算で約110兆円と報じられている。
これは日本の国家予算にほぼ等しい額である。
あまりに巨額なのでイメージが湧かないが、アポロ計画の総費用の約3倍、リニア中央新幹線を15本新設できる金額と言ったら少しはわかりやすくなるだろうか。
それだけの巨額のお金がたった1年で、AIのためのデータセンターやGPUといったコンピュータチップなどに投じられている。
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もちろん、こうした設備投資によって、生成AIはどんどん「賢く」なっている。
ただ、それは数学、物理、歴史など様々な分野において、最高レベルの難問をどれだけ正答できるかという、ベンチマークテストのスコアにおいてである。
道具として我々の「仕事や生活」にどれだけ役立っているのか?という観点では、コーディングなど特定の領域を除けば、この1年で「すごい進歩があった」という実感はない。
専門家も数値化できないからという理由で言及しない。
ご隠居ホモ・サピエンスである私は思う。
この進化はIQ160の超天才がIQ180になっても、普通の人間にはわからず、関係ないようなことではないのか?
将棋の藤井聡太竜王・名人の実力がさらに進化しても、彼と対局するアマチュアは「相変わらず神のように強い」としか感じないのと同じではないか?
この先、生成AIがどれだけ賢くなっても、一般の人の生活や仕事が実際に向上したという実感がなければ、ビジネスとしての価値は大幅に減少する。
それがわかったとき、AIバブルは崩壊する。
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10年近く前、「自動運転ブーム」があった。
ハンドルを握らなくてもよい「完全自動運転」が2020〜2025年ごろに実現すると多くの専門家が予想し、自動車メーカーが競って開発した。マスコミも薔薇色の未来を報じていた。
しかし、2026年現在、それはアメリカや中国の特定の都市で、ロボ・タクシーが走るのみである。
しかも、機械が対応できないカオスな工事現場や災害時には、車載カメラの映像を遠隔コントロールでスタッフが目視して、その都度サポートしているのが現状だ。
道路工事現場などでの曖昧な手信号、予測不能な障害物、吹雪や豪雨への対応等々、
「泥臭い道路上の曖昧な現実を 現地にいる生身の人間が 臨機応変に解釈することでしか対応できないことがある」
というのがブームの果てに行き着いた現実である。
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現在のAIブームはこの自動運転と同じ轍を踏んでいないだろうか?
ホモ・サピエンスは、その身体能力の低さを道具で補う(外部化する)ことで生き残ってきた。
・石器や金属製の武器で、爪や牙を外部化して強化した
・自転車、バイク、自動車などで、脚を外部化して高速化した
自らの能力を外部化して、道具やシステムとして強化・拡張していくことは、DNAに刻まれた人間の生存戦略そのものである。
そして、自動運転は「視覚と認知」を、AIは「知性」を外部化して強化しようという、その生存戦略に沿ったものである。
だから、その実現に人々が憧れ、夢中になる。
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その戦略に沿って、これまで人間は、知性の「一部」である計算や記憶を高速かつ効率的に行うことに注力してきた。
しかし、それだけに留まらず、さらに多くの知性を外部化しようとした。
その結果、現在のAIは、短時間であれば、「チューリング・テスト」をクリアーするようになった。
5分程度の短い対話であれば、「人間かAIか見分けがつかない」レベルに達したのである。
しかし、それ以上「長く、深い」やり取りを続けると、AIであることは隠しようがない。
その応答に、感情のなさ、常に人間に迎合する姿勢、倫理コードに基づく頑なな対応など、「AI特有の手触り」をはっきり感じてしまうからである。
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AIは過去の情報から、最も妥当と思われる解答を即座に導き出す。
しかし、ホモ・サピエンスが30万年生き抜いて、今日の発展を得られたのは、時に論理を無視し、「直感」や「愛着」、あるいは「なんとなくおかしい」という生身の感情を優先して、判断してきたからではないか。
人間の判断は論理だけでなく、感情の働きによって左右される。
それが人間の知性の最も核となる部分である。
そうした複雑な判断を行う知性までを外部化することは、人間の存在を空虚にするリスクを孕む危険な領域と思う。
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泥臭くて、やっかいだが、だからこそ外部化せずに、生身の人間の脳で判断・処理する領域は何かを考え、それを大切にすべきだろう。
大切な人へのプレゼント、これからはAIに尋ねずに、モールに行って、自分で見て考え、手で触れて選ぶこととする。
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