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《短編》Tell me why. (下)

     ふたりで駅の近くまで歩いていき、わたしがコンビニに寄ってカフェオレを手に外へ出てきた時、ショウタは誰かと電話していた。サラリーマンが往来する駅の前でわたしは彼の目の前まで寄り、カフェオレのペットボトルを捻って開けながら彼の口元を見つめた。
    「あ、うん。そう泊まり込みで、全然だよ、心配させてごめんね。うん、予約は取れたからまたお店送るね、うん」
     彼女と電話をしている。彼からかけたわけではなさそうだが、わたしはだんだんと脳の筋の端まで熱くなるのを感じる。しかしそれらは瞬時に冷却されていき、彼には帰る場所があって、わたしはそこに帰るまでの居心地のいい経由地でしかない、とか絶望的な構造を淡白に整理する。カフェオレのひとくちの間に熱してから冷めるまでの処理は終わって、彼の電話が終わるった時、ごめんね聞いちゃって、と何気なく謝るぐらいの余裕ぶりを見せてやった。余裕なんてあるはずないのに。わたしは今すぐショウタに抱きついて、そのまますぐ先の交差点へ一緒に飛び込みたい衝動に駆られる。
    「全然、嫌だったよね。そろそろ行かなきゃ」
    「ショウタって死にたいとか思ったことある?」
     余裕ぶってることにも一瞬で限界がきて、わたしの口からはおかしな質問が飛び出していた。
    「え?」
    「例えばわたしたちが何か自分達の関係性を周りに分からせる行動をするのだとしたら、ひとつに一緒に死ぬとかがあると思うんだけど、そこには関係性を分からせたい以外にも漠然とした世間への諦念とか生きている実感の薄弱さとかが同時にないといけないと思ってて、わたしは割とそとそもひとりそういう弱い感情を抱えてしまうタイプ。ショウタは?」
     ちょっと待ってよシズちゃんどういうこと、とか戸惑ってくれたら、わたしはなんでもないと彼に謝ることができた。疑問はやはり暴力だと思う。わたしは答えなんか期待せずに彼と向き合っている。一緒に死のうなんて思ってくれるはずないし、思ってくれなくていい。だけどショウタは周りの人間を気にせずわたしを撫で、そうだね、と呟いた後、
    「俺はシズちゃんよりもそういう感情は抱えないと思うけど、でもそれは全然健全なことじゃないと思うし、シズちゃんみたいなタイプ、いやシズちゃんだから見えたり分かるものがあったりはするだろうから、なんていうんだろうな」
    「一緒に死ぬとか、ごめん急に」
     わたしはだんだん臆病になっていく。丁寧にしか人と接せないショウタの言葉選びひとつひとつが、わたしの重さをじわじわと分からせてくる。
    「謝んないで。一緒にいられることが尊いし、シズちゃんが大事だよ、死ぬとか今は抜きにして、それだけ分かって? ね?」
     うん、ありがと。わたしがそう言うと、頭を撫でていた手を頬にうつしつつ、化粧のことを気にしてくれているのか控えめに指を這わせただけ。じゃあもう行くね、またすぐ連絡するから。そう言って彼はJRの改札へ向けて歩いていく。少し大きなシルエットのジャケットが春風に揺られている。ビジネス味が強すぎないカジュアルなジャケットやシャツ、パンツでかためられた彼のファッションが好きだ。どこにも角を立てず、誰も警戒させずに生きていこうという、彼のスタンスが感じられる。わたしは静かに彼の後ろ姿を解釈しながら、目線をそのまま足だけ地下へ向けての階段へ動かしていく。また目元に涙がたまるのが分かる。辛い。ショウタの背中を見送る日々がひたすらに辛かった。毎回辛い思いをしている。ショウタと一緒の場所に帰って、ショウタもそこへ「帰る」という感覚を持ってほしい。なんで? ふとわたしの中で、なんで、と言葉が反響する。一緒に死にたいとか、暴力が欲しいとか、そのうえで同じところに帰りたいとか。全部に思う。なんで? わたしの中でひたすら無垢に疑問だけ撒き散らす器官があるかのようだった。痛い、辛い、わたしは内部を血だらけにして、その痛みで涙を流している。ショウタは見えなくなった。わたしも地下に降りていく。分厚い分厚い壁が、わたしと彼を阻む。しかし阻まれるように歩みを進めたのは自分である。

     わたしはあの女と絶縁した今、帰る場所がないのだと気付く。合鍵はまだ持っているのであの女がいない時間帯を狙って部屋に戻り、必要なものだけまとめてから、ショウタにまた連絡して、いつも会う部屋にしばらく居させてもらっていいか聞こうと思った。実質は彼が女を呼ぶために使っている部屋だから、わたしが住み込んでもおそらく問題は発生しないはずだと身勝手に推測する。実家まで戻ってもいいけど、父が私物化している一軒家の中、わたしの居場所などないだろうと思われて、やはりショウタのところへ転がり込むしかないと腹落ちする。じゃあ別に駅前で解散とかしなくてよかったなと思いつつ、女と住んでいた部屋の最寄りに着く。駅から線路沿いにまっすぐ続く歩道を道なりに進み、合鍵を取り出して非常階段の扉を開けて2階まで上がっていく。彼女は普通に平日勤務で東京駅付近にて受付嬢をしている。この時間帯なら普通に仕事をしているはずだ。
     わたしは鍵を開けて部屋に入る。そしてそこには女がいた。おかえり、と呟き笑顔の女。わたしは息が止まり、背中にざわっと鳥肌がたつのを感じる。
    「お昼これからだよね、作るよ」
    「え、カスミ」
    「シズカどうせお腹すかしたら帰ってくるだろうなって思ったの」
     そう言うと彼女はわたしの手を握り、靴を脱がせることもなく部屋の中まで引き上げてくる。わたしは慌てて靴を脱ごうとするが、彼女に引っ張られる中でうまくバランスがとれず、そのまま転倒した。尻もちをつき、そばにあったゴミ箱に激突する。
    「つっ、あ、カスミ、あのね」
    「シズカ、何してるの、起きて、ご飯だからリビングで座って待っててね」
     女はわたしから手を離し、廊下の先へさっさと歩いていってしまい、おそらくキッチンに入った。ダメだ、なんでここに来てしまったんだろう。わたしは腰に痛みを抱えながら、ダメだ、ダメだ、と自分の中で繰り返して、部屋から出ようとドアノブに手を伸ばす。嘘みたいに怖かった。シンプルに怖かった。女の、カスミという女の目は、黒かった。なんの余白もなくて、一切言い訳も説明すらも必要としない、という人がする目だった。わたしはひたすら恐怖を感じる。単純に、殺されると怯えた。体を捻り、ドアノブに手をかけると後ろからドスドスと足音が聞こえてきて、わたしはたまらなく悲鳴をあげる。やだ、ごめんなさい、やだ、やぁ。
    「うるさいよシズカ、ご近所さん迷惑なんだけど」
     後頭部に鈍器のような声がぶつかった。脳が揺れる。怖い。殺される。死にたくない。
    「大丈夫、痛いことしないから」
     わたしは恐る恐る振り返る。女の顔が見えたか見えてないかくらいで、わたしの顔が爆発する。いや違う。わたしの頬に何かぶつかった。硬かった。でも肌の感触もあって、ねぇ覚えてる? と聞かれる。暴力がそこにあった。
    「シズカ、わたしの頬たたきながらエッチするの好きだったよね。わたし、そんなに好きじゃなかったよあれ。痛いのが気持ちいいって、誰もがなると思わないで。これまでの誰かで覚えたのかもしれないけど、同じ気持ちいい事が他でも同じようにできるとか浅く考えてるから、シズカはいつまでもダメなんだよ、いつまでも寂しがり屋のまんまで他責なんだよ」
     玄関の冷たい感触を尻で感じながら女を見る。表情には不気味なほど感情がこもっておらず、黒目は絶対にわたしと前までいた時より大きくなっている。わたしは何も言えず、その目を見つめているしかなかった。綺麗、と思ってしまった。そうだ、綺麗な目がいいなって思って、それで手を伸ばしたんだ、この子に。でもこんなに黒目が大きかったはずない。そんなはずは、はずは。自分の中で何も確信が持てない状況に気付く。わたしは、わたしは。
     首をぐっと掴まれた。わたしのしてきた事を、この女はいますべて踏襲している。正面からではなく、横から頸動脈がゆっくり締められていく感覚が分かる。濡れている。わたしはマンコを濡らしていた。意味がわからない。いや、分からなくない。きっとわたしはずっと興奮してきた。何にも踏み込めずに、勝手に控えめな場所で何も言わずに泣いている自分に、そしてそこに突然やってきてくれる、暴力の種々に、わたしは、わたしはずっと興奮してきたのかもしれない。
    「またあの男のところ行ってたんだね」
    「う、うぇ」
    「いいんだよ、わたし別にシズカが誰とセックスしたって、ぶっちゃけどうでもいいかもって思った。そんなの制限したって意味ない」
    「カス、ミ」
    「呼ばないで。分かったんだよ。わたしはね、シズカをずっと馬鹿にしてきた。昨晩に考えて気付いたよ。冷めた風にツンとしてて、でも内側はネチネチ無駄に情けないこと考えて、結局自分が全部悪いって言いつつ、何もできることはないって諦めるんでしょ。わたし、別にシズカがいなくなってもいいって思ったよ。でも待ってた。だってシズカは、シズカのこと馬鹿にして凌辱してくれる人に囲まれて、どんどん傷つけてもらわないとダメな人なんだよ。それを分かってないからイライラしてた。分かって、ね、ちゃんと自分のこと分かんなきゃ」
     そこまで言って、カスミは首から手を離し、手の甲で乱雑にわたしの頬を張る。歯が全部抜けたんじゃないかというくらいの痛みに思わず悶える。玄関にある靴はわたしのケツによってぐちゃぐちゃに潰れていく。ひぃ、ひぃと泣いてしまう。シンプルだ。わたしはいま、痛くて泣いている。ショウタの後ろ姿とか、誰かを待って寂しく窓にもたれかかる時とか、そういう類のものとは決別させられて、わたしはいまひたすら痛みに泣いている。それは、嫌じゃなかった。
    「ほら、立ちなよ」
     カスミはいつの間にか立ってこちらを見下ろしていた。わたしは、はぁ、ひぃと息混じりに喘ぎながら立ち上がり、背が少し自分より低いカスミの前に、腰を曲げて立つ。次の瞬間カスミはわたしの肩へ手を置き、そのままドアへ押し付けてきた。そして空いた右手で腹をさすってくる。
    「覚えてない? 酔ってる時だったから覚えてないかな。自分が相手にした事しか覚えてなくて、何されたかとか覚えられない?」
     何を聞かれているんだろう。わたしは朦朧としながらボブカットのカスミを視界の中にぼんやりみとめる。何を、覚えているかって。ぐっ、ぐっ、ぐーっ。あ、あ、だめ、おぁっ。声が漏れた。潰される。ぐーっと押されつつゴリッゴリッと、わたしの膣が外から擦られる。シズカ、お腹でいくの好きだよね。わかん、ない。わかんない、から。そう言ったら、また頬を叩かれた。
    「バカだよね、ずっと、バカじゃないの? ホントに何も分かってないし見えてないんだから」
     そうかもしれない。そしてきっと多分、それがいいと思っているかもしれないのだ。わたしはわたしがどうしようもないと、分からせてくれる関係へと帰っていく。なんで、なんでと重ねられていく疑問の鎖は、きっとわたしの体をギチギチに縛って心地よくしてくれていたのだ。答えはいらない。答えを求め続けるだけで、その過程の中で生まれる快楽だけで、わたしはわたしとして生きながらえていく。
     そのままリビングにあるベッドのうえで、カスミはひたすらわたしを犯し続けた。30分ほど経っただろうか。腿の内側が痺れるように痛み、目を薄く開くとカスミの筋肉質な背中が見える。こちらを見ずにわたしの方へ腕を伸ばし、腫れるように勃起した乳首をすこし触って、そのまま上へスライドさせた。首筋のところで指を遊ばせるカスミは、なんでこんなに首とか弱いわけ? と聞いてきた。わたしは自分が喘いでいることに、カスミに媚びていることに気が付かなかった。
    「ねぇシズカ、男に連絡してよ」
     別れろ、と言われるのかと思うと、瞬時に頭の中へ彼の柔らかい笑顔と細い腕で抱かれる感触、セックスの時にかかるあらゆる物理的な重さが思い出されてくる。わたしは、え、ダメと答える。するとカスミは、へぇ、と呟いて立ち上がった。わたしからも手を離し、キュッと上を向いたお尻をこちらに向けたまま、風呂場へ向かっていく。
    「別に別れろとか言わないよ」
    「え、いや、え、なんで」
    「シズカはどうせそういう人でしょ。その男が与えてくれるものは何か知らないけど、別にわたしは女だし、できないこととあるからって、それだけ」
     話しながら彼女は風呂の中に消えてしまう。ベッドから立ち上がり風呂場の方へ少し歩いていくと、クローゼットの前あたりにあるカートのようなカゴにバスタオルがかかっていた。わたしが帰ってくる前からそこにあったようだった。
     わたしはカスミにセックスが下手だなんて言った事がない。でも彼女はわたしが出ていく時、そのことを執拗に気にして言葉をぶつけてきた。今は何か吹っ切れて落ち着いているようだったが、きっと彼女はわたしとセックスすることへ過度な重さをかけて思考してきたに違いない。なぜそうなったのか。なんで、がまた重なる。しかし不思議とその、なんで、は角ばっておらず、わたしへ素直な思考を促してきた。股がまだジンジンする。

    「シズちゃん、もしよかったら今夜も来なよ」
    「なんならずっといてもいいし、俺はあんまり頻繁には帰れないかもしれないけど」
     ショウタからのLINEに既読をつけ、そのまま何も返せずにいた。帰れない、帰る、帰るという述語が海中を漂う藻のように絡まってきて、煩わしく感じた。ショウタはわたしの帰る場所を用意してくれるだろうか。ショウタと帰りたい。ショウタのいるところに帰りたい。ショウタの帰るところと、わたしの帰るところは、同じがいい。今朝まで抱えていたはずの願望をひとつひとつ言葉に落とし込んでいく。どれもが違和感しか生まない。返信が思いつかない。変だ。本当におかしい。ショウタへの返信なんて、嬉しさと衝動性に支配されていた。いっかいセックスしただけで、ショウタというかけがえのなさをつまらなく感じられるほど、わたしは薄情だったろうか。そう聞いたら、カスミなら「そうでしょ」と返してくる。なんだか、思考がどんどん退屈になっていった。
     シャワーの音が聞こえる。水音は止まったり再開したりして、しばらくしたら流れっぱなしの音の連なり。わたしは全裸で寝転がりつつ、その水音を聞きながら少し指先を体に這わせる。胸を下から自分で揉んで、ふぅ、ふぅと途端に声が漏れ出す喉に、おかしくなりつつも指はそのまま乳首までゆっくり伸び、だらしなく刺激を重ね始める。何度かいきそうになるが無意識に止めて、わたしはベッドから立ち上がる。足元にあったタオルを手に取り、リビングを出て暗い廊下の奥、ほのかに明かりのつく浴室のすりガラス付きドアへ向かっていく。
     ミシッ、ミシッと床が鳴る。素敵なデザイナーズマンションだけど木造で、きっとわたしの喘ぎ声は他の部屋に聞こえていた。でもカスミは一向に気にしないようだ。わたしはカスミにあれよあれよと身を委ね、さっきまで何も気にせずベッドのうえでのびていた。そこに何の疑問も抱かなかった。沈むような心地でまどろみと共に眠りそうだったところに、水音はむらつきをもたらして、わたしを風呂場へ向かわせる。疑問も思考も、そこにはなかった。わたしは薄く、水に流される紙ごみのように、脆く不格好にあり続けるのだろう。脱衣所まできて、ガラス張りのドア越しにカスミがいた。わたしに気付いた彼女は怪訝な顔をして、わたしの顔を睨み、そして一瞬わたしの下腹部へ視線をおろし、またすぐ顔を睨んできた。わたしは待つ。何をだろう。なんで、待てばいいと思っているのだろう。いや、何でもいい。何でもいいのだ、もう。


    つぶやき:満足のいかない生活や結果があって、そこに向き合うことの重要性を誰しもが語るけれど、わたしは向き合うということをできずに生きてきた人間だから、現状にどう沼り、溺れるかという方向で考えてしまう。それは考える、と言うにはあまりに粗雑でくだらないものかもしれない。向き合うとか立ち向かうとかケジメとか割り切りとか、角ばった言葉をたくさん持たされる大人の生き方の中、情けなくも緩やかに歩いていくことは叶わぬか、と逃げの姿勢で泣きそうになりながらずっと考えている。その結果で、沼り、溺れるという方向性を否定しすぎずいる、というスタンスが見出せつつある。勉強も、仕事も、向き合うには胆力がいる。そんな力がないとなったら、わたしはそれらに屈服するようにする。勉強に支配されて、仕事に犯されて、つまらなくと幸せ、かもしれなかったり、安定的だけど平坦、だったりといった、劇的さのない日々に組み伏せられて泣くことに、どこか快楽を見つけていく。つまらなくて辛い現実に負かされ、その負けから気持ちよさを得られたら、なんとか死ぬまで保つかもしれない。

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