
エッセイ | 夜の匂いを忘れて
子どもの頃はもっと、夜の匂いとか風の色とかがわかった。
夜、物干し部屋の窓から入り込んでくる風に、胸がざわっとした。
若々しい青竹の香りと、かすかな火薬の匂い。
鼻の奥がひんやりする。嗅覚というのは鼻で感じる触覚のようだ、と思う。
街灯の下に、黒色のフードのある上着を羽織った長身の男が佇んでいて、こちらに向かって手招きしていた。
死神だと思った。
そんな錯覚に襲われた。
ついていってはいけないとわかっていても、ついていきたくなってしまうような。好奇心と恐怖心が同時に押し寄せてくるような。
怖くなって、駆け足で寝室に行き、布団に潜り込んだ。
初秋の風は金色に見えた。
近所に田んぼが多かったからかもしれない。
波打つ金色の稲穂のそばを歩けば、やわらかなお米の香りがした。
田んぼは徐々に埋め立てられ、新たな家がたくさん建てられていった。
それでも秋の初めの風は金色に見えた。
茜色のトンボたちが愉しそうに金色の風に乗って飛んでいた。
空気の微粒子のようなものが見えることもあった。
空気中の細かな粒が絶え間なく流れていた。
人の周りで、それは独特の流れになる。
さらさらと綺麗に身体を縁取るように流れる人もいる。
ゆったりとした流れの人もいる。
ざらざらとしていて、不規則に渦を巻いている人もいる。
流れる速さ、質感、流れの幅、すべてが人それぞれ。
思い返すと、声質や話し方と深く結びついていたような気がする。
僕はそれが「オーラ」というものなのだと思っていた。
今では、もうわからない。
夜の匂いも風の色も、人の周りの空気の流れもわからなくなってしまった。せいぜい高校一年生までだったと思う。
トトロももう見えないだろうし、視界の中で小人が冒険することもない。
大人になるということは、素敵なことなのだろうか。
どうしても、寂しいと思ってしまう。
たべっ子どうぶつをノールックで口に放り込んでいるのに気づいたとき。
ふと寂しくなる。
ブランコを見つけても、恥ずかしさが勝って通り過ぎてしまったとき。
雪が積もっても、ワクワクより面倒さが勝ってしまったとき。
「あけましておめでとう」とは言うものの、果たしてそんなにめでたいことかと思ってしまったとき。
無性に寂しくなる。
昔、どこかで耳にした言葉がある。
無駄を取り除いていけば、いい大人になれる。
成長するということは、無駄をなくしていくことなのだろうか。
「おはよーございます!」と一文字ずつ全力で発音していた子どもたちも、大人になればイヤホンをしながら黙って道を歩いている。
縁石に乗ってバランスをとることも、横断歩道の白い部分だけを歩くこともしない。
落ち着きを手に入れたと言われればそうなんだけど、瑞々しい感性や世界を楽しくする遊び心が失われていくような。
そんな寂しさがある。
今ではもう感じぬ夜の匂いを、ときおり思い出す。
きっと夜は、今もあの頃と同じ匂いをしている。