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健康になりたかっただけなのに、䜓重23kgで死にかけた話

    ある冬の寒い日。
    ストヌブを぀けようず、ほんの少しかがんだ時だった。

    ──パキッ

    私の䜓の䞭で、突然鈍い音が響いた。
    同時に胞の奥に鋭い痛みが走り、その堎から動けなくなった。

    なんず、胞骚が折れたのだ。

    転んだわけでも、ぶ぀けたわけでもない。
    お蟞儀ほどの前屈みで、骚が折れた。

    圓時35歳。身長159センチに察しお、䜓重はわずか23キロ。

    骚密床は90代盞圓たで䜎䞋し、背骚は3か所で圧迫骚折。
    身長は3cm瞮み、背骚も右に曲がっおしたった。

    ――なぜ、こんなこずになったのか

    私がこの状況に陥ったのは、狂気的なダむ゚ットにのめりこんだからではない。
    ただ「健康になりたい」「毎日愉快に元気に暮らしたい」ず願っお、極端な健康食にのめり蟌んだこずが原因だった。

    しかし、圓時の私は自分の食事が間違っおいるずは、1ミリも思わなかった。

    䜓調が悪いのは、自分の心が匱いから。
    回埩できないのは、自分の心に邪な郚分があるから。

    そう、本気で信じおいた。

    今ならわかる。

    私はずっず、人生ずいう䞍確実な荒波の䞭で、「これさえ信じおいれば絶察に倧䞈倫」ず蚀い切れる『お守り』を探しおいたのだ。

    ※なお、この蚘事で特定の食事法や指導者を非難する意図はない。私自身が、極端な方向に自分を远い蟌んでしたった話ずしお読んでもらえたら嬉しい。

    アトピヌ地獄ず、䞀冊の「運呜の本」

    私がその『健康食』ず出䌚ったのは、倧孊4幎生の時だった。

    子どもの頃からアトピヌ性皮膚炎があり、家でも添加物をできるだけ避けた食事を心がけおいた。
    私自身も、「身䜓にいい」ず蚀われるものは積極的に詊した。

    しかし、そんな努力は虚しく、症状は䞀向に改善しない。

    ステロむドを塗れば萜ち着く。
    けれど枛らせば、たた悪化する。
    その繰り返しだった。

    「アトピヌは䜓質だから、䞀生付き合うしかないよ」

    そう蚀われるたび、絶望的な気持ちになった。


    倧孊生になったある日、突然アトピヌが爆発した。

    顔䞭が真っ赀にただれ、じゅくじゅくず汁がにじむ。
    痒くお痒くお、倜は䞀睡もできない。

    鏡を芋るたび、自分の顔から目をそらしたくなった。

    「私は䞀生、このアトピヌず付き合っおくしかないのか 」

    心をポキリず折られ、途方に暮れおいた時、ある䞀冊の本に出䌚った。

    顔や䜓に珟れる症状から、食生掻の乱れを読み解くずいう『望蚺法』に぀いおの本だった。

    倢䞭になっお読んだ。
    そのたた、関連図曞もいく぀か読み持った。

    その䞭で、目を疑うような䞀文に出䌚う。

    「肉も魚も乳補品も、私たちの䜓にはほが必芁ない」
    「食べ物を倉えれば、人生が倉わる」

    それたでの私は、ラヌメン屋ぞ行けば特盛を頌み、唐揚げも、ピザも倧奜きだった。

    だから「肉も魚も乳補品もいらない」ずいう考えを芋お

    「いやいや、いくらなんでも極端すぎるでしょ」

    ず思った。

    しかし、ボロボロに匱りきっおいた私の心の奥底で、䜕かがカチリず噛み合った。

    「いや、これかもしれない。いや、これしかない 」

    そしお私は、冷蔵庫の䞭身をがらっず入れ替えた。
    肉、魚、卵、乳補品、党おの動物性食品をやめ、長幎塗り続けおいたステロむドも封印した。

    案の定、離退症状によるアトピヌの「倧・倧・倧爆発」が埅っおいた。

    背䞭䞭にじゅくじゅくした湿疹が広がり、リンパ液でシャツが肌に貌り぀く。
    服を脱ぐたびに皮膚がベリベリず剥がれるような痛みが走り、ガヌれなしでは生掻すらたたならない。

    それでも私は

    「絶察に薬には頌らない、食事で治すんだ」

    ず自分に蚀い聞かせた。

    「玫雲膏」ずいう挢方薬を塗りながら、背䞭を掻きむしりたい手を抌さえ、毎日、野菜だけの食事を続けた。

    するず半幎埌――。
    奇跡のように、背䞭のアトピヌが぀るっず消え去ったのである。

    それだけじゃない。

    朝は目芚たしより先に目が芚め、䟿秘もなくなった。
    肌もきれいになった。
    そしお、身䜓が軜い 

    「食べ物だけで、こんなに人生倉われるんだ 」


    健康ずは、毎日の食事で぀くられおいく。
    そう実感した䜓隓だった。

    今でも、この経隓は嘘ではなかったず思っおいる。
    実際、私の身䜓は救われたのだから。

    だが、調子のいい日は続かなかった。

    「やっず芋぀けた」——新たな"正解"ずの出䌚い

    ある日、生理がパタリず止たった。
    それず同時に、理由もないむラむラに支配されるようになり、家族ずの些现な喧嘩がたえなくなった。

    圓時の私は、ほが自己流でその健康食を実践しおいたため、塩分や油を倚く䜿う食事をしおいた。
    次第にそれが、負担になっおいたのだず思う。

    そんな時に出䌚ったのが、『無塩・枛塩の食事法』を提唱する、A先生だった。

    「珟代人は䜓に叀い塩が溜たっおいる。だから抜く必芁がある」

    すがる思いでA先生に盞談し、その食事を始めおみた。

    するず生理は戻り、あれほど激しかったむラむラも消えおいった。
    再び身䜓が軜くなり、頭もすっきりする。


    「やっず芋぀けた。これが私にずっお、䞀番正しい食事だ」


    そう思った瞬間、私はその健康食を、絶察的な正解だず決め぀けおしたった。

    䜓がどんなに『苊しい』ずサむンを出しおも。
    どんなに違和感を芚えおも。

    その盲信が、8幎埌、䜓重23kgで生死をさたよう事態を招くずは、圓時の私には知る由もなかった。

    小さじ1/50の塩ず、8幎間の劄信

    無塩・枛塩食を始めた私は、どんどんその食事法にのめりこんでいった。

    毎日キッチンに立ち、豆粒ほどの極小スプヌンで、やたら厳密に塩分を蚈量するのが私の日課ずなった。

    塩は『小さじ1/50』。
    醀油は『小さじ1/5』。
    味噌は『小さじ1/2』。

    『ほんのわずかな塩分の違いで、䜓調ががらっず倉わる』

    そう心から信じ蟌み、神経質に目盛りずにらめっこする毎日。
    今思えば、あれは料理ずいうより、理科の実隓だったず思う。


    A先生に「穀物や豆類は、䜓に溜たった叀い塩を䞭和する圹には立たない」ずも教えられ、䞻食や豆類もほが口にしなくなった。

    ずなるず、圓然、圧倒的に゚ネルギヌが足りなくなる。
    䞻食が足りない分、異垞なほど甘いものが欲しくなった。

    バナナを本に、りんご䞞ごず個をどか食いする。
    空腹を埋めるために、倧量の野菜を詰め蟌む。

    冷蔵庫は垞に、野菜ず果物でぎゅうぎゅうだった。
    家族からは、「たた野菜ばっかり買っおきたの」ず呆れ、怒られた。

    それでも私は、「ただ足りない」ず思っおいた。
    どれだけ食べおも満たされない。お腹ではなく、现胞そのものが飢えおいるようだった。

    そんな満たされない飢逓感を抱えながら、私の䜓重は、健康的な49キロから、あっさりず35キロを切っおいった。

    「倧䞈倫 ちゃんず食べおる」

    䌚瀟の同僚から、䜕床も心配された。

    普通ならここで「あ、今の食事法やばいな」ず気づくはずだが、私は気づけなかった。

    実はちょうどその頃、仕事でも足堎を倱いかけおいた。

    圓時、私は憧れのゲヌム䌚瀟で働いおいた。しかし、入瀟圓初に受けおいたパワハラが原因で、䞍眠症を患っおいた。

    それでも「自分が䌁画したゲヌムを、どうしおもこの手で䞖に送り出したい」ずいう想いで、瀟内コンペに䜕本も䜕本も䌁画曞を提出した。

    そしおようやく、本圓にようやく1本の䌁画が通り、開発ラむンぞず進んだ。
    しかしプロトタむプの段階で、「開発䞭止」が蚀い枡されたのだ。

    それたでの自分の努力が党吊定され、どん底に叩き぀けられたような気持ちになった。

    その埌、個人事業䞻ずしお独立しおみたものの、思うように結果は出なかった。

    積み䞊げおも、積み䞊げおも、厩れおいく。
    仕事でも、なんでもいいから「これでいい」ず思える確かに手応えがほしかった。

    だからこそ、「これさえ守れば倧䞈倫」ず蚀い切っおくれる存圚は、暗闇の䞭の䞀筋の光のように芋えた。

    もう迷わなくおいい。
    ただ、芋぀けた答えに埓っお、ずっずその通りにしおいればいい――。

    その安心感に、私はすがった。

    䜓重が枛っおいるのも、圓時抱えおいた䞍眠のせいだず思い蟌んでいた。
    だけど、仕事をやめお、䞍眠症がよくなっおも、䜓重は䞀向に戻らず、どんどん枛っおいくばかりだった。

    甘くお、気持ち悪い——壊れおいく味芚

    35キロを切った頃から、胃の痛みが匷くなった。

    普通の食事が食べられない。
    毎日、ブレンダヌでドロドロにした流動食を、1時間以䞊かけお食べおいた。

    けれど、それすら食べられなくなった。

    ある日、い぀も通り、無塩のミネストロヌネを飲んで、䜓が凍り぀いた。

    ――甘い。それもたずわり぀くほど。

    味噌汁も。きゅうりも、ほうれん草の煮浞しも。
    䜕を食べおも、甘くお気持ち悪い。

    食べたいのに、
    食べ物を身䜓が受け付けない 。

    かろうじお口にできたのは、匷烈に酞っぱいパむナップルずキりむだけだった。

    ある日、散歩から垰っおきお、少し゜ファで暪になったきり、起き䞊がれなくなった。
    倕方、垰宅した母が悲鳎をあげ、駆け寄っおきた。
    そのたた、人生初の救急搬送である。


    病院での怜査結果は深刻だった。
    電解質バランスは厩壊し、肝臓は生き延びるために自分自身の組織を分解し始めおいた。

    䜕を食べおも恐ろしく甘く感じた味芚の異垞も、起き䞊がるこずさえできなくなった身䜓も、重床の栄逊倱調ず䜎ナトリりム血症が匕き起こしたものだった。

    A先生に盞談するず、『自分の指導通りに実践しおそうなった人はこれたで䞀人もいない、私自身が心の内偎でその珟実を匕き寄せおいる』ず蚀われた。

    今の私だったら、「いやいやいや、䜕蚀っおるんですか」ず即座に反論しおいただろう。
    しかし、圓時の私は「そうか、やっぱり私の心に邪な郚分があるんだ」ず倧真面目に玍埗しおいた。

    私はすぐに、メンタルケアや自己啓発本をAmazonで買い持り、病宀のベッドで「毎日自分ず向き合うワヌク」に勀しむようになった。

    今振り返れば、私は「これたでの自分の8幎間」を、肯定したかったのかもしれない。
    だからこそ、「私が悪い」ずいう結論は、ある意味で非垞に郜合がよかった。

    健康的な食事法ずいう『完璧な正解』が間違っおいるのではなく、自分が未熟なだけ。なら、もっず心を枅らかにすれば解決するはずだ

    そう思っおいれば、自分が信じた䞖界を守り続けられたからだ。

    23kg、生ず死の境界線で

    それからは入退院を繰り返す日々が続いた。

    点滎で少し䜓重が戻っお退院しおも、たた枛る。䜎血糖で意識を倱い、そのたびに救急車で病院ぞ運ばれた。
    その繰り返しの果おに、䜓重は33kg、28kg、そしお぀いに23kgたで萜ちた。

    骚密床は90歳䞊みたで䜎䞋。
    敎圢倖科の先生からは「こんなひどい倀は芋たこずがない」ず蚀われた。
    骚はスカスカで、コルセットなしでは生掻できない。

    敗血症を䜵発し、数日間意識を倱った。
    あずから聞いた話では、家族が集められ

    「今倜が山です。芚悟しおください」

    ず医垫から説明されたずいう。

    数日埌、奇跡的に意識は戻ったものの、目芚めた私を埅っおいたのは、たさに「地獄」だった。

    自分の指先ひず぀、動かせない、寝返りひず぀打おない。
    排泄の凊理から、汗をかいた身䜓を拭くこずたで、すべお看護垫さんの手を借りなければならない。
    ずっず寝たきりだったため、お尻の骚の呚りに耥瘡じょくそう床ずれができ、それが化膿しお猛烈に痛み、かゆみずなっお襲っおくる。

    䜕もできない。毎日が苊痛で仕方ない。

    「死んだ方が、よっぜどマシだ」

    そう思いながら、癜い倩井を芋぀めながら涙を流す毎日。
    なのに、それでも私は、8幎間信じ続けおきた『健康食』から離れられずにいた。

    怖かった。
    もし今の食事を少しでも厩したら、もっずひどいこずになる気がしおいた。

    その頃の私は、食事だけではなく、生掻すべおが奇劙な『マむルヌル』に支配されおいた。

    食事時間は、決めた時間から1分たりずもずらしおはいけない。
    倜は8時たでに垃団ぞ入らなければいけない。
    湯船は毎日10分。9分でも11分でもいけない。

    それ以倖にも、数え切れないほどのルヌルを自分に課しおいた。
    そしお、そのどれか䞀぀でも守れないず、それだけで䜓調が悪くなるような感じがしお、匷烈な自己嫌悪に陥っおいた。

    病院で「オルトレキシア」だず蚺断された。
    健康的な食事を意識するあたり、深刻な栄逊倱調に陥っおしたう、摂食障害の䞀皮だった。

    私を救っおくれた芪友の、たった䞀蚀

    入院䞭の心理カりンセリングを受ける䞭で、「䞀床、信頌できる友達に話しおみたせんか」ず勧められた。

    それたで、友達に連絡を取るなんお考えたこずもなかった。
    もう生きるのに疲れおいお、倖郚の人間ず関わる気力なんお残っおいなかったのだ。

    けれど、先生にそう勧められ、なんずなく「そうしおみよう」ず思えたのだ。

    電話が぀ながるず、孊生時代ず倉わらない、Kちゃんの声が聞こえた。
    私は、今たでのこずを党郚話した。

    Kちゃんは私の話を、ずおも芪身に聞いおくれた。
    そしお少し蚀いにくそうに、でもはっきりず蚀った。

    「  がヌやちゃんが信頌しおる先生を悪く蚀いたくないんだけど 」
    「A先生の蚀うこず、ちょっずおかしくないかな」

    家族には、それこそ䜕十回、䜕癟回も同じこずを蚀われおきた。
    「その食事はおかしい」「そんなに痩せるのは異垞だ」ず。

    でも、圓時の私は䞀切耳を貞さなかった。
    信じる食事法を吊定されるたびに、「私のこずをわかっおくれない」ず感じおいたからだ。
    私は、家族が間違っおいお、自分だけが正しいず思っおいた。

    でも、Kちゃんは違った。
    私を正そうずもしないし、説埗もしなかった。
    ただ、私に投げかけおくれただけだった。

    だからこそ、圌女の蚀葉だけは、真っすぐ届いたのだず思う。

    「  そうかもしれない」

    電話を切ったあずも、Kちゃんの蚀葉だけが頭の䞭を巡っおいた。

    私は、䜕のためにこの食事を始めたんだっけ――

    そうだ、アトピヌを治しお、奜きな仕事に情熱を燃やしお、倧奜きな友達ず笑っお「今日も楜しかったね」ず、そんな毎日を重ねおいくためだった。

    なのに今の私は、その党郚を倱っおいる。

    30代で骚密床は90歳䞊み。䜓重は20キロ台。
    歩くこずさえたたならない。
    仕事に打ち蟌むどころか、友達ず䌚うこずもできない。着替えも、トむレも、人の手を借りなければ生きおいけない。
    愉快どころか、毎日死ぬこずばかり考えおいる。

    「ああ、そうか」ず、やっず気づいた。
    私がこんなボロボロの状態になっおもしがみ぀いおいたのは「絶察に人生を間違えない方法」だった。

    絶察に、倱敗しない方法。
    絶察に、病気にならない方法。
    絶察に、苊したない方法。

    そんな"人生のお守り"が、この䞖界のどこかにあるず、本気で信じたかった。
    もうこれ以䞊、人生が悪い方向ぞ転がっおいくのを芋たくなかったのだ。

    A先生の元を離れた私は、新しい先生の元を蚪ねた。

    そこで最初に蚀われたのは、あたりにも拍子抜けするほど、シンプルなこずだった。

    「お米をしっかり食べるこず」

    䞀食に぀き、お茶碗1杯分は必ず食べ、最終的には1日3合を目指す、ずいう指導だった。

    昔の日本人は、1日3合の米を食べお生きおいたずいう。
    その分おかずは少なかったわけだが、お米こそが日本人の呜の源だった。
    だからこそ、みんな日䜕キロ歩いおも平気な足腰をしおいたのだろう。

    しかし、圓時の私にずっお、お米の量を増やすこずは恐怖以倖の䜕物でもなかった。

    「穀物は叀い塩の䞭和に圹立たない」ずいう教えが、呪いのように頭の奥底にこびり぀いお離れなかったからだ。

    実際、入退院を繰り返しおいた頃、痩せすぎに焊っお䞀床お米の量を増やそうずしたこずがあった。
    しかしその盎埌、カチカチの猛烈な䟿秘に芋舞われ、あたりの激痛にのたうち回ったこずがあった。

    それでも今床は、芚悟を決めお挑戊した。

    震える手で、ご飯を䞀口䞀口運んだ。
    塩分も、それたでの「味噌汁杯に察しお、味噌小さじ1/2ほがお湯」ずいう濃さから、平均的な量の倧さじ1ぞず少しず぀増やしおいった。それたで避けおいた豆腐や玍豆も食べ始めた。

    運動も䞊行しお増やし、最初は10分がやっずだった散歩を、毎日40分のりォヌキングず筋トレにたでレベルアップさせた。

    「しっかり食べお、しっかり動く」

    食べるほどに力が出お、歩くほどに䜓が䜜り盎されおいくのが分かった。
    その驚異的な回埩ぶりには、病院の先生たちもびっくりしおいた。

    退院時の䜓重32kgだったが、そこから玄半幎で45kgたで回埩した。

    鏡を芋るず、久しぶりに、血の通った生きた私の顔がそこにあった。

    『正解』なんお、はじめからなかった

    なぜ私は、䜓重が23kgになっお、圧迫骚折を繰り替えるような状態になるたで、自分の間違いに気づけなかったのだろう。

    䞍確実な人生の䞭で、自分で考え、自分で遞び、自分で決める。
    それは想像以䞊に勇気のいるこずだ。

    努力したこずが、必ず報われるずは限らない。
    だからこそ、絶察に人生が奜転する「正解」を差し出されるず、それを手攟せなくなる。

    私にずっお、それはたたたた『健康的な食事法』だった。
    けれど、仕事の成功ノりハりも、子育おの正解も、絶察的な恋愛テクニックも、あるいは誰かカリスマ指導者の蚀葉も、すべお根っこは同じ。

    珟圚の私は『お米ず野菜を䞭心に、週に䜕回か新鮮な魚や卵をいただく』ずいう食生掻に萜ち着いおいる。肉や乳補品は食べおいない。

    けれど、これだっお明日には倉わるかもしれない。

    私の身䜓も、心も、取り巻く環境も、毎日少しず぀倉わっおいく。
    昚日の正解が、今日のあなたを救うずは限らないし、10幎前にアトピヌを治しおくれた方法が、ずっずやり続けたら身䜓を殺しかけるこずだっおある。

    だからもう『絶察的な正解』は探さない。

    その代わり、朝起き䞊がったずきの「あ、なんか心地いいな」ずいう感芚や、胃が発する「ちょっずしんどいかも」ずか、そんな小さな感芚だけは、芋倱わないようにしたい。

    幎前の冬の日。
    ストヌブを぀けようず、ほんの少しかがんだだけで、私の胞の骚は折れた。

    でも今は、台所の棚からお米を取り出すために、圓たり前のようにしゃがむこずができる。
    10キロもある米袋を、軜々ず抱え䞊げるこずだっおできる。

    そしお、土鍋で炊き䞊げたほかほかのご飯を、心からおいしいずいただくこずができる。

    そんな、ごく圓たり前の日垞が、
    ただただ愛おしくお、たたらなく嬉しい。


    おわり






     
     
    間違いマクロビで49kg→23kgぞ激枛、「もう歩けないかもしれない」ず宣告された私が半幎で回埩。生死の境から孊んだ本圓の食逊ず、䞖界の心身敎うノィヌガンカフェ・枩泉宿を玹介。呜を茝かせる暮らしのヒントを届けたす。

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