
『霊柩車の中で、人は本音を話す』第十話
『霊柩車の中で、人は本音を話す』
第十話 霊柩車に乗っていたのは
あらすじ
ある日、深見たかしのもとに奇妙な依頼が入る。
「自分の葬儀を、生きているうちに見届けたい」
依頼主は、余命を宣告された男だった。
だがその男は言う。
「死んだあとでは遅い。本音を聞きたいのは、今なんだ」と。
疑似葬儀という形で始まった“見送り”。
家族や関係者が集まり、それぞれが言葉を口にする。
だがその中で、誰も知らなかった“本当の関係”が明らかになっていく。
そして最後、霊柩車に乗っていたのは――
第十話 霊柩車に乗っていたのは
本文
その電話は、静かだった。
怒っているわけでも、焦っているわけでもない。
ただ、決まったことを伝えるような声だった。
「自分の葬儀を、お願いできますか」
深見たかしは、一瞬だけ言葉を失った。
「……ご本人様の、ですか」
「はい」
間違いではないらしい。
「亡くなったあとではなく」
「今、生きているうちに」
淡々とした口調だった。
「理由をお聞きしてもよろしいですか」
少しだけ沈黙があった。
「余命を言われました」
短い言葉だった。
「半年、もつかどうか」
深見は、何も言わなかった。
「死んだあとのことは、どうでもいいんです」
男は続ける。
「でも、生きているうちに、一度だけ見てみたい」
何を、と聞く前に、男は言った。
「自分が死んだとき、誰が何を言うのか」
名前は、柏木誠司。六十二歳。
元は中小企業の経営者。現在は引退している。
打ち合わせで会った柏木は、思っていたより普通の人だった。
痩せてはいるが、弱っているようには見えない。
目もしっかりしている。
「冗談に聞こえますよね」
柏木は少し笑った。
「正直に言うと、はい」
深見も隠さなかった。
「でも、冗談じゃないんです」
その言い方で、空気が変わる。
「私は、人生のほとんどを仕事に使いました」
「家族も、社員も、守ってきたつもりです」
少し間があく。
「でも、それが本当だったのか、自信がない」
深見は黙って聞く。
「人は、死んだ人間には優しくなります」
柏木は言う。
「だから、葬儀で聞こえてくる言葉は、本当じゃない」
その目は、静かだった。
「だから、生きているうちに見たいんです」
「本音を」
葬儀は「模擬」という形で行うことになった。
家族には説明済みだという。
ただし、参列者には伝えない。
「本当に死んだと思って来る人の言葉だけ、聞きたいんです」
深見は、一度だけ考えた。
倫理的に正しいかどうか。
それを判断する立場ではない。
だが、この男は本気だった。
「お受けします」
そう答えた。
式は、実際の葬儀と同じ形で整えられた。
遺影も用意された。
棺もある。
ただ一つ違うのは、その棺の中に――
柏木本人が横たわっていることだった。
「意外と、落ち着くものですね」
棺の中で、柏木は言った。
「暗くないですか」
「少し。でも、悪くない」
深見は、蓋を閉める前に一度だけ確認した。
「途中で中断も可能です」
「最後までやります」
その目に、迷いはなかった。
蓋が閉まる。
光が消える。
式が始まる。
参列者が集まる。
社員。
元部下。
取引先。
親族。
誰もが、本物の葬儀だと思っている。
読経が流れる。
焼香が始まる。
最初に涙を流したのは、妻だった。
「あなた……」
声が震える。
「もっと、話したいことあったのに」
その言葉に、棺の中の柏木の指が、わずかに動いた。
誰にも見えないほど、小さく。
次に、長男が前に出る。
「正直に言います」
声は固かった。
「父は、怖い人でした」
ざわめきが走る。
「家ではほとんど話さないし、何を考えてるかわからない」
棺の中の柏木の呼吸が、わずかに乱れる。
「でも」
長男は続ける。
「仕事ではすごい人だったと思います」
そこで言葉を止める。
「ただ」
少しだけ、目を伏せる。
「一度くらい、ちゃんと父親として話してみたかったです」
その言葉が、棺の中に落ちる。
元部下が続く。
「社長には、正直かなり厳しくされました」
苦笑する。
「でも、あの人がいなかったら、今の自分はないです」
そこで、少し声が低くなる。
「ただ……」
間。
「もう少し、人の話を聞いてくれてもよかったかなって思います」
笑いが少し起きる。
だが、その笑いは軽くなかった。
次に、一人の女性が前に出た。
深見は、その人に見覚えがなかった。
親族でも、社員でもない。
だが、その目だけは、どこか強かった。
女性は、棺の前で止まる。
「ずるいですね」
その一言で、空気が凍る。
「こんな形で逃げるなんて」
誰も動けない。
「私は、最後まで言えなかったのに」
棺の中の柏木の目が、閉じたまま揺れる。
「あなたがいなくなって、やっと言えるなんて」
声が震える。
「最低ですよ」
涙が落ちる。
「でも」
息を吸う。
「好きでした」
会場が静まり返る。
「ずっと」
その言葉は、誰にも向けられていなかった。
棺の中で、柏木の頬に涙が流れていた。
蓋の内側に、静かに落ちる。
式が終わる。
出棺の時間。
棺が運ばれる。
霊柩車に乗せられる。
深見は、運転席に座る。
後部座席には、棺。
そして――
誰もいないはずだった。
だが。
「……聞こえましたか」
後ろから、声がした。
深見は、ゆっくりとミラーを見る。
棺の蓋は、閉じたまま。
だが、その向こうから、確かに声がする。
「全部、聞こえました」
深見は、何も言わない。
「……あんなこと、思ってたんですね」
小さな笑い。
「知らなかった」
少し間。
「いや、見てなかっただけか」
車は、静かに走る。
「やり直せますかね」
その問いに、深見は答えない。
答えられない。
「もう遅いですかね」
信号が赤になる。
車が止まる。
深見は、初めて口を開いた。
「……今なら、まだ間に合うかもしれません」
沈黙。
次の瞬間。
後ろの気配が、消えた。
ミラーを見る。
棺は、ただそこにあるだけだった。
火葬場に着く。
スタッフが棺を運び出す。
蓋が開けられる。
中には――
誰もいなかった。
深見は、何も言わなかった。
ただ、静かにその場を見ていた。
事務所に戻る。
ヒトミがいた。
「おかえり」
「ただいま」
「今日は?」
少し間。
深見は言う。
「……まだ、終わってない話やった」
ヒトミは首をかしげる。
「どういうこと?」
深見は、少しだけ笑った。
「たぶん、これから始まる」
外は、もう暗い。
どこかで、霊柩車のエンジン音がした気がした。
誰かを乗せて。
これから、どこかへ向かう音が。
📝作車 深野剛(ふかのたかし)
一般社団法人くおん 代表理事