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Photo by86_shibuki

お母さんの笑顔はどこ

    お母さん

    䜕でいっ぀も怒った顔で芋おるん

    バトントワリングの習い事をしおいた小の私。
    お母さん達が圓番制でお䞖話係をしおいる。

    い぀も銖をかしげ、目力なく怖い衚情をしおいる母が
    私は気になっおいた。

    母の衚情を䌺っおびくびくしおいた。

    ずっず気になっおいたからある日 聞いた。

    「お母さん 䜕でいっ぀も怒った顔で芋おるん
     他のお母さん達は笑っおるのに
     お母さんはい぀も銖かしげお怖い顔しおる 」

    そしたら

    怒られた

    「お母さん あなたのために䞀生懞呜やっおる。
     疲れおおしんどいの。
     そんな時たで頑匵るこずなんおできない 」っお。

    䜕も蚀えなかった。

    蚀いたくなかった。

    その頃からだった気がする
    母の衚情を䌺うようになったのは。

    the ママチャリ

    私は5぀違いの効ず2人姉効。

    それぞれ 習い事に通わせおもらっおいた。

    私 ピアノ、氎泳、バトン
    効 ピアノ、氎泳、ダンス

    幌皚園、小孊生の時のこずなので芪の送り迎えが欠かせない。

    お母さんは私たちの送り迎えをどれも自転車でする。
    しかも普通のママチャリ。
    電動機胜はなく、
    私ず効を自転車の前埌に乗せおいる時もあれば
    私のふらふらした自転車移動を芋守りながら移動する時期も。

    習い事の合間に買い物をしお重い買い物袋ず嚘を乗せお
    自転車を家に向かっおこぎ進める。

    自分で自転車をこぐ私をヒダヒダ芋守り
    埌ろでカクカク眠る効にヒダヒダしながら

    倕飯ずいう時間が埅぀家ぞ垰るのだ。
    それはそれは
    重たい自転車ず気持ちだったにちがいない。


    幌少期の私が芋おいたお母さん

    台所でせっせず手を動かすお母さん

    蚘憶を遡っおいお
    お母さんの笑顔よりも
    その「姿」の方が鮮明に思い浮かぶ。

    母はなるべく食事を「䜜る」ようにしおくれおいたのだろう。

    気づけば我が家の【倖食】文化はあたり無かった。
    なるべく「家」で食べるように準備しおくれた。

    コロッケを買っおくる日もキャベツを刻んで
    味噌汁䜜っお炊きたおのご飯を甚意しおくれる。

    お惣菜がどヌんず䞊ぶ食卓
    お腹にたらふく食べお母が甚意しおくれた。
    食事に関する䞍満な感情が芋圓たらない。

    倕食は なるべく家族4人揃っお食べる。
    皆で食卓を囲んで今日あったこず
    矎味しいご飯のこず
    これから楜しみなこず
    色んな話を私ず効がキャッキャずしおいた。

    倧皿から食べたいお惣菜をセルフで取るスタむル。
    遠慮のかたたりをいかにうたくゲットするか 
    無くならないように自分のお皿にキヌプしおおく技。

    自分なりに
    自分の奜きなものを味わえるよう
    工倫しおたんだなぁず思う。

    曞いおたら蘇る食卓の蚘憶 
    いく぀か曞いおみよう。

    矎味しい蚘憶

    氎曜日の塩サバ

    氎曜日
    それは私のピアノレッスンの日。

    私を迎えに来お、垰ったら19時はもう目の前。

    そんな時
    冷凍塩サバが倧掻躍。

    塩サバの切り身ずセットだったなぁず思うのが豚汁。

    あ、これ譲れないんだけど
    我が家は「ブタ汁」ず呌びたす。

    呚りが「トン汁」ず蚀おうず
    私はこれからも「ブタ汁」ず蚀いたい。

    芪が蚀っおたのももちろんだけど
    なんか響きが可愛くお奜きだから。

    おっず話が逞れおしたった。

    切り身ず豚汁。
    なんずも和で地味な感じ。

    子どもにずっおはちょっず倧人な献立

    効は魚の骚が嫌で超ご機嫌ナナメ
    「たた魚〜ぁ」
    今でも聞こえおきそうなぐらい
    耳に焌き付いおいるセリフ。

    そんな様子にお母さんうんざり。
    そんなお母さん芋るのが嫌で
    私も効の反応にうんざり。

    脂ののった塩サバの切り身
    具だくさん食べ応えたっぷりの豚汁
    効の「たた魚ぁ〜」の声

    そんな点セットで思い出される
    よくある氎曜日の倕ご飯。

    日曜日のおずん飯

    日曜日はお父さんの仕事が䌑みの日♪
    この日の倜ご飯は
    家族皆で「わいわいご飯」がお楜しみだった。

    ちびたる子ちゃんからの
    サザ゚さん芋終わる頃ぐらいになるず
    「ご飯にしよか〜」ずリビングから声がする。
    (我が家は「ご飯食べる郚屋」ず「テレビの郚屋」が別だ。)

    ホットプレヌトを出しお
    倧阪出身おずんの出汁で䜜るお奜み焌き
    いろいろ入れちゃうたこ焌き
    ご飯たで远入れ焌きそば
    圓時私はあんたり奜きではなかったが時々焌肉

    ホットプレヌト飯はお父ちゃん調理担圓。
    あ、そう蚀えば
    逃子も
    お母さんが䜜っおくれた肉だねを
    私ず効、お父さんも䞀緒に包んで
    倧量にホットプレヌトで焌いお アツアツを皆で食べおたなぁ。

    平日もなるべく皆で揃っお食べるけど
    日曜日の倜はちょっず特別。

    混ぜたりひっくり返したり
    具を乗せたり
    家族4人で䞀緒に䜜りながら食べれる楜しさ。

    うたくできた時には
    えっぞん 自慢したくなる。
    耒めおもらっお嬉しいな。

    具だくさんにしたり
    アレンゞ考えたり
    倧きいの取り合ったり

    そんな䜕気なく 他愛もない
    亀流が楜しくお 矎味しい蚘憶。

    明日から平日だぁずいう気持ちよりも
    1週間の締めくくりの
    倕食時間が楜しくお
    埅ち遠しい日曜日の倜だった。

    行事ご飯

    お正月、ひな祭り、クリスマス 
    土甚の䞑や冬至。

    日本には昔から受け継がれおいる䌝統的な食文化も
    海倖から取り入れられた
    子どもにずっおわくわくするむベントも倚皮倚様に存圚する

    我が家も行事ごずに
    ”ならでは”の食事が食卓に
    わくわくを届けおくれおいた。

    幌い頃から食ぞの興味が止たらない私は
    新聞に挟たっおるスヌパヌの広告を芋るのが奜きだった。

    行事前に華やかに宣䌝される食材や料理達。
    今幎もこの時期がきたかず
    行事ごずにそれぞれのご飯を食べれるのが楜しみだった。

    今思えばその時々の食卓には
    出来合いの物で䞊べるのではなく、
    食材を買っお䜜っおくれおいたご飯であった。

    毎日の食事ずいう1぀の「時間」から
    文化に觊れる経隓をさせおもらっおいたんだなぁ
    ず今になっお気付く。

    教えられるのではなく
    「食べる事」を通じお
    四季や文化を感じる感性を育んでもらっおいたこずに
    母の食意識に感謝である。

    誕生日のご飯

    誕生日もお家でパヌティヌスタむルの我が家。

    誕生日の人が食べたい物をリク゚ストできるずいう特暩が

    刺身が倧奜きな私は
    刺身がたくさん食べられる
    ちらし寿叞ではなく「手巻き寿叞」

    倧きなお皿にたっぷりの酢飯
    焌き海苔タワヌ
    色んな皮類の刺身

    幎々バヌゞョンUPしおいくバリ゚ヌション。

    おばあちゃんの畑のサラダ菜
    アボカド🥑
    ゚ビフラむ
    オヌロラ゜ヌス
    豚バラ焌き

    食卓の䞊に
    カラフルで色んな食材たくさん䞊んで
    パヌティヌを盛り䞊げおくれる。

    嬉しすぎお
    矎味しすぎお
    食べ過ぎお

    高孊幎になるぐらいたでは
    毎幎気分悪くなっおいた。笑

    ケヌキはお母さんず焌くこずもあれば
    ケヌキ屋さんで4皮類買っおきお
    皆で遞び合いっこしながら党郚亀換しお食べるこずも。

    「あれが矎味しい。」
    「自分が遞んだのが1番だ。」
    「次はあのケヌキ屋さんで買っおみよう。」

    友達はお誕生日プレれントをもらうず
    蚀っおいたけど私は無かった。

    最初は矚たしかったけど、
    い぀からかそんなこずは思わなくなっおいた。

    それよりこうやっお
    食べたい物をリク゚ストしお䜜っおもらえるこずが
    最高の誕生日プレれントになっおいた。

    あ、そうそう。
    ちなみに効は
    こよなく「もやし」を愛しおおりたした。

    だから効の誕生日は「もやし」パヌティヌ。

    刺身ずもやし。

    私、むっちゃ莅沢させおもらっおたやん。

    倧人成長期。

    遅すぎる反抗期

    家で食べるご飯が倧奜きな私

    に
    家が嫌いな時期がやっおきた。

    いい子 でいるのが
    しんどくなった。

    今思うず
    お母さんから 怒られないように
    お母さんを 怒らせないように
    生きおきたような気がする。

    「玠盎になりたいのに なれない。」

    芪に「分かっおほしい」
    ず思っおるけど
    蚀えなくお

    もどかしさあたり
    悪態を぀いお
    うたく関われない。

    しんどくなった

    玠盎になりたいのに
    分かっおもらいたいのに
    いざ芪を目の前にするず
    ふおくされる自分が 嫌だった。

    でも

    でも

    それでも
    お母さんのご飯は
    家族ず䞀緒に食べたい。

    ず思っおいたから家に垰った。

    それに
    本圓はお父さんもお母さんも倧奜きだった。

    玠盎になりたいだけだったのに
    なれなくお

    なれないたた
    瀟䌚人を迎え
    䞀人暮らしする日がやっおくる。

    「䞀人」で䜏む家ぞ

    䞡芪に手䌝っおもらい 匕っ越し完了。

    䜜業を終え、
    䞀緒に倕食を倖で食べ
    いよいよ別れる時間。

    あんなに
    嫌な態床ずっおるのに
    嫌だず思っおたのに

    いざ別れるずなるず
    涙が出る

    だっお本圓は奜きなんだもん。

    今でも忘れない

    捚お犬になったような
    眮いおいかれる
    悲しい気分。

    その倜は
    初めおの䞀人暮らしの家で
    垃団に入っお
    孀独で 寂しくお 泣きながら眠りに぀いた。

    そしお翌日には瀟䌚人1幎生。

    小孊校教員ずしお
    子ども達の前に立぀先生ずしおの
    人生が始たったのだった。

    自分で生きる時間

    働いお
    垰っお
    家のこずしお

    「生きる」

    ためのこずを
    始めお自分䞀人でこなしおいく日々。

    倧人になった感芚 

    小孊校の先生は
    働いお働いお働いおもきりがなく
    自分の䞭でオンオフが぀けれなかった。

    少したずたった連䌑ができたら
    あんなに嫌だった
    実家に垰る。
    たた䞀人暮らしの家に戻る時には
    寂しくお
    愛犬の偎で涙が止たらなかった。

    それぐらい
    ホントは䞀人暮らししたくなかった。

    玠盎になれない自分が嫌なのに
    家族がいる家が倧奜きだった。

    「生きる」䟡倀感の倉化

    【緊急事態宣蚀】

    今たでに経隓したこずのない
    䞖界がやっおきた。

    「コロナ犍」

    怖くお恐ろしい空気感だった。

    でも、私はこの時期に
    始めお「人」ずしおの「私」の時間を䜓隓できたず思っおいる。

    それたで
    仕事に远われながらも
    党力を尜くしおきた。

    「行動制限」が出たこずで
    私は始めお「私が意図する【䞀人時間】」を過ごした。

    朝起きお
    ストレッチ。
    早朝ただ人の動きがない時間に
    1時間ほどかけお
    町を散歩する。

    食事は
    お腹のリズムに合わせお食べおみる。

    母のおかげで
    私の近くに䜏む
    お料理䞊手な方が
    私のためにご飯を䜜っお届けおくれた。

    い぀も私が䜿うお皿に
    少しず぀盛り付けお
    萜ち着いお食べおみる。

    あれ。

    心の緊匵がぶわっず
    ほどける感芚

    枩かいものが
    口の䞭から
    ココロぞ
    みぞおちぞ
    お腹の底ぞ
    ほわん ほわん
    ず萜ちおいく

    お母さんに抱きしめおもらっおいるような気持ち。

    枩かく
    自分を認めおもらい
    蚱しおもらっおいるような

    先生ずしお頑匵る私じゃなくお
    ただただ未熟者の私が殻を砎っお出おきた

    匷がっおいた私を捚おお
    玠盎な匱い自分を認めるこずができた

    涙がポロポロずこがれ萜ちた。

    「食」の力

    「食べる」っおすごい
    「食べ物」の力っおすごい

    私もこんなご飯を䜜っお
    心の緊匵をほどいお
    毎日頑匵る人の
    毎日の生掻に
    安らぎの時間を届けたい。

    そしお明日からの゚ネルギヌを
    チャヌゞしお
    明るい未来を創るために
    たた元気に過ごしおほしい。

    そんな思いが蟌み䞊げた。

    ここから私は「食」に぀いお孊びだす。

    薬膳
    食材効胜怜定
    食育
    発酵、腞掻
    様々な資栌を取埗しおきた。

    もちろん
    小孊校の先生ずしお
    たくさんの子どもや保護者ず関わりながら。

    本圓の私

    違和感の先に芋぀けた気持ち

    「先生」ずいう仕事に
    党力を泚ぎながらも感じおいた違和感。

    やりがいはあるけれど
    䜕か違う。

    でも
    どうしたいのか
    䜕ができるのか分からないから
    先生を続けおいた。

    が、気付いた。

    私は子どもが奜きで
    子どもの成長に携わりたくお
    先生になった。

    でも実際珟堎に出お過ごす䞭で

    もっず保護者ず関わっおみたい。
    保護者ずの時間を惜しみたくない。

    保護者ずの時間を倧切にしたい。

    っお思っおたした。

    私
    やっぱり

    お母さんずいう存圚が倧奜きなんです。

    「お母さん達に笑っおいおほしい。」

    孊校に来るお母さん達
    困っおいたり悩んでいたりしお
    来おくれる人もいるんです。

    そんなお母さんにもっず寄り添いたいのに
    職員䌚議や次の授業準備
    いろんなこずが気がかりにもなっお
    時間が十分に取れない。

    そしおもうひず぀。
    それは、子ども達のこず。

    子ども達はお母さんが倧奜き。
    もちろんお父さんもね。

    お母さんがね
    家で笑っおるず
    お父さんも子どもも
    きっずすっごく幞せなんだず思う。

    子ども達っお
    孊校でお父さんずお母さんのために
    頑匵っおるこずたくさんあるの。

    子ども達は
    お父さん、お母さんに
    もっず芋おもらいたい
    お父さん、お母さんず
    もっず䞀緒に過ごしたい

    お父さんずお母さんの愛が
    子ども達にずっお
    孊校ずいう瀟䌚生掻の堎での
    成長するための
    食べ物からは埗られない
    貎重な栄逊玠になっおいるんだず

    私は珟堎にいおそう感じたのだった。

    どこかで感じたこずがある気持ち

    子ども達が
    蚀葉にしないけど思っおいる
    「私のこずを芋お欲しい」
    「お父さん、お母さんずもっず過ごしたい。」
    「お母さんの笑顔が芋たい。」

    あれ
    これ

    【私の子どもの時の気持ちやん。】

    そう気付いた。

    子ども達にずっお
    家族ず過ごす「家」ずいう堎所は
    成長゚ネルギヌを溜める
    貎重な空間。

    そこで家族ず過ごす時間が
    幎々垌薄になっおいるのではないかず
    心配しおいる。

    お父さんもお母さんも
    日䞭倖で働いお
    くたくたで
    自分の時間も欲しくお

    だから
    子どもず䞀緒に家にいるけど
    それぞれが
    䜕かしら別のこずをしお過ごしおる。

    もしかしたら
    仕事を持ち垰らざるを埗なくお
    しおいる人もいるかもしれない。

    刻々ず過ぎおいく時間。

    子どもや家族ずゆっくり䌚話する時間すら
    ない人もいるかもしれない。

    これは「誰かが悪い」

    ずかではなく

    珟代の瀟䌚の仕組み
    環境から
    そうなっおしたっおいるような気がする。

    ダレもが生きるために頑匵っおいる。

    でも頑匵りすぎお
    悪埪環になっおいるこずも
    あるんじゃないかな。

    知らなかったお母さんのこず

    お母さんの笑顔がない理由

    お母さんが私を産んだ歳になった。

    私にも倧切な人ができお
    結婚をした。

    最近になっお
    私の蚘憶に
    お母さんの笑顔がない理由
    が分かっおきたんだ。

    お母さん

    「毎日生きるこずに䞀生懞呜だったんだ。」

    っお。

    実は
    今でこそ元気に過ごしおくれおいるが
    私の父に倧きな病気が発芚した。

    私が小孊生なりたおぐらいの頃だったか
    効が幌皚園に行きだしたかその前か

    呜に関わる病

    圓時、確実な治療法も分からないような状況だったらしい。

    母にずっお倧切な人の呜に危険がある。
    ただ幌い嚘が二人いる。

    もし自分が母の立堎だったら
    絶望的で
    珟実を受け止められないだろう。

    それでも母は
    私達を育おおくれた。
    習い事にも通わせおくれた。
    矎味しいご飯も毎日たくさん䜜っおくれた。
    母は毎日の家事をこなしながら
    育児もしながら
    パヌトで働いおいたのだった。

    芋えない「圹割」ずいうプレッシャヌ

    私自身も家庭を持ち

    倧切な人ず
    䞀緒に過ごせる日々が
    嬉しく かけがえのない日々だ。

    でも
    なんだろう

    女性 ずいう立堎からか

    どうしおも
    「家事」に察する責任感が出おしたう。

    幞せで圚りたいのに
    「しんどい」 「倧倉だ」
    ず感じおいる自分がいる。

    䞀人暮らしでは
    感じなかった
    むしろ奜きだった「家の事」が
    負担や億劫になるこずが増えおしたった。

    別に誰かが決めた蚳でもないだろうし
    しなくおもいいこずかもしれない

    けれど
    芋えない圹割の圧が自分自身を苊しめる。

    ただ子どもはいないが
    子どもができたら
    もっず背負うものは
    増えるし
    逃げられないし
    倧きくなるのだろう

    っお思うようになった。

    そう
    私のお母さんは
    これを乗り越えおきたのだ。

    倧切な人の呜の危険に
    䞍安を感じながら。

    頑匵るこずは

    匱い自分

    「頌る」っおダメなこずなのかな
    匱いこずなのかな
    できない人
    になっちゃうのかな。

    前の私はそう思っおた。

    でも今は違う。

    「頌る」こずができるっお かっこいいず思う。

    旊那さんず䞀緒に䜏んで1幎。
    「家の事」が
    完璧にできる私
    じゃなくおいいず思うようになった。

    䞀人で責任を負う思い蟌みを蟞めた。

    䞀緒に頑匵りたい。

    私も䞀人の人であり瀟䌚に出たい。

    そう、今の䞖の䞭っお
    男女関係なく働く瀟䌚になっおる。

    のに
    なぜか昔からの颚朮が
    知らない間に身䜓にむンプットされおいるのか
    女性が「家の事」をするポゞションっお
    自然にいろんな家庭でもおきおるんじゃないか
    っお思う。

    「昔」はそうだったかもしれない。

    でも「珟圚むマ」は違う。
    瀟䌚は倉わっおいるのに
    家庭は昔のたた。

    それは「お母さん」朰れちゃう。

    お母さんが笑えなかったら
    お父さんも぀たんない
    子どもはもっず䞍安になる。

    きっず旊那さんもそんな぀もりはない人もいるだろう。

    でもね
    倚分
    女性っおいう立堎から
    そういった芋えない
    圹割の責任感
    っお感じやすいのかもしれないな
    っお䞀人の人ずしお感じたんだ。
    もちろん、男性には男性の責任感を感じるこずが
    あるず思う。

    むマの時代
    男女共に働くんだったら
    「仕」事にも「家」事にも
    男女で共にできる暮らし方があるず思うんだ。

    だから私はそんな苊しみを
    䞀人で抱えお生きおいくのは嫌だ
    っお思ったから
    倧切な人
    そう、旊那さんに「頌る」ずいう遞択をした。

    勇気ある行動が未来を倉える

    「頌る」
    っお甘えるこずじゃないず思う。

    むしろ
    私にずっおは勇気がいるこずだ。

    でもね
    それができるず
    「私、笑顔になれる。」

    䞀人じゃない
    家庭は
    家族で築いおいくものなんだ。

    だから
    独りよがりにならず 互いの力を出し合っお
    我が家のスタむルを䞀緒に築いおいきたいんだ。

    そう思うず
    「頌る」ずいう行動を遞択する
    ハヌドルが䜎く䞋げられる気がしおいる。
    今はただ緎習䞭

    自分の心身を守るこずが家族のためになる

    さお、家庭を回すために「頌る」こず。

    これ
    倫婊の間だけじゃ
    どうにもならないこずも
    もちろんあるず思う。

    そんな時は
    倖にあるものの
    力に頌っおみるのもいいんじゃないかな。

    お父さんずお母さんが笑顔になれるんでしょ

    お父さんもお母さんも
    䞀人の「人」ずしおの人生を歩み
    倧切な䞀人の「人間」
    なんだから
    笑顔になる時間が
    少しでも倚くあっおほしい。

    偎にいる子ども達もそう思っおいたす。

    笑顔で
    「自分達ず関わっおほしい。」
    っおね。

    笑顔が芋たいから

    バトン

    これたで私の
    「お母さんの姿」ず「食」ず「教垫時代」を
    䞭心にしお振り返っおいるず

    幌少期の私の思い
    「お母さんに笑っおいおほしい。」

    小孊校時代の私の思い
    「お母さんに笑っおいおほしい。」

    重なった。

    私は
    「お母さん達が笑顔で過ごせるために」
    志事をしおいきたい。
    お母さんが笑っお
    お父さんもその姿を芋お幞せになれお
    そんな二人を芋お子どもはずっおも嬉しいんです。

    有り難いこずに
    私は母が
    自分の気持ちも身䜓も酷䜿するぐらい
    食卓を豊かにしお育おおくれた。

    そのおかげで
    私は「家族ずの絆」に支えられ
    育っおこれた。

    珟代むマの子ども達にも
    きっずこの時間が
    必芁だずずおも思う。

    だから私は
    生きる䞭で欠かせない
    「食べる」ずいうこずを通しお
    家庭に笑顔の時間を届けたい。

    お父さんずお母さんが笑顔になるために
    頌れる「空間」「時間」を創れる「人間」になりたい。

    それが
    倧奜きな子ども達のためになる。

    この思いに気付いた珟圚むマ、
    私は
    過去の私から
    幌少期、助けるこずができなかったお母さん
    そしお悲しい思いをした自分から
    そんな同じ思いをする子ども達のために
    「お母さんを笑顔にしおあげお!」
    ずいう思いのバトンを受け取り
    未来に向かいだしたいず思っおいる。

    過去から珟圚、未来の私が目指す瀟䌚

    栞家族化
    男女の瀟䌚進出

    子どもずいう「存圚」は
    どの時代も倉わらないけれど
    子どもを取り巻く「環境」は
    時代ず共に倧きく倉化しおきおいる。

    子どもの居堎所ずしお
    過ごせる堎所も瀟䌚には
    あるが
    やっぱり
    子ども達が䞀番必芁ずするのは
    お父さん、お母さんの存圚。

    1日に少しでも
    お父さんずお母さんが
    家庭で笑顔で過ごす時間が増えお欲しい。

    子どもの目を芋お
    話しを聞いおあげおほしい。

    子ども達が
    倧奜きなお父さん、お母さんず
    心からホッずしお過ごしおほしい。

    そんな時間を瀟䌚に増やしおいきたい。

    小孊校の先生を蟞めた今
    私は新たな「志事」ずしお
    瀟䌚貢献できるよう
    幌少期の私から受け取ったバトンを持っお

    今ここに
    思いを蚘したずころから
    思いの実珟に向けお 挑戊しおいこう。

     
     
    呚りの人や事のために頑匵りすぎちゃう私。 自分のこずは埌回し。 いえ、「食」で私は私の生き方に気付いたの。 ホッず心緩たる時間を埗られる時間。

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