
☕ Café Solas — Season3Episode 7『ケンタとLINEと、とけたアイス』
夏の午後。
強い陽射しがガラス越しに店内へ差し込み、
床にはゆっくりと光の帯が伸びていた。
エアコンの静かな音。
氷の触れ合う小さな音。
午後三時過ぎ。
昼の混雑が落ち着いたCafé Solasには、
穏やかな時間だけが流れていた。
カウンターの端では、
ケンタがアイスラテを前に腕を組んでいる。
グラスの中の氷は、
もう半分以上、小さくなっていた。
「……終わった。」
ぽつりと漏れる声。
誰に向けたわけでもない。
グラスを持ち上げる。
ぬるい。
一口だけ飲み、
そっと元へ戻した。
視線は、またスマートフォンへ落ちる。
画面には昨夜のやり取り。
最後に表示されているのは、ミユキからの一文だけ。
――
『ちょっと、色々考えたいから。
少し連絡しないで。』
――
それ以降、
画面は何も変わらない。
既読もない。
通知もない。
ケンタは大きく息を吐いた。
「……なんでだよ。」
その声に反応したのは、
コーヒーを淹れていたアキラだった。
「何を送った。」
短い問い。
ケンタはスマホを差し出す。
「プリンの話。」
タブレットから顔を上げたタクヤが、
画面を覗き込む。
「……どれ。」
ケンタはスクロールする。
昨夜、自分が送った文章。
――
『諦めきれないプリンがあるんだ。
どうしても忘れられなくてさ。
今度、一緒に食べに行かない?』
――
数秒。
沈黙。
タクヤは口元を押さえた。
「……ああ。」
ケンタが身を乗り出す。
「なんだよ。」
「これは……。」
タクヤは笑いをこらえながら言う。
「完全に誤解される。」
「なんで!」
「"諦めきれない"が強すぎる。」
アキラも静かに頷く。
「過去の恋愛にしか見えない。」
「えぇ!?」
「しかも"忘れられない"まで付いてる。」
タクヤが追い打ちをかける。
「重ねたな。」
「いやいやいや!
プリンだぞ?」
「読む側は知らない。」
アキラはコーヒーをカップへ注ぎながら言った。
「文章は、書いた人の気持ちじゃなく、
読んだ人の受け取り方で意味が決まる。」
ケンタは固まった。
「……マジか。」
「マジだ。」
タクヤも苦笑する。
「俺でも一回止まる。」
ケンタは椅子にもたれた。
「終わった……。」
「まだ終わってない。」
アキラが静かに言う。
「ちゃんと伝えればいい。」
「返信ないぞ?」
「だから会えばいい。」
「来ると思う?」
タクヤは迷わなかった。
「来る。」
「なんで言い切れる。」
「来る場所だから。」
店内が少しだけ静かになる。
ケンタはスマホを伏せた。
その横で、
氷がひとつ、小さく音を立てた。
──────────
それから三十分ほど経った頃だった。
カラン——。
ドアベルが鳴る。
三人が同時に振り向く。
そこには、
いつもと変わらない服装のミユキが立っていた。
「こんにちは。」
その声も、
いつも通りだった。
ケンタは少しだけ肩の力を抜く。
「……来た。」
「来るって言っただろ。」
タクヤが小さく笑う。
ミユキはカウンターへ歩いてくる。
まず目に入ったのは、
ケンタの前のグラスだった。
「それ。」
ケンタが見る。
ほとんど透明になったアイスラテ。
「もう水だね。」
思わず二人とも笑ってしまう。
少しだけ、
空気が柔らかくなった。
アキラは何も言わず、
新しいアイスコーヒーを作り始める。
──────────
「……あのさ。」
ケンタが切り出す。
「うん。」
ミユキは静かに待つ。
「昨日のLINE。」
「うん。」
「プリンの話だった。」
「知ってる。」
「……え?」
「途中で気づいた。」
ケンタは目を丸くする。
「でも。」
ミユキは少し笑った。
「最初は本当に、
"忘れられない人"の話かと思った。」
「やっぱりか……。」
ケンタは頭を抱える。
「ごめん。」
「うん。」
「伝わると思ってた。」
「だから。」
ミユキはグラスの水滴を指でなぞる。
「ちゃんと言葉にしないと。」
「近い人ほど、
省略しちゃダメ。」
その言葉に、
ケンタはゆっくり頷いた。
「……そうだな。」
アキラが二人の前に、
新しいアイスコーヒーを置く。
「はい。」
グラスの中では、
新しい氷が涼しげな音を立てていた。
ミユキが一口飲む。
「おいしい。」
「今日は特に。」
ケンタが笑う。
「さっきのより冷たいだろ。」
「うん。」
「全然違う。」
その一言で、
さっきまでの重たい空気は、
どこかへ溶けていった。
──────────
「で。」
ミユキが顔を上げる。
「そのプリン。」
ケンタも笑う。
「うん。」
「結局、行く?」
「もちろん。」
「今度はちゃんと書く。」
「どう書くの?」
ケンタは少し考えてから笑った。
「期間限定のプリンがある。
一緒に食べに行ってください。」
ミユキは吹き出した。
「それで十分。」
「余計な文学はいらない。」
「……反省します。」
店内に笑い声が広がる。
タクヤはその様子を見ながら、
静かにコーヒーを飲んだ。
アキラは窓の外へ目を向ける。
夏の風が、
ドアベルをほんの少しだけ揺らした。
「言葉は難しい。」
アキラが小さく呟く。
「でも。」
ケンタが続ける。
「ちゃんと届けば、
ちゃんと笑えるんだな。」
アキラは穏やかに微笑んだ。
「だから、人は話すんだ。」
店内には、
挽きたてのコーヒーの香りが満ちていた。
新しく入れ替えた氷は、
まだ溶けていない。
夏は、もうすぐそこまで来ている。
その暑さより少しだけ温かい時間が、
今日もCafé Solasには流れていた。