
☕ Café Solas スピンオフ「欠けたピースの記憶(メモワール)」 第6話:使い古された万年筆ー継承ー
“あの日”以来。
忘れ物棚に、
以前のような軽さはなくなっていた。
午後。
窓際に柔らかな陽が落ちている。
店内には、
静かなピアノ曲。
でも。
三人の空気は、
どこか噛み合っていなかった。
「……で?」
ケンタが言う。
「このままにすんの?」
タクヤは答えない。
レジ横の伝票を整理している。
「聞いてんだけど」
「聞こえてる」
「じゃあ何か言えよ」
「何を」
「だから――」
ケンタが言葉を切る。
その先を、
自分でも整理できていないみたいだった。
アキラは、
カップを磨いていた。
必要以上に。
手を止めると、
何かを思い出しそうだった。
「……俺さ」
ケンタがぽつりと言う。
「ちょっと怖くなった」
その言葉に、
タクヤの手が止まる。
「今さらだな」
「今さらだよ」
ケンタは笑わなかった。
「なんか……
勝手に“いい話”だと思ってた」
忘れ物。
残された感情。
誰かの想い。
最初は、
そんなふうに見えていた。
でも。
第5話の“あれ”は違った。
あれは、
傷だった。
まだ塞がっていない、
生々しい傷。
「……関わっていいもんなのかな」
ケンタが呟く。
その問いに、
誰もすぐ答えなかった。
――――――――――――――――――
カラン。
ベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
アキラが顔を上げる。
入口に立っていたのは、
ミユキだった。
「……何その顔」
ミユキが苦笑する。
「通夜?」
「そんな感じ」
ケンタが言う。
「重っ苦しい空気してる」
「まあな」
タクヤが短く返す。
ミユキはカウンター席に座る。
店内を見回す。
それから、
静かに言った。
「何かあった?」
アキラは少し迷って。
忘れ物棚を見る。
「……ちょっと」
「また?」
「うん」
ミユキは、
それ以上すぐには聞かなかった。
そこが、
彼女らしかった。
コーヒーが置かれる。
湯気が立つ。
ミユキは一口飲んでから言った。
「で」
「うん」
「今度は何を背負い込んだの」
沈黙。
ケンタが視線を落とす。
タクヤは窓の外を見る。
アキラだけが、
少し困ったように笑った。
「……わかりやすい?」
「昔から」
「別にさ」
ミユキが言う。
「全部受け止めなくていいんだよ」
その言葉に、
アキラの手が止まる。
「でも」
アキラが言う。
「残ってるってことは、
誰にも届かなかった感情ってことでしょ」
「そうかもね」
「だったら」
「だからって、
全部お前が拾う必要ない」
ミユキの声は、
静かだった。
でも、
はっきりしていた。
「人ってさ」
ミユキはカップを見ながら言う。
「本当に誰かに伝えたいことほど、
最後まで言えなかったりするじゃん」
誰も口を挟まない。
「でも、
言えなかったからって」
ミユキは小さく笑う。
「“失敗”とは限らないよ」
その時だった。
カウンター端に置かれていた、
一本の万年筆。
古く、
重厚な黒い万年筆。
客が昨日忘れていったものだった。
ミユキが何気なく触れる。
――キィン。
小さな耳鳴り。
彼女は一瞬だけ目を細める。
夜。
デスクライト。
書きかけの紙。
滲んだインク。
うまく言葉にならない。
でも、
残したい。
このまま消えたくない。
せめて。
誰かの中に、
少しだけでも。
「……ああ」
ミユキが小さく息を漏らす。
アキラが見る。
「ミユキ?」
「ううん」
ミユキは万年筆を見つめる。
悲しそうではなかった。
どちらかと言えば、
穏やかだった。
「これ、
“助けて”じゃないね」
ミユキが言う。
「え?」
「たぶん……
“残したい”だ」
店内が静かになる。
アキラは、
その言葉をゆっくり反芻していた。
感情は、
痛みだけじゃない。
傷だけでもない。
誰かに届かなかった願い。
言葉にできなかった祈り。
そういうものも、
残る。
「……なんかさ」
ケンタが言う。
「ちょっと救われた」
タクヤが小さく笑う。
「単純」
「うるせえ」
でも、
少しだけ。
店の空気が戻っていた。
帰り際。
ミユキは忘れ物棚の前で足を止める。
視線が、
一番奥へ向く。
白い封筒。
「……まだ触ってないんだ」
静かな声。
アキラは答えない。
ただ、
視線を逸らした。
ミユキは、
それ以上聞かなかった。
代わりに、
小さく笑う。
「まあ、
お前らしいけど」
ベルが鳴る。
扉が閉まる。
静かな夜。
アキラは、
忘れ物棚を見る。
白い封筒は、
変わらずそこにある。
ずっと前から。
まるで、
“待っている”みたいに。