
Episode 4 『コーヒーと推し活と彼女の機嫌』
午後。
蝉の声が、店の外からかすかに聞こえてくる。
Café Solasには、いつものようにゆるやかな時間が流れていた。
カウンターではアキラがコーヒーを淹れ、
厨房ではケンタが焼き菓子を並べている。
タクヤは窓際でノートPCを開いていた。
ふとケンタがレジを見る。
「あれ?」
レジ横には、小さな缶バッジがいくつも並んでいた。
色鮮やかなイラスト。
手書きの小さなメッセージカード。
どれも、この店の雰囲気とは少し違う。
「……なんだこれ。」
アキラが首をかしげる。
「ミユキが置いてった。」
ケンタが笑う。
「推しの誕生日が近いんだって。」
「少しだけ飾らせてって。」
アキラは缶バッジを一つ手に取る。
「推し……。」
「正直、俺にはまだよく分からない世界だ。」
ケンタもうなずく。
「俺も。」
「好きなのは分かるけどさ。」
「ここまで熱中できる理由は分かんない。」
そのとき。
タクヤが画面から目を離さず言った。
「理由なんか無いんじゃない?」
「好きだから応援する。」
「それだけだろ。」
「……珍しくいいこと言うな。」
ケンタが笑う。
「たまたまだ。」
・・・
カラン。
ドアベルが鳴る。
「こんにちは。」
ミユキだった。
店へ入るなり、
真っ先にレジ横を見る。
「あっ。」
嬉しそうに笑う。
「そのまま飾ってくれてたんだ。」
「約束だから。」
ケンタが答える。
ミユキは缶バッジを一つ手に取り、
大事そうに眺める。
「一年に一回しかないからね。」
「今日は特別。」
アキラが尋ねる。
「そんなに大事なのか。」
ミユキは迷わず頷いた。
「うん。」
「その人のおかげで頑張れた日が、何度もあったから。」
「落ち込んだ日も。」
「仕事がうまくいかなかった日も。」
「ライブや配信を見ると、
『もう少し頑張ろう』って思えた。」
「だから今日は、
ありがとうって思う日。」
店内が少し静かになる。
ケンタがぽつりと言う。
「応援してるっていうより。」
「支えてもらってる感じなんだな。」
「そう。」
ミユキは笑った。
「好きって、
元気をもらうことでもあるから。」
・・・
アキラが新しいコーヒーを差し出す。
「好きという気持ちは。」
静かな声だった。
「説明しようとすると、
少し違うものになる。」
「理由が言える頃には。」
「もう理屈になってる。」
ミユキが微笑む。
「アキラらしいね。」
ケンタは腕を組む。
「難しいこと言ってるようで、
なんとなく分かる。」
その横で。
タクヤだけは黙ってコーヒーを飲んでいた。
理由なんてない。
その言葉だけが、
心のどこかに残っていた。
・・・
夕方。
ミユキが帰る支度をする。
「あ。」
ケンタが声を上げた。
「缶バッジ忘れてる。」
テーブルに一つだけ残っている。
ミユキは振り返って笑った。
「忘れたんじゃないよ。」
「え?」
「また来る理由。」
その一言だけ残して、
ミユキは手を振る。
「またね。」
カラン。
ドアベルが静かに鳴る。
・・・
閉店後。
店内には静かな夜が戻っていた。
レジ横には、
小さな缶バッジが一つ。
ケンタが笑う。
「回収しなくていいのか?」
「いいんじゃないか。」
アキラが答える。
「待っているものがある場所には。」
「人はちゃんと帰ってくる。」
タクヤはその缶バッジを見つめる。
誰かを待つこと。
誰かを応援すること。
誰かに会いたくなること。
形は違っても、
きっと同じ気持ちなのだろう。
窓の外では、
夏の風が静かに街を吹き抜けていく。
Café Solasにもまた、
「帰ってきたくなる理由」が、
ひとつ増えていた。