
☕ Café Solas — Season 8 Episode 1 「結成前夜──まだ、何も始まっていない夜」
朝の光が、床に細く差し込んでいる。
カフェ・ソラスの店内は静かで、音と呼べるものはポットの中でわずかに揺れる湯の気配だけだった。
アキラはカウンターに立ったまま、しばらく何もしていなかった。
やがて思い出したように身をかがめ、棚の一番奥の引き出しを開ける。
奥に押し込まれていた封筒を、指先で引き寄せる。
少しだけ、ためらう。それから開いた。
中には写真が一枚。
夜の路地。
ピントは甘く、光は滲んでいる。
どこにでもあるはずの風景なのに、なぜかそれだけは処分できなかった。
アキラは何も言わず、写真を裏返す。
裏には何も書かれていない。
コーヒーの匂いが、少しだけ変わった気がした。
湿ったアスファルトの、冷たい匂いに近い。
——あの夜の空気だ。
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まだ、この店がなかった頃。
同じ街にいて、まだ何も始まっていなかった夜
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風が抜ける路地。
アキラは歩いていた。
どこへ向かっているわけでもない。
ただ、止まる理由がなかった。
「……違うな」
小さく呟く。何が違うのかは、はっきりしない。
ただ、ここではない気がしていた。
どこにもないものを探しているような感覚だけが、足を動かしている。
風が吹く。その奥から、乾いたギターの音がした。
ケンタはアンプの電源を落としたあとも、しばらくギターを持ったまま動かなかった。
客はいない。拍手もなかった。
さっき弾いたコードを、もう一度なぞろうとして、やめる。
ギターをケースに入れ、肩にかける。
外に出ると、空気が軽い。
軽すぎて、少しだけ腹が立った。
路地の奥から、歌が聞こえる。
足が止まる。
……いや、いい。
そう思ったはずなのに、少しだけ方向を変えて歩き出していた。
グラスの中で氷が鳴る。
タクヤは、それを見ていた。音が小さくなるまで、何もせずに。
ポケットには何も入っていない。
店の外で、誰かが走る音がした。
そのあと、少し遅れて、ギターの音。
タクヤはグラスから目を離さないまま、ほんの少しだけ耳を澄ませた。
白い扉。
路地の奥に、それがある。
開いているのか、閉じているのか、わからない。
中から、オレンジ色の光が漏れている。
三人は、それぞれ別の場所から、その近くを通り過ぎていく。
立ち止まらない。
誰も、扉に触れない。
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記憶は、そこで途切れている。
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カラン♪
ベルの音。
「おはよー」
ケンタが入ってくる。ギターケースを、いつもの場所に立てかける。
「……なんか、匂い違わない?」
返事はない。
アキラはすでにコーヒーを淹れていた。
三つ。
タクヤがあとから入ってくる。
何も言わず、席に座る。
少ししてから、口を開く。
「……さっきから、変な音しない?」
「してない」
アキラは、すぐに答える。
間が空く。
ケンタはカップを手に取るが、口はつけない。
「……さ」
そこで止まる。
「いや、なんでもない」
タクヤはカップの湯気を見ている。
「……そういう日もある」
誰に向けた言葉でもない。
アキラは何も言わない。
カウンターの下、引き出しは閉じられたままだ。
「掃除、するか」
少しだけ遅れて、アキラが言う。
二人は頷く。
椅子を動かす音。
布で拭く音。
窓を開ける音。
いつもと同じ朝。
ただ、床の端。
差し込んだ光の中に、
細かい埃がやけにゆっくり落ちている。
誰も、それを指摘しない。
店の外で、風が吹く。
どこかで、乾いた音がした気がした。
それが何だったのかは、誰も確かめなかった。
Café Solas の朝は、何も始まらないまま、
静かに開いていく。