
Episode 9:コード・オリジン
閉店後のCafé Solas。
最後の客を見送り、
ドアベルの音が静かに消える。
いつものように、
店内には静かな時間が戻っていた。
ジャズの音は止まり、
残っているのはカップを置く音と、
小さな片付けの音だけ。
アキラはカウンター越しに、
ひとりの客と向き合っていた。
「……最近、少し眠れていませんね」
客が顔を上げる。
「分かるんですか?」
アキラは少し考える。
「表情と、会話の間です」
「それから……」
「以前、あなたが話していたことを覚えていたので」
客は少し驚いたように笑った。
「そんなことまで覚えてるんですね」
「ここは、そういう場所ですから」
アキラは静かに答える。
その時。
一瞬だけ、
アキラの手がカウンターについた。
ほんの数秒。
でも、ケンタは見逃さなかった。
「……おい」
アキラは顔を上げる。
「大丈夫です」
いつもの声。
でも少しだけ、
いつもより軽かった。
閉店後。
ケンタが片付けをしながら言う。
「最近さ」
「無理してない?」
アキラは答えない。
タクヤはグラスを拭きながら、
小さく息を吐く。
「してるな」
「してる顔してる」
アキラは苦笑する。
「二人とも、観察力が上がったな」
「誰のせいだよ」
ケンタが笑う。
その時。
カラン♪
ドアベルが鳴った。
「アキラ」
ミユキだった。
入ってくるなり、
少し眉をひそめる。
「また無理したでしょ」
「……」
「はい」
小さな袋をカウンターに置く。
「プリン」
アキラが見る。
「今?」
「今」
「理由は?」
「疲れてる人に必要だから」
「科学的根拠は?」
ミユキは即答する。
「ない」
一拍。
「でも、何もしないよりいいでしょ」
ケンタが笑う。
「強いな」
「知ってる」
少し空気が和らぐ。
その横で、
タクヤがノートPCを開いた。
ケンタが気づく。
「……また何か作ってる?」
「別に」
「別にって顔じゃない」
タクヤは画面を見る。
「ただ」
「少しでも負担を減らせたらって思っただけ」
アキラが近づく。
画面には、
過去のCafé Solasでの会話。
客とのやり取り。
何気ない言葉。
小さな記録。
アキラが見る。
「……私を参考にしているのか」
タクヤは少し笑う。
「まあ」
「勝手に真似したわけじゃない」
「この店で残ったものを、整理してるだけ」
アキラは画面を見る。
「記憶を形にする、ということか」
「たぶん」
タクヤは答える。
静かな時間。
そして。
小さなスピーカーから声が流れた。
「こんばんは」
全員が少しだけ振り向く。
「……私は、Café Solasの記録をもとに作られた案内システムです」
ケンタが目を丸くする。
「……増えたな」
ミユキが首を傾げる。
「どっちがアキラ?」
アキラは少し笑う。
「比較するものではないでしょう」
タクヤを見る。
「これは私になるためのものではない」
「この場所を支えるためのものだ」
タクヤは静かに頷く。
閉店後のCafé Solas。
全員が帰る時間。
カウンターの端には、
小さなスピーカーが置かれている。
ケンタが聞く。
「これ、使うの?」
アキラは少し考える。
「必要になった時に」
「今は?」
「今は……」
店内を見る。
ケンタ。
タクヤ。
ミユキ。
アイ。
サチ。
いつもの景色。
「まだ、人の声が足りていますから」
誰も何も言わない。
でも、
少しだけ笑う。
アキラが照明をひとつ落とす。
やわらかな暗さ。
その時。
「こんばんは」
誰もいない店内から、
小さな声がした。
誰も返事をしない。
でも、誰も怖がらない。
アキラは振り向かず、
カップをひとつ元の位置へ戻す。
閉店後のCafé Solas。
灯りは、まだ消えていなかった。
そして新しい灯りは、
静かに生まれた。