
🕯 Episode 6|灯りを灯す人
午後の光が、ゆっくりと店内に差し込んでいた。
昼のピークを過ぎたソラスは、
どこか時間が緩んだような空気に包まれている。
アキラはカウンターの中で、
豆袋の並びを静かに整えていた。
ふと、棚の奥に目が止まる。
古びた一冊のノート。
少し反った背表紙。
角は擦れて、ページの端にはコーヒーの染みが残っている。
何度も開かれた跡だった。
アキラはそれを手に取り、
ぱらりと一枚だけめくる。
短いメモと、
分量の走り書き。
それ以上は、見なかった。
カラン♫
「……久しぶり」
顔を上げると、
扉のところに女性が立っていた。
淡い色のコート。
手には、小さなキャンバスバッグ。
「いらっしゃい」
アキラは静かに応える。
女性は店内を見渡し、
ゆっくりと窓際の席に座った。
タクヤが水を置く。
ケンタがコーヒーの準備を始める。
誰も、余計なことは聞かない。
しばらくして。
「……そのノート、まだあったんだね」
女性が、カウンターの方を見て言った。
アキラは少しだけ視線を落とす。
「置いていったの、そっちだろ」
「うん。……なんとなく」
少しだけ、間。
ケンタがカップを置く。
「どうぞ」
女性は両手でカップを包む。
湯気が、静かに立ち上る。
「ここって、変わらないね」
ぽつりと、言う。
「そうか?」
アキラが返す。
「うん。いい意味で」
カップに口をつける。
少しだけ目を細める。
「……ちゃんと、残ってる」
何が、とは言わない。
でも、
三人にはそれで十分だった。
「前に来たときもさ」
女性が続ける。
「ここ、なんか落ち着くなって思ったんだよね」
タクヤが静かに頷く。
ケンタは何も言わず、カウンターを拭いている。
「たぶん」
女性が少しだけ考える。
「無理に明るくしようとしてないから、かな」
アキラが小さく笑う。
「そんな余裕ないだけだ」
「それがいいんだと思う」
即答だった。
外の光が、少し傾きはじめる。
店内の影が、ゆっくり伸びる。
女性はカップを置いた。
「……もう、大丈夫そう」
誰に向けた言葉でもない。
でも、確かにここに落ちた。
立ち上がる。
バッグに手をかける。
少しだけ迷ってから——
ノートを取り出す。
そして、カウンターに置いた。
「これ」
アキラが見る。
「……いいのか」
「うん」
短い返事。
「たぶん、ここにある方がいい」
それ以上は言わない。
カラン♫
扉が閉まる。
静けさが戻る。
しばらく誰も動かない。
ケンタが、ぽつり。
「……なんだったんだ、今の」
タクヤが答える。
「さあ」
アキラはノートを手に取る。
少しだけ重い。
ページは開かない。
ただ、持つだけ。
「……置いとくか」
元の場所に戻す。
それで十分だった。
外を見ると、
夕方の光がやわらかくなっていた。
さっきより、少しだけ明るい。
「……灯り、つけるか」
ケンタが言う。
「まだ早いだろ」
アキラが返す。
タクヤが小さく言う。
「……でも、もうついてる」
二人がそっちを見る。
タクヤは何でもない顔で、
カップを片付けていた。
それ以上は、誰も言わない。
午後のソラス。
特別なことは、何も起きていない。
それでも——
何かが、
少しだけ残っていた。