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【短編小説】目明し丹治の捕物帖  (一人のはずが孫二人 1)

     暗闇の中に稲妻が走り、油問屋楽土の主、市兵衛夫婦が寝ている蚊帳の中にも青白い光がわずかに忍び入った。しばらくして空の果てから微かな遠雷の響きが耳に届いて消えた。雨は来るのだろうかと市兵衛は思い、雷音の消え失せた静間に包まれながら布団の中で体の向きを変え、隣に寝ている女房、お喜美の寝息を窺った。
     お喜美とは五十年来の連れ合いだが、その間の喜怒哀楽の生活の営みがまるで走馬灯のように市兵衛の頭の中を巡り回った。夫婦になった頃はこんな大きな店もなく、毎日食うや食わずで、あてどなく二人で荷車に油を積んで売り歩いたものだ。ようやく少ない売り上げの中から僅かな蓄えをして小さな店を持った時は本当に嬉しかった。二人で抱き合って涙を流したのが思い出される。それに、倅の幸助を授かり二重の喜びに満たされ、さらに油売りに励んで、運良くも問屋と言われる大店にまでなった。
     そこまで想いが進んだとき、また稲妻が光り、そのあとに遠雷がなった。そうなのだ。すべてがうまくいった訳では無かった。あの時は、昼飯の後だったが、やはり稲妻が光り、雷が遠くで鳴っていた。うまくいくも何も、痛恨の極みといおうか、取り返しのつかないことが起きてしまったのだ。眠れないままに、まざまざとあの修羅の情景が抑えようとしても抑えきれずに侮痕の感情とともに頭の中に出てしまった。頭から追い払おうと急いで寝返りを打ったが無意味な試みとなった。

     今にも雨が降りそうな曇天の中、奥の一室で、市兵衛の前に二十一歳になった倅の幸助が畏まって座っていた。何か言いだそうとするがもじもじと面長の端正な顔を俯むけて身体を固くしていた。

    「幸助。そんなに難しい顔をして、何かあったのかい」

     とうとう市兵衛が業を煮やして幸助の顔を覗いた。

    「うん。申し訳ないんだけど、多賀城の網元との縁談やめてもらいたいんですが」

     父親の顔を上目遣いで見ながら幸助はやっとのことで自分の思いを口にした。

    「何。止めろだって。地元の有力者と縁結びになることは商売にとって強い追い風となる。それにここまで進んだ話をいまさら止めるなんて無理な話だ」

     市兵衛は幸助の話を信じられない思いで聞いたが、首は縦には振らず、硬い表情で倅の顔を見つめた。

    「こんないい話を断るだなんて、お前どうかしたんじゃないか。網元の娘は器量よしだし、気立てもいいし、言うことは何もないじゃないの」
    「そんなことじゃないです。とにかくだめなんです」

     幸助の有無を言わさぬ頑固な返事に、初めは穏やかに宥めすかしていた市兵衛の顔色が青白く変わり、ついに怒声を発した。それと同時に灰色の空に稲妻が走り、間もなく雷が鳴った。かなり近くまで来たようで、風が吹き出し、強い雨が降り出した。

    「だめとは何だ。お前は一人っ子でこの店の跡取りなんだ。立場をわきまえなさい。我が儘は許さんから」

     その時、市兵衛の大きな声を打ち消すように稲光が空を貫き、同時に大きな雷鳴が頭上でさく裂して四囲を揺るがした。これにはたまらず、二人とも頭を抱えて腰を浮かした。

    「お前さん。雷が庭に落ちました」

     女房のお喜美が血相変えて知らせに来るに及んで、縁談の話は有耶無耶になり、市兵衛と幸助は必死の形相で落雷の跡を見ようと部屋を走り出た。

     その日から五日たって、幸助の姿が店から消えた。店のどこにも倅の気配がないのに気づき、お喜美が部屋を確かめると、そこはきれいに片付いており、ちゃぶ台の上に一片の書状が置いてあった。それを一読すると、お喜美は慌てふためき店頭に走り、市兵衛に差し出した。

    「お前さん。大変よ。これを見て。幸助が家出だよ」

     そう言うなりお喜美はしゃがみ込んで顔を覆い、肩を震わした。

    「家出だと。どれどれ」

     市兵衛は女房から紙片を受け取るなり、眼を細め一気に読み進めた。

    (父さん。母さん。我が儘を許してください。家の事情は重々承知ですが、おいらには夫婦になると決めた人がおります。その人と一緒にこの地を去ります。どうか探さないでください)

    「これは駆け落ちだ。相手は誰なんだ」

     市兵衛は独り言ちて思案したが、頭が混乱し一向に妙案が浮かんでこなかった。あの時以来、一度も縁談に触れることなくやり過ごしたことが今になって悔やまれた。もう少し、幸助の身になって考えてやることが必要だったが、後の祭りとなってしまった。
     店中が大騒ぎして、市兵衛もお喜美も茫然としていると、あたふたと店に駆け込んできた男があった。

    「えらいことになった。娘のお有紀が若旦那と駆け落ちした。本当なんですか」

     男は油売り屋の三治郎といい市兵衛から卸された油を売っていた。

    「何。あんたの所の娘さんだって。そりゃ大変だ」

     市兵衛も仰天して、三治郎に向き合いそれぞれの様子を探りあったが、結局は何も分からず、最悪の事態を危惧して、店の者総出で周辺を探し回ったが、疲れだけが残ることになった。とどのつまりは、外聞を恐れ、他には漏らさず、すぐに帰って来るだろうとたかをくくり様子を見ることになった。   

     それから二十年が過ぎ、市兵衛は六十を超え、お喜美は五十代となりめっきり白髪も増え老境に差し掛かった。あろうことか倅が油小売り屋の娘と駆け落ちしてそれ以来、消息は途絶え行方不明となった。大事なところで柔軟性を欠き、一大事となった。幾ら悔いても元には戻らないが、その懺悔の気持ちで、市兵衛は懸命に働き、店はさらにさらに大きくなった。ところが店が大きくなるにつれて心の傷も小さくなるどころか、ますます増大するばかりで、あの時の侮痕は癒されることはなかった。
     そんな春を迎えたある日の昼過ぎに一人の旅姿の若者が店を訪れた。顔は面長で色白、眼は細目だがなかなかの男前で、名を和幸と名乗り、自分は市兵衛の孫にあたるので会わせてほしいとの申し出がなされた。この思いがけない突然の話に番頭の一之進が驚いて市兵衛に注進のところ、すぐ客間に通すようにとの返答があった。
     孫が訪ねてきたとの思いもよらない話に市兵衛は疑心暗鬼だったが、とにかく会って話しを聞いてみようと女房のお喜美とともに客間に入り訪問の若者を待った。そんな話は無いだろうとの思いが強かったが、二十年も倅の帰るのを待ち焦がれたその気持ちが満たされるのならたとえ孫であってもその期待が膨らんでくるのだった。若者が部屋に来るまでの間、何度も女房のお喜美と顔を合わせ互いの想いを推し量った。
     すぐに廊下を渡る人の足音が聞こえ、部屋の外から番頭の声がした。

    「お連れしました」
    「どうぞ」

     市兵衛が答えると、襖をあけ、番頭が若者を案内しながら入ってきて、市兵衛夫婦の前に座布団を置き、若者に座るよう促し、自分は部屋の入り口付近に腰を下ろした。若者は番頭の置いた座布団に座るなり深々とお辞儀して口を開いた。

    「初めまして。爺様。婆様。孫の和幸です。おっとうとおっかあからしょっちゅう聞いて育ったんだけど本当に会えて嬉しいです」

    「おうおう。和幸というのかえ。よく来たねえ」と市兵衛が言えば
    「まさか孫に会えるとは夢でも見てるのかな」とお喜美は早くも涙声になった。

     けれども、市兵衛はそうは言ったもののまだ冷静に見ようとの理性が働いていた。倅の幸助に似ている所といえば、面長な顔の形だろうか、眼は細くて違うようだが、これは母親に似たのかもしれない。鼻の高さは、唇はと観察したけど似ているようでもあるしそうでないようにも感じた。挙句の果てに本当の孫であってほしいとの願望が強く働き、すべてが似ているように思えて、そんな詮索はどうでもよくなった。

    「それで、幸助はどうしているの。元気かな」

     一番肝心なことを訊かないわけにはいくはずがない。市兵衛は気軽な気持ちで問いかけ、その答えを聞いて耳を疑った。

    「それが……。二人とも去年の今頃。はやり病で亡くなりました」
    「ヒえー。亡くなった。どうして」

     お喜美が悲鳴を上げて市兵衛を見た。

    「それは思いもかけぬ話だ。すまなかった」

     市兵衛は突然の悲報を聞いて、悲しみの感情よりも先に何もしてやれなかった自分に二人の想いを許さなかった自分に侮痕の念を感じ、お喜美の顔を見返した。

    「これ、おっとうが大事にしていた干支の寅の像です」

     和幸が傍らの振り分け荷物をほどいて、こぶし大の金色の塊を取り出した。

    「あっ。それは倅が生まれた時に造った純金の干支像だ。名前が彫っているはずだが。どれ」

     市兵衛が金の干支像を受け取り、下側を見ると文字が彫ってあり、それは確かに幸助と読み取れた。

    「それ、それ、これだ」

     文字を指さし、皆に市兵衛が見せると、それを機に場の雰囲気は一気に緊張がほどけ和らいだ。初対面の疑念と不安は消え、何のわだかまりもない気の許せる家族の雰囲気となり祖父母と孫は朗らかに笑いあった。
     
     一年が何事もなく過ぎて、また春が来た。桜の花が散って、いまは、ツツジの花が至る所に咲き誇り、穏やかな風に震える。庭先に植栽の花と風との微妙な戯れを見ながら目明し丹治はそこはかとない物思いに沈んだ。小間物の行商人の次男坊として生まれた丹治には未来はなかった。飯もろくに食べられず、丹治はものごごろが付くと街をうろつき回った。悪さはしなかったが、むしろ悪行を止める正義漢の役割で悪ガキと立ち回りを演ずるのが常だった。余りにもきれいすぎて仲間は少なかった。
     そんなある日、悪ガキ数人に絡まれ殴られた。その時、たまたま通りかかったのちに同心となる奉行所の井崎の旦那に救われたが、それが縁で丹治は井崎お抱えの目明しとなった。女房のお千代とのなれ合いは、特に語るほどでもないが、近所の幼馴染で、何故か分からないが、小さいころから丹治の面倒を見たがって付きまとわれたのを覚えている。別に嫌でもなくて、かえって嬉しかったぐらいで、自然に何の抵抗もなく夫婦になっていた。
     そうなのだ、悪ガキに殴られた日も、腫れた顔をお千代は濡れ手拭いで懸命に冷やしてくれたのだ。稼ぎの少ない亭主を一膳めし屋を営んで養ってくれる頭の上がらないかけがえのない女房殿だ。丹治がそこまで考えた時、店の方からそのお千代の声が飛んできた。

    「お前さーん。相談があるってお客が見えましたよー」
    「あいよー。部屋にあげてくれー」

     丹治は大声で返事を返すと、身じまいを正して座りなおした。するとすぐに身をかがめながら目が細くやせ型の四十がらみの男がが入ってきた。

    「ご免なすって。油売り屋三治郎の喜蔵と申します。相談があってまかり越しました」
    「相談だって。何が起きたんですか」

     丹治がたいした話でもないだろうと思いながら喜蔵の細い目を見て先を促した。子分の松吉と良助がいつの間にか部屋の入り口近くに座っていた。

    「へい。一昨日の夕方ですけどね。うちの店にやせこけた髭ぼうぼうでよれよれの着物を着た男が倒れ込んだんですよ。放り出すわけにもいかず、何日も食べてないというから飯を食わせて事情を訊きました。するといきなり先代の孫の和幸というじゃありませんか。こんな汚い甥がいるとも思えなかったですが、いきなり櫛を出してね『これが母ちゃんの形見だ』というもんだから婆さんに見せたら『これはあたいがお有紀にあげたものだ』といって店先に飛んできて、男を見ておいおい泣き出しましてね。それを見て、これは大変と男を家にあげ、風呂に入れてきれいにして布団に入れて寝かせたんですけど、よほど弱っていたんでしょうね。そのまま寝たきりで起き上がれないんですよ。いえ、相談は男の体調じゃないですよ。そのつまりはですね。油問屋の楽土にはすでに一年前に孫が帰ってきて、そのまま丸く納まってるじゃないですか。そうなると和幸が二人いることになってしまう。どっちがどっちですか。二人とも本人ですか。どっちかが偽者ですか。訳が分からず、とにかく親分さんに決めてもらいたくてまいりました。よろしくお頼み申します」

     喜蔵はそこまで早口でまくし立てて、話を打ち切ると何度も頭を下げて懇願した。

    「おいおい。あっしは神様じゃないんだから、そんなお願をされてもなあ」

     丹治は困惑の体で右手を上げて、喜蔵の目の前で話を押し戻すそぶりを見せた。

    「そんなこと言わないで、何とか調べて決着をつけてほしいんです。これこの通りです」

     喜蔵はあきらめきれずに、なおも手を合わせて頭を下げた。

    「ふーん。そこまで言うんなら考えてみますから、今日はこの辺でお引き取り願えましょうか」

     さすがに根負けしたか、丹治は仕方なく頷いて喜蔵を持て余し気味に送り出した。

     丹治は、喜蔵が帰った後、腕を組んでしばらくの間考え込んだ。やがて腕をほどき子分の松吉と良助の顔を見て笑いかけた。二人は丹治の笑顔を見て、その意味を測りかねて曖昧に笑い返した。

    「どうだろうか。マツとヨシ。これは事件になるのかな。なんか家族の跡目争いみたいじゃないか」
    「そうですね。同じ名前が二人じゃねえ。もっとも日ノ本は広いから同じ名前の人もいるにはいるだろうが、同じ家族にはあるわけがない」
     

     答えにならぬことを言って松吉は逃げを打った。

    「ありえぬ話なら一人が偽者じゃないの。何のためかは分からないが」

     良助がぼそりというと丹治が食らいついた。

    「おっ。良いこと言うじゃないか。それ、それだよ。長丁場になるとは思うが、マツトヨシは、手分けしてそれとなく油問屋と油売り屋の周辺を見張ってくれないかな。常時貼り付けでなくてよいから」
    「へい。分かりやした」
    「お任せください」

     二人は威勢の良い返事を後に残して、すぐに千代の店を出ていった。

     


     
     
     
    定年退職後に本を書き、これまでの著作の刊行は『人の世の物語』と『ブロンズの母』それに『孫のおあいて』や『バックミラーの残影』があります。この度、note投稿の『峠の向こう側』を二月二日に書籍化しました。(アマゾン通販)

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