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【短編小説】目明し丹治捕物帖   (知らぬが仏というけれど)

     今日は梅雨の一休みで朝から晴れている。そうは言っても空気は多湿で肌にまとわりつき、暑苦しくて耐えがたい。湿っぽい着物の張り付く体中を汗にまみれながら、今年十歳になる作蔵は、別の穴から見ている三人の子供とともに、五尺四方の箱ののぞき窓から目を凝らして中を覗き込んでいた。今まで見たくても貧しい行商人の子供ではろくに小銭ももらえず、他の子供たちを羨みながらも我慢していたのだ。悔しくて、みじめでどうしようもない憤怒の気持ちが胸の中を渦巻いた。

     それがどうした弾みか、海産物問屋浜之の倅、同い年の道友が一緒に遊んでいた時に、色褪せたかんざしを作蔵に見せて意味ありげに言ったのだ。

    「このかんざしあげるよ。かあさんの使い古しだけど、これを出せば、のぞきからくりが見られるよ。銭でなくても金物ならいいんだって」
    「えっ。お前のかあさんの物だろう。もらえないよ」

     あまりにも唐突な話で、作蔵は即座に断った。

    「無理にとは言わないさ。だけどこれはかあさんがいらなくなって捨てた物なんだ。何の問題も起こらないんだけど」

     それを聞いて、作蔵ののぞきからくりを見たいとの欲望が抑えきれなくなった。気づいたときにはそのかんざしは作蔵の手の中にあった。

     あんなにも見たかったのぞきからくりの中では、町の神社の境内で緑色の高い杉木立の下、やわな男の口上で若い剣士の活劇が繰り広げられた。打ちたたく太鼓の音に作蔵の胸は高鳴り、次々と変わる絵の物語に心が震えた。作蔵は箱の中の世界に没入し、剣士の活動と一体となり、日頃の雑念は消え失せた。剣士の悲しみ、苦しみそれらを超えた喜びと共に一喜一憂して忘我の境地を浮遊した。こうして作蔵の適えられそうもなかった欲求の一つは、海産物問屋の倅、道友の計らいで充たされた。自力でなく他力だという点を除けば、作蔵にとってこの上ない至福となった。

     それから三日経った昼過ぎ、しとしと降る雨の中を蓑笠にくるまった作蔵の両親が荷車を引いて商いから帰ってきた。

    「いやー。雨の日は商売にならない。こんな日は家にいるに限るわ」

     父親の庄吉が蓑を脱ぎ背伸びしながら愚痴った。

    「そんなこと言っても、少しでも稼がないとおまんまの食い上げになるだけなんだから」

     母親のお真希がまじめ腐って現実を言うと、庄吉がうろたえて言い直した。

    「その通り。働けど働けど楽にならざる我が暮らし」
    「何言ってるんですか。お前様に才がないからこうなのよ」

     一言余計だから丸くならないと庄吉は思いなおし、そこからはだんまりを決め込んだ。暮らしにゆとりがないと心がすさむ。少しは楽しい話がないものかと思ったが、頭に浮かぶのは生活の苦労ばかりで心が弾む話は一つも出てこなかった。

    「おっかあ。腹減った」

     家の中から出てきた倅の作蔵が空腹を訴えながら二人を迎えた。

    「はいはい。すぐ用意するから」

     お真希はそう答えると亭主とのこれ以上の衝突を回避し、そそくさと炊事場に消えた。昼の用意ができて、ちゃぶ台に座って、飯を食べている間も何となく二人の間に冷たい空気が漂い、言葉少なに食べ物を口に運ぶだけだった。

    「あっ。そうそう。大事なことを忘れていた。今日の朝方に売り物の仕入れのために問屋の浜之に寄ったら番頭の幸七に言われたことがあったわ。作蔵に訊くけどな。番頭が言うには、問屋の御新造のかんざしが見えなくなったというんだな。そのかんざしは古いものだが先代の連れ合いの形見だということなんだ。時には遊びに来ているお前に知らないか訊いてくれと頼まれたのよ」

     父親の庄吉が難しい顔をして作蔵を見た。あまりにも突然な話に、それを使った当人なのだから作蔵は息が止まりそうに驚いた。どうしようかと一瞬思ったものの後は頭が真っ白になり、身体が固まった。

    「かんざしなんて、女の物じゃないか。そんなもの見たこともないです」

     胸の中の動揺とは裏腹に、咄嗟の判断でそう答えていた。

    「ふーん。そうだろうな。考えるのもばかばかしい」

     庄吉は、なおも作蔵の様子を見ていたが、それ以上は追及しないで矛を収めた。

    「何なのよ。自分の家の中の話を外のものに疑いを向けて、許せないわ」

     母親のお真希がここぞとばかりに憤慨し息まいた。自分の倅が疑われたことに大店の傲慢を感じ、自身の境遇との差を感じ許せない気持ちとなったのだ。

    「そうだ。とんでもない話だ。まっとうに生きてる俺らを馬鹿にするのもいい加減にしてもらいたいものだ」

     ここに至って、庄吉とお真希の心は一致し、融和して、先ほどの不協和音は消え、いつもののどかな夫婦の心根に回帰していた。

     それから二日後の昼過ぎに、作蔵の両親が商いから家に戻ると、目明かし丹治が二人の子分を連れて訪ねてきた。庄吉とお真希が恐れおののいて家にあげると、丹治は居間に座るなり、にこやかに笑った。今まで見たこともない丹治の顔を見て、松吉と良助は驚いたように口を開けた。お真希の煎れたお茶を一口飲んで丹治が笑みを浮かべて口を開いた。

    「いやー。突然お邪魔して申し訳ない。少し訊きたいことがあったもんだから」
    「何でございましょうか。手前如きの家にわざわざ親分様が」

     庄吉が畏まって頭を下げ、もみ手をした。

    「うん。いや。何て言うか、おのこの作蔵あにいに訊きたいことがあって、まかり越したんだが、呼んでもらえますか」

     作蔵は、その時声をかけるまでもなく、部屋の外で話を聞いていて、すぐに入ってきた。

    「作蔵。十手の丹治親分だよ。ちゃんと挨拶しなさい」

     それを見てすかさず母親のお真希が声をかけた。

    「へい。初めまして。作蔵と申します」

     十歳の作蔵が丹治の前にちょこなんと座ってぎこちなく頭を下げた。

    「いやいや。お利口だね。ちょっと訊きたいことがあってね。いえね。海産物問屋の御新造のかんざしだけどね。おにいは何か知ってるんじゃないかと思って」

     取り調べの時のいつもは怖い丹治の顔は、ことさら柔和に緩み、猫なで声で優しかった。松吉と良助がいつもと違う雰囲気に笑いをこらえて、居心地悪そうに体を揺らした。

    「おいらは女の持ち物に興味はないです。知りません」

     作蔵は、道友の好意を裏切るわけにいかないと幼心に決意し、丹治に身体を固くしながら返答した。

    「そうですか。友達をかばうのも相手によりけりじゃないですか。問屋の倅はね、おにいが家に遊びに来た時、持ち出したといってるんですよ」

     それを聞いて、作蔵は突然、信頼のはしごが外された気がして動揺した。  

    「えっ。そんな、おいらは盗ってはいませんよ。あれは、道友が使い古しだといって、のぞきからくりのお代としておいらにくれたものです」
    「それが最も本当らしい。あにいありがとうよ」

     作蔵が道友の嘘に憤慨し真相を言うと、丹治は柔和な笑顔を崩さず、丁寧に礼をして、海産物商いの庄吉の家を後にした。その足で、休む間もなく丹治と二人の子分は、海産物問屋浜之に直行した。店と離れた母屋の広い客間には大きな座卓が置いてあり、片側には問屋の旦那と御新造それに倅が、その反対に丹治と二人の子分がそれぞれ座り相対した。

    「さてと。先日の話だけど作蔵の言うには、かんざしは道友あにいからもらったのだといってました。どちらが本当でしょうか」

     丹治の優し気な目が笑いを含んで道友を見た。道友はそれを聞いて、力なく父と母に顔を向けた後、俯いた。

    「怒らないから言ってごらん。どうなの」

     御新造のお福が心配そうに表情を曇らせ道友に返答を促した。道友は顔を上げ旦那、藤兵衛の顔を窺ったが、父親が黙って頷くのを見てようやく重い口を開いた。

    「本当言うと、かんざしは作蔵においらがくれてやったのさ。だってあいつはお金がなくて見たいからくりも見れないんだから、可哀そうだろう。金槌も鎌も包丁も近くの仲間にやったよ。みんなからくりが見れて喜んでたよ」

     やっとのことでそう言うと堪えきれなくなって道友は涙を流した。

    「まあ。この子ったら」

     お福が慌てて道友に近寄り心配げに我が子の肩をさすった。

    「これで丸く収まったということだ。後は親子の問題だ」

     丹治は柔和な笑顔を絶やさないままそう告げると、丁寧にお辞儀をして松吉と良助を引き連れ、海産物問屋を後にした。


     千代のめし屋に丹治たちは引きあげて夕飯を食べていた。先ほどの柔面はいつの間にか渋面に変わり、丹治は黙々と箸を動かしていた。そこに追加のおかずをもって千代が現れた。渡りに船とばかりに良助が声をあげた。

    「先ほどの親分の優しい顔をおかみさんに見せたかったなあ」

    「ニコニコと笑顔で、声まで緩んでいた」

     よせばいいのに、松吉がさらに輪をかけた。

    「あら。そんな別嬪さんと話してたんですか」

     千代の声が穏やかながらわずかにとがった。

    「何を言うんだ。童子と話しただけだよ。子供は優しくしないと何も言わないから」

     丹治が苦笑いを浮かべながら事実を言うと

    「本当なの」と千代は笑いながら部屋を出て行った。

    「おいおい。危なかった。言葉には気を付けないと。それはともかく、近いうちにそののぞきからくりとやらを見に行くとするか」

     丹治は二人をたしなめたものの強くは責めないで、いたずらっぽく口をすぼめて二人を見た。

     のぞきからくりが来るという二日後の昼過ぎ、丹治と二人の子分は参拝客を装って神社の境内にいた。

    「親分。小銭がないんだけどどうすりゃいいですか」

     松吉がすっかりその気になって丹治にせびった。

    「何。銭がない。この十手をやるから使ってみるかい」

    「そんなんじゃないです。からくりを見るんですが」

    「ははー。覗くんじゃないよ。ただ見ればいいんだよ」

     そこに堪りかねて良助が口をはさんだ。

    「親分。一人で楽しんでいるのはそのくらいで、おいらたちは何をすればいいんですか」

    「これは悪かった。まずはからくりの周囲をそれとなく見ていてもらいたい。それだけでいいよ」

     それでも丹治の意図ははっきり分からなかったが、からくりの周りに集まった子供たちを見ると、ほとんどの者が手に何かを持っていた。小さなものは分からないが、それらは、ハサミや包丁、ノミなどが見分けられた。さりげなくそれらを見届けた丹治たちは神社を離れた。

    「それでだが、マツとヨシはこの後、からくりの連中、三人位と見たが、どこに帰るか見届けてもらいたい。気づかれないようにな。あっしは井崎の旦那に寄って行くから」

    「へい。分かりやした」

    「合点です。任せてください」

     松吉と良助の返事を後ろにして、丹治は足早に番所を目指して歩み去った。 

      次の日の朝、丹治は朝飯を食べた後、庭の白い紫陽花を見ながら考えていた。この花は、年によって青色にもなるし茶色にもなる。何の加減か分からないが、地面から吸い取る養分のせいなのか、答えの出ぬまま考えた。人も同じだなとその時思った。長い年月の間に色が変わる。心の色が変わり、表も変わる。ずーと同じ色に留まるわけがない。白い心が色を帯び、七色虹に魅惑され、吸い取る滋養で変化する。

     丹治は思った。子供の集めた金物の行く場は、高熱で溶かされ、再び新たな用具に生まれ変わることで、その通りだと何の問題もないのだが、何か釈然としないものが残った。子供が家の不要になった金物を持ち出すのは特にいうこともないが、高じて他の物を盗むという事になるかもしれない。そこで今日、井崎の旦那から聞いた橋の欄干の擬宝珠が盗られたとの話を思い出した。まさか子供がやったとは思えなかったが、妙にそれが気になった。

     その時、子分の松吉と良助が二人そろって顔を出した。

    「ご苦労さん。それでどうだった」

     松吉と良助が座るなり丹治が性急に訊いた。

    「へい。どうもこうもありゃしない。連中を付けたら、広瀬川の橋を渡って間もなくの西の方の林の中に一軒家がありましたが、家の前の集積場に子供たちが持参した金物類を積み重ねた後、そこに入っていきやした」

    「ふーん。人里離れた一軒家か。訳ありだな」

    松吉の報告を聞いて丹治が唸った。

    「それで、家の中を探ろうと動き出したら、男が二人来たのが見えたので急いで木陰に隠れ見ていたら、この男たちも集積場に何かを置いて家の中に入りました。しばらく様子を見ていたが、動きが見えないので、そろそろと集積場に近づき夕暮れの薄明かりの中で置いたものを見ました。何か丸い帽子みたいなものがいくつか見えました」

     良助の話を聞いて、丹治は即座に、井崎の旦那が言っていた擬宝珠じゃないかと思った。

    「その後そろりと家に近寄って中を窺ったが、はっきりしないけど平屋で大きくもない小屋みたいなものだから、人は多くはいないと思いました」

     松吉が話を締めくくったが、それを聞いて丹治が言った。

    「ご苦労さんだった。お茶を飲んで昼飯を食べていったらいい。あっしはこれから井崎の旦那に相談に行ってくるから」


     次の日の朝早く、まだ日の出ぬ時刻に丹治と二人の子分は、人里離れた林間の小屋の前に立っていた。どんどんと丹治が木戸をたたき声を張り上げた。

    「訊きたいことがある。開けてもらおう」

    「朝っぱらから何用ですか」

     間もなく男の声がしてガラリと引き戸が開けられた。

    「御用の者だ。調べたいことがある。中を見せてもらう」

     丹治が十手を前に出すとその男は中に向かって叫んだ。

    「親方。御用聞きのおいでだよ」

     その声に応じて柔な顔のからくり口上の男が出てきた。

    「何ですか。こんなに早く困りますね」

    「城下に失せ物が出たんでね。入らせてもらうよ」

    「失せ物。おーい。皆。これは失せた方がよさそうだ」

     男の声を聞くまでもなく、すでに小屋の中の男たちは裏口から逃げようと外に出たのだが、外で待ち構えていた同心井崎の手の者にことごとく捕まった。からくりの口上男も目明かし丹治にあっけなく取り押さえられた。


     それから五日が過ぎた。その夜、丹治の女房、千代の店ではにぎやかな笑い声が響いていた。

    「さあ。今日も千代おかみのうまい料理とお酒がいっぱい。松吉、良助両人の探索の働きでうまくいったというものだ」

    「おやまあ。井崎の旦那にはいつもごひいきを頂いて感謝です」

    「おかげでうまい食べ物に酒とくりゃあ言うことないです。旦那のためなら地獄まで」

    「地獄は休みよ。今日は極楽」

     千代が井崎の盃に酒を注ぐと松吉と良助もはめを外して喜んだ。

    「あの連中は、番所の中で事の顛末をすべて白状したよ。つまりは盗人だが、それをはぐらかすため子供たちに金物を持ってこさせたという事なのだ。子供も真っ当なだけでない、盗品もあるだろうという事で自分たちの盗みが顕在化するのを防ごうとしたとの話だ。それにしても子供たちのもってくる金物の中にはずいぶん高価なものもあったというからぼろもうけのひどい話なのさ。ところで丹治の親分はどうなの。ここまで見通していたの?」

     井崎はひとしきり持論を展開した後に、盃を口に運びながら丹治の顔を見た。

    「まったく分かりませんでした。浜之の旦那に金物がちょいちょい無くなるので気味が悪いから調べてほしいと頼まれ、顔を突っ込んだんですが、せがれの仕業と分かればそれまでですよね。だけど何となく気がかりで、のぞきからくり見学としゃれこんだんですが、集まった子供たちが皆、金物を抱え込んでいる。それでね。松吉と良助に探索を頼んだら、隠れ家に運び込まれる擬宝珠を見つけてくれましたから。幾らなんでも子供ではないだろうと思いました」

     丹治がかいつまんで語り終えると、井崎は頷きながら笑いかけ小さく拍手した。その音につられ、松吉と良助も手を打った。突然の三人の拍手に丹治は照れて、井崎が注いでくれた盃を持ち上げ、ぐいと一口で飲み干した。それを見て井崎と松吉、良助の三人はなおも激しく両手を打ちたたくのだった。


     
     
     
    定年退職後に本を書き、これまでの著作の刊行は『人の世の物語』と『ブロンズの母』それに『孫のおあいて』や『バックミラーの残影』があります。この度、note投稿の『峠の向こう側』を二月二日に書籍化しました。(アマゾン通販)

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