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嫌われないように生きてきたのに、うまくいかなかった⑤

    ※本記事には、家庭内の暴力や心理的に負担のある表現が含まれます。


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    専門~社会人

    実家を離れて、穏やかな時間を過ごした

    高校を卒業する前から、祖父母宅で生活するようになった。

    兄は家を出たらしい。

    実家と祖母宅は歩いて数秒の距離だった。
    少しずつ荷物を運び、明確に家を出る意思表示はせずに引っ越しをした。

    専門学校へ通った2年間は穏やかだった。


    母と普通に話せるようになった

    専門卒業前にふと実家に帰ると、再婚の父がいなかった。

    母に事情を聴くと、浮気して出て行ったらしい。
    もともと母は結婚する気はなかったが、男が結婚したいというから結婚したと言っていた。

    母が一人だと可哀そうかなと思い、少しずつ実家で生活するようになった。

    今まで全くと言っていいほど話してくれなかった母と、なにを話したらいいかわからなかった。
    母はそんなに喋るタイプではないと思っていた。

    大人になって話す母は、とてもおしゃべりだった。

    母と同じ事務職をしていたので、よく仕事の愚痴を言い合った。

    社会人になって数年経ち、会社を辞めるタイミングで実家を出ようと思った。
    母も「気を付けてね」と軽い感じで見送った。


    口を滑らせた

    私が家を出た入れ違いで、兄が
    「子どもが出来たから嫁とこの家に住まわせてほしい」
    と実家に帰ってきた。

    兄は威圧的で暴力的で言葉遣いも荒かった。
    母はよく兄を怖がっていた。

    揉め事になるからどこかに家を借りてほしい、ここで兄夫婦と三人で暮らせないと母は断った。
    しかし、私が家を出て部屋が余っていたため、強引に同居が決まったようだった。

    私は当時仕事をしていなかったので、しばらく実家に帰り、甥の世話をしていた。

    母は仕事の愚痴や兄の困りごとばかり話していた。
    母の意見に賛同できずにいると
    「だから!!!」「違うって!!!」
    と声を荒げた。

    私は子どもたちの面倒を見たいから実家にいたが、母は貴重な休みを子どもの面倒で潰されたくないようだった。

    3カ月ほど甥の世話をしていたある日、
    それまでまともに話したことのなかった兄が、初めて穏やかに話しかけてきた。
    「子どもの面倒を見てくれてありがとう」と言われて、気が緩んだのか、つい母への不満をこぼしてしまった。


    私の一言で、全部が崩れた

    兄は今までの自分の生い立ちについて、私より遥かに母を憎んでいるようだった。
    そしてそれを、母に隠していなかった。

    私がこぼしてしまった不満をきっかけに、兄は母に
    「話がある」
    と呼びだした。

    私は逃げようと思った。
    どうなるかは大体想像がついた。

    自分のせいで母が責められるのは可哀そうだと思った。
    告げ口しやがってと思われるのが嫌だった。

    それでも祖母に、参加しろと言われた。

    私は事前に母へ連絡した。
    兄に言ってしまったこと、兄が怒っていること、何を言い出すかわからないことを伝えた。

    仕事から帰ってきた母に兄は怒りをぶつけ続けていた。

    自分の孫の面倒も見たくないのか、という話から始まり、
    幼少期にされたこと、嫌だったこと、今までの不満を、全部まとめてぶつけていた。

    私はどちらの味方にもなれなかった。
    兄と一緒に母を責めることも、兄から母をかばうこともできなかった。

    母は泣きながら
    「こんな母親でごめんなさい」
    「親としてちゃんと育ててあげられなくてごめんなさい」
    と頭を下げた。

    私は何も言わなかった。

    そのあと母は私を責めなかった。
    自分は精一杯やってきたつもりなのに、と泣いていた。

    私は母に、謝った。
    兄に言わなければこんなことにならなかったのに、と。

    私は実家にいるのが辛くて、翌朝帰った。

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    更新は毎週水曜・日曜
    次回は4月22日(水)予定

     
     

    famima

     
     
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