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勇気の呪文|あの日のわたしに会いに行く

    ほうこ

    わたしには、勇気の呪文がある。
    「出過ぎた杭は打たれない」

    組織やチームのなかで、何か新しい提案をするとき、
    この勇気の呪文がでてくる。

    また傷つくんじゃないか
    誰かが悲しい顔をすんじゃないか

    そう思いながらも、怖さのなかにある”きらめき”に手を伸ばそうとする。

    そんなときにでてくるのが、勇気の呪文だ。

    でも、この呪文がでてくるときは、しょうがないやってみようと腹をくくったとき。
    すでに、呪文をとなえた後だ。


    以前、わたしは、あるチームのかじ取りをする立場だった。
    新しいメンバーが加わり、活気づいた時期。

    このかじ取りに悩んでいたときに
    「中途半端だと、『出る杭は打たれる』んだよね。
    出すぎていいんだよ」
    と言われた。

    背中を押されたおかげで、既定路線よりも熱い情熱を選んだ。
    そこから発する可能性に賭けた。

    その賭けは、大成功を収めた。

    でも、その後、このチームは、長く続くことはなかった。
    わたしのかじ取りが失敗だったのではないかと心苦しさが残った。

    喜びの裏側にある染みだ。


    それ以来、わたしは小さくまとまろうとする。

    うずくまる小さなわたしが、心の中で泣いている。

    突き抜けてしまえば、楽になるのかも。
    突き抜けてしまえば、見たことのない風景が見えるかも。

    いつもそんな葛藤を抱えている。


    でも、今のわたしには、背中を押してくれた言葉たちが、そのひとともに蘇る。
    わたしの味方は、たくさんいたんだなと痛感する。

    言葉はずっと生き続け、
    あとから、深い意味として蘇ってくる。

    そして、やりたいことを後回しにしている時間なんてないんじゃないか。
    自分らしさを隠して、埋もれることはないんじゃないかとも思う。

    勇気の呪文を唱えていたのは、わたしが思っていた「わたし」ではなかったのかもしれない。

    もっとまっすぐで、もっと自由な、本来のわたしだったのかもしれない。








     
     
     
    50代おひとりさま。ポンコツ街道まっしぐら。 小さなおうちで、シンプルな暮らしと庭時間を楽しんでいます。 過去の自分に会いに行くエッセイ「あの日のわたしに会いに行く」、人生の後半戦を綴る「おひとりさまの老後」を中心に、暮らしや心の記録、くすっと笑える短編エッセイを綴っています。

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