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黎明 (小説 灼光へ2)

    黎明


    空が白くなり始めていた。海は波が穏やかに砂をはいて、風は海からそよいでいる。小鳥たちが鳴き始めた 。 
    老人が波打ち際を歩いてきた。

    少年が、駆け寄っていく。
    「おじいさん、おはようございます。」

    「おはよう。坊や。」
    「昨日は、楽しかった、坊やとの話を考えていたら眠れなかった。少しウトウトとはしたけどな。坊やが海辺にきてるかなと思って、きて見たのだ。それにしても早いな。」

    「昨日のおじいさんのアキレスと亀の話の後、ずっと考えてたんだ。そしたら眠れなくて。そのままここにきたんだ。」

    「坊や、今日はおばさんの結婚式なんだろ、目も赤いぞ、大丈夫か。そこに座ろう」

    二人は難破船の帆柱の丸太に座った。
    帆柱で休んでいたカモメたちが青くなり始めた海へとんでいく。

    老人が語り始めた。
    「それにしても昨日は驚いた。
    私の友達にも、全てのこれ以上のない最小単位があると言った人はいる。坊やが昨日いった空間も最小単位の『粒』でできているといった人は、坊やが初めてだ。どうして思いついたんだ。」

    少年が手を見ながら話しはじめた。
    「お父さんの漁で使う網を、姉さんと二人で手入れしているんだ。網が丸まってぐしゃぐしゃになっているときがある。」
    「姉さんからいつも言われるんだ。
    直感ではなく慎重に考えなさい。そして問題を小分けにして、簡単なところから手をつけなさい、そして最後に見落としがないか確認しなさい。これは僕の仕事だけどね。」
    「何をやるにしても同じやり方でとりくみなさいと言われているんで、何というか、染み込んでるのかな。」

    老人はほほうと声を出した。
    「感心な心がけだ、続けていきなさい。 そういえば昨日の夜はなんで眠れなくなったんだ。」

    「この世界が、おじいさんの友達がいったような最小の単位でできているならば、空間も最小の単位『粒』でできているとするなら。そして宇宙が有限なら。この宇宙の世界は有限の単位や『粒』で作られている。」
    「この帆柱もカモメも僕の体もこの空間もこういうものを全て最小単位、全てがこれ以上割り切れない『粒』のようなものでできているんじゃない。」

    「そうだな」老人はうなづいた。

    「例えばこの貝殻が一つの粒だとしよう。」少年は足元の貝殻を指指した。
    そして目を閉じて続ける。
    「単純に考えると、僕から見て、どこにあるのか。前か後か、どれくらい離れているのか。左右はどれくらいか。上下はどれくらいか、そして何があるか。『粒』の種類。」少年は指をおりながら続けた。「この実際の世界は有限で、そしてそれは何か、それはどこにあるか、数えていっても空間とそこにあるものは有限だ。だけど、数は無限にある。だからこの世界は数の組み合わせで表現できる。この宇宙が網の目を数えるように数で表現できる。」

    「続けなさい」老人は促した。

    「さらにいうとね。例えばカモメが先ほどとんで行った。その時間も今からどれくらい前なのか数字で表現できる。それを組み合わせれば全てのこの宇宙の全ての動き、全ての『粒』を数字で表現できる。縦、横、上に組み合わせた網の目に貝殻を置くように、この宇宙の全てを数で表現できる。」

    「どうやって、それを。その機械のようなものを作る。材料はどうする。どうやって動かす。」

    少年は目を開けて続ける。
    「今はできない。今は。でも、あの戦の時代から色々なものができたよね。これからさきも色々なものができる。あそこの帆掛船も父さんが使ってる手漕ぎ船もいつかは風も、人の手で漕がなくてもよくなるかもしれない。」
    「いつかそんな時代がくると思う。」

    海の上に陽が上り、二人の姿を照らしだす。少年は眩しげに目を細めた後、老人の目を見つめて続けた。
    「でも、明るくなってきた時にわかったんだ。それは無理だと。問題は材料やどう動かすかじゃないんだ。」
    「その機械を僕らの世界の中で作らなくてはいけない。それは原理的に無理なんだ。」

    少年の目は赤みを帯びていた。寝不足だなと老人は思った。この少年の言葉を聞こう。それが敬意だと思った。

    少年は再び目を閉じ、噛み締めるように続けた。
    「確かに、数は無限。この宇宙の、この実際の世界にあるものは、空間を含め全ての『粒』、その位置も有限。無限の数はそれを表現できる。僕の頭の中ではそれができる。昨日の夜に考えたことが今でも頭の中で考えられる。」
    目を開けて老人の目を見て、少し声を落としていう。
    「だけど、その機械が自分の状態を表現しようとすると、その状態を書き込むための材料が必要になる。その材料を追加すれば、さらにこれを追加する材料が必要になる。さらにその材料を追加...、」
    「自分自身すら表現できない。まるでアキレスが亀に追いつけないように」

    透き通るような風が布のように二人の間を通り過ぎた。
    老人は優しく言った。
    「全体は部分より大きいな。」

    少年は言った。
    「暗闇の中、目を閉じて頭の中で考えた世界ならできるはずだった。でも、部屋の中が明るくなって窓や扉や隣に寝ているお母さんの姿がぼんやりと見えてきた頃に、気づいたんだ。
    頭の中ではいくらでも考えることはできる。でも、明るくなったら、自分の体が見えてきたら、この考えている自分を頭の中で考えている思考自体をどうやって実際の世界に展開できるのか。
    無理だなとわかった、一晩眠れないで考えたのに...。」

    老人が言った。「坊や、私の友人は数学や哲学を教えているんだ。私もそこにいる。しばらくいる予定だ。こんなことをやっているんだ。」

    老人は砂の上に絵を書きながら、円周率の計算方法や三角形の各辺の関係など数学の初歩を教えた。
    少年は興味深そうにそれを聞いた。

    太陽はすっかり上り、空は青く、海は白く輝いている。

    「面白いかな。」と老人は聞いた。
    「ありがとう。三角形の話は姉さんに聞いたことがあったけど、他にもこんな数学の面白い話があるんだ。」

    老人は頷きながら言った。
    「友人が教えている家には多くの少年が学びにきてる。坊やより皆年上だけど、坊やなら大丈夫だ。一緒に学びにこないか。友人の家は大きいから、空いている部屋に住めばいい。」

    しばらく黙り込んだ後、難破船の壊れた梶を見つめながら少年は答えた。

    「家の仕事は、僕がやらないといけない。まだ漁にはでれないけど、お父さんの後は僕が継がないといけない。」
    「お父さんの網の手入れは姉さんと二人でやらないといけないし、家の仕事も水汲みをやらないといけない。」
    「僕がいないといけないから。」

    老人は少年の目を見ながら低く強い声で語りかけた。
    「そうだな。立派だぞ。坊や」
    「こちらにきたらいつでも私の友人の家にきなさい。あそこの丘の上の黄色い壁の大きな家が見えるだろう。あれが友人の家だ。あいつはお金持ちだから食べ放題だぞ。数学に関しては私以上にできる。紹介しよう。遠慮なんかするなよ。」

    「島からこちらにくることはあまりないけど、きたら訪ねます。ありがとうございます。」

    「おばさんの結婚式で居眠りしてはダメだぞ。」

    少年は笑いながら頭を下げ、歩いて行った。

    老人はしばらく少年の去って行く背中を眺めていた。

    カモメたちのざわめきが風にのって聞こえてくる。
    海の涼しさが老人の元に届いていた。


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