がん治療、一旦完走!今思うこと
1月にがんが発覚後、放射線、抗がん剤と治療を継続。そして8月から1ヶ月ほど入院し、2回手術を受け、2週間前に退院しました。
主治医からは「この手術で治療はいったん終わりです。ただし腫瘍の取り残しの可能性が高い場合は、抗がん剤を追加でおこないます」と言われていました。そのため退院したあとも不安だったのですが、、、
結果、取り残しがある確率は5%以下と低く、治療は一旦終了という形になりました。追加の抗がん剤もなし。やったー!
主治医いわく、私の場合は放射線治療がよく効いてくれて、腫瘍がコテンパンにやられていたのだそう。私には太ももとお尻の2ヶ所に腫瘍があり、お尻の方はセカンドオピニオンを受けて放射線をやることになったので、まじでセカオピやっといてよかった、となりました(もともとは手術だけで治療する予定だった)。

というわけでがん治療に区切りがついたわけですが、身体的な負担はまだまだ続いていて。
今回の入院で私の身体には太ももに30センチほどの手術痕、お尻に5センチほどの手術痕、15ヶ所ほどの注射痕が残りました。
手術の痛みはもちろんですが、脚の動かしづらさ、傷口付近のかゆみ、傷口からの滲み出し(リンパ液などが漏れること)、CVポートの痛みなどがあり、不快感からは解放されていません。徐々によくなっているかと思いきや逆戻りしたりして、なんだかなぁと思っています。
がん治療で辛かったことをランキング形式にするなら、
辛い1位:手術後の体調
辛い2位:病院食への拒否感
辛い3位:抗がん剤の副作用
…かなぁ?
手術を受ける前までは「抗がん剤が一番辛いんだろうなぁ」と思っていましたが、手術後の不快感やストレスの方が上回ってきました。なんてったって各手術から3週間以上経っているのに、いまだに痛みや滲み出しに悩まされているので…
(特に滲み出しが厄介で、服やシーツを汚してしまうので常にサニタリーショーツなどを履いていないといけないんですよね。それによって肌がかぶれて、眠れないほどの強いかゆみが引き起こされてストレスになるという。。。)
抗がん剤も、2日間ほど水も飲めないくらいの凄まじい吐き気に襲われる+3週間くらい立ちくらみがするという副作用があってしんどかったのですが、徐々に体調がよくなっていく感覚があったのでまだ耐えられました。
病院食も、入院が長くなるにつれストレスになっていきました。だんだん味に飽きてきてしまったり、見るだけで抗がん剤治療を思い出して気持ち悪くなってしまったり。1〜2割くらいしか食べられなかった時もあるくらいでした。
病院食が苦手になってきちゃって(抗がん剤を思い出しちゃう、味付けがあわないなど)、食事の時間になると軽い吐き気が来るようになってしまった。。。楽しいはずの食事がストレス。これ今後に影響しないといいけどな…
— eri (@Eri_otozine) August 19, 2026
がん治療を完走した今は、食べたいものを食べまくっていて若干過食気味です…笑。
そういえばがんが発覚して最初に思ったのが、「もっとお金を使っておけばよかった」でした。家計をやりくりして資産額を増やしていくのが好きなのですが、それよりもお金を使ってやりたいことにもっと挑戦すればよかった、買いたいものを買えばよかったと思ったのです。死の現実味を突きつけられた時に感じたのは、やはり「やり残したことや後悔がなるべく少なくなるように生きるべきだな」ということでした。
だからがん治療は一旦終了とわかった日に、行きたいイベントのチケットを取りまくったり、友人と会う約束を入れたりしました。人生をもっと遊び倒したい、と思ったので。

ぬいぐるみのはるプー
最後に。がん治療を完走する上で、私のことを応援してくれた皆様に感謝を申し上げたいと思います。
日頃から仲良くしてもらっている友人・知人たちも、数年ぶりに連絡をくれた人たちも、今回のことがきっかけで初めてメッセージをくれた人たちも、抗がん剤治療の直前に長野久義元選手の応援歌を歌って私を鼓舞してくれた巨人ファンの知り合いたちも笑、みんなみんなありがとうございました。自分のことを気にかけてくれている人がこんなにいるんだと驚き、励まされました。今後とも何卒おつきあいしていただければ幸いです🙇♀️
主治医と看護師さん、看護補助の方々にも感謝しています。私を生かそうと必死で治療法を考えてくれたり、早朝から深夜までケアをしてくれたり、点滴やチューブにつながれてベッドから起き上がることすらできない私の世話をしてくださいました。私は他人に頼ったり、お願いをしたりすることがとても苦手な人間です。「何歳になっても一人で生きていけるようにしないと」と思っていましたが、人に頼ることってめっちゃ大事だな。。。と今回のがん治療で痛感しました。そして自分も誰かの役に立てるような人間になりたいと思っています。
そして家族。特に母は、故郷の群馬から東京に来て私の自宅に住み込んで、入院中毎日来てくれました。自身も70代で脚が悪いのに、私の面倒をずっと見てくれていました。タクシー代も食費もほとんど母に出してもらっていたので、さすがに後で現ナマを渡しておこうかと思います(笑)。
さて、がん治療は一区切りつきましたが、5年ほどは経過観察をしていきます。まだまだ通院は続くので、引き続き自分の身体と向き合っていく所存です。
