
【交換書簡】⑦松本忠之さん
もうすぐ夏至ですね。
…というタイミングでお返事を書いています。季節は、時間は、留まることなく正確に時を進めていきますね。
この、未来に向かって進んでいると信じて疑わない感覚だが、実は過去に向かって進んでいるのだった…
なんていうお話があったら面白いかな、なんて妄想などしながら。まっちゃんの【交換書簡】⑥からこれを書いている今までの間、TV録画用のHDDとスマホがこわれました。泣きたいところなのですが、電化製品や電子機器が立て続けに壊れることはホメオスタシスから抜けていくサイン、またはその応援などの意味合いも含まれているので、一概に悪いこととも言えないのです。でも色々痛いは痛いです。笑
前回触れたホメオスタシスについて、まっちゃんは「身体的な恒常性だけでなく、メンタリティにもこの言葉が使用されるんですね。」と言っておられますが、私はこの言葉をスピリチュアリティについて学ぶ中で初めて聞きました。ですのでいわゆるスピ用語のようなものなのかと思い込んでいたのですが、医学や生物学などで用いられる用語なのですね。物を知らないというのは本当におそろしいです。そしてお恥ずかしい。
そしてさらに分子生物学者・福岡伸一先生の「動的平衡」理論が浮かんだそうですが、このような理論についてもホメオスタシス同様スピリチュアリティについて学ぶ中で初めて触れました。今でこそあまり起こらなくなりましたが、スピリチュアルなセッションを受けはじめた時期には物や人物が本当に存在しているのだろうか?と感じるほどに実態として捉えづらくなったり、粒子の集まりとして視覚に映ったこともありました。丸がたくさん見えるのでとんぼの見え方みたいだなと感じたのを覚えています。
さて、彼の日本からアメリカへの移住ですが、実行力そして夢や理想を現実に落とし込んでいく力は友人ながら本当にすごいと思います。学生時代から彼を知る身としては、あの時点で思い描いていた未来に彼はいま確かに立っていると言っても過言ではないのでしょうか。それを現実にしてしまった時点でそれはもはや夢ではなく、目標だったとも言い換えられます。なぜそれらが可能であったのか。もちろん並々ならぬ努力があったことは言わずもがな、なのですが。
INSEADや清華大学のクラスメートたちは、すべからく「目に見えないものの存在を受け入れて」いるし、「生活に取り込んでいる」人もいます。生き馬の目を抜くビジネスの世界で、成功と失敗は必ずしも経営手腕だけでなく、外部環境やタイミングなど運の要素も必須ということを理屈でなく肌で感じているからこそ、だと私は思っています。(中略)
「自分の手腕だけでここまで来た」などとは口が裂けても言えなくなる。「私は運が良かっただけ」「何かしら大きな力が働いた」という姿勢になる。これ、つまりは「目に見えないものへの畏敬の念」だと私は思っています。自然と、謙虚になってしまうんですね。
おそらくこの感覚、元々お持ちだったのではないかなと思うのです。それがクラスメイトたちとの交流の中で確信に変わっていった。
スピリチュアルな感覚は誰しもに標準装備されていると言われていますが、その感覚を使っていると認識して使っているかいないか、あるいは開かれている実感があるかないか、あるいは使わずにあえて封印しているか、それは本当に個人差があり人それぞれです。私自身がその良い例です。今でこそスピリチュアリストを名乗ってはおりますが、子供の頃から不思議な力があった、目に見えない存在が見えたと言うわけではなく、トレーニングを受けて感覚を開いていった、または取り戻していった者だからです。ただ、このトレーニングを受けている際に非常に助けになったのは、目に見えない存在のことを疑う余地がなくすんなりと受け入れられたことです。
もちろん、信じる信じないは本当に個人の自由です。ただし受け容れるかどうかは別として、あるいは私は信じないけれど…でもいい。そういう世界もあるのかもしれないと思ってみる。それだけで何かが変わるかもしれないし、その方が楽しそうならそれだけで何だかラッキーな感じがしませんか、というようなことなのです。