
【交換書簡】⑤松本忠之さん
空中分解するかもしれない、それもまた良し。
そんな風にして、あまり深く考えすぎずとにかく一度やってみよう!と始めた松本忠之さんとの交換書簡も無事2往復が過ぎ、5通目となりました。
さっそくお返事を開いてみましょう。
私の小さな疑問にも丁寧答えてくれて、ありがとう。
英語と中国語が堪能なまっちゃんが「何かを思考する時に英語と中国語で自問する」と書かれていました。私には複数言語を自由自在に行き来できる感覚が大変残念ながら全くわからないので、ダイレクトに英語や中国語での思考が始まるのか思っていましたが、しかしそこは日本語ベースとのこと。なんだか少し安心したような気持ちに。でもそれも「今はまだ日本語が…」と、そうなっているだけのような気もしなくはないのですよ。これからアメリカ在住歴が長くなって、今よりももっと言語や文化が日常になって。そうしたら自然の流れでダイレクトに英語での思考アクセスが始まり、日本語と中国語の方がバリエーションになっていくのではないかなぁ。なんて。それもなんだかワクワクするね。楽しみにしておこう。
だから私は、日本社会にはなじみません(笑)。
言い切ったしね。笑
時にやや批判的な意味合いで ”アメリカナイズされる” なんて言葉を使ったりもするけれど、まっちゃんの場合はその土地に染まっていくことからくる変化ではなく、安心して自由に自分を表現できる居場所に身を置くことで
✦ 本質があらわれる ✦
もうこれ、これなんだよなと、とってもそう感じます。
もうさ、祝福しかないよね。本当に。
書いていて、感動して、涙が出そうです。
本質に向かっていく流れが始まると、その作用が大きけければ大きいほど、変化やスピード感を嫌い現状を保とうとするホメオスタシス(生体恒常性)が発動するものです。まっちゃんの日本企業で働いていた時のエピソード。
「ちょっと突然感があったな。気をつけて」
このエピソードの一連の流れこそ、まさにホメオスタシスそのものだと感じました。似たような経験が私にもあるのですが、以前働いていた職場で営業所の統合がありました。私の所属していたチームはチームごとそれまで所属していた営業所よりもはるかに規模の大きい営業所に移動することになり、チームとしての業務内容は変わりませんが業務量とその仕事全体に関わる人数が大きく変化しました。移動先の営業所メンバーとも早くコミュニケーションを取った方がいいと直感的に感じた私は、積極的に交流を始め、そしてすぐに名前を呼んでもらえるようになり、既所属グループのメンバーを紹介したり連絡や交流の窓口のようになることができました。こうなってしまえばあとは人見知りのメンバーでも大丈夫だろうと感じたのも束の間。既所属グループのメンバーとの溝は知らず知らずのうちに深まっていたのです。ある日突然「到達しようとしている業務やコミュニケーションのゴールが同じだということはわかります。AYAKOさんが間違っていることをしていないこともわかります。でもなぜその順序ややり方になるのか、スピードが早すぎてついて行けません。全く理解ができません。」そう告げられました。まさに晴天の霹靂。ここからは何をどうしても、メンバーのやり方に沿うてみても一向に噛み合わず、味方だと思っていた人にも味方をしてもらえなくなっていきました。(この味方だと思っていた相手、実は同じ職場内で当時お付き合いしていたパートナーなのですよ)
外へ向かおうとする私の意識に比例するように、新しい場所に忌避感を感じて他の介在に嫌悪感を抱くメンバー。この作用もまたホメオスタシスかなと。そしてこのような状況が生み出されている時が、変化の時であり、転機でもあったのです。お互いにきっとこのような体験がなければ今この世界線に生きてはいないかもしれない。そんな風にも感じるのです。現在のまっちゃんが「世間とのお付き合い」という違和感からから抜け出してアメリカで暮らしているように。現在の私はこの出来事以降スピリチュアリティについて興味を持ち、学んでいくことになります。そして現在はスピリチュアリストとして生きているわけですが、スピリチュアリストとしての私についてまっちゃんがこのように記してくれていました。
人種や国籍、年齢、性別、有名無名、経済力、世間的地位など、人間につきまとう「社会的に個人を徹底的に特定しようとする要素」とは離れた場所から、人間を俯瞰している。そんな感覚がします。
私が学んだ講座では初回講義の冒頭で学長よりこのような内容でごあいさつがありました。
共に学ぶ魂同士として、年齢や性別、社会的な立場を超えて存分に交流し助け合いましょう。
講座内ではぜひ、お互いを分け隔てなくファーストネームにさん付けで呼び合いましょう。もちろん私のこともそのように呼んでください。
講師として教える立場ではありますが、私はみなさんを受講生ではなく同志だと思っています。
この学長からの初期設定とも思えるようなお言葉がまっちゃんの感じてくれた事柄そのものだなと感じ、スピリチュアリストとして目に見えないものも含めたその全体を見つめる大切さをあらためて実感する機会となりました。
そして私がスピリチュアリストの国際認定に向けて学んでいることをすんなりと受け入れてくれた背景はこんなところあったのですね。
私が卒業したEMBA(エグゼクティブMBA)のクラスメートの間では、宗教はもとより瞑想やスピリチュアルはごくごく普通に取り込まれていました。逆に言うと、偏見もなければ忌避もない。
世界の名だたるエグゼクティブたちは目に見えない存在たちへの敬意を忘れないと度々耳にしていたのですが、友人の実体験を聞くことでより真実味を帯びます。スピリチュアリストとしてセッションをご案内する際には当然ながら守秘義務が発生しますので、ご本人が公言されなければ知り得ないことなのですよね。
目に見えない存在たちにとっての私たちは目に見える存在であるという認識を持つ。またはそのような世界や存在もあるのでは?と想像を膨らませてみる。信じるとか信じないとかではなく、そのスペースを持つ余裕があるかないか。何をどうするわけでなくとも、自分ではない者への配慮の気持ちがあるかないかだけで見えている世界は変化するように感じます。それは今こそ目に見えるもの同士の私たちの世界でも必要不可欠な最低限の配慮なのではないでしょうか。