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最初から、山の上にいた人はいない。

    良海|越境するお坊さん

    結果を求めたり、「自分も変わらなければ」と焦ったりする時ほど、すごい人と自分との差を強く感じます。

    お寺をもっと盛り上げたい。より良い場所にしたい。そう思って他のお寺について調べていると、すでに多くの人が集まり、魅力的な活動を続けているお寺がいくつも見つかります。

    「こんなにすごいお寺があるのか」

    刺激を受ける一方で、正直、絶望することもあります。

    自分は今まで何をしてきたのだろう。
    円蔵寺に何ができるのだろう。
    同じような場所まで、本当にたどり着けるのだろうか。

    そんなことを考えてしまいます。

    すごい人を見た時の、二つの選択肢

    大きな差を感じた時、選べる道は大きく二つあるように思います。

    「自分はまだまだだ」と、前に進むこと。

    あるいは、

    「自分には無理だ」「あの人は特別だから」と、諦めること。

    心のどこかでは、前に進む方がよいと誰もが分かっているはずです。それでも、差があまりに大きく見えると、前に進む力を失ってしまいます。

    「あの人は、昔から才能があったから」
    「あのお寺は、もともと立地が良いから」
    「支えてくれる人が多いからできたんだ」

    そんな理由を見つけて、自分が今の場所にいることを正当化したくなります。

    もちろん、環境や立地、出会いや運によって差が生まれることはあります。努力だけですべてが決まる、と言いたいわけではありません。

    ただ、そこで一つ忘れてはいけないことがあります。

    外から見れば最初から成功者に見える人も、初めから現在の場所に立っていたわけではないということです。


    すごい経営者も、だいたい一度は転んでいる

    先日の記事にも書きましたが、最近、経営者の本を意識的に読むようになりました。ノウハウだけを紹介する本よりも、その人がどのような道を歩いてきたのかが分かる、自伝に近い本を読むことが増えています。

    そこで気づくのが、今では成功者と呼ばれている方々も、かなり失敗しているということです。

    仕事がなくなった。
    事業がうまくいかなかった。
    人が離れていった。
    お金が足りなくなった。
    自分の判断が間違っていた。

    外から見える華やかな結果だけでは分からない、泥臭い時期があります。

    そして、失敗したところで物語を終わらせず、考えて、悩んで、次の一歩を選んでいます。

    もちろん、運に恵まれた部分もあるでしょう。しかし、その運も、動き続け、出会い続け、選び続けた先に巡ってきたものなのかもしれません。

    経営者の本を読む時、私は「この考え方をお寺に置き換えたらどうなるだろう」と考えます。それだけでも十分面白いのですが、最近は、自分自身を前に進ませる役割もあるのだと感じるようになりました。


    真剣に考えるほど、絶望する

    お寺のことを真剣に考えれば考えるほど、私は時々絶望します。

    どうしたらよいのだろう。
    何を変えればよいのだろう。
    自分に、本当にできるのだろうか。

    MBAで学び、少しは見える世界が広がったはずなのに、広がったからこそ、自分に足りないものも以前より見えるようになりました。

    知らなければ、自分なりに頑張っているつもりでいられたかもしれません。

    でも、外の世界を知ってしまうと、今いる場所との差も見えてしまいます。

    だからこそ、もがいていきたいと思うのです。

    このままでは駄目だと思うから。今の場所から少しずつ進めば、まだ見たことのない景色を見ることができるかもしれないからです。


    山を登った先に、もっと高い山が見える

    私が敬愛してやまない漫画家・井上雄彦さんの『バガボンド』に、印象に残っている場面があります。

    目の前にある大きな山に、やっとの思いで登る。頂上に着けば、何かを成し遂げたと思えるはずでした。
    しかし、そこから見えたのは、それまで下からは見えなかった、さらに高い山々でした。
    主人公は、その景色を見て笑います。
    ようやく登ったと思ったのに、まだ先がある。自分がたどり着いた場所は、終着点ではなかった。

    この場面を、私は時々思い出します。

    スーパースターやカリスマ経営者、すごいお寺の住職。私から見れば、はるか雲の上にいるように感じる方々がいます。

    けれど、その方々も、きっと自分より高い山を見ています。

    一つの目標にたどり着いたら、そこから初めて見える課題がある。乗り越えたと思ったら、次の山が現れる。

    下から見ている私には、その人の立っている場所だけが見えます。そこに至るまでの険しい山道や、その人が今見上げている次の山は、なかなか見えません。

    だから、最初から特別な場所にいた人のように感じてしまうのかもしれません。


    それでも、次の一歩を選ぶ

    私は、スーパースターになりたいわけではありません。

    有名になりたい、誰よりも大きなお寺にしたい、ということだけを目指しているわけでもありません。

    ただ、このように生を受けたからには、自分なりに何かを成し遂げてから人生を終えたい。そんなことを、漠然と子どもの頃から思っていました。

    円蔵寺を、今よりも少し良い形で次の世代につなぎたい。必要とする方に、きちんと届くお寺にしたい。そして、住職として自分にできることを、最後まで探してみたい。

    今はまだ、思うように進まないことも多くあります。

    すごい人を見て、落ち込むこともあります。自分には無理なのではないかと思う日もあります。

    それでも、最初から山の上にいた人はいません。

    外から成功しているように見える人にも、見えない山道があったはずです。そして今も、また別の山を登っているのだと思います。

    私も、今いる場所から進むしかありません。

    焦って何段も飛ばそうとするのではなく、目の前の一歩を選ぶ。失敗したら、そこで考える。そしてまた、次の一歩を選ぶ。

    いつか少し高い場所までたどり着き、そこからさらに高い山々が見えたなら。

    その時は、絶望するのではなく、精いっぱい笑ってみたいと思います。

     
     
     
    浦和円蔵寺38世住職|早稲田MBA|大荒行堂初行成満 【人生の給水所〜Where Life Pauses to Go On〜】 560年続く伝統組織の変革記。 📚『御朱印でめぐる関東の百寺』『地球の歩き方埼玉』掲載 📺 TV紹介|「モヤさま2」「ザワつく!金曜日」

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