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夏の花に、終わらない約束を【1】

    【あらすじ】
    ある夏の日、日向葵は、娘とともに神社の裏に広がる向日葵畑を訪れていた。「ここの向日葵畑には秘密がある」と娘に話しかけながら、葵は高校三年生だった頃の夏を思い出す。
    学級委員長として周囲から頼られ、家の事情から神社で巫女のアルバイトをしていた葵は、「大丈夫」と笑って本音を飲み込むことに慣れていた。そんなある雨の日、葵は猫を探す不思議な少年・夏神陽と出会う。翌日、彼は大阪から来た転校生として葵のクラスに現れた。明るく人懐っこい陽と過ごすうち、葵は少しずつ本音を言うこと、誰かを頼ることを覚えていく。
    けれど、陽には誰にも言えない秘密があった。夏の終わりが近づくほど、葵は彼の存在が自分にとってかけがえのないものになっていたことに気づいていく。

    【本編文字数】約49100文字(全8話)

    【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【最終話】
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     金色に揺れる向日葵畑。私はそこで、ひとり立ちすくんでいる。
     
     外に出るだけで肌が熱を帯びるような日なのに、神社の裏にある向日葵畑には、涼しい風が吹いていた。見渡す限りの黄色い花が、風に合わせてゆっくりと波打っている。

    「ママ!」
     遠くから女の子の声が聞こえた。淡いピンク色のスカートを揺らし、麦わら帽子をかぶったその子は、向日葵のような明るい笑顔でこちらに向かって駆けてくる。私は両腕を広げて、胸に飛び込んできた娘を受け止めた。

    「陽葵ひまり、どこまで行ってたの?」
    「えっとね、ここの道のいちばん先まで行ってたの!」
    「そっかあ、ずいぶん遠くまで行ってたんだね」
    「うん。ママ、あのね」
     陽葵が少しはにかむように笑う。
    「うん?なあに?」
    「あのね、白い猫さんがいたの」
     まるで何か秘密を打ち明けるかのように、陽葵が言った。
    「猫さん?」
     ふふ、と悪戯っ子みたいに笑う陽葵を見て、私はふと思い出す。

    「ねえ陽葵。ここの向日葵畑ね、少し不思議なんだよ」
    「ふしぎ?」
     陽葵が首を傾げる。
    「うん。ひみつがあるの」
    「ひみつってなあに?」
     陽葵の言葉に答えようとしたその時、急に強い風がざっと吹いた。陽葵の麦わら帽子が飛ばされる。
    「あ、ぼうし!」
     帽子の後を追って走ってゆく娘の背中を目で追いながら、私は立ち上がった。

     ふと、気配を感じて振り返ると、真っ白い綺麗な毛並みをした猫がいた。青色の眼でこちらをじっと見ている。
    「久しぶりだね」
     そう言って少し微笑むと、猫はにゃあ、と小さく声をあげた。

     ◇

     転校生がやってくると聞いたのは、高校三年生の新緑が綺麗な時期だった。受験生でもある高校三年生のこの時期に転校してくるのは珍しく、生徒の間で噂になっていた。

     私はある日の昼休み、担任に呼び出された。
    「日向ひゅうがに頼みたいことがあるんだが」
    「はい」
     いつものことだと思った。体育教師をしていて腕の筋肉が自慢の権田ごんだ先生は、面倒見がよくて生徒からも慕われているが、何かと学級委員である私に雑用を押し付けてくる。大抵は大したことのない仕事なので、軽く考えて今回も職員室に来ていた。

    「もしかしたらもう聞いているかもしれないが、転校生が来ることになっている」
    「あ、はい。噂で少し聞いています」
     そうか、と先生が頷く。
    「そいつが、明日からうちのクラスに来るから。委員長、面倒を見てやってくれないか」
    え、と思わず声が出た。

    「ん?嫌なのか?」
    「いや、嫌というわけでは......あの、『面倒を見る』って、具体的には何をすればいいのでしょうか」
    「そんな大したことじゃない。隣の席でそいつが困ってないかを気にかけてくれるだけでいい」
    「......まあ、それだけだったら」
     私は曖昧に頷いた。
    「ありがとう。さすが学級委員長、頼りになるよ」
    いえいえ、と言いながらも、内心は少し不安だった。

    「どんな人なんでしょうか。その転校生。この時期に転校してくるの、珍しいですよね」
    「ああ、そうだな。お父さんの仕事の都合で、大阪から引っ越して来たんだって。まあ、そんなに変わった感じの子じゃなかったから、多分大丈夫だ。何かあったら相談に来て」
     軽々しく言う権田先生に不安はまだ残っていたが、「わかりました」と言い、職員室を後にした。

    「あ、葵あおいだ。おかえりー!ゴンちゃん、なんだって?」
     教室に戻ると友だちの優香に声を掛けられた。
     権田先生は、その親しみやすさから「ゴンちゃん」という愛称で生徒に呼ばれている。

    「うーん、大したことじゃなかったよ」
     私は、さっきの先生との会話を思い出して、言葉を濁す。
    「あ、出た。葵の苦笑い。また何か雑用を押し付けられたんでしょ」
     優香が覗き込むように私の顔を見る。笑顔の中に心配の色が混じっていた。

    「大丈夫だよ。心配しないで」
    「ほんと?」
     うん、と笑顔で頷いて、私は続ける。
    「転校生、来るの知ってるでしょ?」
    「あ、聞いてる。男子生徒って聞いたけど」
    「うちのクラスに来るんだって。それで、面倒を見てほしいって言われた」
     ええ、と優香が目を丸くした。
    「面倒を見るって言っても、隣の席で様子を見るだけでいいみたい」
    「そうなんだ。……でも葵、大変じゃない?今月は年次ハイキングもあるから、学級委員長の仕事も結構あるよね」
     そうだった。優香の言葉に、今日までに年次ハイキングの出席表を回収しないといけなかったことを思い出す。

     来月の頭には、学年全体で「年次ハイキング」という、学年全体で一泊二日の登山をする学校行事がある。原則全員が参加することになっているけれど、一応の出席確認はする必要があり、先生から出席表を集めるように言われていたのだった。
    「あー......出席表。今日までに集めなきゃいけないのを忘れてた。優香、ありがとう」
    「ほらー今でももう大変じゃん」
     もう、と笑う優香に、私も「大丈夫大丈夫」と、笑い返す。

    「......なんか、話しやすい子だったらいいね。もし大変だったら相談して。手伝うから」
     不意に、少し照れた様子で優香が言った。
    「ありがとう、優香」
     なんだかんだ優香は優しい。不安だった気持ちも少し和らぐ気がした。


    「あ、そうだ。さっきの数学の授業でわかんないところがあったんだけどさ、葵、教えてくれない?」
    「うん、どれ?」
     優香が教科書を取り出してページを開いた。
    「ああ、これはね......」
     シャープペンを借りて、ノートの端に途中式を書く。
    「ここで一回、形を変えると見やすくなるよ」
     うんうん、と優香が頷く。

    「なるほど、わかりやすい」
     一通り説明をし終えると、優香はすっきりした顔でぱっと顔を上げた。
    「ありがとう。やっぱり葵ってすごいね。頭いいし、かわいいし、優しいし。私が男子だったら確実に告白してるよ」
    「そんなことないよ」
    そう返した声が、自分でも小さく聞こえた。

    ちょうどチャイムが鳴った。私はほっとして立ち上がる。
    「あ、次の授業、生物室だね。行こ」
     私たちは教科書を準備して教室を出た。

    --笑えていただろうか。私はふと不安になる。
     優香は優しい。褒めてくれる言葉に嘘がないことも分かっている。それなのに、そういう言葉をもらう度に、胸の奥に小さな雲ができるようだった。

    「優しいよね」
    「頭が良い」
    「しっかりしてる」
    「頼りになる」

     優香だけではなく、そんな風に声をかけられることが、ここ最近特に増えた気がする。学級委員長なんかやっているからだろうか。言葉自体はとても嬉しいけれど、その言葉が時々重荷に感じることがある。
     頑張って努力して、なりたい自分になったつもりだったのに、たまに心に雲がかかるようにモヤモヤして、そのモヤモヤの正体がなんなのか、私にはわからなかった。

     ふと窓を見ると、遠くに黒くて分厚い雲が浮かんでいる。
    「今日、雨が降るのかな」
     誰にも聞こえないくらいの声でそう呟いた。

     ◇

     放課後、回収した年次ハイキングの出席表を先生に提出し玄関に出ると、やはり雨が降っていた。私は折り畳み傘を取り出す。

     雨の日は好きだった。いつもより静かで、雨の音に気持ちが落ち着く感じがしていたからだ。
     傘を開く。ふと、玄関横の花壇の前で男の人が立っているのが見えた。傘も差さずに、上を向いて立ち尽くしている。白いTシャツとダークグレーのスウェットパンツを履いていて、この学校の生徒ではなさそうに見えた。
     このまま気づかない振りをして帰ろうか迷った。だが、少し様子を見ているうちに、何故だか声をかけてみたい気持ちになった。何か困っているのであれば、職員室へ案内すればいい。

     ゆっくり彼に近づいて、驚かせないように少し遠くから話しかけた。
    「あの」
     彼がこちらを振り返った。雨に濡れた前髪の下で、薄いグレーの目がこちらを見る。
     澄んだ、静かな目だった。
     不思議そうに目を丸くしているが、その瞳の奥は少しも揺れていなくて、私は一瞬、声の出し方を忘れてしまった。

     小麦色に焼けた肌と、短く切られた髪。背は高いのに、線が細くて、雨の中に立つ姿はどこか儚げだった。顔立ちは大人びていて、私よりも年上に見える。
     声を出せずにいた私は慌てて、傘を持つ手に力を込めた。

    「えっと......なにかお困りですか?傘も差さずに立ちすくんでいたので……大丈夫かなと思って」
     彼は驚いた様子でこちらを見ていたが、私の言葉を聞いて少しだけ表情が緩んだ。
    「すみません。猫を探していて」
    低く、落ち着いた声だった。
    「猫?」
    「そうなんです。飼い猫を連れて歩いていたんですけど、ちょっと目を離した隙にどこかに行ってしまって。このあたりにいそうな気がするんですけど」
     彼は少し困ったように微笑んだ。

    「それは困りますね......あ、ちょっと待っていてください」
     足早に玄関に戻り、傘立てに置いていたビニール傘を持って、再び彼の元へ戻った。
    「これ、使ってください」
     そう言って傘を差し出した。彼はまた目を丸くした。
    「え、でも」
    「置き傘なんで。大丈夫です。......濡れて風邪引いちゃうから」
     自分から差し出しておきながら、厚かましくないかなと心配になり、思わず俯く。彼は私を見て、ふふ、と小さく笑った。
    「じゃあ、お言葉に甘えて」
     嫌がる様子もなく傘を受け取る彼に少し安堵した私は、勇気を出して言った。
    「あの、猫、一緒に探しますよ」
     すると彼はまた少し微笑んで、穏やかな声で言った。
    「ありがとう。でも、もう見つかったよ」
     え?と彼の顔を見たとき、後ろから、みゃあ、と、猫の鳴き声がした。
     振り向くと、白い猫がこちらを見つめている。いつの間にいたんだろう。彼は猫の傍に歩いていき、傘を持っていない方の腕でそっと猫を抱き上げる。

    「かわいいでしょ、撫でてみる?」
    「え、いいんですか」
     うん、と言って、彼が猫を近づけてくれた。怖がらせないように、おずおずと手を差し出す。雨の中を歩いていたはずなのに、猫の毛並みは不思議と乾いていて、指先に触れると柔らかかった。頭をゆっくり撫でると、猫はゴロゴロと喉を鳴らして目を細めた。

    「かわいい。初対面の人でも怖がらないんですね」
    「ね。普段はもう少し警戒するんだけど。珍しい」
     そう言って、彼は柔らかく笑って猫の首元を撫でた。彼の横顔は大人びて見えていたが、笑うと少年らしい無邪気さがあった。

    「あ、雨止んだね。傘、ありがとう」
     顔を上げると、雨はいつの間にか止んでいた。雲の隙間から細く陽が差し込んでいる。
    「いえ。止んでよかったです」
     そう言いながら、彼から傘を受け取った。
    「じゃあ、また」と、彼は手を振って帰っていった。私も小さく手を振った。

     「また」という言葉に引っかかりを覚えたのは、家に着いたときだった。名前さえも聞いていない彼と、また会える日は来るのだろうか。

     ◇


     翌朝、学校に到着すると職員室前に小さな人だかりができていた。転校生が来ているらしく、一目見ようと集まっているらしかった。私は人だかりの横を通り過ぎ、そのまま教室に入った。

    「おはよう、優香」
     いつも通り、前の席に座っている優香に声をかけた。
    「あ、葵。おはよう!ねえ、転校生、みた?」
    「いや、見てないよ。人だかりができてたね」
    「うん。何かね、めっっちゃイケメンが来たらしい」
     楽しそうに言う優香に、ええー、と笑いながら席に座る。もしかして、昨日見た彼が転校生だったりするのかな、と一瞬考えた。けれどすぐに、そんな偶然があるわけないと思い直す。
     彼は私よりもずっと大人びて見えたし、名前さえ聞いていない人と翌日に教室で再会できるなんて、さすがに出来すぎている。私は自分を落ち着かせるように、鞄から教科書を取り出した。

     予鈴が鳴り、ざわついていた教室が少しだけ静かになる。権田先生が扉を開けて入ってきた。その後ろに、ひとりの男子生徒が続く。その姿に、教室がまた一気にざわめいた。
     顔を上げた瞬間、ついさっき閉じ込めたはずの期待が、胸の奥で音を立てた。そこに立っていたのは、昨日、雨の中で猫を探していた彼だった。

     ざわめく教室に、権田先生が「静かにー」と一応声をかける。
    「えー、もしかしたらもう聞いてる人もいるかもしれないが、今日からうちのクラスに仲間が増えます」
     鼓動が早くなるのを感じて、机の下で手をぎゅっと握った。先生が「自己紹介して」と隣に立つ彼に言う。

    「初めまして。夏神なつがみ陽ようって言います。大阪から来ました。こっちのこと、まだ全然わからへんので、いろいろ教えてくれたら嬉しいです」

     親しみやすそうな関西弁と、邪気のない明るい笑顔に、教室に歓声が上がる。その一方で、私の頭の中は混乱していた。みんなの前に立っている彼は、昨日出会った彼と、まるで印象が違っていたからだ。私服が制服に変わっただけで見た目は何も変わりがないのに、纏っている雰囲気がまるで違った。昨日話した彼の印象は、静かで大人びた印象だったが、いまクラスメイトの前で明るく話す姿は、むしろ無邪気な子どものような印象が強かった。

    「じゃあ、夏神の席は、あそこ。日向の隣な」
     先生が私の隣の席を指差す。彼は私の顔を見て、少しキョトンとした顔をした。
    「学級委員長だから、何かあったら日向に聞いてな」
    「あ、はい」
     彼は頷き、それから歩いて私の隣の席に来た。
    「昨日はどーも」
     席に座り、彼は私に、そう小声で声をかけてきた。
    「あ、うん。日向葵です。よろしくね」
    「葵ちゃんっていうんや。よろしくな」
     突然の名前呼びに、どきりとしたが、彼は何事もなかったかのように前を向いた。昨日と印象が違うと思っていたが、笑ったときの無邪気さは、昨日と同じだった。


     休み時間になると、夏神くんの周りには早くも人が集まっていた。
    「夏神って名字、珍しいよね。どこの出身なの?」
    「んー、親父の仕事で転校が多かったから、出身って言われると難しいなあ。夏神って苗字やし、ご先祖さんが夏の神様やったんかも」
     そう言うと、まわりにいた生徒たちが一斉に笑った。
    「今回の転校もお父さんの仕事?」
    「そうそう。でももう慣れっこよ。こうしてみんな話しかけてくれるし、馴染みやすそうなクラスでよかったわ」
     初対面の相手とも、夏神くんはずっと前から知り合いだったみたいに話していた。これは隣で面倒を見なくても大丈夫そうだなと安心したが、何故だか少し寂しい気もした。


    「なあ、葵ちゃんにお願いがあるんやけど」
     放課後、帰る支度をしていると、夏神くんが声をかけてきた。
    「うん、どうしたの?」
     聞いてみると、校舎を案内してほしいと言う。用事があったが、そんなに時間はかからないだろうと思い、二人で教室を出た。

    「学級委員長だったんやね。どうりでしっかりしとると思ったわ」
    「あーうん。なんか、成り行きで決まっちゃって。そんな性格じゃないのに」
    「そうかな。昨日話しかけてくれた時、優しくてみんなに頼りにされそうやなって思ったけど」
     優しくて、頼りにされそう、か。初対面の人でもそんな風に見えるんだなと思った。

    「あ、そういえば」
     私は少し迷ってから、彼の横顔を見た。
    「昨日は関西弁で話してなかったよね?雰囲気も今日と違ったから、ちょっとびっくりした」
     ああ、と、彼はゆっくり頷いた。
    「初対面の人には、丁寧に話さなあかんやろ?」
     その声は、昨日と同じように低くて落ち着いていた。
    「まあ、そうかも。でも、昨日は関西の人って感じが全然しなかったから。そういうのって、自然に切り替えられるものなの?」
     そう言うと、彼の目が一瞬鋭くなった気がした。あ、今の言っちゃだめだったかなと思い、口を開きかけたとき、先に夏神くんが笑った。
    「葵ちゃんは、関西弁で喋る男は苦手なんか?」
    「え?……あ、いや!そんなことないよ。どっちの話し方も、いいと思うけど」
     慌ててそう答えると、夏神くんは可笑しそうに笑った。
    「ごめんごめん。ちょっとからかった。話し方は違っても、中身は変わらんから。安心してな」
     のんびりした口調だったが、さっきの鋭い目がなぜだか頭に残った。
     夏神くんは少し掴めない人かもしれない。


     
     
    小説を書きます お手柔らかに

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