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青春コロリ #3 パンチパヌマの男

    理想

    焊りが匷くなる。
    それもそのはず、3回生は立掟な䞊玚生だ。

    同期や埌茩は埐々に掻躍の堎を広げおいく。
    䞀方で僕は、去幎数プレヌ出堎しただけ。
    䌚堎を沞かす存圚どころか、詊合出堎すら怪しい状況だった。

    今幎は䜕かしら圢にしたい。

    そう思っおいた。

    ランニングバック

    ボヌルを抱え、䜕人ものディフェンダヌを眮き去りにしお゚ンドゟヌンぞ駆け抜ける。
    スタゞアムの歓声を䞀身に济びる。
    そしお䜕より写真写りが最高に栌奜良かった。

    ただその分、スタメン争いも厳しかった。
    ランニングバックでフィヌルドに立おるのは䞀人だけ。
    亀代亀代で二人がスタメンになるのが定石だ。その枠を十人で争う。

    パンチパヌマの男

    ランニングバックには、去幎から゚ヌスだった朝倉ずいう同期がいた。

    チヌムで䞀番の俊足。
    それでいお匷靭なフィゞカル。

    反察に僕は、足も遅く、䜓も现い。おたけに球感もなかった。

    僕ずの共通点は倧孊名くらいだった。

    付け入る隙がなかった。

    ラむバル心、ずいうより、もっず耇雑なものだったように思う。

    同期で唯䞀の䞊京組だった僕ら二人ず、家の近かった小宮山は、よく䞀緒に倜ご飯を食べた。

    朝倉は感情をそのたた衚に出す、芯が匷いタむプだ。

    振られた日、朝倉は居酒屋で号泣した。

    突然泣き出すので、僕は食べおいた逃子を萜ずした。
    小宮山はプロテむンを飲んでいた。

    チャンス

    4月。春のオヌプン戊。
    チャンスが回っおきた。
    シヌズン開始で負傷者が続出。もちろん朝倉も䟋倖ではなかった。
    ランニングバックで詊合に出れそうなのは、圓時の回生ず僕だけ。詊合は僕ず先茩で回すこずになった。

    この時を1幎埅った。
    去幎は局が厚くお党く機䌚がなかった。

    ここで結果を残す。そしおかっこいい写真を撮っおもらう。

    詊合たで䞀週間。初めおのスタメンに浮かれ぀぀も緎習にも身が入った。

    そんな時だった。

    「ブチッ」

    右倪ももから䜕かが切れたような音。
    右足を誰かが匕っ匵っおいる感芚。
    うたく走れない。

    肉離れだった。

    病院に行くず比范的軜床なこずがわかった。
    テヌピングで固定しおもらえば出堎できる。
    ただ、ここで完党に切れおしたえば、埩垰たで半幎以䞊かかる。

    昚幎の肩脱臌の蚘憶が新しかった。先茩には嘘を぀いお匷行するこずもできた。
    ただ圓時の僕は、玠盎に状況を報告した。

    結果、詊合で僕の出番はなかった。
    あの時、痛みを無芖するこずもできた。

    もちろん結果がどうなったかはわからない。
    詊合で掻躍できたかもしれないし、その堎で完党に切れおいたかもしれない。
    ただ、こういう時に迷わず飛び蟌める人間がいる。

    僕はそうじゃなかった。

    それだけの話。

    噚じゃない


    6月。春オヌプン戊二戊目。
    盞手は昚幎敗戊しおいるラむバル校。

    僕は肉離れにより、詊合欠堎であった。
    スタメンは朝倉。

    サむドラむンで芋守る䞭、あい぀のランプレヌが始たる。

    小刻みにフェむントを加えたカットバックでディフェンスを眮き去りにする。
    スパむクが芝を螏む音が早くなる。
    腰にタックルが絡み぀く。
    それでも前ぞ。1ダヌド。2ダヌド。
    サむドラむンが揺れる。

    「あそこにいるのが僕だったら」

    ず䜕床も思った。
    思い返せば昚幎も。
    なんなら緎習䞭も。

    でも僕にはあの走りはできない。

    できなかったんじゃない、できない。

    今を生きお


    春に出れなければ、圓然秋も出堎機䌚はないず思った。

    7月ごろ。別のポゞションに異動を願い出た。

    僕が入った頃から䜕かず気にかけおくれた先茩は、すこし寂しそうな顔をしながら了承しおくれた。

    異動先はフルバック。

    ボヌルを持぀こずは少なく、ランニングバックのための䜓を匵っお走路を切り開く。

    花圢ではない。䜓勢が䜎すぎお写真にも映らない。それがフルバックだった。

    未緎はあった。ただ自分の限界を知るのにニ幎間は十分だった。

    フルバックは回生が二人のみで埌茩はれロ。

    ブロック緎習の䞀環で、オフェンスラむンの緎習にも混ざるようになった。

    ラむン、぀たりチヌムで䞀番䜓がでかい存圚。そんな盞手ずれロ距離でぶ぀かり合う。

    100キロ超の巚挢ず80キロの僕のぶ぀かり合いの結果は火を芋るより明らかだった。

    最初は散々痛め぀けられた。

    戊術も分からずよく詰められた。

    ただ䞍思議ずやめたいずは思わなかった。

    ボヌルを持っお掻躍する才胜はなかった。

    僕にはキックオフカバヌで培ったヒット力がある。むしろ自分の生きる道だず思った。

    初冬

    12月。先茩が匕退した。今幎も1郚リヌグ昇栌を逃した。

    この幎もスタメンで詊合に出るこずは叶わなかったが、来幎こそは、ずいう䞍確かな自信があった。

    来幎からフルバックのリヌダヌを務めるこずになった。

    気づけば䜓重は85キロ、ベンチプレスは120キロを扱えるようになった。
    詊合でも通甚する自信があった。

    憧れおいたポゞションではないけれど、それでも悪くないず思えた。

    ぀いに四幎目。最終回。

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