
英語年齢0歳からやり直す| 【第2話】 「易しい英語」が最強だった〜インプットという名のもう一つの答え
大学を卒業してから、3年間。
英語を使った仕事がしたくて、本屋へ行くたびに新しい教材を手に取った。
「今度こそ」と思いながら買って帰り、
最初の数ページで「なんだか違う」と感じては、
また本棚に並べる。
本棚だけが、静かに私の挫折を積み上げていった。
「もうやめよう。英語は、ここで終わりにしよう」
そう決めて、結婚した。
ところがその後、
夫の留学という思わぬチャンスが転がり込んできた。
「留学さえすれば、私は変われる」
——くすぶっていた火に、突然、ガソリンが注がれたようだった。
でも今思えば、
あの留学への期待は、
かなり浮ついていた。
英語と向き合う覚悟よりも、
「環境が自分を変えてくれる」という甘えがあった。
だからこそ、現地で「ずるい」と言われたとき、
一言も反論できなかったのだ。
当然の結果だったのだと思う。
大学卒業後、本屋をなん度も往復したあの日々。
自分なりに努力しても成果に結び付かなかった
本当の理由を知ったのは、
――それからさらに、
十数年もの歳月が流れた後のことだった。
◇
息子が中学受験を終えた春、
塾の保護者会でこんな案内があった。
「お子さんに、中学入学前に、
フォニックスを学ばせておくといいですよ。
単語を丸暗記せずに済むようになります」
フォニックス!?
聞き慣れない言葉だった。
説明によると、
私たちが「ABCソング」で知っているのは、
アルファベットの「名前」に過ぎないのだという。
アルファベットには、それとは別に、
固有の「音」がある。
そのルールを知っていれば、
音の足し算で、
初めて見る単語でも読めたり、書けたり、聞けたりするようになる……。
その瞬間、
なぜか、胸の奥で何かが光った。
(あ。私がずっと探していたものが、ここにある)
息子本人はまったく興味を示さなかった。
でも私は、
何かに導かれるように、
そのフォニックスを教えるセミナーへと足を運んでいた。
それは、
子どもたちに英語を「英語のまま」教える
児童英語講師の養成講座だった。
子ども英語の先生になろうなんて、
それまで一度も考えたことはなかったのに。
程なくして、
その講座を主催する会社の社長の講演会があると知り、
向かった会場で出会ったのが
日本の児童英語教育の第一人者、
mpi松香フォニックス株式会社の
松香洋子先生だった。
先生は、会場を見渡して、こうおっしゃった。
「英語が話せないのは、
あなた方のせいではありません。
話すための学びをしてこなかったからです。
学びの目的が、違っていただけなのですよ」
その瞬間、
私の中で張り詰めていた何かが、
音を立てて崩れ落ちた。
十数年間、ずっと自分を責めてきた。
私には才能がないんだと、
諦めようとしてきた。
でも
――違った。
私のせいじゃなかったんだ。
私はその場で、涙ぐんでいた。
◇
松香先生との出会いをきっかけに、
私は「第二言語習得論(SLA)」の世界に深く引き込まれていった。
関連する書籍や論文を読み漁るうちに、
多読学会の学会誌でこんな研究結果に出会った。
そこに書かれていたのは、
私のこれまでの常識を根底から覆す事実だった。
英語力を伸ばすために必要なのは、
難しい英文を必死に読み解くことではない。
「98%の単語」をすでに知っている、
圧倒的にやさしい英文を大量に読んだり聞いたりすること。
ーーそれが、第二言語習得論の歴史的な結論だった。
頭が、真っ白になった。
私がこれまで「ちょうどいい」と思って選んできた教材は、
常に「知らない単語が10個以上あるテキスト」だった。
辞書を引き、
ノートに日本語訳を書き写すことこそが、
「勉強らしい勉強」だと信じて疑わなかった。
真面目さが、完全に裏目に出ていたのだ。
大学卒業後の3年間、
あれほど必死に取り組んでも成果が出なかった理由が
やっとわかった気がした。
私の脳が、
その英語を「使える」と判断して定着させる前に、
私は自分を追い詰めるように、
次の「難しい教材」へと移ってしまっていたのだ。
ただ、それだけのことだった。
科学が証明する答えは、あまりにもシンプルだった。
やさしい英語に、たくさん触れなさい。
日本語に訳して理解しようとする「翻訳の癖」が、
自然と消えていくから。
やさしい英語に、たくさん触れなさい。
英語を、
英語の語順のまま、
ダイレクトに理解できるようになるから。
やさしい英語に、たくさん触れなさい。
新しい難単語を必死に覚えるよりも、
基本単語や構造に何度も出会う方が、
脳への定着は圧倒的に速いから。
やさしい英語に、たくさん触れなさい。
脳内に「もうひとつのOS」が立ち上がり、
日本語とは違う
英語の論理回路が作られるから。
やさしい英語に、たくさん触れなさい。
暗記や気合いだけでは決して越えられない
「流暢さの壁」を、
するりと越えることができるから。
遠回りに見えるその道こそが、
実は一番の近道で、確実な方法だった。
◇
とはいえ、
頭で理解することと、
感情が納得することは別の話だ。
当時の私は、TOEIC830点。
おまけに中学・高校の英語教員免許も持っている。
そのプライドがある自分が、
幼児向けの絵本をめくる。
「There was a boy.(男の子がいました)」レベルの
超絶にやさしい英文を、
繰り返し読み、
繰り返し聴く。
(本当に、これでいいのだろうか……?)
最初は、信じ切れない自分がいた。
それでも私が投げ出さずに続けられたのは、
自分のためではなかったからだ。
「目の前の子どもたちに、
私と同じ、
あの苦しい遠回りをさせたくない」
その一心だった。
来る日も来る日も、
子ども達のために、
やさしい英語を浴びるように聞き、
口に出し続けた。
そして、ある日のこと。
信じられない変化が起きた。
「次のアクティビティは何にしよう?」
と考えながら、
私の口からは、
子どもたちに出す指示の英語のフレーズが、
滑らかにこぼれ出てきたのだ。
日本語から翻訳していない。
頭で「次はこの単語で……」と考えてもいない。
ただ、身体が勝手に反応するように、
口が動いていた。
「あ……」
インプットが、完全に私の「体」に染み込んだ瞬間だった。
(第3話へ続く)
次回予告
次回は、その「英語が体に入る」具体的な仕組みについて。
音とリズムが、
大人の脳回路をどう変えていくのか――。
私をさらに変えることになる
「チャンツ」との衝撃的な出会いをお話しします。
第1話 「知識はあった。でも口が動かなかった」はこちらからお読みいただけます。