
【完結済】世界を説得する魔法:あるいは、人格融解を拒むノイズについて 第3.5話 AI猫のクロ
ピコン、とスマホが鳴る。うっかり通知音をオンにしてしまっていたらしい。
再び通知音をマナーモードにしようと手に取ると、図ったかのようにピコン、ピコンと再びメッセージが届く音が鳴り響いた。
普段こんなに頻繁にならないスマホの通知を、恒一は眉間に皺を寄せながら眺めた。
┊✧✧✧ RIO ✧✧✧┊
送信元の名前を確認して、眉間の皺は一層深くなった。
少し前に仕事で助けた女子高生からだ。別れ際に連絡先を交換したが、その一件はもう解決したはずだ。
もしかしてまた人格融解に関する報告だろうか。画面に触れ、メッセージの内容を確認する。
AI猫見に行っていいですか?
今度の土日に行ってもいいですか?
返信待ってます
そのどうでもいい内容のメッセージを読んで、恒一はげんなりした。確かに前回うっかり口を滑らせてしまったが、友達でも何でもない男の家に来たいというのは流石に冗談だと思っていた。
次回の予定を確定させる気満々の文面に返信する気が起きず、恒一はスマホをマナーモードにしてデスクの上に置いた。
そして置くと同時に画面が再び点灯して、静かに、しかし次々と新しいメッセージを受信していく。
今昼休みですよね?見てますか?
おーい
あ、すみませんお仕事中ですかね?後で良いので返信ください!
おやつ準備していきますね、好きなブランドありますか?
画面が忙しなく切り替わる。この調子で着信し続けるのは鬱陶しすぎるが、放置すればそのうち諦めてくれるだろうか、と今後の対応方針を策定していると、横から後輩の矢島の声がした。
「榊さん、めっちゃメッセージ来てません?」
すーっとキャスター付きのオフィスチェアで移動してきた矢島は無遠慮に恒一のスマホをつつく。一気にメッセージの通知が表示され、矢島は一瞬あれ?という顔をしたが、送信者の名前を見て、そして驚愕の表情で恒一の顔を見た。
「か、彼女できたんすか?!」
「…はぁ?」
「これ、女の子からのメッセージっすよね?」
「いや、これは前回の現場で保護対象だった女子高生で」
「女子高生のカノジョ!?」
矢島の声は徐々に大きくなり、恒一の席の周辺にいた数名が顔をあげ始めた。こういう注目のされ方は、恒一が最も苦手とするものだった。
「矢島、静かにしてくれ。違うんだ」
「詳しく聞きたいっす!」
散歩直前でテンションぶち上げになった大型犬のように、矢島は恒一のスマホを握って離さなくなってしまった。人間関係の変化が少ない社内ではこういった娯楽が少ない。このままでは格好のゴシップネタにされてしまう。
最寄り駅も教えてください!迎えに来てくれるとすごく助かります
方向音痴なんで🥹
リオからのメッセージが追い打ちをかけてくる。恒一は矢島から無理矢理スマホを引きはがすと、リオに急いで返信を打って、送った。
分かったからもうメッセージを送るな
あとで連絡する
そうして午後の業務を始める前までに、矢島に誤解無く事情を伝えるのには苦労した。
「いやー!めっちゃいい天気っすね!」
「…あぁ…」
そして土曜日、恒一は矢島と二人で恒一の最寄駅にいた。恒一の気分とは対照的に、晴天で、ひんやりとした風が時折吹くような、絶好の行楽日和だった。
あのメッセージ爆撃のあと、リオに会ってみたい、恒一の家に行きたい、猫も見たい、と矢島が騒いで聞かず、押し切られた形で今日を迎えた。最後のひと押しは「女子高生と密室で二人は危ないですよ!犯罪になっちゃう!」だった。
会議には時々遅刻するのに、こういうときの矢島は集合時間10分前にしっかり到着していた。矢島とプライベートで会うのは(仕事終わりの飲み会を除き)初めてだった。そういえば飲み会では度々彼女が欲しい、と言っていた気がする。
集合時刻ちょうどにリオは改札を出て周りを見回し、こちらに気づいて駆け寄ってきた。今日は制服ではなく、だぼっとしたパーカーにデニムのミニスカートを履いていた。大き目のリュックサックを背負っている。おそらく山盛りの猫グッズを入れている。
「遅くなりました!そちらが榊さんの職場の方ですか?」
「初めまして!矢島と言います!」
「七瀬リオです、よろしくお願いします~!」
二人のテンションはちょっと似ていて、挨拶もスムーズだった。
この元気な二人を家に連れて行くのは気が進まなかったが、リオの様子では猫を見るまで止まらなさそうだったし、矢島が言うように女子高生と29歳が同じ部屋で二人きりというのも問題がある気がする。勝手に場を回してくれそうな矢島が来てくれてよかったかもしれない。恒一は自分を納得させると、自宅へ向かって歩き出した。
恒一の自宅は駅徒歩5分の場所にある1Kだ。そんなに広くはないが、基本的に家に帰らない日も多いのであまり気にしていない。
ドアの認証を解除して部屋に入ると、玄関先ではAI猫のクロがちょこんと座って待っていた。
「ただいま」
「あー!これがAI猫ちゃんですか?黒のハチワレなんですね」
「ハチワレ?」
「あ、お顔の毛色が数字の八みたいに分かれている猫ちゃんのことです」
「へぇ~リオちゃん詳しいね!」
靴を脱いで上がりながら、リオと矢島は猫を囲んでワイワイし始めた。せめてリビングまで移動したらどうかと、2人を促す。
「はじめまして、クロです」
「えっ!!!!!」「しゃべった!!!!」
こちらの意を汲んでか、クロはリビングに移動しながら二人を誘導するように尻尾を振った。合成音声で日本語が流れると、2人はかなり驚いたようだった。
「AI猫って喋りませんよね?」
「榊さん、これハックしたんですか?保証対象外になりませんか?」
「…ちょっとだけ」
「…ちょっとかなぁ…」
クロはリビングのソファの上に飛び乗って、客人に席を勧めるように片手をあげている。それに促されてリオはクロの隣に座った。リオの手がクロの顎下を撫でると、クロはゴロゴロと喉を鳴らした。
「か、かわいいー、あったかーい」
「恒一くんのオトモダチが来るのは初めてなので、データ処理が多くなって排熱が増えています。はじめましてリオさん」
「お利口すぎる~!」
「恒一くんに女性のオトモダチがいるのは知りませんでした。人間関係データを更新します」
「しなくていい」
客人のためにキッチンでお茶を入れていた恒一が顔をのぞかせた。クロが不用意なことを言わないように、昨日プログラムを修正すれば良かったな、と後悔したが遅かった。
「めちゃ賢いっすね、最近のAI猫ってこんな感じなんすね」
「あなたは後輩の矢島さんですね、恒一くんから時々話を聞いています」
「えっ!!!俺の話っすか?」
「元気なのは良いがミスした時はもう少しへこんで見せた方が良い、という話を119時間3分前にしました」
「マジで!」
「矢島さんドンマイ~」
「おい」
話を遮りながらマグカップをテーブルに置いていく。クロはリオの膝の上に足をかけ、のぼって恒一に背を向けた。これは「話は聞きませんよ」の仕草だ。
「余計なことは言わなくていい」
「余計なこと、の定義を聞かないと設定ファイルを更新できません」
恒一がクロに無言のプレッシャーをかけ始めると、リオがそれを遮った。細い腕がぎゅっとクロを抱きしめる。
「余計じゃないですよね?」
「余計だ」
「私、榊さんの話もっと聞きたいです」
「更新します」
ちゃっかり都合のいいところだけ聞いて、クロは処理を始めたようだった。処理中を表すように尻尾がゆらゆら揺れている。
「おい待て更新するな」
恒一の抗議の声を完全に無視して、クロは設定ファイルの更新を終えてしまったようだった。リオの腕からするりと抜け、そのまま床に着地すると、音もなく窓際の専用クッションに移動していく。
こんなに飼い主の言うことを聞かないプログラムにした記憶は無いので、学習用のモジュールが暴走しているようだ。オート学習機能はオフにすれば良かった、やり過ぎたと反省した。
「お二人とも、いつでもまた来てください。恒一くんがいなくても私が鍵を開けられますので」
「やったー」「やったー」
「流石によせ」
自宅に帰れない日もあるからと、クロに甘くしすぎたようだ。そしてクロもまた、恒一がクロに甘いことをよく理解していた。2人が帰ったら自宅の鍵の管理権限を見直そう、生活の安寧のために。と恒一は心に誓った。窓際ではクロが、満足そうに尻尾を振っていた。
こんな日も悪くないんじゃないですか?とでも言いたげだった。
了
↓第4話