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【完結済】世界を説得する魔法:あるいは、人格融解を拒むノイズについて 第3話

    「ちゃんと食べてる?」

    母の声は、いつもこうだ。
    心配しているのか確認しているのか、よく分からない。鉄平は「食べてる」と答える前に一瞬言葉に詰まった。しまった、と思ったが、その間を母は敏感に察知したようだった。

    「食べてるよ」
    「ほんとに? 声が細い」
    「細くない」
    「細い」

    鉄平はシャツの袖まくりを直しながら、ベランダの窓枠に背をもたれた。もう夜の十一時を過ぎている。向かいのビルに、まだ明かりのついている部屋がいくつかある。

    「仕事どう?」
    「いい感じ」
    「嘘くさいなぁ」
    「本当だよ」

    少し笑った。母はこういうところが鋭い。電話越しでも分かってしまう。

    「忙しいの?」
    「まあ、最初だから」
    「無理しないで」
    「してないよ」
    「してる」

    鉄平は返事をしなかった。母が何かを言おうとして、止めた気配がした。何か言いかけて飲み込む、その間を知っている。高校のとき、模試の結果を見せるたびに同じ間があった。

    「母さん」
    「うん」
    「そのうち楽させるから」

    受話口の向こうが、少しだけ静かになった。

    「何言ってんの」
    「ちゃんとする。仕事も、お金も」
    「……鉄平」
    「ん」
    「ご飯食べなさい。ちゃんと」

    それだけだった。
    通話を切って、鉄平はスマホをポケットに入れた。冷蔵庫を開けると、買い置きのレトルトパスタが二袋ある。賞味期限を確認して、一袋を鍋に突っ込んだ。

    東京に来て二カ月が経つ。
    部屋は狭いが、一人にしては十分だ。奨学金の返済が始まるのは数ヶ月後からで、今のうちに少しでも貯めておきたい。そういうことを計算するのが、昔から好きだった。
    パスタが茹で上がる間、鉄平は窓の外を見た。アパートの前の通りの桜は、もうほとんど散ってしまった。都市の灯りが、暗い空の下に広がっている。

    その灯りたちも、好きなものになりつつあった。


    翌朝、エントランスに入った瞬間、鉄平は足を止めた。
    吹き抜けの天井から床まで、巨大なホログラムが広がっていた。

    『未来を、あなたの手に。』

    青白い光の中に、無数のデータが流れている。人の動線のような、あるいは星図のような、見ていると吸い込まれそうなグラフィックだった。その中心に、ロゴが浮かんでいる。「Future Simulator」。先月発表されたUpgrader社の新製品だ。
    来客らしき数人が、その前で足を止めていた。

    「本当に当たるんですか?」
    「実証実験では高精度らしいですよ」
    「本格運用はいつ?」

    鉄平はその横を通り過ぎながら、少しだけ背筋を伸ばした。
    自分が作ったわけじゃない。プロジェクトに関わっているわけでもない。ただ、この会社の社員証を首から下げているというだけのことだ。
    それでも、少し誇らしかった。


    午後の社内イベントは、想像より大きかった。
    本社の多目的ホールに社員が集められて、椅子が足りなくなって、後ろの方は立ち見になっていた。鉄平は壁際に場所を確保して、前を見た。
    三門聖悟が、ステージの中央に立っていた。
    マイクを持っていなかった。それでも声が通った。体格がいいわけでも、声が大きいわけでも、特別な演出があるわけでもない。ただ立っているだけで、会場の視線がそこに集まる。

    「高校三年のとき」

    三門が言った。

    「僕は陸上をやっていました」

    会場中の視線が、彼に注がれていた。

    「記録は出ていた。でも、翌年には更新された。記録というものは、必ず誰かに抜かれます。それが競技というものです」

    少し間があった。

    「成果は時間とともに色褪せる」

    鉄平は、その言葉が腹の底に落ちるのを感じた。あらゆる偉業は、時間とともに人々の記憶から消えていく。

    「だから次が必要だ」

    三門はそこで初めて、軽く笑った。緊張を解くような笑い方ではなく、当然のことを確認するような笑い方だった。

    「Upgraderが作っているのは、色褪せない未来です」

    拍手が起きた。鉄平も手を叩いた。
    隣を見ると、同期の彩が同じタイミングでこちらを見ていた。目が合う。口の動きで「すごいね」と伝えてきた。鉄平も深く頷いて返した。

    内定式で初めて話したとき、彩は「三門さんって本で読んだことある」と言っていた。鉄平は「僕は知らなかった」と正直に言った。本を借りる約束をして、そこから始まった。
    彩が貸してくれた本にも「陸上部だった」という話が載っていて、そのときはじめて三門に親近感がわいたことを覚えている。

    イベントが終わって、人が流れ始めた。
    鉄平は拍手をやめた後も、誰もいないステージを見ていた。
    色褪せない未来、という言葉だけが、妙に胸に残っていた。


    翌週の昼過ぎ、鉄平は廊下を歩いていた。
    十四階から十二階へ、階段を使うのが習慣になっていた。エレベーターを待つより早いし、運動不足の解消にもなる。
    踊り場を曲がったところで、前から人が来た。
    案内担当らしい社員と、その隣に、少年がいた。
    中学生か、高校生か。大きめのパーカーを着ていて、手元に何も持っていない。鉄平より頭一つ分低くて、廊下の蛍光灯の下で、少し眩しそうな顔をしていた。少年のラフな格好が、オフィスに不釣り合いだった。
    社員の態度も、妙に丁寧だった。来客への対応として明らかに普段より気を遣っている。少年の方も、その気遣いを当然のように受け入れていた。
    すれ違いざまに、鉄平は小声で同行の社員に聞いた。

    「あの子、誰ですか」
    「EmoSyncの開発者らしいですよ」
    「へぇー」

    名前は知っていた。最近買収の話が出ているアプリだ。ただ、使ったことはない。自分には縁のないものだと思っていた。
    少年はもう廊下の先に消えていた。
    あんなに若くて、と鉄平は少し思ったが、それ以上は考えなかった。別の会議室で、別の話が待っていた。


    社内企画公募の締め切りは、今週の金曜だった。この公募は所属部署に関係なく、誰でも提案することが可能だ。
    鉄平が資料を作り始めたのは二週間前で、最初の三日間は構成がまとまらなくて、週末に全部消して最初からやり直した。
    企画の名前は「可能性保全プログラム」にした。
    内容は単純だ。未来シミュレータで低評価を受けた案件に対して、少額支援や挑戦機会を与える。それだけだ。
    プレゼンの相手は三名の中堅社員だった。三門ではない。当たり前だが、少し残念だった。

    「未来シミュレータで切り捨てられた案件にも、可能性は残っています」

    鉄平は資料を指しながら言った。

    「支援コストは小さく、企業価値へのリターンは長期で回収できます。社会貢献の側面もあります」

    一人が資料を見ながら頷いた。一人がメモを取った。一人は腕を組んだまま動かなかった。

    「具体的な数字は」
    「試算ですが、こちらに」

    質疑が続いた。
    鉄平はその間、腕を組んでいた社員の顔をたまに見た。否定でも肯定でもない、どこか遠い表情だった。
    プレゼンが終わって、解散した。

    廊下に出て、鉄平は少しだけ肩から力を抜いた。
    うまくいったかどうか、分からなかった。絶賛されるとは思っていなかったが、それにしても反応が薄く、肩透かしを食った気分だった。
    ただ、言いたいことは言えたと、自分を無理矢理納得させた。


    その日の午後、鉄平は新人研修の一環で投資審査会に同席した。
    部屋の隅に椅子を置いてもらって、メモを取りながら見学する形だった。発言は求められていない。空気のように、ただそこにいればいい。
    審査を受けに来たのは、四十代くらいの男だった。
    スーツは悪くなかったが、どこかくたびれていた。靴は磨いてある。資料は厚かった。
    男は立ったまま、プレゼンを始めた。
    事業内容は魔導インフラの周辺サービスだった。既存の大手が手を出しにくい、細かい隙間を狙うタイプの事業だ。市場規模は小さくないが、競合が多い。
    審査担当者の1人が、未来シミュレータによる成功率の試算を出す。

    五パーセント。

    違う担当者が資料に目を落としたまま言った。

    「現状では投資は難しいですね」

    男は頷いた。
    頷いた、というより、予想していた、という顔だった。

    「そうですか」
    「はい。申し訳ありませんが」

    男は一度だけ資料を見た。それから顔を上げて、担当者を見た。

    「五パーセントもあるなら十分です」

    担当者が少し間を置いた。

    「は」
    「五パーセントあるなら、やります」
    「……それは」
    「ご検討いただけますか」

    男はにっこりと笑った。少し日焼けした肌は、オフィスに常駐する担当者とは対照的だった。担当者は隣の社員と目を合わせた。何かを確認するような目だった。

    「お気持ちは分かりますが、投資判断としては」
    「分かりました」

    男はそこで頷いた。引き下がった、というより、言うべきことは言った、という笑顔だった。
    荷物をまとめて、会釈して、部屋を出ていった。
    ドアが閉まってから、担当者が一言だけ言った。

    「難しいですね」

    もう一人が「ええ」と返した。
    それで会話が終わった。
    鉄平はメモ帳を見ていた。「五パーセント」と書いたところで、ペンが止まっていた。
    全然低いじゃないか、と思った。九十五パーセントは失敗するということだ、それのどこが十分なのか。鉄平のペンはメモ帳の続きに「???」と加えていた。

    ただ、男の顔が、悲壮感のある顔ではなかったことだけが、少し引っかかった。


    翌週の月曜、鉄平は自席で取引先のメールの返信をしていた。

    「高浜さん」

    顔を上げると、三門の秘書の石田が立っていた。
    石田は四十代くらいで、表情が少ない。いつ見ても同じ顔をしている。悪い人間ではないと思うが、何を考えているのかが読みにくい。いつも三門の後ろに控えている印象しかない。

    「少しよろしいですか」
    「はい」

    立ち上がると、石田は廊下の方へ歩き出した。鉄平はその後をついていく。窓際の、人が来ない場所で、石田は止まった。

    「戦略室に興味はありますか」

    鉄平は一瞬、聞き間違えたかと思った。

    「戦略室への異動を、検討しています」
    「……戦略室」
    「はい」

    鉄平は石田の顔をまじまじと見た。石田の表情は、いつもと同じだった。黒ぶちのメガネが、石田の硬質な雰囲気を助長させていた。

    「あの、なぜ…」
    「興味があるのでしたら、詳細は追ってご連絡します」

    石田はそれだけ言って、会釈して、戻っていった。
    鉄平はその場に立ったまま、しばらく動けなかった。
    廊下の向こうで、誰かが笑い声を上げた。電話口の声が聞こえた。コピー機が動く音がした。
    全部が、少し遠かった。

    戦略室は三門直属の部署であり、異動は三門の権限で行われている。
    戦略室へ異動になったということは、あの企画書が三門に評価されたのだとしか思えない。
    あの三枚の資料を、三門が読んで、評価した。新卒一年目の、誰でもない自分の企画を。

    自席に戻って、椅子に座った。
    モニターにはさっきの途中のメールが開いたままだった。カーソルが点滅していた。
    鉄平はそれをしばらく見ていた。
    返信の続きを打ち始めたのは、三分後だった。文章は、何度か打ち直した。


    その週末、鉄平は地元の友人と飯を食う約束をしていたが、相手の都合でなくなった。
    会社の外に出ると、雨上がりの湿気が肌にまとわりついてくる。水たまりを避けながら、近くのファミレスまで徒歩で向かい、ボックス席を確保したときだった。

    「鉄平兄ちゃん」

    急に呼ばれて顔を上げると、金髪のツインテールが目に入った。

    「え、リオ?」

    「久しぶり!偶然じゃん」

    リオは当たり前のように向かいの席に座った。トレーにはハンバーグとドリンクバーのコップが乗っている。どうやら他の席から鉄平を見つけて、移動してきたらしかった。
    彼女は5歳離れた従妹で、ここ数年は会っていなかった。最後に会った時の幼い彼女と比べて、かなり見た目が派手になっている。

    「なんでここに」
    「こっちのセリフ。近くに住んでんの?」
    「いや、会社が」
    「あー、そっか、上京したんだっけ」

    リオはハンバーグにフォークを刺しながら言った。全然久しぶりな感じがしない話し方だった。見た目のギャップに反して、しゃべり方は記憶のままだ。鉄平もそこまで久しぶりな気がしていなかった。

    「仕事どう」
    「いい感じ」
    「ほんとに?」
    「ほんとに」

    リオはドリンクのストローを噛みながら鉄平を見た。

    「何の会社だっけ」
    「Upgrader」
    「あー、未来シミュレータのやつ」
    「知ってるの」
    「学校でも話題になってるよ。なんか都内で実験するって」

    鉄平は少し背筋を伸ばした。

    「そう。今年から本格的に動く」
    「便利そう」
    「だろ? 進路とか就職とか、成功率が分かるから無駄が減る」
    「ちょっと使ってみたい気もする」
    「使ってみたらいいよ」

    リオはハンバーグを一口食べてから、少し首を傾けた。

    「でも私なら可能性に迷いそう」
    「迷う?」
    「なんか、高い方選んじゃいそうだなって」
    「それでいいじゃないか。高い方が成功する確率が高いんだから」
    「そうなんだけど」

    リオはそれ以上は言わなかった。ストローをまたくわえて、窓の外を見た。
    鉄平はリオが何を言いたいのかよく分からなかったが、深くは聞かなかった。高校生にはまだピンとこない話かもしれない、と思った。リオの髪についている、キラキラしたヘアピンを眺めていると、リオが口を開いた。

    「兄ちゃんは迷わなかったの」
    「何が」
    「Upgrader入ること。おばさんちから遠いじゃん」
    「迷わなかった」

    即答した。リオが少し笑った。

    「そっか」
    「お前は? 将来とか考えてる?」

    「んー」リオはハンバーグの残りを見ながら言った。「まあなんとかなるっしょ」

    「なんとかならないよ」
    「なんとかなる」

    鉄平は少し呆れたが、怒る気にはなれなかった。
    リオはあっけらかんと笑いながら、もう別の話を始めていた。


    戦略室に異動して最初の週、会議と資料読みだけで三日が過ぎた。
    戦略室の空気は経理部と異なり、どこか張りつめていた。静かなオフィスにキーボードの音だけが響いていて、自分だけが役に立てないような、取り残されているような感覚に陥った。
    早く追いつきたくて、夜まで資料を読んだ。遅い時間帯に残っているメンバーとは、少しだけ顔見知りになった。

    未来シミュレータの概要説明は、研究チームの若い社員が担当した。鉄平より二つ上くらいで、話し方が早く、長い文章を一気にしゃべる癖がある。

    「元々は世界認識の研究なんですよ。魔法理論ってあるじゃないですか。術式は世界への説得、っていう」

    ホワイトボードに図を書きながら続ける。

    「はい」
    「あの原理を応用して、世界が受け入れやすい可能性と受け入れにくい可能性を分類する研究があって。どういう条件が揃うと現実が変化しやすいか、みたいな」
    「それを予測に使ってる?」
    「そうです。個人の選択も集団の動きも、世界への働きかけとして数値化できる。それを積み重ねるとある程度未来が見えてくる」

    鉄平は図を見た。矢印がたくさんあり、XだのYだのというアルファベットが並んでいる。
    学生時代の数学の授業を思い出し、鉄平は内心げんなりとした。

    「精度は」
    「現状九十二パーセントです。都内の実証実験では」
    「九十二」
    「高いですよね」

    社員は満足そうに頷いた。
    鉄平もつられてうなずいた。確かに高い気がする。
    会議室の窓から、都市が見えた。交通ガイドのホログラムが、空に薄く浮かんでいる。あの灯りの下にいる人たちの動きが、数値になって、予測になって、九十二パーセントの精度で明日が分かる。
    ただただ便利だと思った。

    「全国展開はいつですか」
    「それは三門さんが決めます」

    社員はそう言って、ホワイトボードの図を消し始めた。
    鉄平はメモ帳を閉じた。書いたことの半分は、まだよく分かっていなかった。


    翌週、大きめの会議室に呼ばれた。
    戦略室の社員が数名と、研究チームが五、六人。鉄平は後ろの壁際に立った。勉強として同席、という形だった。
    初夏にしては暑い日で、隣の先輩は資料で顔を扇いでいる。
    三門が入ってきたのは、定刻の一分前だった。
    三門が部屋に入った瞬間、部屋の空気感が変わる。全員が姿勢を正し、鉄平もそうした。

    「始めてください」

    三門が座りながら言った。
    研究チームのリーダーが立ち上がって、スライドを出した。都内実証実験の結果、精度の推移、今後の展開計画。数字が並んだ。グラフが並んだ。

    「精度は九十二パーセントを維持しています」

    三門が頷いた。

    「都内全域への拡大は来月から予定通り進めます。その後、段階的に全国へ」

    三門がまた頷いた。
    そのとき、部屋の中央から声が出た。

    「九十二パーセントでは、実用には不足かと思いますが」

    鉄平は声のした方を見た。
    三門の向かい側に、女が座っていた。
    二十代後半くらいだった。長身で、プラチナブロンドの髪が肩に落ちている。研究チームのメンバーらしかったが、鉄平は今まで見たことがなかった。
    部屋が少し静かになった。

    「未来予測なら百パーセント以外意味がありません」

    三門が女を見た。

    「九十二パーセントで十分だ」
    「そうですか」

    女はそれだけ言った。
    反論でも同意でもなく、ただ確認した、という声だった。
    研究チームのリーダーが少し咳払いをして、スライドを次に進めた。
    説明が続いた。今後の計画。導入スケジュール。期待される社会的効果。
    鉄平は壁際に立ったまま、さっきの女の方をちらっと見た。浮世離れした美人だが、鉄面皮という言葉が似合った。
    女はスライドを見ながら頬杖をつき、時折手元の資料に目を落としている。
    隣の社員に小声で聞いた。

    「あの人、誰ですか」
    「先端研究所の所長です」
    「所長?」
    「アリア・スペンサー・神代さん。理論面ではあの人が一番詳しい」

    鉄平はもう一度女を見た。
    所長、という言葉と、目の前の人間が、うまく結びつかなかった。若すぎる気がした。

    会議が終わって、人が動き始めた。
    アリアはさっさと出ていった。研究チームの数人が後を追った。
    鉄平はメモ帳に何かを書こうとして、何を書けばいいか分からなかった。


    その月の終わりに、大きな来客があった。
    会議室は最上階だった。庶務の女性が休みを取っていたため、お茶を持っていけという指示を受けた。

    「失礼します…」

    お盆を持ちながら軽くノックをし、ドアを静かに開けると部屋の空気は少し重たかった。
    政府の人間が三人。防衛関連の組織から二人。治安維持の組織から一人。全員がスーツだったが、姿勢が違った。背筋が、普通のビジネスマンと比べても伸びている気がした。
    三門が正面に座っていた。石田はいつものように、三門の背後に立っている。

    「社会インフラとしての可能性に大変注目しています」

    政府側の一人が言った。

    「ありがとうございます」

    「治安維持への応用も、検討できると思いますが」

    「もちろん。可能性は広いと思っています」

    会話は穏やかだった。
    鉄平はお茶をテーブルに置きながら、政府の人間の顔を順番に確認した。三人とも、表情が読みにくかった。
    そのとき、防衛関連の組織から来た男の一人が、少し前に身を乗り出した。

    「意思決定の最適化という観点では」

    男は続けた。やや甲高い、特徴的な声だった。

    「国家レベルでの活用も、視野に入りますか」

    鉄平は配膳を終えたお盆を小脇に抱え、一度会釈してからドアへ向かった。

    「視野には入ります」

    三門の声が背後で響き、男がうなずく気配がした。


    会議室から自席に戻ると、鉄平はため息をついた。緊張で肩が固まっている。
    軽く腕を回してこわばりをほぐしながら、先ほどの光景を思い出した。会議の概要は防衛関連、と聞いていたが、相手の姿勢も、話し方も、映画で見たような軍人に近い気がした。
    気のせいかもしれなかった。

    鉄平は席の横を通りがかった先輩社員を呼び止めると、疑問を口にした。

    「今来ている人たち、全員政府ですか」
    「そうですよ」
    「防衛の人も?」
    「ええ。最近多いみたいですよ、ああいう来客」

    先輩は特に気にした様子もなく答え、離れていった。
    鉄平は最後に一度首を回すと、パソコンを開いて仕事を再開した。


    戦略室に来て一ヶ月が経った頃、鉄平は初めて三門と直接話した。
    廊下ですれ違ったわけでも、呼ばれたわけでもなかった。会議の後、資料をまとめていたら、部屋に三門が戻ってきた。それだけのことだった。

    「高浜君」

    名前を呼ばれて、鉄平は立ち上がった。

    「はい」
    「先週の市場分析、よかったよ」

    鉄平は一瞬、何の話か分からなかった。先週提出した資料のことだと気づくまで、二秒かかった。

    「ありがとうございます」
    「数字の扱いが丁寧だ」

    三門はそれだけ言って、自分のデスクの方へ歩いていった。
    鉄平は立ったままだった。
    褒められた、という事実が、うまく処理できなかった。三門に、名前を呼ばれた。三門に、仕事を見てもらえた。

    「また助けてくれ」

    三門が振り返らずに言った。
    鉄平は「はい」と答えた。
    声が少し上ずった気がして、恥ずかしかった。


    その夜、鉄平はなかなか眠れなかった。
    別に大した話ではなかった。廊下で少し話しただけだ。褒められたといっても、二言三言だ。
    それでも。
    また助けてくれ、という言葉を、三回くらい頭の中で繰り返した。
    母子家庭育ちで塾にも行けなくて、奨学金で大学に行った。大学では遊びの誘いを断り、バイト三昧だった。周りの同期が当たり前に持っているものを、自分は持っていなかった。

    それでも、ここまでこれた。
    周りがこれなかったところまで。
    三門に名前を覚えてもらえるくらいのところまで。

    鉄平は天井を見たまま、目を閉じた。
    鳥の声が聞こえるまで、眠れなかった。


    彩とは、内定式の帰りに同じ電車になったのが最初だった。
    乗り換えが一緒で、降りる駅も近くて、気づいたら近くのファミレスで二時間話していた。鉄平が奨学金の話をしたら、彩も似たような話をした。それで少し安心した。
    付き合い始めたのは入社して一ヶ月後だった。
    どちらから告白したわけでもなかった。ある日の帰り道に、なんとなく、そういう流れになった。


    休日の昼間、二人で街を歩いていた。今日はブラブラショッピングしようか、と事前に決めていた。

    「戦略室、どう?」
    「新しいことばっかり。難しい話も多いけど、結構期待されてるっぽくて」
    「え、凄いじゃん!三門さんと話した?」
    「また助けてくれって言われた。もっと頑張りたいからさ、後で魔法の杖見に行ってもいい?データ処理の性能あげたくて」
    「もう信者かよー!」
    「うるせー」

    たわいもない会話をしながら、商業施設のドアをくぐる。ひんやりとした風が、汗ばんだ頬を撫でていく。

    「そういえば、さ」

    彩が少し言いよどんだ。視線の先には子供向けのおもちゃを売っている店がある。

    「結婚って、いつ頃がいいと思う?」

    唐突な話だったが、鉄平は特に驚かなかった。

    「早い方がいいんじゃないかな」
    「早いって、何歳くらい」
    「二十五か、二十六か」
    「えー、そんなに早く?」
    「ダメ?」

    彩は少し考えた。ピンク色の唇が少し尖る様子に、いとおしさを感じた。

    「ダメじゃないけどさ、思ってたより早いなって」
    「仕事が安定してきたら、って思ってる」
    「安定って?」
    「年収で言うと」

    鉄平が数字を言うと、彩が笑った。

    「細かい!元経理部が出てる」
    「まぁ、ちゃんと考えてるから」
    「知ってるよん」

    彩は鉄平の腕に腕を絡ませる。
    二人で未来シミュレータのデモ版を試したのは、その日の夕方だった。会社のアプリで、社員は無料で使える。
    進路の相性診断、という項目があった。
    二人で入力した。職種、年収目標、居住地の希望、家族構成の見通し。
    結果は、八十四パーセントだった。
    「高くない?」と彩が言った。ニヤニヤしながらこちらの反応を伺っている。
    「高い」と鉄平が答えた。
    彩が「じゃあ大丈夫だね!」と笑った。鉄平も笑った。

    その夜、鉄平は一人でもう一度アプリを開いた。
    キャリアプランの項目に入力した。現在の職種、異動の見込み、スキルの方向性。
    結果は七十一パーセントだった。
    悪くない数字だが、もっと上げられるんじゃないかとも思う。
    アプリを閉じて、鉄平は電気を消した。
    暗い天井を見ながら、少しだけ、今の自分の場所を確認した。
    仕事はうまくいっている。三門に名前を覚えてもらった。彩とのことも、悪くない方向に進んでいる。
    全部が、ちゃんと動いている。彩のかわいい笑顔を思い出しながらそう思ったら、自然と眠気が来た。


    都内実証実験の本格運用開始は、秋の終わりだった。朝、外に出ると肌寒さを感じて、暖かいコーヒーを買って会場に向かった。
    発表イベントは都内の大型会場で行われた。メディア、投資家、政府関係者や一般の人が来て、会場はにぎわった。
    鉄平はスタッフとして動いていた。資料を運んで、来場者を案内して。やることは地味だったが、鉄平は気にしなかった。
    ステージに三門が上がった瞬間、会場の温度が更に上がった。

    「今日から、東京が変わります」

    三門が言い、拍手が起きた。
    スクリーンに数字が映し出された。実証実験の結果。事故予測の精度。進路選択の改善率。医療分野での応用例。グラフが並んで、数字が並んで、全部が右肩上がりだった。

    「本当に当たるんだ」
    「これ、全国に広がるの?」

    会場のあちこちから声が上がる。鉄平は会場の端に立って、その光景を見ていた。胸の奥でじわっと熱が広がった。

    翌日のニュースは、Upgraderの話題で埋まった。
    三門の顔が朝のワイドショーに映り、街では知らない人同士が未来シミュレータの話をしていた。
    出社すると、戦略室の雰囲気がいつもと少し違った。全員がどこか浮き立っていた。
    自分のデスクに座って、モニターを立ち上げた。メールが大量に来ていた。取材依頼、連携提案、問い合わせ。
    この大きな流れの、中心に自分はいる。そう考えるだけで、少し背筋が伸びた。
    母や弟に、このニュースを見せたかった。


    リオから連絡が来たのは、木曜の夜だった。

    『近くにいるんだけど、ご飯食べた?』

    鉄平はちょうどコンビニのサンドイッチを食べ終わったところだったが、『まだ』と返した。
    待ち合わせたのは駅前のファミレスだった。

    店内に入ると、ドアの近くのボックス席でカップルが未来シミュレータについて会話しているのが耳に入り、鉄平は思わず口元に手を当てた。
    通路を進みながらあたりを見回すと、リオの姿を見つけた。彼女はメニューを二冊開いて、真剣なまなざしで両方見ていた。

    「何それ」
    「どっちにしようか迷ってる」
    「一個でいいだろ」
    「両方食べるかもしれないじゃん」

    鉄平は呆れながら向かいに座った。そういえば昔から、ちょっとだけ食い意地が張っていたなと思いだした。
    呼び出しベルを押して注文を済ませてから、リオが言った。

    「未来シミュレータ、うちの学校にも来るんだって」
    「ああ、実証実験の範囲が広がってるから」
    「進路とかに使うらしい」
    「便利だろ」
    「まあ」

    リオは運ばれてきたドリンクを一口すすり、ストローをくるくると回した。

    「鉄平兄ちゃんは使ってみた?」
    「使ってみた」
    「どうだった」
    「参考になる。何パーセントって出るから、選びやすい」
    「高い方選ぶ?」
    「当然」

    リオはストローを回すのをやめた。

    「成功率一パーセントなら?」
    「やらないかな」
    「そっか」

    リオはドリンクを見て、窓の外に視線を移した。何か思うところがあるのだろうか。
    聞こうと思った瞬間、料理が来て、リオはハンバーグを切り始めた。鉄平もパスタに手をつけた。
    話題は別のことに移った。リオの学校の話、共通の親戚の話。会話は弾んだ。
    ファミレスを出て別れた後、鉄平は駅へ向かいながら、さっきのリオの「そっか」を少しだけ思い出した。
    まあ、高校生にはまだ関係ない話かもしれない。
    鉄平は改札を通って、電車に乗った。


    その週の金曜の朝、通勤中にスマホで未来シミュレータのニュースを眺めていると、彩から「話がある」と連絡が来た。
    仕事帰りに駅近くのカフェで合流した。彩はすでに来ていて、コーヒーに手をつけていなかった。
    カフェの客はまばらで、どこか寂しい感じがした。

    「どうしたの?」

    鉄平が向かいに座ると、彩は少し間を置いた。

    「どうしたの」

    苦笑いしながら促すと、彩は言いづらそうに言葉を発した。

    「…未来シミュレータ、やってみたんだ」
    「うん」
    「一人で、ちゃんとやってみた」

    鉄平は黙って聞いていた。彩の真剣なトーンに、笑顔を維持できなかった。

    「キャリアとか、生活設計とか、全部入力して」
    「うん」

    彩はコーヒーカップの取っ手を指で撫でる。持ち上げるわけでもなく、ただ触れていた。

    「私たち、幸せになれないらしい」

    鉄平はすぐには言葉が出なかった。

    「そ、れは…シミュレータが、そう出たの」
    「うん」
    「何パーセントだったの」
    「三十一」

    鉄平は少し考えた。一パーセント、五パーセントという言葉が頭を巡る。

    「三十一なら、悪くないんじゃないか」
    「低いよ」
    「でもさ」
    「鉄平は七十とか八十とかじゃないと嫌でしょ」

    返せなかった。
    彩は鉄平の顔を見た。困っているような、苦しいような、どちらとも言えない顔だった。

    「鉄平のことが嫌いになったわけじゃない」
    「うん」
    「でも、この数字が頭から離れなくて」
    「気にしなくていいんじゃないか」
    「気にしないようにしようとしたんだけど」

    彩は視線をカップに落とした。

    「気にしない方が無理だった」

    鉄平はテーブルの上に置いた自分の手を見た。
    何か言わないと、ここで終わってしまう気がした。しかし三十一パーセントという数字を否定する言葉も、肯定する言葉も、どちらも出てこなかった。

    「ごめん」

    彩が言った。

    「謝らなくていい」
    「ごめん」

    もう一度言った。

    テーブルの横を、人が通り過ぎていった。店内のBGMが聞こえた。遠くのテーブルで、誰かが笑った声が、どこか遠い世界のように感じられた。
    二人はしばらく、何も言わなかった。

    帰り道、鉄平は一人で歩いた。現実感が薄かった。カフェに行く道で感じた肌寒さも、今は遠くに感じた。
    出た結果は変えられない。未来シミュレータの精度は、社員が一番よく分かってる。彩が怖くなったのも、分かる。
    駅に到着すると、柱のディスプレイに広告が流れていた。

    『未来を、あなたの手に。』

    それをどうしても視界に入れたくなくて、鉄平は踵を返し、隣の駅まで一駅歩いた。


    翌週の月曜、出社したら会社の前に人が集まっていた。
    十人か、二十人か。プラカードを持っている人もいた。警備員が入口の前に立って、通行の邪魔にならないよう誘導していた。
    鉄平は少し遠回りして正面玄関に入った。
    プラカードに書いてある文字が目に入った。

    『未来を返せ』
    『シミュレータは嘘をついている』


    昼休みに、同僚の一人が教えてくれた。

    「ああいう人たち、最近増えてるらしいですよ」
    「何があったんですか」
    「いろいろみたいで。就職の面接で使われて落とされたとか、銀行のローン審査に影響したとか」
    「それは、会社が判断したことじゃないか」
    「まあそうなんですけど、シミュレータの結果を理由にされると、納得できない人もいるみたいで」

    鉄平はトレーを持ったまま、窓の外を見た。
    もう抗議の人たちは見えなかった。


    その日の夕方、鉄平は別件で外出した。
    帰り道、駅の近くを歩いていたら、声が聞こえた。

    「聞いてもらえますか」

    振り返ると、四十代くらいの女性が立っていた。チラシを持っていた。未来シミュレータの、抗議団体の集会の告知らしかった。
    断ろうとして、止まった。
    女性の顔が、疲れていた。怒っている顔ではなかった。

    「何があったんですか」

    鉄平は思わず聞いた。
    女性は少し驚いた顔をした。それから話し始めた。
    娘が就職活動で推薦を受けた。企業側が未来シミュレータの結果を参考にした。結果は低かった。ほぼ決まりかけていた内定を取り消された。

    「娘は一生懸命やってたんです」

    女性は言った。

    「成績も、課外活動も。それが全部、数字一つでひっくり返されて」

    鉄平は何も言えなかった。

    「おかしいと思いませんか」

    鉄平はチラシを受け取った。

    「……そうです、ね」

    それだけ言って、小さく会釈して歩き出した。
    駅に入って、改札を通って、ホームで電車を待ちながら、鉄平はチラシを開く。
    集会の日程と場所、主催者の名前、「被害を受けた当事者の会」と書いてあるのが目に入った。
    電車が来て、鉄平はチラシを鞄のサイドポケットにねじ込んだ。
    彩の顔が一瞬、頭をよぎった。チラシは捨てられなかった。


    その月の終わり、ビジネス誌のインタビューが公開された。
    戦略室の先輩が「三門さんの記事出てますよ」と教えてくれて、鉄平は昼休みにスマホで読んだ。
    インタビュアーは若い記者だった。質問が丁寧で、三門もよく答えていた。
    未来シミュレータの開発背景、Upgraderの経営哲学、今後のビジョン。読みやすい記事だった。
    後半に、こんな質問があった。

    『もともと医療系のご家庭だったとお聞きしました。医者の道は考えなかったんですか』

    三門の答えはこうだった。

    『弟が医者になり、地元で父の医院を継いでいます。患者さんを直接救える、素晴らしい仕事だと思っています。ただ、自分には別の形で社会貢献をしたかった。インフラは、より多くの人を、より大きなスケールで助けられる。それが自分の選んだ道です』

    鉄平は読み直した。
    よくまとまった答えだと思った。記者もそう思ったのか、この話題はそこで終わっていた。
    記事の最後には三門の写真があった。カメラに向かって、きれいに笑っていた。

    鉄平はスマホを置いた。
    弟が医者、という話は初めて聞いた。
    三門にも家族がいる。当たり前のことだが、なんとなく意外な気がした。弟は地元で患者を救っていて、兄は東京で世界を変えようとしている。
    どんな家なんだろう、どんな青春時代だったんだろう。想像もつかない。
    鉄平は残りの昼飯を食べた。記事のことは、午後には忘れていた。


    社内のニュースフィードに、短い記事が上がったのは木曜の朝だった。
    タイトルは『地方魔導スタートアップ、大手との提携に成功』だった。
    鉄平は流し読みしようとして、止まった。
    会社名に見覚えがあった。
    投資審査会で見た男だった。

    間違いなかった。四十代で、スーツがくたびれていて、靴だけ磨いてあったのがなぜか印象に残っている。成功率五パーセントで投資を断られて、「五パーセントもあるなら十分だ」と言って出ていった、あの男だった。
    記事によると、男の会社は独自の魔導通信技術を開発して、大手インフラ企業との提携に成功した。提携規模は小さくなかった。
    鉄平はもう一度記事を読んだ。
    同じ内容だった。
    先輩社員が通りかかったので、スマホを見せた。

    「この会社、知ってますか」

    先輩は画面を見て、少し考えた。

    「あー、うちが投資断ったところじゃないですか」
    「そうです」
    「へえ、うまくいったんだ」

    先輩は特に驚いた様子もなく、自分の席に戻った。
    鉄平はスマホを置いた。
    五パーセント。
    成功率五パーセントを、未来シミュレータは弾いた。投資審査も断った。それでも男はやって、うまくいった。
    間違っていたわけではないかもしれない。九十五パーセントは失敗する、という意味では正しかったのかもしれない。ただ、この男は五パーセントの側にいた。

    鉄平は窓の外を見た。
    都市が動いていた。
    何万人もの人が、今日も未来シミュレータの数字を見ながら、何かを選んでいる。
    その数字が弾いた可能性が、現実になった。
    鉄平はうまく処理できなかった。じゃあ、三十一パーセントは?という疑問が浮かんで、消えた。

    処理できないまま、午後の会議の時間になった。


    異変に気づいたのは、戦略室の定例会議だった。
    研究チームのリーダーが、いつもより早口だった。

    「利用者数が想定を超えています」

    スライドに数字が出た。導入から三ヶ月で、当初の予測の二倍近い利用者がいた。

    「それはいいことじゃないんですか」

    戦略室の先輩が言った。

    「問題が出ています」

    リーダーが次のスライドに切り替えた。

    「精度が下がっています」

    数字が出た。九十二パーセントが、八十七になっていた。先月は八十九だった。

    「なぜですか」
    「シミュレータの予測結果を見た人間が、行動を変えるんです」

    リーダーは続けた。

    「成功率が高いと出た人は、その通りに動く。成功率が低いと出た人は、別の行動を取ろうとする。その行動の変化が、次の予測に影響する。それがまた行動を変える。自己言及と言います。」
    「自己言及」
    「そうです。予測が現実を変えて、変わった現実が次の予測を変える。その繰り返しが、精度を下げています」

    会議室が静かになった。
    鉄平はスライドの数字を見ていた。
    八十七パーセント。先月より二ポイント下がっている。来月はどうなるか。

    「修正できますか」

    三門が聞いた。

    「取り組んでいます。ただ」

    リーダーが少し間を置いた。

    「利用者が増えれば増えるほど、問題は大きくなります」

    三門は頷いた。楽観も、悲観もしていないように見えた。

    「引き続き対応してください」

    それで会議は終わった。三門は即座に会議室を退室し、リーダーは何かを言いたげに開けていた口を閉じた。
    人がばらばらと廊下に出て、鉄平は先輩社員と並んで歩いた。

    「深刻なんですかね」

    鉄平が聞くと、先輩は少し考えてから答えた。

    「さあ。研究チームが何とかするんじゃないですか」
    「でも、利用者が増えるほど悪化するなら」
    「まあ、優秀な人たちだから」

    先輩はそこで話を切った。何も心配していないようだった。
    鉄平は自分の席に戻った。
    モニターを開いて、資料の続きを打ち込んだ。
    手は動いていたが、会議での三門の表情がずっと頭に残っていた。


    その週の終わりに、社内で噂が広まった。
    研究チームの元メンバーが、抗議団体と接触した、という話だった。
    名前は出ていなかった。ただ、内部の資料を外部に渡した可能性がある、という話だった。
    戦略室でも話題になった。

    「裏切りじゃないですか」

    若い社員が言った。

    「まあ、そういう見方もあるけど、あくまで噂だから」

    先輩が曖昧に返した。
    鉄平は黙って聞いていた。

    「訴訟になるんじゃないですか?機密漏洩で」

    訴訟、という言葉で、場の空気が重くなった。
    鉄平は持っていたコーヒーを一気に流し込むと、「用事があったんだった」といって輪から抜けた。なんとなくそこに居たくなかった。


    残業していた社員も減って、ほとんど人気がなくなった夜のオフィスの中で、鉄平はパソコンに向かっていた。
    未来シミュレータの未来を信じたかった。三門の、未来を信じたかった。
    自分にできることは、データを集める事だと言い聞かせながら鉄平は未来シミュレータの予測データを再分析し、精度低下の問題解決の糸口を探した。数字を打ち込みながら、数字の扱いが丁寧だと、言われたことが頭をよぎった。
    事故予測、個人進路適正、投資回収率、病気発症率、暴動予測。
    様々な分野での活用状況と、それぞれの予測精度推移。利用者率との因果関係。そして、予測が当たった事象と外れた事象の傾向。過去のログと、研究チームが出した詳細な技術レポート。買い替えたばかりの時計型の「魔法の杖」が青白く光り、データが分類されていく。

    しかし、世間を説得するための糸口を探せば探すほど、精度が下がっている事実は揺るがしようがないと気づいた時、時計の針は12時を過ぎていた。
    その分析レポートを石田に送信した。当てはなかったけど、何かに役立つんじゃないかと思った。
    鉄平は力なく背もたれにもたれかかった。テーブルの上に並んだエナジードリンクの缶3本が、ディスプレイの青白い光に照らされて長い影を作っていた。

    その影をしばらく眺めていた、体は鉛のように重かった。


    三門に呼ばれたのは、夕方だった。
    社長室は最上階にあった。鉄平は一度だけ入ったことがある。広くて、静かで、窓から都市が全部見える部屋だ。
    資料を片手に、ドアをノックして入った。
    三門はデスクの前に立っていた。窓を背にしていて、夕日が彼の輪郭を照らしていた。

    「座らなくていい」

    鉄平は立ったままだった。

    「精度低下の件、レポートを読んだ」
    「はい」
    「レポートは破棄しろ。前回の定例の出席者にも、緘口令を敷け」

    鉄平は一瞬、言葉の意味を処理できなかった。

    「……それは」
    「対外的には問題ない範囲だ。研究チームが対応中でもある」
    「でも、利用者への影響が」
    「問題ない」

    三門の声は穏やかだった。怒鳴っているわけでも、脅しているわけでもなかった。
    彼の中で、結論は決まっているという口ぶりだった。

    「米国本社も未来シミュレータに期待している。止めることはできない」

    鉄平は少し息を吸った。

    「未来シミュレータは続けていいと思っています」

    三門が鉄平を見た。

    「ただ、補完が必要だと思います」
    「補完?」
    「可能性保全プログラムです」

    三門が片眉をわずかにあげた。

    「未来シミュレータが切り捨てた案件を支援する制度です。社会貢献にもなりますし、企業価値も」
    「社会貢献」

    三門が繰り返した。鉄平は続ける。

    「はい。シミュレータだけでは拾えない可能性があります。それを補うことで」
    「それは君の新しい企画か?」
    「……は」

    息が詰まった。うまく呼吸ができていない気がした。

    「状況を考えて物を言ってくれ」

    三門は吐き捨てるように告げた。鉄平の口は何かを言おうとして、パクパクと動いたがほとんど声にならなかった。

    「この、企画は、以前に」

    なんとか絞り出した声は、情けなく掠れていた。

    「…何の話だ」

    三門の声が部屋のなかでやけに響いた。その声を聞きながら、すっと指先が冷たくなっていくのを感じた。
    時間が止まったような感覚とは裏腹に、窓の外で、都市が動いていた。
    三門はデスクの方へ歩いた。次の会議の資料だろうか、紙束をめくり始めた。

    「社会貢献がしたいなら、医者にでもなればよかった」

    低い声だった。感情がなかった。
    鉄平は三門の横顔を見た。
    三門はもう、鉄平を見ていなかった。最初から、見ていなかったのかもしれなかった。

    「下がっていい」

    鉄平は動けなかった。

    「下がっていい」

    もう一度言われて、鉄平はドアに向かった。
    ドアを閉める直前、思わず振り返ったが、三門はもう背を向けていた
    廊下に出て、エレベーターのボタンを押した。
    扉が開いて、中に入って、閉じた。鏡張りの壁に、自分の顔が映っていた。
    鉄平はその顔を見られなかった。

    今までのことが、遠い出来事のように感じた。
    石田に異動を告げられたことも、三門に褒められたことも、初めて戦略会議にでたことも、イベントの熱気も、夜通しデータを分析したことも、全てが映画のスクリーンの中の出来事のように思えた。

    足にうまく力が入らず、思わず壁に手をついた。壁の冷たささえ、遠い感覚だった。
    エレベータの行先ボタンを押せなかった。エレベータはどこにも行けなかった。


    翌週、研究チームとの緊急会議が招集された。
    三門が出席した。アリアも来ていた。鉄平は後ろの壁際に立った。

    「精度の低下が止まりません」

    研究チームのリーダーが言った。
    スライドに数字が出た。八十三パーセントだった。先月より四ポイント下がっていた。

    「世界展開は危険です」

    リーダーは続けた。

    「自己言及の問題が想定より深刻で、利用者が増えれば増えるほど、精度は下がり続けます。このまま世界に展開すれば」
    「八十三でも十分だ」

    三門が言った。

    「ですが、このペースで下落が続けば」
    「対応しながら進める」
    「三門さん」

    リーダーが一歩前に出た。珍しいことだった。

    「現場は限界に近いです。修正が追いつかない状態で展開を拡大すれば、取り返しのつかないことになります」

    部屋が静かになった。
    三門は窓の外を一度見た。
    それから、リーダーを見た。

    「私は証明する」

    静かな声だった。

    「世界は変えられる」

    リーダーは何か言おうとして、止まった。
    三門の顔が、反論を求めていなかった。
    アリアが手元の資料を見ていた。表情は一切変わっていなかった。

    「引き続き対応してください」

    三門が言って、立ち上がった。
    会議は終わった。


    会議室からぞろぞろと人が出ていく波にのって、鉄平は廊下に出た。
    会議中に飲んでいた缶コーヒーの空の缶を捨てようと、給湯室の方に向かって歩き出すと、廊下の先で研究チームのリーダーが、アリアを追いかけて走っていくのが見えた。
    会議中のリーダーの顔を思い出す。以前はなかった濃いクマが、彼の心労を物語っていた。

    「…で…すれば…シミュレータの改善を…」
    「…予測ではなく、人類側を…」

    何かを話しているが、その声は聞き取れない。恐らく未来シミュレータの話だろう。
    ただ、リーダーの必死な様子と対照的に、アリアの表情がいつもと変わらず、どこか傍観者のようにも見えるところだけ気になった。

    缶を捨て、給湯室から出ると、2人はいなくなっていた。


    世界展開発表イベントは、都内最大級の会場で行われた。
    国内外のメディア、各国の政府関係者や投資家が来ていた。一般枠のチケットは発売開始から数分で売り切れた。
    鉄平はスタッフとして動いていた。沢山の人に、資料を渡す。あるいはノベルティも。
    会場の規模は、秋の発表イベントとは比べ物にならなかった。空中スクリーンが三面あり、同時通訳のブースが並んでいた。警備員が会場の隅々まで配置されていた。説明を行うコンパニオンも増員されていた。
    会場の装飾も、イベントよりも大分こだわった作りになっていて、複数の小型空中ディスプレイには未来シミュレータのCMや、現在の予測を示す数字や文字が流れていく。

    開始一時間前、鉄平は資料を抱えて会場の裏側を歩いていた。
    関係者エリアに、見覚えのある顔があった。
    秋の来客の中にいた男だった。防衛関連の組織から来た、あの甲高い声の男だ。
    今日のイベントに招待されているのだろう。不思議ではなかった。ただ、男は関係者エリアの端に立って、会場全体を見渡していた。
    誰かと話しているわけでも、資料を見ているわけでもなかった。
    ただ、場を見ていた。
    鉄平は男の横を通り過ぎたが、男は鉄平を見なかった。


    開始時刻と同時に、イベントが始まった。未来を感じさせるグラフィックがスクリーンに表示され、煌びやかなメロディが流れる。
    演出から一拍おいて三門がステージに上がった。拍手が起きた。
    鉄平は会場の端に立って、ステージを見ていた。
    三門の話し方は、いつもと同じだった。声が通って、言葉が整っていて、聴衆の視線がステージに集まる。

    「今日から、世界が変わります」

    大きな拍手が起きた。鉄平は資料を持つ手に力をこめる。拍手はできなかった。
    そして、ほぼ同時に会場の後方で声が上がった。
    怒鳴り声ではなかった。ただ、拡声器を通した声が会場に広がった。

    「シミュレータには問題があります」

    振り返ると、抗議団体のプラカードを持った人間が数人、通路に立っていた。先頭の、マイクを持つ男はタブレットを持っていて、スクリーンに別の画面が映し出された。
    見覚えのあるグラフ。精度低下の報告の際に表示されていたものと同じだった。
    会場がざわつく。そして、警備員が動いた。
    抗議団体の人間をなだめながら裏へ誘導しようとするが、彼らは動かず拡声器に向かって声を張り上げている。
    鉄平は会場の端に立ったまま、呆然とスクリーンを見ていた。何が起きているのか分からなかった。
    さっきまで世界展開の未来が映っていた場所に、八十三パーセントという数字が映っていた。
    ざわめきが大きくなった。

    鉄平は無意識に、関係者席へと視線を移した。
    あの男はまだそこにいた。
    会場が混乱していても、男の姿勢は変わっていなかった。
    ただ、口元が少しだけ動いていて、誰かと話しているのか、それとも独り言なのか鉄平には分からなかった。
    鉄平は再びステージに目線を移すと、三門の姿が目に入った。
    彼はステージ上で動じず、マイクを持ったまま、会場を見渡していた。
    その目は、抗議団体も、観客も映していないように見えた。


    突然ぱん、と乾いた音が響いた。
    あれだけざわめいていた会場が、一瞬だけ静止した。

    鉄平は最初、何が起きたか分からなかった。
    ステージで、三門が胸を押さえたと思うと、ゆっくり倒れていくのが見えた。次の瞬間、悲鳴が上がった。
    即座に数名のSPが三門の周囲を囲んでいた。悲鳴に交じって、もう一度結界を張れ、という怒号が聞こえた。
    鉄平の足が動いた。人をかき分けて、ステージに向かった。ステージ手前の警備員に止められた。

    「離れてください」
    「でも」
    「いいから」

    ぐ、と押し返され、思わず後ずさった
    会場が混乱していた。大勢の人が、出口に走る様子が見えた。立ち尽くしている人や、泣いている人も。
    警備員数名に囲まれた抗議団体のメンバーでさえ、唖然とした顔でステージを見ていた。
    その警備員のうちの一人が、無線でどこかに連絡している様子が見えた。

    鉄平は視線を、ステージに移した。
    救命キットを脇に抱えた医療スタッフが、必死の形相で走ってきた。
    三門の体は、SPやスタッフに囲まれていて見えない。
    動けずにいると、場内アナウンスが流れた。落ち着いた声で、誘導の言葉を始めた。
    来客は誘導に従って少しずつ、出口に向かって流れていった。警備員も誘導補助に向かった。

    やがて、ステージ上の医療スタッフの動きが変わった。
    急いでいた動きが、止まった。そして首を一度横に振っているのが見えた。
    鉄平にはその意味が分かった。
    数名の人が、囲みから離れていく。目頭を押さえている人もいた。
    青白い結界の光が、ゆっくりと消えていき、会場の照明だけが残った。
    広い場所だった。さっきまであんなに人がいたのに、急に広く見えた。
    倒れた椅子や散らばったチラシが、祭りが終わったあとの景色を思い出させた。

    鉄平はその場に立ったまま、何も考えられず、しばらく動けなかった。突然、自分の手が届かないところで、すべてが終わってしまったのだと理解した。
    もう一度、話したいことがあった気がしたのに。
    もうその機会は来ないのだと理屈では分かっていたが、感覚が追い付かなかった。
    それは、未来を変えるために何かできたかも、という驕りさえ許さない、唐突な幕引きだった。

    パトカーのサイレン音が、遠くで響いていた。


    なんとなく誰にも会いたくなくて、年末年始は自宅で過ごした。年明けに初めて出社して行った退職の手続きは、思ったより早く終わった。

    数週間後、鉄平は最後の荷物をまとめて、社員証を返却した。
    エントランスを通り過ぎるとき、吹き抜けのホログラムはまだあった。未来シミュレータのロゴは消えていたが、別の広告に変わっていた。
    世界は続いていた。
    誰がいなくなっても、世界は変わらないのだと思った。


    最終日の夕方、石田に呼ばれた。
    小さな会議室だった。石田は一人で来ていた。資料も、手帳も持っていなかった。

    「残念です」

    石田が言った。三門のことなのか、自分の退職のことなのか一瞬分からなかった。

    「社交辞令ではなく、そう思います」

    石田の顔は、いつもと同じだった。表情が少なくて、何を考えているか読みにくい。ただ、声だけが、いつもと少し違った。
    鉄平は少し間を置いた。

    「……ありがとうございます」
    「戦略室への異動は、私が判断しました」
    「え」
    「あなたの資料を見て、丁寧で誠実な仕事ぶりを感じました。あとで運動部出身だと聞いて、体力と根性もあると。戦略室には、必須の要素ですから」

    鉄平は石田の顔を見た。
    石田は慰めている顔ではなかった。謝っている顔でもなかった。

    「私のあの日の未来予測は、当たっていました」

    部屋が静かだった。
    鉄平はテーブルの上に置いた自分の手を見た。
    あの日から、誰でもよかったのかと、ずっと思っていた。
    ただ、一人。ちゃんと見てくれていた人間が、少なくとも一人いた。

    「ありがとうございます」

    声が少し掠れた。恥ずかしくなって、手で口を覆った。

    「社長…三門は、これ以上後退できなかったのだと思います」

    ふと、石田が呟いた。いつもの無表情ではなく、少し気が抜けたような表情だった。

    会議室を出て、鉄平は廊下を歩いた。窓の外には小雨が降っていて、夜には雪になる予報だった。
    エレベーターのボタンを押して、待った。
    扉が開いて、中に入ると、鏡に自分の顔が映った。
    鏡の中の自分は、情けないような、疲れたような、安堵したような表情をしていた。


    実家に帰ったのは、退職から三日後だった。
    新幹線で二時間。駅を降りると、空気が違った。東京より広くて、静かで、風が少し冷たかった。
    バスに乗って、昔からの道を通って、家の前に着いた。
    インターホンを押す前に、ドアが開いた。
    母が立っていた。母の後ろから、木の匂いと、香ばしいような、草に似たような、懐かしいにおいがした。

    「おかえり」

    それだけ言って笑った。
    鉄平は「ただいま」と言った。母は何も言わず、自分が持っていた荷物を持ってくれた。


    夕飯は鍋だった。
    冷蔵庫に残っている野菜と、鶏のつみれ。あれば魚なんかも入れるこの鍋は、お馴染みの家族の味だった。
    母が野菜を切って、鉄平が火の調節をした。昔からそういう役割分担だった。
    弟はバイトで遅いらしく、二人で先に食べた。
    特に大きな話はしなかった。
    近所の話。親戚の話。母の仕事の話。
    鉄平は箸を動かしながら、そういう話を聞いていた。

    食べながら、ふと思い出した。
    高校のとき、放課後に残って先生たちに勉強を教わっていた。塾に行けないからと毎日残っていたら、ある先生が見かねて勉強を見てくれるようになった。徐々に他の先生たちも。
    あの先生たちは、未来シミュレータで何パーセントが出るだろうか。
    あの人たちが鉄平に何かを渡してくれたことは、数字にならない。
    投資審査で断られた男のことも思い出した。五パーセントで、やると言った。
    あの男も、数字の外にいた。

    じゃあ、あのときの鉄平には何パーセントの未来があったのだろうか?

    「母さん」

    鉄平は箸を置いた。

    「ごめん」

    母が鉄平を見た。

    「俺、楽させたかったのに」

    母は少しの間、鉄平を見ていた。

    「バカ、そんなこと考えなくていいって」
    「仕事も、うまくいかなくて」
    「帰ってきなさい、って言ったじゃない」
    「でも」
    「あんたが元気なら十分」

    鉄平は黙った。
    母は少しだけ笑って、「食べちゃってくれる?」と言いながら鍋に野菜を足した。
    泣きたいというより、力が抜けた。ずっと持っていた何かが、静かに降りていく感じがした。
    窓の外で、風が木を揺らす音がした。虫の鳴き声も。
    鉄平はしばらく、その音を聞いていた。


    夜、一人で部屋に戻った。
    高校のときから変わっていない部屋だった。陸上の賞状が壁に貼ってあった。
    写真立てにも机にも、ほこりが乗っていないところを見るに、母が定期的に掃除をしてくれているようだった。

    鉄平はベッドに腰掛けると、スマホを手に取った。
    未来シミュレータのアプリを見ようとして、退職時に返却した社用スマホにしか入っていなかったことを思い出した。
    未来は分からない。成功するかも分からない。
    少し前には当たり前に合った感覚なのに、ここ数カ月は忘れていた。
    選択肢を選ぶのは、自分だ。ここで止まるのも、進むのも、自分で選ぶのだ。
    鉄平はサイドボードにスマホを置いて、ベッドに倒れこんで、大きく息を吐いた。

    久しぶりに見た自分の部屋の天井は、東京のそれより少し低かった。

    第二話 終


    ↓第3.5話 AI猫のクロ

    ↓観測記録I : 三門聖悟という人間


     
     

    ぬる

     
     
    閲覧ありがとうございます。 少しのスキで元気に育つサボテンです、是非スキをお願いいたします🌵 SF、ファンタジー系の小説を投稿します。 考えごとが趣味です、放っておくと小説になります。 作品、画像には一部生成AI(ズッ友)を使用しています。

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