
「とりあえず百編書いてみる小説執筆術」#2「書き方は一つではない。読まれ方は気にしない」
note創作大賞2026オールカテゴリ部門応募作。とりあえず百編書けばいろいろ見えてくるよ、という話。
第一章まとめ「デビューには500年くらいかかりそうなので不老不死になるために火の鳥を探しに行こう」
第二章「書き方は一つではない。読まれ方は気にしない」
「とりあえず百編書いてみなよと言ったところで、どうやって書けばいい?」と思う方もおられるかもしれません。私の行った具体的な執筆方法についてここでは書いていきます。
あらかじめ言っておきますが、傑作を書こう、人に認めてもらおう、売れよう、といった考えは持たない方がいいです。「十に一つはマシなもの、百に一つは認められるものができる」というのが私の考えです。noteのダッシュボードを見ながら「この手の話は多くスキを集められるようだから、この方向で行こう」というのもやめておきましょう。同じ系統の話ばかりになってしまいます。「反応が欲しい! コメントが欲しい! できれば長文の感想が欲しい!」といった欲は、AIに「感想を聞かせて」と投げて消してしまいましょう。AIは優しく褒めてくれたり「ここをこうしたらもっと良くなるよ」と提案してくれるでしょう。全部無視しましょう。
基本は早起きして子どもたちが起き出す前に書くことが多かったものの、そうもいかない日もあります。スイッチをいくつも用意しておくと書く機会を増やせます。
・15分あれば創作を
・家事の間は構想を
・お風呂に入っている間は構想を
・読書体験や映画鑑賞体験のカウンターとして創作を
・仕事中はもちろん小説の構想を練る時間
「なんでも書いてもいい状態」よりも様々な規制を自分で設けた方が逆に書きやすいです。「今日は何も思いつかない」という境地から思いつくものもあります。結果的に出来上がったものが駄作でも、消してしまいたいと思ったものでも、書かなければよかったと思ったものであっても、そういう自覚を持てたというだけでもプラスになります。
創作よりも体調、家族を優先させてください。私は一日二編書くことを続け、順調にストックが増えていた時期に体調を崩しています。子どもが熱を出しているのに「まだ今日のノルマの一編を書けてないから」と創作を優先させるようなこともしてはいけません。基本早朝に済ませておくのがいいのは、日中は何が起こるか分からないからでもあります。
どのような作品を書けばいいのか。それは他人にどうこういえることではありません。ですが、私が書いて後悔したものがあったことは記しておきます。消してはいないものの「とりあえず百編」には入れなかった話が二編あります。「誠二の話」は祖父について書いたものでした。今は亡き親族のプライベートについて書き過ぎてしまいました。「水面の凹み」というのは会社の違う部署の方の突然死についての話でした。人柄も事情もよく知らないのに、憤りを込めて書いたもので、何も知らない外野の身なのに、感情を込めすぎて書いたことを反省したものでした。
その他、「その日には書く理由があったものの、後から思えば発表する水準には達していなかった」と思えるものはいくつもあります。アメリカで大規模な停電が起こり、大手サーバーがダウンしたため、たくさんのネットサービスが一時期停止したことを題材にした話があります。息子のプレイしていたゲームができなくなりました。電子書籍のダッシュボードが見られなくなり、アカウントが消えたのかと焦ったものでした。また、ノートパソコンのモニタが割れた日に書いたものもそうです。それらの出来事は自分にとってはその日には特別なことであったから、書きたい衝動に駆られて書いたものです。けれども読者にとってはそうではありません。時間を置いて一読者の身で読み返してみると「作者にとっては特別な出来事であっても、他の者にとっては同じように感じ取れない」という話があります。そういうことは創作ではなく、日々の記録的な文章に回しましょう。
今気軽に読者、と書いてしまいましたが、読者のことを考え過ぎても書けなくなります。読者がどう読むか、選考委員がどう受け取るか、編集者が何を言ってくるか、というのは全て「外側」の話です。自分は自作についてどうにかすることができます。ですがその反応についてはコントロールできません。傑作が出来たと思ったら無風、特に思い入れのない作品の受けが良い、自分では思ってもいなかったところに強い拒否反応を起こされた、といったことはよくあります。極端な話、発表したら忘れてしまうことです。外側の反応に苦しみ悩み、書くことを止めてしまうよりも、書き続ける動機をたくさん持ち続けて、作品を蓄積させていきましょう。
「四百字のスケッチ」シリーズを突然私が書き始めたのは野見山暁治の随筆集「四百字のデッサン」を読み終えた直後でした。note創作大賞2025の受賞連絡がいつまでも来なかったので、落ちたのだな、と自覚した頃でもありました。「落ちたか。もう書くのをやめようか」ではなく「落ちたか。では次に何を書くか」と考えていたのかもしれませんが、多分深く考えてはいません。そろそろ何か新しい創作ルーティンを始めようと思っていた頃でした。
日頃「耳鳴り潰し」という、前日の印象的な出来事を記録する文章を書いています。とある病気の後遺症により、生涯耳鳴りが消えない身となりました。常時「キーン」と鳴り続けている耳鳴りに意識を向けてしまうと余計に苦しくなります。何かしらの創作活動をしていると、意識がそちらに向くので気持ちが軽くなります。「耳鳴り潰し」で書くような要領で、非現実的でも、荒唐無稽な設定でも、当たり前の出来事のように書く書き方が身についていました。そして「秋だな。読書の秋だな。そうだシャチと結び付けよう」というわけで「すっかりシャチめいてきた」から始まる「読書のシャチ」を書きました。
その後「四百字程度を目安に」という縛りは、40編を超えたあたりから外しました。その文字数では、書きたいことが収まらなくなってきたからです。しかし今でも「15分、400字」という意識は持っています。書き方のバリエーションも増やしていきました。
・以前書いた話の続編
・時代小説をよく読んでいた頃に時代小説を書く
・同じモチーフを違う書き方で
・地の文だけで終わらせず、対話シーンを入れる
・メンバーシップ加入者からお題をいただく
といった様々な試みをするようになりました。
あと、あまり執筆に時間をかけないように心がけていました。推敲、仕上げは丁寧にしなければいけませんが、初稿で大事なのは勢いです。無駄に装飾的な文章になったり、余計なアイデアを足してしまったり、といったことは、考え過ぎた時に起こりがちです。自分にとって自然体な書き方でやるのが一番です。私の場合、構想のタイミングはバラバラでした。早朝執筆時に少し考えて、仕事中にずっと考えて、お風呂に入っている間に、といった具合に。しかし執筆には長い時間はかけないようにしていました。環境的に長い時間はかけられない、というのもありますが、自分にとっての不自然な文章、物語にならないように気を付けていた結果でもあります。
といった感じで一日一編ペースなら、百日で百編が出来上がります。私の場合を今確認したところ、途中体調を崩した時期があったせいか、115日程度でした。最後の一編「戯曲 本能寺の編事前打ち合わせ」だけが日付が飛んでいるのは、書き上げた直後に投稿せず忘れていたものだからです。
そんなこんなでそれぞれのペースでそれぞれの作風でそれぞれの書き方で百編仕上がったなら、それを素材にしてあれこれする方法を次章では書いていきます。
・自作の分析をAIにさせてみる
・自作の語彙を抜き出したお題生成装置を作ってみる
・自分の好む作風、好まない作風
・思いもよらない副産物
・不老不死については諦める
(続く)