
【温泉ファンタジー】魔界湯士Sa・Ga 第5話 霧を裂く風
麓の村は、ひどく静かだった。
人の気配はある。
だが、活気がない。
誰もが山を見る時だけ、僅かに表情を曇らせる。
スパロウとスパ子は、村の広場にある古びた井戸の近くで足を止めた。
「この山の“守り神”について、何か知ってることはないか?」
スパロウの問いに、年配の村人がゆっくり顔を上げた。
深い皺の刻まれた顔だった。
「ああ……昔な。」
村人は遠くを見るように目を細める。
「木樵だった、おらのじいさまが山で“神様”に会ったって話だ。」
スパ子が腕を組む。
「やっぱり、昔から出るのね。」
「でもな。」
村人は声を落とした。
「じいさまは言ってた。“ありゃ、バケモンだった”ってな。」
空気が少し重くなる。
スパロウは黙って続きを待った。
「慌てて、持ってたチェーンソーを振り回したら、一目散に逃げていったそうだ。」
「チェーンソー?」
スパロウが間の抜けた声を出す。
村人は苦笑した。
「ホラ話だと思ってるがな。熊かなんかを見間違えたんじゃねぇかって。」
沈黙。
スパロウとスパ子が、同時に顔を見合わせる。
「……もしかして。」
「弱点は……チェーンソー?」
再び沈黙。
そして。
「……ダメじゃん。」
スパ子が頭を抱える。
「完全に準備不足じゃない。」
弱点は分かった。
だが、手段がない。
スパロウは腕を組み、真剣な顔で唸る。
「チェーンソーなんて普通持ち歩かねぇぞ……。」
「普通は秘湯探しながら魔界にも入らないのよ。」
ぐうの音も出なかった。
詰み___だった。
____
焚き火の前。
地図を広げたまま、二人は黙り込んでいた。
火が、ぱちりと弾ける。
「なあ、スパ子。」
スパロウが思い出したように口を開く。
「チェーンソー、持ってないか?」
「……持ってないわよ。」
「ほんとか〜?」
冗談めかした声で、スパロウがパレオへ手を伸ばす。
パァン!!
「いってぇ!?」
乾いた音が夜へ響いた。
スパ子は手刀を振り抜いた姿勢のまま睨みつける。
「何すんのよ!」
「……ですよね。」
スパロウは頬を押さえながら小さく頷く。
スパ子は視線を逸らし、何も言わずにパレオを整えた。
否定もしない。
肯定もしない。
沈黙。

焚き火が静かに揺れる。
やがて、スパ子が小さく息を吐いた。
「……いつもの手で行くしかないわね。」
「囮と入浴か。」
「ただ、あの霧が問題よ。」
スパ子は山の方を見る。
夜の魔界は、遠目にも白く霞んでいた。
「たぶん、あれ全部、秘湯の湯気。」
「湯気ぇ?」
「認識を狂わせてるのよ。幻覚の温泉も、見えない壁も、そのせい。」
スパロウは腕を組む。
「つまり、温泉が邪魔して温泉に入れねぇってことか。」
「最悪な秘湯ね。」
火が小さく爆ぜる。
その揺れる光の中で、スパ子は静かに目を細めた。
「……霧は、私がなんとかする。」
スパロウが顔を上げる。
「あてがあるのか?」
スパ子は少しだけ口元を吊り上げた。
「まあね。」
____
翌朝。
山には薄い霧が流れていた。
スパロウは大きく伸びをすると、勢いよく立ち上がる。
「よし! リベンジだ!」
「朝から元気ねぇ……。」
スパ子は呆れながら荷物をまとめる。
ちなみに荷物の大半は、またしてもパレオのどこかへ消えていった。
深く考えないことにする。
二人は再び山道を登り始めた。
麓ではまだ鳥の声が聞こえていた。
だが、鳥居へ近づくにつれ、それも消えていく。
静かだった。
風も弱い。
まるで山そのものが息を潜めているようだった。
やがて、巨大な鳥居が見えてくる。
白い霧。
その向こうに広がる魔界。
スパロウは鳥居の前で立ち止まり、ニヤリと笑った。
「待ってろよ、秘湯。」
「完全に温泉目当てなのよねぇ……。」
スパ子は小さくため息を吐く。
だが、その表情はどこか柔らかかった。
二人は鳥居をくぐる。
瞬間、空気が変わる。
ぬるい湿気。
肌へまとわりつくような熱。
そして、どこか遠くで湯が流れる音。
霧の奥は、相変わらず何も見えない。
スパ子は小さく目を細める。
「……今度は、絶対に辿り着くわよ。」
「おう!」
二人は霧の奥へ進み始めた。
____
霧の奥。
再び、“それ”が現れる。
巨大な影。
岩のような外殻。
そして、秘湯の前へ立ちはだかる異形。
空気が重くなる。
スパロウはカトラスを構えた。
「今度こそ、秘湯はもらうぜ!」
「まずは生き残りなさい!」
二人が同時に飛び出す。
スパロウが正面から斬り込む。
ガギィン!!
火花。
やはり硬い。
「硬ってぇ!!」
衝撃が腕を痺れさせる。
同時に、スパ子の苦無と手裏剣が飛ぶ。
だが、魔物は意に介さない。
巨大な腕が振り下ろされる。
轟音。
地面が砕ける。
スパロウは転がるように回避した。
「太郎!」
「わかってる!」
二人は視線を交わす。
次の瞬間、同時に動いた。
スパ子が横へ飛ぶ。
苦無を連続で投げ、注意を引く。
その隙に、スパロウが秘湯へ向かって駆け出した。
いつもの形。
いつもの勝ち筋。
だが。
ゴッ!!
「またかよ!?」
見えない壁へ激突する。
霧が揺れる。
景色が歪む。
秘湯の位置が定まらない。
その瞬間。
魔物の腕が振り下ろされる。
「っ!!」
スパロウは咄嗟に飛び退いた。
轟音。
地面が爆ぜる。
「太郎! 下がって!」
スパ子が叫ぶ。
だが、スパロウは舌打ちした。
「このままじゃ、また入れねぇ……!」
スパ子は小さく息を吐く。
「……仕方ないわね!」
次の瞬間。
胸元から巻物を引き抜いた。
(……そっからも出るんだ?)
スパロウが一瞬だけ遠い目になる。
スパ子は巻物を一気に広げた。
文字が淡く光る。
直後。
ゴォォォォォッ!!
暴風。
霧が一気に吹き飛ばされる。
白い湯気が裂け、景色が露わになる。
見えていた。
本当の地形。
本当の秘湯。
今まで歪められていた道筋。
スパ子が叫ぶ。
「今よ、太郎!!」
スパロウは目を見開いた。
「なんで前使わなかったんだ!?」
「髪乱れるから嫌なのよ! パレオもめくれるし!」
突風の中、ポニーテールとパレオが激しく暴れる。
スパ子は片手で必死に押さえながら叫ぶ。
「見てないわよね!?」
「……ちょっとだけ。」
「早く行けぇぇぇー!!」
スパロウは一直線に駆けた。
もう迷わない。

霧は晴れている。
見えている道を、そのまま突っ切る。
背後では轟音が響き続けていた。
スパ子が魔物を引きつけている。
「太郎! 早く!!」
「おう!!」
魔物の腕が振り下ろされる。
スパ子は岩場を蹴り、紙一重で回避した。
地面が爆ぜる。
破片が飛び散る。
「ちょっ、威力上がってない!?」
再び腕が唸る。
横薙ぎ。
スパ子は身を低くして滑り込む。
髪が数本、宙へ舞った。
「危なっ!?」
苦無を投げる。
だが、牽制にしかならない。
それでも止まれない。
止めれば、その瞬間にスパロウが終わる。
その頃。
スパロウは秘湯へ飛び込んでいた。
ザバァッ!!
熱い。
だが、心地いい。
全身へ力が流れ込んでくる。
「っはぁぁぁぁぁ……。」
湯気が立ち昇る。
疲労が溶けていく。
筋肉が熱を帯びる。
身体の奥で、何かが脈打っていた。
スパロウは目を閉じる。
「効くぜぇ……。」
その時だった。
遠くからスパ子の叫び声が響く。
「太郎ぉぉぉ!! まだぁ!?」
スパロウはゆっくり目を開けた。
「……あと3分。」
「長いのよ!!」
魔物の腕が振り下ろされる。
轟音。
スパ子は煙玉を叩きつけた。
白煙。
視界が塞がれる。
その隙に岩陰へ飛び込む。
だが。
ブォン!!
腕が煙ごと薙ぎ払った。
「うそでしょ!?」
さらに追撃。
もう一本の腕が迫る。
スパ子は咄嗟に後ろへ飛ぶ。
衝撃で地面が砕け、体勢が崩れる。
「っ……!」
魔物が迫る。
巨体。
圧力。
息が詰まる。
スパ子は唇を噛んだ。
(まだ……?)
その時。
秘湯の方角から、ゴォッ!! と湯気が吹き上がった。
空気が変わる。
熱量が増す。
スパ子が振り向く。
湯煙の中。
ゆっくりと、一人の男が立ち上がっていた。
腰にバスタオルを巻き、湯気をまとった姿。
スパロウがカトラスを肩へ担ぐ。
「待たせたな、スパ子!」
「いいから早く服着なさいよ!!」