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箴言INDEX113 富士山麓のひょう少年

    かつて私(安岡先生)は二夏、三夏、富士山麓の御殿場で過ごしたことがあ る。

    ずいぶん昔のことだが、その頃須走にある富士浅間神社で一人の精薄の少年と親しくなった、というより興味をもった。神社の掃除係をやっていた、 ひょうさんという智慧遅れの少年です。

    いわゆる精薄児だ。それで親父もお袋も、子供の時から、「この馬鹿が、この馬鹿が」で、叩かれたり蹴られたりして育ってきた。

    富士山麓だから荒れ地で、耕してもろくな物も生らない。もちろん非常な貧乏だ。農業をさせても役に立たないから、ひどい目にあわされた。

    しかし幸いに精薄であるから、なまじっか勘のいい奴だったらとても耐えられないで逃げ出してしまうところだが、智慧遅れの子だから、こ突かれても張られても、泣き泣き耐えていた。

    ところが、このひょうさんが親父に怒鳴られたり、叩かれたりすると、やはり智慧遅れの子でも悲しい。腹も立つだろう。
    そういう時にはメソメソ泣きながら、そこが智慧遅れの子の功徳効用というのか――富士山麓の森は世界で最も鳥の種類の多い所だ。さまざまな小鳥が鳴く。これが彼にとって天の恵みである。彼を慰める無類の音楽である――その悲しみや腹立ちをいつか忘れてしまって、鳥の声に耳を傾けているうちに、これも智慧遅れの子の効用で、普通の人間みたいに余計なことを考えないから鳥と一つになる、鳥と融合合体するわけだ。

    いつの間にか鳥の鳴き声を覚えてしまい、いろいろの鳥の鳴き声を自然に出すようになった。

    そうするとそれがだんだん里人に知られた。
    「おい、ひょうさん、ちょっとやってみろ」 と言ってやらせる。
    そのうちに旅行客がそれを聞いて、それは面白いと呼んでやらせる。
    そうするといくら智慧遅れの子でも「なるほど、これはうまいな」というので金をくれる。

    そのため一夏でひょうさんの稼ぐ金は親父の年中稼ぐ耕作収入よりも多くなってきた。そこでこの智慧遅れの子がえらい大切な子になって、「ひょうや、ひょうや」と大事にするようになった。

    人間というのは面白いものだ。
    そうするとまた、お客の中にも凝った人がいて、彼を指導する者が出てくる。するとますますうまくなる。人間というものはそういうふうに、考えよう、使いようによって正反対になる。

    そのひょうを私も物好きに呼んでやらせたことがある。
    我々二、三人、亡くなった高楠順次郎と いう仏教の大家、三菱の総理事をしておられた江口定條という、これは今時の実業家にも 珍しい国士的な人ですが、そういう人々と話しておって、ひょうを呼んでみようじゃない か、というので呼んでやらせたら確かにうまい。これは面白い。

    可哀そうに、この智慧遅れの子にこんなことをさせて、客が呼んで鳴かせるのもよくないけれども、まあしかし収入になるのだからそれもよかろうというようなことで、その日は金をやって帰した。

    翌日私は須走の江口さんの別荘を訪ねてその帰りに神社にお参りしたら、ばったりひょう少年と逢った。

    そこで立ち話をしたら私にどこまでもついてくる。
    「おい、もういい加滅に帰らんか」と言ったが、「先生を送る」と言ってとうとう私の家まで送ってきた。

    それからこのひょうと仲よしになって、えらく好かれてしまって、よく「せんせーい」と言 ってニヤニヤ笑いながら私の所へ寄ってくる。

    それからいろいろ話をしていると、智慧遅れの子は智慧遅れの子なりに、やはり得るところがある。

    王陽明の書いている物の中に聾啞者との問答があるが、それを思い出し たことがある。智慧遅れの子に真理を語るとよくわかる。
    利口な奴よりよほどよく共鳴する。

    その後しばらく行かないで何年かたって行ったら、可哀そうに病気をして死んだということであった。

    それで考えさせられたことですが、智慧遅れの子でも考えよう、扱いようによっては、独特の境地を開くこともできるものであり、決して食うに困らないものであり、無限に世界の開けるものである。

    安岡正篤先生著 知命と立命 77頁


    箴言INDEX112「命」は運命であって宿命でない…の一つ目の逸話。

    文中の浅間神社は須走の東口本宮冨士浅間神社。
    1934年に日本で最初の探鳥会が開催された「日本の探鳥会発祥の地」。

    コロナ禍で都県境越えが憚られた頃をきっかけに野鳥写真に親しみ始めた。
    この箴言INDEXに使用してる写真は全て拙撮写真だ。
    拙いながら私が撮った野鳥写真が華を添えてくれている。

    好きになると不思議なもので今まで見えてこなかったものが見えてくる、聞こえてくる。

    今朝5時過ぎ、お向かいの屋敷林でサンコウチョウの声が。
    ツキ(月)ヒ(日)ホシ(星)ホイホイホイ…
    夏鳥の代名詞だがなかなか目に耳にできる野鳥ではない。
    まさかお向かいの屋敷林に飛来するとは。驚嬉

    帯状疱疹で外出ができないことを慰めてくれるような眼福ならぬ耳福のひと時。これまさに機縁。

     
     
    年が明ければ数えで古希。冨士と星と野鳥と猫を愛で、欅並木を通り過ぎる季節の風と彩と共に、往聖のために絶学を継ぐ。一灯照隅萬灯照國の心で、ハイタッチコンタクト、パートナー開拓・シナジー創出の縁尋機妙多逢聖因に役立てれば幸いかと。