
私を律するものはルールだ
森野花さんの「自分を律するもの」を読ませていただいた。
私の場合はどうなんだろうかと考えたとき、「場面で異なる」という答えに至った。
現職の送迎運転手の場合は、何が何でも事故は起こさないためにはどうすればいいのかというルールに照らし合わせて行動すること。それを瞬時に判断する必要性があるので、送迎中はそのルールが条件となる。
とはいえ、それができないのが私だが・・・人間だもの。
その他の場面では、社会人としてなら、ルールに従うということか。もっともこちらも、それができないのが私だが・・・だって人間だもの。
それ以外なら、自由気ままに生きている。
当然これが一番性に合っている。
自分でいうのもどうかと思うが、“ルール” にはとても厳しい性格だ。だから、
「細かいなぁ、いいでしょ、それくらい」
とよくいわれる。
「うん、いいよ、それくらいのこと、自己責任取れるなら」
と心の中では答えている。
だから、私も責任が取れる範囲なら、ルール破りはしている(ナイショだけど)
このルールっていうヤツは、メンドくさい存在だと思う。
1ミリぐらいズレてもいいんじゃないかといい出すと、では2ミリならどうなの、3ミリはと、際限なく広がっていくことになる。
だから、厳格にルールは守る。その1ミリや2ミリを考えることが、とても面倒だと思うからだ。
ただ、その1ミリや2ミリが議論になることが、とても面白い(興味深い)ことも事実だと思うし、社会人として生きて行くためには、必ず必要なことだと思う。
結論は「自分を律するものはルール」だということになる。
どうでもいいんだけど、
最初この文章を書こうとしたとき、もっと詩的なものにしようと思っていたのに、森野花さんのように「一輪の青いばら」というような表現にはなってないのはどうしてだ?
言葉を綴る度に新たな悩みが増える。