
妻が部屋の隅で泣いて、近くで娘が号泣していた日のこと
以前、「妻が泣いた日から、僕は仕事を二番目にした」という記事を書きました。
たくさんの方に読んでいただきました。「うちもです」という声も、たくさんいただきました。ありがとうございます。
でも――正直に言うと、あの記事は、一番苦しい時間を、まるごと省いていました。
「仕事を二番目にする」なんて、きれいな決断みたいに書きました。
でも本当は、そんなにきれいな話じゃありません。
あったのは、台所で、皿を洗いながら、声を殺して泣く妻の背中です。
それが、何度も、何度も、繰り返されました。
そして――決定的だった、ある夕方のこと。
仕事を早めに切り上げて帰った僕が、玄関を開けると。部屋の隅で、妻が泣いていました。すぐそばで、長女であるぺこが、火のついたように泣いていました。
この記事は、その夕方の、1時間の話です。
包み隠さず書いた分、少し、格好悪いです。でも、たぶん一番、本当のことが書いてあります。
帰宅時間が、少しずつ欠けていった
ぺこが一人っ子だった頃、僕の帰宅は22時を過ぎていました。
会食や飲み会があれば、日付が変わることも珍しくない。
残業が当たり前の仕事で、営業成績によって年収も大きく変わる。
だから僕は、必死で働いていました。
でも、その帰宅時間が、月が欠けるように、少しずつ早まっていきます。
22時が、18時になり。
18時が、16時になり。
やがて、14時に帰るようになりました。
送り迎えも、習い事の付き添いも、僕の担当になっていました。
なぜか。妻の泣いている背中を、これ以上、見たくなかったからです。
「もう無理」というLINEが、怖かった
正直に、格好悪いことを書きます。
仕事をしていると、妻からLINEが届くんです。
「ぺこがご飯を食べない」
「公園に連れて行ったけど、全然帰ろうとしない。もう無理」
「もう怒り疲れた」
こういうLINEが来るのが、僕は、本当に嫌でした。
嫌、なんて言葉じゃ足りない。めちゃくちゃ、嫌だった。
だって、帰れば、子供たちの愚痴をずっと聞かされる。仕事で疲れた体で、今度は家庭の火消しに回る。
そう思っていた時期が、確かにありました。
でも、ある日、気づいたんです。
妻は、愚痴を言っているんじゃない。
愚痴すら言わずに、皿を洗いながら、泣いている。
——これは、火消しに帰る話じゃない。
僕は、役割そのものを、根っこから組み替えなきゃいけない。そう思いました。
小さな組み替えを、いくつも重ねた
そこから僕は、家の中の役割を、一つずつ組み替えていきました。
次女がご飯を食べなくなった時期は、「これからご飯は俺が作るわ」と引き取りました。妻の「作った意味がない」というプレッシャーを、どうにか消したかった。
送り迎えも、公園も、叱り役も。一つずつ、僕の担当に移していきました。
そういう小さな組み替えを、何度も、何度も重ねました。
でも――それでも、追いつかない日が来ます。
決定的だったのが、あの夕方です。
嫌な予感がした、あの夕方
ぺこが、幼稚園の年長だった頃。
仕事中に、妻から長いLINEが届きました。要約すると、こういう内容です。
ぺこが、幼稚園で何があったか、重要なことを全然報告してくれない。連絡事項や友達とケンカしたみたいなことを、いつもママ友から聞いて知る。どうでもいい話はぺちゃくちゃするのに、大事なことだけ話さない。それが毎日ストレスで、怒るのももう疲れた——。
嫌な予感がしました。
僕は仕事を切り上げて、いつもより早く、家に帰りました。
まだ、外は明るい。夕方でした。
玄関を開けて、僕が見たのは。
部屋の隅っこで、座り込んで泣いている妻の姿。
そのすぐそばで、ぺこが、火がついたように号泣している。
ももは、その横で、どうしていいか分からず、おろおろしていました。
正直、ここから先は、あまり格好のいい話でもありません。
でも、たぶん、この記事で一番、本当のことが書いてある部分です。
包み隠さず、あの夕方の会話を、ほとんどそのまま書きます。
「なになになになに、どうした?!」
僕が飛び込むように声をあげても、ぺこはもう、話が通じる状態じゃありませんでした。
号泣していて、言葉にならない。妻も、泣いている。
僕も、心臓がバクバクしていました。
どうしてこうなった。なんで、ここまでボロボロになってる。
——でも、僕が一人でなんとかしないと。
とにかく、一番小さく震えている者から手をつける。僕はまず、ぺこを抱きしめました。
「大丈夫大丈夫。なんかあったか? とりあえず、もう大丈夫だから。な。大丈夫大丈夫」
ぺこを抱えたまま、僕は妻のほうへ声をかけます。
「どうした? なんかあった?」