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イミツキ 第23話 深い森

    水の煮立つ静かな音。
    魚の焼ける香ばしい匂い。

    キタラは目を覚まし、布団から起き上がった。
    短い手足をいっぱいに突っ張らせ、大きく体を伸ばす。
    喉の奥から押し出すような、掠れた吐息が漏れた。

    男は台所の前に立ち、まな板の上で、漬物を刻んでいた。

    囲炉裏にかけた鍋からは、白い湯気が上がり、ぐつぐつと音を立てていた。
    火にかけた魚は、ぱちぱちと音を立て、表面が薄く色づき始めていた。
    キタラは布団から出て、魚の前にしゃがみ、魚の面を返した。

    男が切った漬物を小皿に乗せ、食卓の上に置いた。
    キタラが一口摘まむと、塩辛い味が広がり、口の中でボリボリと固い音が鳴った。

    男はお椀に白飯をよそい、鍋の汁を器に注いだ。
    キタラは焼けた魚を掴み皿の上に乗せ、食卓の上に置いた。

    キタラと男は向かい合って座り、両手を合わせた。

    キタラはすぐに手を離し、湯気の立ち昇る汁に息を吹きかけた。
    器に口をつけ一口飲み、焼けた魚をほぐし、口の中に入れる。
    小さな匙で白飯をすくい、口に運ぶ。
    米の塊が匙から零れ落ちると、指で拾い上げ、もう一度匙に乗せた。

    男は、時折、こぼれた魚の身や漬物を拾い、キタラの茶碗に戻した。

    食事を終えると、男は残った白飯を握り、笹の葉に包み始めた。
    葉の包みを大きな袋に入れると、川の水で、鍋や食器を洗い、囲炉裏にたまった灰を外に捨てた。

    キタラは小屋の隅で寝転がり、天井に向けてでんでん太鼓を振り回した。
    乾いた音が小屋に響き渡る。

    「キタラ、準備しろ。」

    男が外套を羽織り、大きな袋に衣服を詰め始めた。

    キタラはすぐに飛び上がり、棚の上にある自分の袋を掴んだ。
    箪笥の引き出しを開け、今朝食べた魚の串、虫の抜け殻、小石、折れた小枝を詰めた。
    最後にでんでん太鼓を入れ、懐に透明な石をしまった。

    「……行くか。」

    男が腰に刀かけ、背中に大剣を背負った。
    大きな袋を肩にかけ、小屋の中をぐるりと見まわした。

    キタラも同じように、小屋の中を見回し、勢いよく外に飛び出した。


    * * * *

    山を下りると、大きな畑が広がっていた。
    細い畦道を抜け、街道へ出る。
    行き交う人が増え、キタラは男の袖に寄りながら歩いた。
    歩き続けるうちに陽は傾き、空はゆっくりと暗くなっていった。

    その夜、雨が降り出した。

    キタラは大きな木の下に座り、目の前の焚火を見つめていた。

    木の葉が雨をはじき、時折大きくしなる音が聞こえる。
    雨音に交じり、葉と土の匂いが鼻に入ってきた。

    男はキタラを膝の上に乗せ、荷から取り出した大きな布に包まった。

    次第に布の中が暖かくなり、キタラの頭が揺れ出した。
    瞼が重くなり、キタラは男の胸に顔を埋めた。

    その時、粉のような甘い匂いが流れてきた。

    「何か用か?」

    男が低い声を出した。

    キタラが目を開けると、焚火の向こうに、人影が立っていた。

    それは赤い着物の女だった。

    赤い女の顔は、傾けた大きな傘の向こうに隠れて見えない。
    僅かに覗く口元が、上がっているように見えた。

    赤い女はゆっくりと近づき、焚き火の前で立ち止まった。
    傘を閉じ、濡れた髪や着物を手拭で拭き始めた。

    「何も言わずに行かれるなんて、冷たい方。」

    「……すぐに戻るつもりだ。
    それよりも何しに来た。」

    キタラの体が固くなり、男の袖を強く握った。

    「長からの言伝です。
    用を済ませて、早く戻るようにと。」

    そう言って、赤い女は風呂敷の中から木箱を取り出した。
    赤い女がふたを開けると、中には料理がびっしりと詰まっていた。

    「ほら、お食べなさい。」

    赤い女は、料理の入った木箱を、焚き火の前にかざした。
    キタラは料理をじっと見つめ、男の膝から飛び降り、料理を口の中に入れた。

    「そんなに焦らないで。」

    赤い女がキタラの頭に手を乗せた。
    キタラの体が一瞬跳ね上がるが、そのまま料理を食べ続けた。

    「チミケップ様を探しているのでしょう?
    あてはあるのですか?」

    男は何も答えず、視線を逸らした。

    すると、赤い女は男に近づき、懐から紙を取り出した。
    男に紙を渡すと、男の耳元に顔を寄せた。

    「早く見つかるといいですね。」

    小さく囁き、男の首筋に軽く息を吹きかけた。

    赤い女は、再び大きな傘を開き、そのまま暗闇の中へ消えていった。

    赤い女がいなくなってからも、粉のような匂いはしばらく消えなかった。


    * * *


    それから、いくつもの夜を越えた。
    見知らぬ道を歩き、山を越え、たくさんの人たちとすれ違った。
    男は時折、小さな紙を開き、道行く人に声をかけた。

    更に幾日か歩き続けた頃、小さな村に着いた。

    村に入るとすぐに、嗅いだことのない、何かを焚くような匂いが鼻に入ってきた。
    小さな家々が点々と並び、どの家の屋根にも、丸い刺繍の入った旗が立てられている。

    村の中を進んで行くと、どこからか村の人たちが集まってきた。
    村の人たちは、皆口元を上げ、こちらに手を振ったり、声を上げ飛び跳ねている。

    「よくお越しいただきました。」

    白い衣服を着た、髪の長い女が前に出た。
    その首には、丸い刺繍の入った布が下げられていた。

    その後ろから、別の女に手を引かれ、背中の曲がった老婆が出てきた。
    皺だらけの顔で、どこに目や口があるのか、分からなかった。
    老婆はゆっくり顔を上げ、呻くような声を漏らした。

    キタラは男の外套を掴み、男の後ろに隠れた。

    老婆が村の奥のほうを指差した。
    その先には、白く靄がかかった森があった。
    見渡す限り深い緑が続き、森の終わりが見えない。

    広大な森の上には、透明な丸いものが浮いていた。
    丸いものは、赤く形を変え、うねうねと蠢いていた。

    キタラは丸いものの動きに合わせ、小さく体を揺らした。


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    普通に働きながら、休みの日に小説書いてます。 映像、舞台問わずエンタメ好き。 趣味で舞台に立ったり、脚本書いたり。

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