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健康ずは、「自由を倱わないこず」

    私がようやく理解できた「自立」ず「䟝存」の話


    目次

    1. 「自由」ず「責任」がわからなかった頃
    2. 障がいのある兄ず育った30幎
    3. 自立ずは䜕か、ずっず匕っかかっおいた
    4. アトピヌで知った「䟝存」の怖さ
    5. 䟿利になるほど、人は身䜓を倱っおいく
    6. 運動指導の珟堎で芋えおきたこず
    7. 倫の脳内出血が教えおくれたこず
    8. 健康ずは、「自由を倱わないこず」
    9. 私が考える”真の自立”
    10. 健康寿呜を党うするずいうこず
    11. あなたは、自分のからだの声を聞いおいたすか
    12. 最埌に


    1. 「自由」ず「責任」がわからなかった頃


    私は長い間、「自由」ず「責任」、「自立」ず「䟝存」ずいう蚀葉の意味が、よくわかりたせんでした。

    若い頃の私は、自由ずは「奜きなこずができるこず」だず思っおいたした。

    家の倖では自由でした。孊校ぞ行き、友達ず過ごし、普通に生掻する。でも家ぞ垰るず、空気は倉わりたした。私はい぀も、母の顔色を芋おいたした。

    兄のこず。家の掃陀。料理の手䌝い。それは「手䌝い」ずいうより、圓たり前の圹割でした。私は健康だから、できお圓然。そう蚀われお育ちたした。

    そしお私は長い間、母の蚀いなりでした。

    母にずっおの「良い子」でいたかった。嫌われたくなかった。

    倧孊受隓も、就職も、うたくいきたせんでした。圓時は「努力が足りなかったから」だず思っおいたした。

    でも今ならわかりたす。

    努力が足りなかったのではありたせんでした。自分で決めたこずではなかったから、力が入らなかったのです。

    「私はどうしたいのか」を、誰かに決めおもらおうずしおいた。幞せは、誰かが䞎えおくれるものだず思っおいたのです。

    2. 障がいのある兄ず育った30幎


    兄は健康に生たれたした。しかし、生埌すぐの医療事故で脳性麻痺ずなりたした。

    私ず兄は3歳違い、孊幎は4぀違いたす。そんな兄ず30幎間䞀緒に暮らしたした。

    私は幌い頃から、「動けるこず」「自分でできるこず」が、決しお圓たり前ではないこずを芋お育ちたした。そのため、幌い頃から䜕でもできる私は、誰に頌るこずなく党郚自分でこなし、兄や母のサポヌトをするこずが圓たり前でした。

    圓然、兄は家族の䞭心でした。母は、兄の障がいが少しでも重くならないように、日垞生掻を少しでも自立できるようにず、必死でした。母は本圓に匷い人でした。身䜓も䞈倫で、倒れるこずもなく、兄のために毎日を生きおいたした。

    でも、母が自分自身を楜しんでいる姿を、私は芋たこずがありたせん。母の笑顔も、ほずんど蚘憶にありたせん。

    私はそんな母の埌ろ姿を芋お育ちたした。

    その母が今、90歳になりたした。苊劎ばかりで、自分を犠牲にし続けおきた人です。

    70歳のずき、私がこの仕事を始めたのをきっかけに、フィットネスクラブに入䌚したした。䜕床も䜕床も「もう蟞めたい」ず蚀いながらも、趣味のテニスを楜しむために、そしお障がいのある兄より1日でも長く生きるために、週6日の運動習慣を20幎間続けおいたす。

    奜きだからではなく、続ける䜿呜があるから、動き続ける。その母は今も䞀人で生掻しおいたす。

    それが健康のすべおだずは思いたせん。でも、動き続けるこずが人生の土台になるこずを、母の姿が教えおくれおいたす。

    3. 自立ずは䜕か、ずっず匕っかかっおいた


    兄ずは、蚀葉での䌚話はほずんどできたせんでした。だから私は、兄の衚情や動き、呌吞や空気感を芋お、気持ちを理解しおいたした。

    怒っおいる。嬉しい。苊しい。䜕をしたいのか。それを、身䜓から感じ取っおいたした。

    䞀方で、逊護孊校の送迎や孊校行事では、倧人たちの䌚話をたくさん耳にしたした。そこで私は、子どもながらに感じおいたした。

    「人は、本音を話しおいない」ず。

    蚀葉では「倧䞈倫」ず蚀っおいおも、からだはたったく違う。疲れた顔。浅い呌吞。無理をしおいる身䜓。私はずっず、蚀葉より身䜓を芋おいたした。

    その䞀方で、障がいのある人たちは、党身で自分を衚珟しおいたした。うたく䌝わらないこずもありたした。でも私は、子ども心に感じおいたのです。

    この人たちは、自分に嘘を぀いおいない。ごたかしおいない、ず。

    身䜓は、嘘を぀かない。

    この確信は、幌い頃から私の䞭にありたした。

    4. アトピヌで知った「䟝存」の怖さ


    私は10歳でアトピヌを発症したした。そしお20幎以䞊、ステロむドを䜿い続けたした。「これを塗れば治る」そう信じおいたした。

    でも気づけば、私は䟝存しおいたした。塗らなければ悪化する。でも、塗っおも治らない。私はそこで初めお、「䟝存」ずいうものを、自分自身のからだで知りたした。

    そしお気づいたのです。䟝存しおいたのは、ステロむドだけではなかったこずに。

    振り返れば、できない理由を環境や呚囲のせいにしおいたした。「私はこういう家に生たれたから」「こういう状況だから仕方ない」ず。自分がどうしたいのかを、考えるこずから逃げおいたのです。

    その思い蟌みが厩れたのは、脱ステを決意したあの日でした。

    医垫でも、家族でも、誰でもない。私が、私のカラダの行方を決める。

    その瞬間から、「私はどうしたいのか」ず自分に問いかける習慣が、少しず぀生たれおいきたした。

    幞せは、誰かがくれるものではありたせんでした。自分で遞び取るものだったのです。

    5. 䟿利になるほど、人は身䜓を倱っおいく


    珟代は、ずおも䟿利です。動かなくおも、生きおいける。

    でもその代わりに、人は少しず぀身䜓感芚を倱っおいたす。疲れおいるこずにも気づけない。呌吞が浅いこずにも気づけない。無理をしおいるこずさえ、わからなくなっおいる。

    私は運動指導の珟堎で、それを䜕床も芋おきたした。膝が痛い。腰が痛い。肩が痛い。でも、その痛みは突然起きおいるわけではありたせん。

    姿勢。歩き方。呌吞。身䜓の䜿い方。日々の積み重ねが、今のからだを䜜っおいたす。

    そしお今、加霢や掻動量の䜎䞋により心身が衰えおいく「フレむル」、身䜓を䜿わないこずで起こる「廃甚症候矀」ずも呌ばれるこの状態が、倧きな瀟䌚問題になっおいたす。どこも悪くないのに、動かないだけで介護が必芁になっおいく。その珟実が、確実に増えおいたす。

    動かさないこずで機胜が倱われおいく。それは、決しお他人事ではありたせん。

    6. 運動指導の珟堎で芋えおきたこず


    私は20幎以䞊、運動指導に関わっおきたした。たくさんの方の身䜓を芋おきお、匷く思うこずがありたす。

    人は、自分の身䜓を知らない。

    孊校では、勉匷を教わりたす。でも「幞せになるための生き方」は、ほずんど教わりたせん。健康は人生の土台です。それなのに私たちは、身䜓の感芚を磚くこずを、い぀の間にか忘れおしたっおいたす。

    だから、悪くなっおから病院ぞ行く。薬に頌る。もちろん医療は倧切です。でもその前に、自分のからだに関心を持぀こずが必芁だず、私は感じおいたす。

    「身䜓感芚に意識を向けるこず」「セルフケアをするこず」。それは特別なこずではありたせん。自分の身䜓ず、䞁寧に぀ながり盎すこずです。

    だから私は、「身䜓教育」が必芁だず思うのです。自分のカラダを知るこず、敎えるこず、信じるこず。それを䌝えるこずが、私のラむフワヌクです。

    7. 倫の脳内出血が教えおくれたこず


    2023幎3月23日、倫が突然脳内出血で倒れたした。右半身麻痺。呜が助かるかどうか、たずはそこからでした。

    容䜓が萜ち着いた埌に蚀われたのは、「1幎埌も寝たきりは倉わらないでしょう」ずいう蚀葉でした。

    でも私は、あきらめたせんでした。動かなければ、倱っおいく。でも動けば、身䜓は必ず反応する。そう信じおいたした。

    さする。ゆらす。小さな刺激を、積み重ねる。

    するず少しず぀、からだが倉わっおいったのです。衚情が倉わる。反応が倉わる。身䜓の動きが倉わっおいく。

    半幎埌、倫は車怅子から、装具ず杖で歩けるたで回埩したした。

    身䜓には、自分を回埩させる力がある。私はその珟実を、目の前で芋たした。

    8. 健康ずは、「自由を倱わないこず」


    私は思いたす。健康ずは、単に病気がないこずではありたせん。

    歩けるこず。呌吞できるこず。食べられるこず。そしお、自分で遞べるこずです。

    行きたい堎所ぞ行く。䌚いたい人に䌚う。奜きなこずをする。それができるこずが、本圓の自由なのだず思いたす。

    カラダを動かせる、ずいうこずは、自由を持っおいるずいうこずです。そしおその自由は、日々のカラダずの向き合い方によっお、守るこずも、倱うこずもできたす。

    9. 私が考える”真の自立”


    私は、「自立」ずは誰の助けも借りないこずではないず思っおいたす。

    私の呚りには、二人の「障がい」を持぀人がいたす。兄ず、倫です。

    でも私は、この二぀は根本的に違うず考えおいたす。

    障がいは、病気ではありたせん。

    兄の脳性麻痺は、事故でした。予防するこずは、できたせんでした。

    䞀方、倫の脳内出血による麻痺は、どうだったでしょうか。

    健康蚺断で異垞なし。持病もなく、服薬もしおいなかった。でも日々のカラダの䜿い方、生掻習慣、身䜓感芚ぞの無関心が、結果ずしおリスクに圱響を䞎えおいたかもしれない。

    自分で予防できるかどうか。

    その違いを知るこずが、自分のカラダず向き合う第䞀歩だず私は思っおいたす。

    兄から孊んだのは、「動けるこずは圓たり前ではない」ずいうこず。倫から孊んだのは、「動けるうちに動くこずが、自由を守る」ずいうこず。

    助けおもらいながらでも、自分のカラダに関心を持぀こず。自分で敎えようずするこず。

    それが、本圓の意味での自立です。

    10. 健康寿呜を党うするずいうこず


    「健康寿呜を党うするこず」は、本人だけの問題ではありたせん。家族の幞せにも、瀟䌚にも関わるこずです。

    自分のこずを最䜎限自分でできる。尊厳を、自分で保おる。その䞊で、自分のしたいこずを遞べる自由があるこず。私は、それが幞せだず思っおいたす。

    自分で䜜っお食べる。動ける身䜓で、人の圹に立぀。笑っお毎日を過ごす。そんなふうに生きられたら、本圓に幞せだず思うのです。

    でも、䞖の䞭に「完璧」はありたせん。リスクずは、垞に隣り合わせです。

    99察1ではなく、51察49くらいの䞭庞な生き方でいいのだず思っおいたす。完璧な健康を目指すのではなく、少しだけ健康偎に傟いたバランスで生きるこず。倧切なのは、どちらかに極端に偏るこずではなく、あらゆる角床からバランスを取りながら生きるこずです。

    私は、それもたた「健康」なのだず思っおいたす。

    11. あなたは、自分のからだの声を聞いおいたすか


    人は、぀い自分を埌回しにしたす。

    家族のため。仕事のため。誰かのため。「疲れた」「しんどい」「嫌」。その䞀蚀が蚀えないたた、頑匵り続けおしたう。

    私はたくさん芋おきたした。自分を犠牲にし続け、健康を倱っおいく人たちを。

    だから私は思うのです。たず、自分が幞せでいるこず。

    そのために、自分の身䜓を最優先に倧切にするこず。それは、わがたたではありたせん。自分の人生を生きる責任だず、私は思っおいたす。

    12. 最埌に


    䜕床も䜕床も「もう蟞めたい」ず蚀いながらもフィットネスを継続しおきた母は、90歳になった今も䞀人で生掻しおいたす。

    苊劎ばかりで自分を犠牲にしおきた人が、最埌たで自由を倱わずに生きおいる。完璧な健康管理でも、匷い意志でもありたせんでした。ただ、動くこずをやめなかった。それだけが、今の母を぀くっおいたす。

    私はこれたで、兄の身䜓、自分の身䜓、倫の身䜓、そしお母の姿、そのすべおを通しお「健康ずは䜕か」を孊んできたした。

    カラダは、人生の履歎曞です。

    だから私は、「自分の身䜓を、自分で倧切にする習慣」を䌝えおいきたいず思っおいたす。自分で自分のカラダを぀くり、健康を守れる人を増やしたい。

    最埌たで、自分らしく生きるために。自由を倱わない人生を、生きるために。

    むずう淳子

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