
母から娘への遺言書(ラブレター)〜1986年の私から、2026年のあなたへ〜Movies
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『フォレスト・ガンプ』
若い頃から、人の自慢話を聞くのが好きだ。大学の新歓コンパで、初対面のクラスメイトに、振り向きざま、こう言われた。
「ねえ、アッシーとメッシーとミツグくん、何人ずついるの?すんごい男、はべらしてそうじゃん」
彼氏もいたことがない私に、とんだ言いがかりつけてきた彼女は、半年後、私のアルバイト先へやって来て、今度はこう言った。
「初対面のときには、絶対、男はべらしまくってる女だと思ったのに、実際はバイトばっかしてる苦学生じゃん。まあ、つまらん」
「いや、あんたに私の価値を決めてもらわなくても良いんだけど…」
そう思いつつも、彼女の口から出てくる、恋愛談義を聞くのが面白かった。これだと思える相手に狙いを定めたら、物凄い瞬発力で、その恋の舞台に乗り込んでいった彼女は、いつも自分に自信のある人だった。
「恋をしろ」「彼氏をつくれ」と、その物を愛して価値を知っている人から語られる自慢話は、インターネットがない時代、私に知らない世界を教えてくれるショートカットキーだった。
『My mama always said life was like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.』
『フォレスト・ガンプ』でトム・ハンクス演じるフォレストが言う名台詞だ。人生はチョコレートの箱のよう。何を手にするかは分からない。
映画の中のフォレストは、「何があるか分からない」人生だった。それを「大変だ、嫌だ」と喚くでもなく、恨み言を言う訳でもなく、時には無心に走り続けたこともあったけれど、抵抗一つせず相手をまるごと受け入れていた。人一人、自分の人生に受け入れるエネルギーは、とてつもない。フォレストの寛容さを感じた。
50代までの私の人生を例えるなら、真っ暗闇で酸素も薄い息苦しい洞窟の中、くたびれた格好で、ランプの灯り一つを頼りに歩く私から、他人に搾取され続けた、みたいな日々だった。一人で良いと突っぱねながらも、心の何処かでは誰かに救ってほしい、自分の人生に光を当ててほしいと、他人に期待する弱い部分があった。待っても待っても誰も見つけてはくれなくて、ようやっと気づいた今、こう思う。私には、この身体とこの命を燃やすことがまだできる。自分で発光することができるから、他人に光を当ててもらう必要がなかったのだと悟った。
私にとって唯一手にしていたランプの灯りは、娘だった。娘がいてくれたから、どんな暗がりの中でも、微かな光射す方角を探して歩いてこられた。苦しくても娘が生まれてからは、ずっとひとりぼっちではなかった。娘の存在が私を癒し、救ってくれた。私の娘に生まれてくれて、本当にありがとう。
あなたがこの先、自分の人生を照らしてくれる人や、あなたがまるごと受け入れたいと思った人と出逢えたのなら、それは、限りある人生の中の奇跡だ。また、そういう人と出逢えなくても、自分自身で輝こうとすることもできる。人生のタイミングを見落とさず、日常の中にある奇跡を大切に、生きていってほしい。
『フェノミナン』
新歓コンパで言いがかりをつけてきた彼女に、同じ高校から入学した子たちが、苦笑いしてこう言った。
「そのうち分かると思うけど、男をはべらしてるんじゃなくて、寧ろ、蹴散らしてる感じ」
中学時代から、「狩猟民族」と呼ばれた。
「アマゾンの奥地で道なき道を一人でずんずん進んで行くから、後ろには自ずと道ができてるような人。なんなら、舗装もバッチリしてくれる。当然、狩りもしまくるから、後から行った人は綺麗な道はできてるわ、危なくないわで大助かり。」
そう友人から言われ、父からは
「戦国時代で言うなら、危険かどうかも顧みず、一番槍目指して真っ先に突っ込んで行く足軽だな。真っ先にやられちゃうヤツ」
と言われた。
一瞬、
「言い得て妙だな」
と感じた自分に、後から物凄くがっかりした。確かに、生涯、人生の開拓者であり続けたいと思ってはいたけれど、他人からはそんな風に見えていたのかと知って、だいぶ落ち込んだ。
『フェノミナン』でジョン・トラボルタ演じるジョージは、クラプトンが唄うテーマ曲『Change The World』で繰り返されるフレーズ「世界を変えたら」そのままに、自分の人生を受け入れ、周りの人たちとの関係を変化させていった。
イキり散らしてばかりだった10代、20代。どこもかしこもトゲトゲさせて、ちっさな自分を隠そうと必死だった。極めて小心者だった自分の世界を変えたくて、生き方に余裕のある友人たちから、学びたい思いはあるのに、劣等感を恥じて、さらに逆へと走り続け、自分からも逃げ続けた。
ある日、自分は何といつまで戦わなければいけないのかと、ハタと立ち止まって考えた。なんでもかんでも真正面で受け止めて、回避することすら知らなかった自分に、初めて気づいた。誰かや何かと戦わなくても良いし、勝たなければいけないのは、自分にだけだったことへ、ようやっと思考が辿り着いた。要領良くという言葉は嫌いだし、人に媚びた生き方は大嫌いだった。ただ、まあるく生きることを心底欲した。他人も自分も傷つかなくて済むのなら、そんな最適解はないと、心が綻んだ。
優しくなりたい、穏やかに暮らしたい。そう望むようになった40歳からの私のモットーは晴耕雨読。四季を愛で、寄り添う心の余裕を持つことで、毎日を丁寧に生きていきたい、そう思うようになった。旬と地産地消を意識した食材を食卓に上げ、パンやケーキ、漬物を手作りして、家族の口に入るもので作られる身体を意識した。
仕事についても同じだった。対価だけに振り回されず、残りの人生の時間を使うに値すると判断できる仕事だけを選択した。
そんな生き方を決断できたのは、娘の存在があったからだ。社会では、私の代わりなど、いくらでも効く。でも、娘の母親は、私以外には存在しない。私が青春時代に受けた、「知らなかった」で被る損だけは絶対にさせたくなくて、娘のこれからを作っていく大切さに比べたら、私のキャリアへの葛藤など、いくらでも後回しにできた。それくらい、娘を慈しんだ日々は、私の人生を、全く違うものへと変えてくれた。
50代の現在、今更「狩猟民族」の生き方に、戻りたいとは思わない。娘という種を植えて、育んできたことで、「晴耕」は果たしたと思っている。これからは、「晴耕雨読」本来の意味である、『悠々自適の生活を送る』ことを目標に、「雨読」を大切に、自分の時間を後回しにせず、暮らしていこうと意識している。
すぐに自分を変えられなくても、自分を大切にすることはできる。
「今日は何をしよう?」
と、毎日、自分の人生を、愉しむことができるのだから。
『ユーガットメール』
漢字の譬えに、下心(下部に心)を持つのが「恋」で、真心(真ん中に心)を持つのが「愛」とある。「恋」と「愛」の「心」を失くしたパーツを合わせると「変」になる。「恋」と「愛」は紙一重。移ろいやすい、ということだろうか?では、上部に心を持つものを、一体何というのだろう?
合致するその感情を示す単語が何かは、未だわからないけれど、頭の中に心を置いて、理性的に互いを育む言葉を、『ユーガットメール』の二人は探していた。キャスリーンが母親から受け継いだ店を、ジョーの店舗が進出してきたことで、畳んだことが要因だった。
21歳を過ぎた頃、雑誌のコラム漫画に、こんな掲載を見つけた。
「例えば、電話で『すみません』と、しおらしい声で言ったように聞こえたとしても、相手は机に足を乗せて、鼻糞穿って言ったかもしれない」
謝罪には誠意こそが必要なのに、口先だけでも
「言ってくれたから」
と、赦すことはできるのだろうか?人が人を赦すことは、人生において、最も難しい行為だと、私は思う。まして、外野からの
「大人なんだから赦してあげなよ、心が狭いな」
などと、赦すことを強要されるなど、全く以って烏滸がましい。それは得てして、赦しを強要する人にとっての、「都合の良い人」なのであって、胸に蟠りを抱えて、悶々としている自分にとっての、「いい人」では決してない。
赦せない理由は、赦せない傷を負った人にしか、その傷の深さはわからない。だから、対外的な「いい人」になど、断固ならなくても良いと私は思う。赦せないものは、赦せないままでいい。そのまま、心の片隅に放置しておくことも、時には必要なのだ。
あなたの心の中に、古傷を抱えていたとしても、その特効薬など探さなくていい。瘡蓋になるまで時間が経つと、痛みが風化したり、日々が忙殺過ぎると、傷があったことすら、忘却の彼方に押しやられてしまうことだってある。忘れてしまえれば一番楽だけれど、そうじゃない=いけない人間じゃない。人生には、時間が解決してくれることもある。時間は、痛みを軽減する薬になることだってあるのだから。
大切なことは、傷ができたときに、きちんと「痛い」と、自分に意思表示をすることだ。傷を無視したり、無理したり、馴れたりなんか、絶対にしないでほしい。
「あなたに傷つけられて、私はとっても心が痛い!」
そう相手に言うように、自分自身に言って、優しくしてあげることを、どうかいくつになっても、忘れないでほしい。
宮崎駿作品
「人生に於いて、会いたい著名人を1人だけ挙げてみて」
と言われたら、10代の頃から迷わず、その答えは決まっている。
「宮崎駿さんに会いたい」
幼少期から、私の道徳観念は宮崎駿作品に作っていただいた、と言っても過言ではないほど、人生の何処にでも宮崎駿作品があった。毎週日曜19時半からの時間帯で『アルプスの少女ハイジ』などを放映した「ハウス世界名作劇場」や、「東映まんがまつり」で放映した『長靴をはいた猫』、『パンダコパンダ』、『名探偵ホームズ』などがそうだ。スタジオジブリ作品では『魔女の宅急便』や『紅の豚』、『耳をすませば』、『コクリコ坂から』を好んで見た。
スタジオジブリ作品に出てくる女性たちは、みんな元気で、笑顔で、そして逞しい。私が人生で迷ったときのコンパスは、彼女たちの豪快な笑い声だった。人生の年輪の皺にさえ艱難辛苦を隠して、笑い皺に変えて大きな声で笑い飛ばす。そんな、生きる悦びに包まれ、柔和で寛大な心を併せ持つ女性になれたのなら、どんなに生き易い人生だっただろう。
生き直すことに対し、まず自分で決めたのは、
「嫌なことは嫌と言う」
ことだった。他人の都合ではなく、自分の残りの人生に、ほしく無いものは引き受けない、ほしいものだけを選択する、そう宣言した。
子どもの頃、ほしかったおもちゃを買い与えて貰えなかったことから、大人になって、自分で買って人生を補完するように、自分で自分に与えて、埋め合わすことを始めた。もう帰っては来ない時間に心を病むのをやめて、今更を敢えてすることで、自分を置き去りにしないことにしたのだ。
これまでの私の人生の選択肢を振り返ると、一番欲していたものは真っ先に削除され、ほしいものが無い中で比較をし、まだマシなものを選んできたような日々だった。最もほしかった選択肢には、いつも駄目な理由があったり、条件が付いていたり、私の許可無く他人の都合で削除された。家庭環境や相手からの強要が大半の理由だったけれど、その都度、妨げるものが纏わりついて、私を苦しめた。
娘の人生の選択肢には、決して制約を設けまいと、私のできる範囲内の最良を与え続けてきたと、胸を張って言うことができる。これからは、自分自身で最良の選択肢を与え続けてほしい。
自分を養う大人は、稼いだ糧で、自分を甘やかすこともできるのだから。思いっきり腹の底から声を出して、笑うことも忘れずに、素敵に年を重ねていってほしい。
『新世紀エヴァンゲリオン』テレビシリーズ 最終話『世界の中心でアイを叫んだけもの』
この世は、理不尽の塊だ。
「この子はいいけど、あんたはだめ。」
そう公に等しくなく差別されることが、生涯において、我慢ならない怒りの矛先だ。
「社会なんて、そんなモンばっかだよ」
と夫は言うけれど、それでよしと納得できたことなど、一度もない。
「おかしいだろうが!」
と50歳を過ぎても、吐き散らかして生きている。
24歳のとき、大学の教授や研究室の助手の方から、私の書いていた卒業論文のテーマに似通ったものがあるからと、『新世紀エヴァンゲリオン』を見るよう勧められた。
「ロボットものとか、全く興味がないんで」
と返答すると、
「まあ、見てみなよ。百聞は一見に如かずだから」
と、さらに圧を込めて勧められた。そんな具合に、テレビシリーズを見始めたことがきっかけで、結果、劇場版の作品まで全て見た。
「胎内回帰」を卒業論文で扱っていた私の目に、エヴァンゲリオンは正しく、それだった。ここまで哲学・宗教学・医学・物理学・科学など、ありとあらゆるジャンルの思考が入り込んだアニメーション作品を見たことが無く、「ロボットもの」で片付く代物では、全く以って無かった。世界観、ストーリー、キャラクター、台詞回し、音楽と、どれをとっても、唯一無二の作品だった。
個人的には、テレビシリーズの最終話『世界の中心でアイを叫んだけもの』でゲンドウが浮遊するシンジに言う、『不自由をやろう』は珠玉だ。地面を描くことで安定した大地に足を下ろすことはできたけれど、歩かなければならなくなった不自由さを描いた場面が、とても印象深い。
50歳を過ぎて、この世は理不尽の塊だけれど、因果応報なことも信じている。正直者が馬鹿を見る世の中に辟易して、とうの昔に捨てた期待が、ドロドロとした澱のように胸に蓄積し続けてはいるけれど、ずっと理不尽の恩恵に預かり続けることなどできないのが、この混沌とした人間社会のカルマだと、最後の希望が期待している。
どうしようもなく、この世は理不尽の塊だ。多分、生涯この胸糞悪い悔しさから、解放されることはないだろう。それでも、今日よりちょっとでも良い明日を生きることを諦めず、「仕方がない」は、自分を諦める呪いの言葉と封印して、極力使わないようにと心に留めて生きてきた。
以前、娘が
「大丈夫。私、自己肯定感は高いので」
と言い切るので、理由を尋ねると、
「お母さんからの愛情を疑ったり、不安に感じたことが一度もないほど、私はお母さんに愛されて育ったから」
そう答えてくれたことが、私の子育てに対する最大のご褒美だった。そして、娘の中ではこの世の理不尽が澱にならず、解消されていることも知り、せめてもの救いになった。
幾つになっても、どうか、そのままのあなたで居続けてほしい。そして、今後のあなたを取り巻く環境が、どうか、優しいものであることを、痛切に願ってやまない。
『タイタニック』
10代、20代と、
「『隙』とはそもそも、作らなければいけないもの?可愛げとは何?」
と、真剣に悩んだことがある。
子供の頃から、才能の塊みたいな人や、品と余裕のある人に、老若男女問わず惹かれた。そういう人たちを前に、「狩猟民族」と呼ばれ、ガツガツ生きてきたままを評される、自分自身を恥じる思いもあったけれど。
高校2年次のクラスの中では、『THE BODY SHOP』のボディーバターが流行っていた。甘い香りを漂わすそのクリームを、せっせと腕や足に塗る彼女たちに、
「どうしてそれを塗るの?」
と質問した。すると、ニコリと口角を上げて、こう答えてくれた。
「私の匂いを嗅いでみて。甘い香りがするでしょう?この香りがする自分自身に気分が良いのはもちろん、男の子たちからも食べたくなるくらい可愛いって思われる。せっかく女の子なんだもん、可愛いって言われたいじゃない?」
「可愛い」は、ただ気ままに身につけるものを選ぶのではなく、他人から見られたい自分を演出するために、女であることを愉しみ、努力して得るものなのだと知った。ミツバチのように、甘い匂いにつられて寄ってくる、男たちを賢く選別するために、敢えて完璧を目指さず、計算故の「隙」を演じる。そうして「可愛い」を自分のものにしていた彼女たちこそが、頭脳派「狩猟民族」で無敵だった。
25歳を過ぎた頃、そんな彼女たちから、こんなことを言われた。
「あなたは何も持っていないからこそ、自由で良いね。」
当時は、彼女たちからの侮蔑の言葉だと解釈していた。50歳を過ぎて思うのは、あれは彼女たちからの最大の羨望の言葉だったと、素直に受け取ることができる。
彼女たちは大学卒業後、親のコネが効く企業へと就職した。25歳を過ぎた頃、家業を継ぐために企業を退職した。
「好きな仕事を辞めて、実家を継がなければならない。それが、これまでの人生で受けた恩恵への対価だ」
と、彼女たちは諦め切れない顔で、私に話した。
「代々守ってきたものを譲り受け、自分の代で絶やさぬよう、自分もまた次の代に渡すために、護らなければならない。生まれたときから、駒の一つになることが決まっていた。『持っている』からこその苦痛を、あなたは知らなくて良いね」
と、涙目で私に訴えた彼女たちの眼を、私はこの歳まで記憶している。
『タイタニック』で、閉塞感極まりない女性の生き方を強いた時代、籠の中の鳥だった、ケイト・ウィンスレット演じるローズの人生は、何ものにも束縛されずに生きてきた、レオナルド・ディカプリオ演じるジャックとの数日間の恋により、諦めないことを知り、渇望していた「自由」な生き方を手に入れた。
どんなに願っても、ずっと一緒にはいられない。娘を産んだときから、そう思って準備してきた。どうしたって、先に逝くことが必然の私が、娘に残せるものがあるとしたら、それは、これまで一緒に過ごしてきた、時間の記憶だ。できる範囲で、娘に世界を見せることを、自分に強いた。
女という生き物は、とても強くて賢い。そう教えてくれた、『タイタニック』のローズや、私の同級生たちのように。「持たざる者」だからこそ、空いている両腕に抱えるものを、自分自身で自由に、選択することができる。あなたがそれを見つける瞬間が、私は今からとても、楽しみで仕方がない。

手にする光は自分で選べる。
(写真:筆者)
<出典>
『フォレスト・ガンプ』(1995年)
『フェノミナン』(1996年)
『ユーガットメール』(1998年)
『アルプスの少女ハイジ』(1974年)
『長靴をはいた猫』(1969年)
『パンダコパンダ』(1972年)
『名探偵ホームズ』(1984年)
『魔女の宅急便』(1989年)
『紅の豚』(1992年)
『耳をすませば』(1995年)
『コクリコ坂から』(2011年)
『新世紀エヴァンゲリオン』テレビシリーズ
最終話『世界の中心でアイを叫んだけもの』(1996年)
『タイタニック』(1997年)
『平塚らいてう評論集』岩波文庫(1987年)
『国語辞典 改訂新版』旺文社(1988年)
前章(Songs)も、エッセイ部門に投稿。
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付録では、70-90年代 おすすめしたい洋楽を
エッセイ部門に、併せて投稿しています。
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続きは、フード部門に投稿。
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