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「四十二歳、巡り直す。シリーズ2ー町屋と身体の養生小説ー」 第1章:骨組みの調律ー「腎」と土台 【読む鍼灸院】

    こんにちは、鍼灸師のnaokoです。
    「四十二歳、巡り直す。」のシリーズ2ー町屋と身体の養生小説ーです。
    ぜひ、京の夏を感じながら、読みはじめて頂けますと嬉しいです。

    【シリーズ2のあらすじ】
    四条烏丸の町家再生をめぐる、心と体の養生小説第二弾。
    前作で喉のつかえを乗り越えた不動産会社員・高瀬葉月(42)は、古い町家を「本屋×カフェ×サテライトスペース」へ再生するプロジェクトを任される。効率を優先する同僚との葛藤の中、六角堂や京町家の「通り土間」に触れ、人がほっと帰れる「街のおへそ」のような場所をつくりたいと願うようになる。お盆には嵯峨野の実家へ帰省し、鍼灸師の姉と過ごす時間や、清涼寺の静けさ、名物の嵯峨豆腐の滋味に心身を養われ、自分が本当に守りたいものを見つめ直していく。やがて、新しいオーナーや仲間たちとの出会いを経て、町家は過去と未来、人と人とをつなぐ新たな居場所へ――。京都の町家と東洋医学を織り交ぜながら、「帰る場所」が人を再び前へ歩かせる力を、静かに描いた物語。
    ーー全5章で綴ります。

    第一章:骨組みの調律 ── 「腎(じん)」と土台

    七月に入ると、京都の町は祇園祭の気配に包まれたる。遠くから響くコンチキチンの音がビルの隙間を抜けて、わずかに届く。

    高瀬葉月は、冷房の効いたデスクで、パソコンの画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。

    「高瀬さん、これが老舗書店側から上がってきた基本要望と、僕が引いた一次改修プランの比較図です」

    デスクの脇から声をかけてきたのは、同僚の佐藤だった。相変わらずしわ一つないシャツを着こなし、タブレット端末をスマートに差し出してくる。

    画面に表示されていたのは、松原さんの町家を「本屋」「カフェ」「サテライトスペース」の三つに分けるゾーニング案だった。

    しかし、佐藤の図面は、葉月が愛したあの町家の「通り庭」や「坪庭の空間」を大きく削り、機能ごとに細かく区切られていた。まるで現代のオフィスビルのような、無機質なレイアウトだった。

    「これだと……あの庭を抜ける風や、空間のゆとりがなくなっちゃう気がするんだけど」

    葉月が思わず呟くと、佐藤は眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、冷静な口調で言った。

    「時代の流れですよ、高瀬さん。あの一等地で収益を確保しながら、この建物を維持していくには……事業として持続できなければ意味がありません。今の建築基準法や耐震・防火基準を満たしながら必要な機能を組み込むには、これが最も効率的な最適解です。古い情緒だけでは、建物は守れません。」」

    佐藤の言葉は、ぐうの音も出ないほど正論だった。

    古いものを、そのまま残すには、今の時代あまりにもコストがかかる。建て替えることもまた、一つの時代の流れだ。それは葉月にも分かっていた。

    それでもーー。

    すべてを四角い「効率」の箱に変えてしまって、本当にいいのだろうか。

    「……ちょっと、現場を見てくるね」

    言葉が喉の奥で少しつかえるような感覚を覚えながら、葉月は席を立った。

    外へ出ると、京都特有のねっとりとした熱気が全身にまとわりつく。冷房で冷え切った身体に、容赦なく夏の暑さが襲いかかる。足腰がずっしりと重く、夏の暑さと現実の重みが重なるたび、身体の土台が少しずつ目減りしていくようだった。

    葉月は、熱を帯びたアスファルトを踏みしめながら、どこか足元の定まらないまま歩き出す。

    「高瀬さん、僕も行きます。現場で実測して、あの図面がどれだけ現実的か説明しますから」

    後ろから追ってきた佐藤の靴音が、カン、カン、と硬い音を立てて都会の街並みに響いていた。


    二人のオフィスがある烏丸御池周辺から、佛光寺近くの現場までは、烏丸通を真っ直ぐ南へ下るのが一番早い。だが、大通りの照り返しは容赦なく、遠くのアスファルトは陽炎で揺らめいていた。

    「佐藤くん、ちょっと寄り道してもいい?」

    「え? この暑さのなかですよ。効率悪いです」

    「いいから。少し頭を冷やそう」

    怪訝そうな顔をする佐藤を促し、葉月は烏丸通りから東へ折れ、六角通へと足を向けた。

    近代的なビル群の谷間に、ふいに姿を現すのが頂法寺──通称「六角堂」だった。

    境内に一歩足を踏み入れると、不思議なくらい大通りの喧騒が遠のく。古い木造建築がまとった静謐な空気が火照った肌をやさしくなでていく。

    葉月は本堂の手前にある、不思議な六角形の石の前で立ち止まった。

    「これが『へそ石』。昔、京都の中心だった場所って言われているの」

    「へそ石……ですか」

    佐藤はタブレットを小脇に抱えたまま、まじまじと石を見つめた。

    「人間の身体にもね、おへその位置に『神闕(しんけつ)』っていうツボがあるの。生命力が集まる場所で、ここが冷えたりすると、全身のバランスも崩れやすくなる。

    建物も、この街も同じなんじゃないかな。周りがどれだけ新しく変わっても、こういう『中心』が残っているから、京都はどこか安心できる気がするの」

    佐藤は眼鏡の奥の目を瞬かせた。

    「へそ……ですか」

    いつものような理路整然とした反論は返ってこない。

    効率を何より大切にしてきた彼にとって、その発想は新鮮だったのだろう。

    ただ、古くから守られてきた街の磁場に触れ、ほんの少し背筋を伸ばしたようにも見えた。

    六角堂を後にし、二人は高倉通りへと足を向けた。

    大通りの喧騒から少し離れるだけで、人の流れはゆるやかになり、京都らしい落ち着いた空気が戻ってくる。

    次に葉月が向かったのは、明治十八年創業の老舗和菓子店・大極殿本舗 本店。

    「次は、ちょっと休憩しよう。」

    店内へ入ると、外の熱気とは別世界のような静けさが広がっていた。落ち着いた空間には心地よい冷気が流れ、さっきまで張り詰めていた身体と頭がふっと緩んでいく。

    「すみません、琥珀流しを二つお願いします」

    葉月が注文したのは、この店の名物「琥珀流し」。
    月替わりで変わる人気の甘味で、7月は本店限定の赤紫蘇だった。

    運ばれてきた器には、ガラス細工のように透き通る寒天。そこへ鮮やかなルビー色の赤紫蘇の蜜がたっぷりと注がれ、その上に赤紫蘇ゼリーが彩りよく添えられている。

    スプーンですくい、口に運ぶ。

    冷たい寒天がツルリと喉を滑り落ちる。

    その瞬間、赤紫蘇の爽やかな酸味と、清々しい香りが鼻へ抜け、夏の暑さで頭にこもっていた熱が、すうっと引いていった。

    冷房で冷え切っていた足腰の重だるさは残ったまま、それでも胸の奥に張りつめていたものだけが、やさしくほどけていくようだった。

    「……信じられないくらい口当たりが軽くて、喉を通り抜ける効率が完璧ですね」
    琥珀流しを見つめながら、佐藤が大真面目な顔でつぶやく。

    葉月は思わず、くすりと笑ってしまった。

    「効率じゃないよ。計算された『滑らかさ』なんだよ、佐藤くん」

    葉月はスプーンを静かに置き、坪庭の緑に目を向けた。

    「京町家って、どんなに間取りが違っても、一本の通り土間が表から奥までまっすぐ続いているでしょう。その土間に沿って、人が暮らし、風が通って、季節が巡る。

    さっき六角堂で見た『へそ石』が街の中心なら、この通り土間は家を流れる一本の背骨みたいなものなんだと思う。」

    佐藤は黙って耳を傾けている。

    「だから、この町家も同じ。

    四角い部屋をたくさん並べるんじゃなくて、この流れを残したい。

    手前の本屋から、真ん中のカフェ、そして一番奥の静かなサテライトスペースへ。

    歩いているだけで少しずつ気持ちがほどけて、呼吸が深くなっていく。

    そんな場所になったらいいなって思うの。」

    しばらく沈黙が流れた。

    佐藤は赤紫蘇の蜜を見つめたまま、小さく息をつく。

    やがて、ポケットから手帳を取り出し、カチリ、とペンをノックした。

    そして何かに取りつかれたように、ページいっぱいへ線を引き始める。

    六角堂の「へそ」。

    町家の「通り土間」。

    そして現代の建築。

    別々だった点と点が、一本の線でつながったようだった。

    店を出ると、中京の路地を吹き抜ける風が、さっきより少しだけ涼しく感じられた。

    身体の奥へ、静かに力が戻ってくる。

    葉月はそんな感覚を確かめながら、佐藤と並んで佛光寺の現場へと再び歩き出した。

    コンコン。

    コンコン。

    四条通へ近づくにつれ、来週に迫った祇園祭・前祭へ向け、長刀鉾の鉾建てを進める木槌の音が響いてくる。街全体が、ゆっくりと目を覚ましていくようだった。

     第2章:帰る場所の調律ー「心脾(しんぴ)」を養うー に続く。


    シリーズ1はこちらです🌿


    【登場人物】

    👩 高瀬 葉月(たかせ はづき)/42歳

    不動産仲介会社勤務。本作の主人公。効率と現実に追われる日々のなかで、いつしか自分自身の心身を後回しにしてきた。嵯峨野の鍼灸院で育ち、東洋医学の視点を自然に身につけている。町家再生という仕事を通して、「人が帰れる場所」とは何か、そして自分自身の心身の調律に向き合っていく。

    👔 佐藤(さとう)

    葉月とプロジェクトを担当する若手建築士。デジタル技術と合理性を重視し、当初は更地を前提とした効率最優先のプランを提案する。しかし、葉月の想いや京町家の魅力に触れ、理想と現実を両立させたリノベーションへと考えを改めていく。葉月の価値観を最初に理解する、重要な伴走者。

    👓 五条(ごじょう)

    京都で代々続く老舗書店の息子。四十四歳。伝統を受け継ぎながらも独立し、「本の新しい循環」を生み出そうと挑む新オーナー。リアルな空間とオンラインを融合させた新しい町家の未来を描く。葉月の「風の通り道」という想いを受け止め、互いに信頼を深めていく存在。

    👵 松原(まつばら)/83歳

    町家の売主。四条烏丸・佛光寺界隈で長年暮らし、町衆の文化や地域のつながりを大切に守ってきた。葉月たちの再生計画に未来への希望を見出し、大切な町家と想いを次の世代へ託す。

    🍂 宇野 一花(うの いちか)

    葉月の姉。二児の母であり鍼灸師。病院附属の東洋医学研究所で経験を積み、現在は実家の治療院で父とともに患者に向き合う。西洋医学と東洋医学の両方を知るからこそ、葉月に寄り添い、身体だけでなく心も整える養生の知恵を授ける。

    🌸 北村 志保(きたむら しほ):シリーズ1に登場

    葉月の親友で、着物リメイク職人。伝統を現代の暮らしへと生かす感性を持ち、迷う葉月にさりげなく背中を押す存在。


     
     
    鍼灸師。総合病院の東洋医学研究所を経て、現在は古都里山で地域の方々に寄り添う鍼灸院をしています。鍼灸院で、ママ講座で、日々みなさんにお話しているセルフケアを一冊のノートに。そして、読むことで東洋医学やツボのこと、ケアのことがわかるようになる『読む鍼灸院』をこのnoteで開院中。

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