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「見えるようになるまで」 ペースメーカー スイッチ篇

患者さんのことをほとんど知らないのに、部長は迷わなかった。

救急外来に呼ばれてから数十分。
一時的ペースメーカーの挿入。
翌日の永久的ペースメーカー植え込み。

次々と決断していく姿を見ながら、若い私は戸惑っていた。

「どうしてそんなに迷わないんですか?」

今回の「見えるようになるまで」は、そんな疑問から始まる話です。

※本記事は創作大賞応募期間中のため全文公開しています。応募期間終了後は一部有料公開へ戻す可能性があります。


まえがき

前作の「見えるようになるまで」 ペースメーカー やるべきかやらないべきか篇の続篇を書きました。

医師という仕事は、常に迷いの連続です。
本当にこの治療が必要なのか。
他に選択肢はないのか。
患者さんにとって何が最善なのか。
年齢を重ねても、その迷いがなくなることはありません。
むしろ経験を積むほど、簡単に答えを出せない場面が増えていくようにも思います。
それでも救急の現場では、立ち止まってはいけない瞬間があります。
悩むことと、迷い続けることは違う。

今回描いたのは、私が若い医師たちに伝えたいと思っている「決断のスイッチ」についてです。
技術の話のようでいて、実はそれ以上に大切なことなのかもしれません。

突然のめまい

孫の凌を幼稚園に迎えに行った後は、習い事のプールに連れて行くことになっている。
息子の尚紀と嫁の昌世は共働きで、平日の孫の凌の世話は完全に任されている。
年長の凌はとにかく元気で、公園で遊ぶのが大好きだ。
プールの予定がなければ、暗くなるまで帰ろうとしない。
最近は友達が始めたサッカーに興味が出てきて、公園ではボールをあちこちに蹴っている。
端までボールを取りに行くのは専ら弘子の役目になっていた。

最近は、ボールを取りに行く時に息が切れることが増えてきていた。

弘子は“年には敵わないなあ”と考えながらも、突然めまいがすることもあって、何か大変な病気ではないかと心配になっていたのだった。

「おじいちゃん、今日はちょっとめまいがするから、凌をプールに連れて行ってくれる?」
弘子はソファーにもたれかかりながら言った。

「いいけど、おまえ大丈夫か?最近めまい多いよな。」
「洗面所にプールバッグが置いてあるから、タオルと下着を入れて、凌を着替えさせて…」
と話している最中に、突然変な間が空いた。
おかしいと思ってソファーの方を振り返ると、弘子がぐったりしている。

「弘子、おい、大丈夫か?」
「おい。」
と声をかけると、

「あー大丈夫よ、なんだかフワーッとしちゃって。」
と返事があったのでひとまず安心する。

しかしプールの準備を整えて、
「行ってくるな。」
と声をかけたところ、今度は返事が返ってこない。

ソファーに駆け寄るとまたぼーっとしている。
これはおかしい。

「凌、ごめんな、おばあちゃんの具合が悪いから、一緒に病院に行こう。」
尚和はまた意識が回復した弘子を支えながら車に乗せ、プールとは全く反対にある病院へと向かう。

10分後、病院に到着したところで、弘子はまた意識を失った。
車で病院玄関前に乗り付けて、
「看護師さん、助けてくれ。」
と、尚和は大きな声で叫んだ。

一時的ペースメーカー

“徐脈は流行り病”なんてことはないはずなのに、また徐脈のコンサルトだ。今度は救急外来だ。
菊岡は「すぐ行きます」と言って電話を切った。

救急外来には、午後から意識消失を繰り返している60代の女性が寝かされている。
モニターの音は、ピッピッピとリズムよく鳴っていたが、突然5秒ほどの静寂が広がったと思うと、アラーム音が鳴り響く。
そしてまたリズムよくピッピッピと戻る。

患者さんに聞くと、横になっていても突然ふわーっと意識が遠のくそうだ。

またアラームが鳴って、看護師さんが「佐藤さーん」「弘子さーん」と大きな声で呼びかけている。
また意識消失したようだ。

電子カルテを確認すると、電解質は異常なし。
薬も血圧の薬以外は飲んでいないそうだ。

すぐに一時的ペースメーカーが必要そうだ。

「部長、救急外来に発作性の完全房室ブロックで意識消失を繰り返している60代の女性がいます。今もまた意識消失しました。すぐに戻るんですが、繰り返しています。一時的ペースメーカーが必要だと思いますが、今からやってもいいですか?」

「分かった。各所に連絡しておくから、先生はすぐに本人と家族にインフォームドコンセントをとって、カテーテル検査室に連れてきて。」

この前は適応についてあれこれ言っていたはずなのに、部長のこの違いは何なのだ?

年齢?緊急性?一過性ブロックでの意識消失という病態?

患者さんのことなんて何も知らないはずなのに、しかも本人にも家族にも会っていないのに、もう大事なことを決めている。
訳が分からないが、今は急げと言われた。

「佐藤さん、今、また意識が遠のいちゃいましたよね。」
「一時的に心臓が止まりかけちゃう不整脈になっているんです。ペースメーカーを入れる必要があるのですが、緊急性が高いので、まずは一時的なペースメーカーを足の付け根から入れますね。」

菊岡はそう言って、半分有無を言わせずに同意書にサインさせた。

カテーテル検査室に患者さんを連れて行くと、もう準備は万端だった。
すぐに鉛のプロテクターを着て防護メガネをかけて、青色の清潔ガウンを着せてもらった。
鼠径部を消毒して覆い布をかける。
局所麻酔をして静脈の穿刺はいつも通り。
最近は首を傾げずに、シースを入れられるようになった。
そして一時的ペースメーカーのカテーテルも右心カテーテル検査で使うものに似ている。
右心室に入れるところまでは簡単だ。
バルーンを抜いて、右心室壁に押し付ける。

この押し具合だけは部長に指示されたが、あとはできた気がする。
一時的ペースメーカーは問題なく作動しカテーテルを皮膚に縫合して固定した。

カテーテル検査室に入室して、ここまで10分くらいだった。

「上手くいったな。」
部長は褒めてくれたが続けてこう言った。

「なあ菊岡、この後どうしようか?」
経過観察して永久的ペースメーカーを避ける道を検討すべきなのか?
家族と本人の意向をしっかり聞くための時間稼ぎなのか?
そんなことを考えながら、
「永久的ペースメーカーが必要だと思うので日程調整させて下さい。」
と、思い切って攻めてみた。

「いいんじゃないか。明日空いてるから、これから予定組んで、もうやっちゃおう。」
部長の決断は早い。

どうしてなのだ?やっぱり分からない。

スイッチ

ハイケアユニットに帰って、先輩の高尻に聞いてみた。
「部長のことなんですけど、今日は患者さんのことを何も知らないのに、どんどん方針決めちゃって、なんだか頭が混乱しちゃいましたよ。」

「えっそうか?完全房室ブロックだろ?こんなもんじゃない?」
「ところでさ、おまえの中に、スイッチってある?」

「何も考えずに、手技へ突っ走るスイッチ。実はさ、救急の現場って結構これが大事なんだよね。メリハリっていうか。」
「俺もまだあんまり具体的に線引きができている訳じゃないんだけど、この年代の、元々元気だった人が、この病気で急に具合が悪くなったって時には、全く悩まないっていうような、たぶんそんなスイッチがあるんだよ。」

「今日は、部長のスイッチが入る条件が揃っていたんじゃないか?」

菊岡はよく考えてみる。
佐藤さんに“永久的ペースメーカーを入れない”っていう選択肢はあるのだろうか?
色々な条件を、手術をやらなくて済む方向に考えたとしても、もし本人や家族の希望を考慮したとしても、“やったほうがいい”になるんじゃないか?

多分本人が“やらない”って言ったとしても、僕は多分説得する。
だったら、全てが早い方がいい。

そういうことなのだ。
「スイッチ」
今度は意識してみようと思うのだった。

技術の伝授、速さの正義

翌日。
佐藤さんの永久的ペースメーカー植え込み術が行われることになった。
部長は迷わなかった。
昨日、一時的ペースメーカーを入れた時と同じように。

うちの病院では、部長が師匠から受け継いだ“カットダウン法”でペースメーカーを植え込む。
血管を直接見つけてリードを入れる昔ながらの方法だ。

「この血管は解剖学的に必ずここにあると信じて探すんだ。」
「そうすると90%くらいは見つかるよ。」
部長はそう言いながら、迷いなく手を進めていく。

最近は“胸郭外穿刺法”が主流になっているが、部長は“カットダウン法”の技術を若い世代にも残したいと思っているようだ。

ただこれができるようになるのには時間がかかる。
先日ようやく高尻先生が免許皆伝になったそうだ。

「最近はさ、リードレスペースメーカーが流行ってきてるから、この技術はもう伝承されずに、今後やれる人がいなくなっちゃうんじゃないかと心配しているんだよ。」
「だからみんなには、この手技を是非とも覚えてもらいたいんだよね。」

「俺の師匠はさ、いいところ、悪いところが色々あったけど、“手技を早く進める”っていうところがとにかく凄かったんだ。」
「術中の肝の部分での手技は、ひとつひとつすごく丁寧なんだよ。でもね、終わってみると手術時間は普通の半分以下なんだ。本当に異次元の速さだったよ。」
「これはペースメーカーの手術で差が明らかだったんだけど、実はカテーテル治療でも、外来でも同じだったんだ。行為の肝は丁寧に時間をかけて、でもそれ以外は迷わない、立ち止まらない、絶対に引き返さない。手技や外来での行為は、常に前に進み続けていたんだよね。」

「今の時代、必ずダブルチェックや確認作業が必要とされているだろ。だから何をやっていても、確認、確認で、なかなか前に進まない。これは仕方ないことなんだけどな。でも、あの速さを知っていると、“速さの正義”っていうのも確かにあると思うんだよね。」

「あんまり昔話してると、若い先生達には嫌われちゃうかな?」

こんな話をしながらも、部長の手も止まらない。
次々と高尻先生に道具を手渡しながら、手術は進んでいく。

シースからリードが出て、右心室の中隔に向けて先端についているスクリューがねじ込まれた。
そして右心室のリードを固定すると次は右心房だ。
スタイレットを出し入れして位置を調整して、右心耳のいい場所が決まったらリードを固定する。

最後にリードにペースメーカー本体を接続するところで、高尻から道具を渡された。

「リードのシリアル番号を確認して、まず心室のリードはペースメーカー本体の下の穴に入れる。きちんと奥まで入っているかは、ダブルチェックな。あとは専用のトルクレンチで音がするまで締める。次は心房も一緒で、上の穴だ。」
高尻に言われた通りに接続できた。

「本体を固定して、あとは傷を中縫いと、皮下を埋没縫合でよろしくな。」と言って、部長は昨日鼠径部に入れた一時的ペースメーカーを抜いてくれた。

ここからが僕の手術だと菊岡は思った。
高尻に手伝ってもらいながら、縫合を進めていく。

一針進めるだけでも、どこに刺していくべきか悩んでしまう。
そして針は何度も刺し直してしまうのだ。

さっきの部長の話、“肝以外は迷いなく進み続ける”は、簡単なようで意外にできないと実感する。

部長も多分そんなことを考えながら師匠の元で修行を積んだのだろう。
菊岡は“進み続ける”を意識してみようと決意したのだった。

「ありがとうございました。本当に命を助けてもらいました。」

「病院に来て緊急で一時的なペースメーカーを入れて頂いてからは、全くぼーっとしなくなったんです。孫の凌が自分で色々できるようになるまでは、まだまだ私が世話をしなければいけないんですよ。もしかしたら、これで息切れも減りますかね?今度はボール拾いも頑張れそうです。」
弘子にそう言われて、菊岡はほっとした。

「多分元気になりますよ。」
と笑顔で答えたのだった。

スイッチオンの理由

後日カンファレンスで、
「サルコイドーシスは調べたか?まだ若めで房室ブロックだろう?他には虚血も、電解質異常も、薬剤性もないんだよな?」
「今回はさ、救急外来に搬送してもらった時点で、“永久ペースメーカー植え込み”はもう仕方がない状況だったし、絶対早急にやるべきだった。」
と部長は言った。

そして続けて、
「違いが出るのは、ここからなんだよ。もしサルコイドーシスだとしたら、難病申請までしてあげないと。そして、今後のまだ長い未来のことを思うと、ステロイドでの治療も考えてあげないといけないだろ?」

菊岡は納得した。
部長は初めからこう思っていたのだ。

だから、この次のステップに早く確実に話を進めるために、一時的ペースメーカーの挿入も、翌日の永久的ペースメーカーの植え込みの決定も、躊躇がなかったのだ。
きっとスイッチがオンになって、その後は悩むことなく、止まらず、戻らず、まっすぐに進んだ結果なのだ。

なんだか話が全部繋がった気がしたのだった。
この後の精査で背景の病気が判明するかどうかは分からない。

それでもここまでは進むべきだったのだ。

師匠の教えは、こうして引き継がれていく。
菊岡も部長の教えを引き継いでいきたいと強く思うのだった。

退院の日

「お大事にして下さい。でも落ち着いたところで、もう少し詳しい検査をさせて下さい。先日お話ししたように、ステロイドが効果的な病気かもしれないんですよ。」

「それから1ヶ月程度は、左腕を肩より上には上げないでくださいね。」
と菊岡は説明した。

ペースメーカー植え込みから1週間後のことである。
もうすでに廊下歩行も入浴も可能な状態となっていて、無事に退院の日を迎えたのだ。
息子夫婦は今日も仕事なので、退院のお迎えは、おじいちゃんと孫の凌である。

「先生、またボール拾い係に戻らないといけませんからね。」
弘子はそう言って笑った。
その笑顔を見ながら、菊岡は思った。

師匠から部長へ。
部長から自分へ。
技術も、考え方も、こうして受け継がれていくのだろう。

「スイッチ」とは、考えることをやめることではない。
考え抜いた先で、迷わず前に進む覚悟なのかもしれない。

その意味が、少しだけ見えた気がした。

あとがき

若い頃の私は、優れた医師とは迷わない人なのだと思っていました。
しかし実際には違いました。
本当に優れた医師ほど、よく考えています。
患者さんの人生を。
治療の意味を。
そして、その先の未来を。
ただし、考えるべきことを考え終えたら立ち止まりません。
進むべきだと判断したら、あとは迷わず前に進む。
私が多くの先輩方から学んだのは、そんな姿勢でした。

今回の物語では「スイッチ」という言葉で表現してみましたが、それは考えることを放棄することではありません。
むしろ十分に考え抜いた先にある覚悟なのだと思います。
技術はいつか新しくなります。
カットダウン法も、いずれ行う人が少なくなるかもしれません。
それでも患者さんのために考え、決断し、前へ進む姿勢だけは受け継がれてほしい。

私もまた、先輩方から受け継いだものを、次の世代へ渡していけたらと思っています。

 
 
Thoughts_Inside Heart 医療x物語xランニング 1975年生まれ/田舎の循環器内科医 /趣味 マラソン,テニス,スノーボード,スポーツ観戦,読書 若い医師など、次世代の担い手達の未来を、心から応援したい。 時々妻の実心の日常のエッセイも。

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