
こんなにも、大好きだったんだな。
今朝、 noteを仕切り直そう、という記事を公開して、気持ちが切り替わったように感じています。
というより、一時的に他のことを優先して日々の何気ない記録を後回しにしてきた毎日から、かつての毎日に戻った、と表現するほうがしっくりきます。
そのときじゃないと感じられないこと、そのときしか体験できないことを、写真に撮って言葉にしておきたい。
そんな気持ちがとても強いのだと思います。
この2〜3年、親の老いを目の当たりにしたり、不意の事故とかではなく友人が急に肉体を離れたり…といった出来事が続いています。
ある日突然、それまでふつうに会って話せていた人と、二度と会えなくなってしまうんですよね。
あとからふり返って、「あのとき、一緒に出かけたのが最後になっちゃったなあ」と感慨にふけることも多くなりました。
いつが「最後」になるかわからない。
若かろうが年を取ろうが、それは同じです。
でも、そのことを忘れちゃうんですよね。
つい、「いつか」今と同じような「次の機会」がやってくる、と思ってしまう。
ホント、忘れては思い出し…の繰り返しです。
一方で、若い頃に比べると、思い出すきっかけは格段に増えています。
事あるごとに、今日と同じ明日が来るわけではない、と感じていますので。
それは、ある意味祝福なのかもしれません。
ちょっと切ないけれど。
そう考えると、「もうこれでおしまい」という期限がわかっている案件は、心の準備をしたうえで、最後の時間を味わうことができます。
それもまた、祝福なのだろうな。
目下、我が家の期限付き案件は、今の愛車と過ごす毎日です。
ほんのひと月前、急遽、車を買い換えることに決めました(その記録は、いずれまた)
突然決まった話だし、諸事情あって納車日が未定だったので、事務手続きを進めながらも実感のない日々が続いていました。
それが昨日、長くてもあと2週間でお別れになることが確定しました。
やばい、この文章を書いているだけで泣けてくる。
ずっとずっと乗り続けたい大好きな車でした。
これから、この車と出かける「いつもの場所」がみな、「最後の場所」に変わっていくのだな。
そんな風に思ったらなんだかたまらなくなって、時間を作っては、あちこち走りに行っています。
今日は、午前中藤沢でセッションを受けた後、みなとみらいへ向かうスケジュールでした。
いつもなら国道1号線でさくっと北上するところですが、混雑覚悟で海岸線を逗子までドライブ、そこから高速で目的地に向かいました。
母校の鎌高前は、今となっては安定の渋滞。その後も流れては止まる、の繰り返し。
おかげで、運転席から写真をサクッと撮れました。


空がどんより重たくて、全然映えてもいないけど、昼間の海岸線を走るのは、たぶん今日が最後です。
きれいだから撮る、という写真じゃなくてもいいんだよな。
不思議なもので、助手席に座っているときと運転席に座っているときでは、感慨深さが格段に違います。
逗子で高速に乗ったときには、なぜかウルウルしてしまった。
こんなにも、この車が大好きで、宝物のような思い出がたくさんあったのだ、ということを覚えておきます。
最後に、みなとみらいの夜景も。
いつもより暗いなと思っていたら、コスモワールドがすでに閉園していました。

悲しい・さみしい・切ない・辛い…といった出来事に遭遇したとき、その感情を存分に味わったうえで、何を覚えておきたいのかを選び直しています。
題して「思い出を選ぶコソ練」。
月末に、毎月やっています。
地味だけど味わい深くて、とっても好きなメニューです。